世の中は桜のお花見、私はこの日なぜか、スイセン〜庄原備北丘陵公園その②〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
「世の中は桜のお花見、私はこの日なぜか、スイセン〜庄原備北丘陵公園その①〜」の続きで、スイセン以外の花々の写真でございます。
チューリップも咲いていました。大きくて真っ赤。変わった品種は咲き始めって感じでした。見頃はいつでしょうか。
つぼみもまだたくさん。
パンジーも。
そのほか、いろいろ。
接ぎ木なのかな、白花の木からピンクの花が咲いてます。へぇーっ。
スイセンと雑草たちとの共存。
別に珍しくとも何ともないけれど、水滴が気になってしまいました
つぼみがバラのよう
花びらを透明ビーズで飾ってる
カッコいいなと感じましたので載せときましょ。ボケてるだけ?
全体的に自己満足。一旦雨が上がっていましたのに、午後2時頃にはまた小雨がふり始めましたので引き上げましたが、その頃は、他のお客様がいらっしゃらなくて、貸切状態のようでした。ちょっと、さすがに恥ずかしかったかも。
帰路、田舎の県道を走ってましたら・・
こんなものを発見!思わず頬がゆるみますね。何の花かな。
日々感謝です。
世の中は桜のお花見、私はこの日なぜか、スイセン〜庄原備北丘陵公園その①〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
こちら西日本では数日前から不安定なお天気が続いており、本日も午後から雨なのかしら。そんな中、昨日、また、ふと、たっくさんのスイセンを見たい!と思い立ち(って、ネットで知ったんですけど)、自宅から一時間ちょっと車で走った所にある庄原備北丘陵公園に出かけてみました。朝は小雨が降っていましたが、昼頃から一旦上がる予報でしたし、滴に濡れた花を撮りたいと思ったのでございます。
しかし、コンパクトデジカメですし、技術不足なので、結果いつものように自分にがっかりなんですけどね。では、自己満足の写真を載せときましょ。毎度のことで、「その①(スイセン編)」「その②(チューリップ諸々編)」と記事を分けます。
開園九時半の一分前に到着。ちょっと恥ずかしかったな、こんな雨の中早々と。切符の窓口の女性に「こんな日に、こんなに早く来る人いないですよねぇ」と尋ねましたら、「ええっと・・まぁ・・」と苦笑いされてました。
かなり広くて、目的のゾーン毎に駐車場があり、今回目指すはスイセンガーテーン。ここから似たような写真だらけになります。全体的に見頃ではありますが、2割程度はまだ咲いておらず、当分見頃は続くのではないでしょうか。
スイセンって下を向くので、下から仰ぎ見れるように斜面にもびっしり植えられていました。作業される皆様、ありがとうございます。
訪れた方たちは少ーしでしたが、ガーデンに入った途端、「うわぁー、うわぁー」と感嘆の声をあげてらっしゃいました。また、本格的なカメラで撮影されていている方々もいらっしゃり、小雨の中来る自分が特別変わり者というわけではないのかも。雨あがりの色って鮮明で、しっとりしていて私は好きなんですよね。
桜や桃、梅の花とのコントラストが美しい。
こ、怖い。
自由な感じ
ダンスの一場面のよう。
こ、怖い。
みんな、俺について来い!
同じように見えて微妙に違うみたいです。 少し日の光があれば花びらが透けるかもしれないですが・・ピントも合ってなくて・・まあ、個人的には癒されます。
今さらですが、次にチューリップコーナーに行こうとしましたら、下写真のような看板を見つけてしまいました(通常の逆まわりをしたよう)。35枚位建てられてまして、雰囲気で1枚、と撮り始めましたら・・全て撮ってしまいました。1枚20品種×35枚として・・700品種!ひぇーっ!どれがどれやらわかりません。
看板の前に実物が植えられており、お見事!ほとんどまだ花が咲いていませんでしたが、珍しそうなものを少し。
小さくて、小さくて可愛い。小指です。
最初に見ていたら探したのに・・。似たものは見たような・・。
園内は広いので、こんな乗り物も。思わずパチッ。乗っていた運転手さんやちびっこは手を振って くれました。
自宅周辺の川土手などにもスイセンが自生(かな?)しているので、そちらを愛でればすむものを、わざわざお金を払ってまで、とは思いますが、人工的にでもここまで一種のワールドを作り上げていることに感動。しかも、品種の多さに驚愕。
日々感謝です。
Eテレ「まる得マガジン〜マインドフルネス・第8回散歩ストレッチ〜」を観て。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
“ストレス社会と言われて久しい現代。怒りや不安、悩みなどと上手くつき合っていくためにはいったいどうしたらいいのか。そこで、心を今に向けるマインドフルネスを始め、身体をリラックスさせたり、行動を見直したりして、ストレスに対処する方法を紹介”という番宣を拝見し、8回放送のうち6回分を観ました。ざっくり備忘録しときましょ。
ストレスに負けない心のストレッチ
初めてのマインドフルネス
以前放送した音探しストレッチでは、現実の音をすみずみまで感じとる説明をしたが、それは、あるがままでいるという状況。
今回は、それでも私たちは自分で選んでいける、それを感じ取る練習。
やり方は簡単。自然豊かな公園や森の中で、まわりを感じながら歩く。
一歩踏み出すとき、実は、止まることもできし、右を向くこともできる。この一歩こどに選べることが大事。日頃そんなことは考えていない。歩くといえば、目的地に一秒でも早く着くことみたいな感じだが、一歩一歩選んでいける、ということが自分の人生とも重なるのではないか。歩くだけなのに奥が深い。
選ぶときに大事なのは心の状態。これは、私たちは仕事をしているときは、とにかく何かを解決しよう、論理的に考えて、筋道たてて、と頭をフル回転させているという状態。そして、心を今に向けるマインドフルネスの、ただ、ただここにいられることを感じとっている心の状態の二つ。
今、自分はどちらにいて、次の一歩はどちらに行くべきか、日常生活の中で意識して選ぶことが大切。
この感覚、何となく理解できますね。「この一歩は自分が選んでいる」という意識で歩ける、時間的にも気持ちにも余裕があるのって贅沢でございます。こんな小さなところからでも自分を取り戻せるんですね。たんまり時間がある身分ですので、そんな意識で歩いてみよう!と思った次第でございます。
日々感謝です。
Eテレ「100分de名著 人生論ノート・三木清 第1回〜真の幸福とは何か〜」を観て。“幸福感”と“幸福”は違うらしい。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は、1937年に冒頭の一章が発表されて以来80年近くもロングセラーを続ける名著「人生論ノート」。「怒」「孤独」「嫉妬」「成功」など私たち誰もがつきあたる問題に、哲学的な視点から光を当てて書かれたエッセイ、その表題に比べて内容は難解らしいです。書いたのは、西田幾多郎、和辻哲郎らとも並び称される日本を代表する哲学者、三木 清(1897- 1945)。第1回は、三木清がとらえなおそうとした「幸福」の深い意味に迫っていく、というものです。
お恥ずかしながら、何かで見たことはありますが、読んだ記憶はございませんので、ざっくり備忘録しときましょ。
読み解いて下さるのは、アドラー心理学の回でも登場された哲学者の岸見一郎さん。ご自身が学生の頃、近親者が次々と亡くなり、‘死’が怖くなってたい時、この本と出会い救われたとのこと。
まずは、この「人生論ノート」の基本情報から。
“実践の哲学”で、この本を読んで人生が変わらなければ意味がないと岸見さんは言う。
昭和13年、戦争の足跡が近づいている時、三木清は哲学者として思索を続けていた。前年まで自らの著書となる哲学書に取り組んでいたが書きあげる事が出来ず、完成を断念。挫折感の中で「人生論ノート」の執筆を始める。
この頃、ファシズムの嵐が世界中に吹き荒れ、言論の世界にも影響を与えていた。同じ頃、日中戦争開戦。日本全体が暗い影に覆われていたいた時代。三木は、同時代の人々に向けて“人間はいかに生きるべきか”という根源的な問題を語りかける。中でも最も重きを置いたのは、私たちの“幸福”についてだった。
この直前に、国が戦争の為に国民の生活、財産を統制できる国家総動員法が制定され、一人ひとりが個人の幸福を追い求めることが許されない時代に突入していた。しかし、どんな状況下でも人は幸福を求めていいのだ、我々は幸福とは何かをしっかり考えるべきだと三木は宣言する。
伊集院さんは、言葉がめちゃくちゃ難しいと言う。しかし、ゆっくり読むと‘最近日本で幸せってなに?みたいな本、全然出てないよね、幸せになっちゃいけないって空気になってない?それはおかしいよね、本来人は幸せになりたくて頑張ってるのに、そんなこと考えてる奴は不道徳だみたいな空気は何だよ’ってなことでしょうかとわかりやすく岸見さんに尋ねる。
これに対して、この本は言論統制下の時代に書かれたもので、あえて持って回った言い方しかできなかった、‘本当のことを書こうと思えば狂人になるしかない’と本人も言っていると岸見さんは答える。
さらに、幸福のことを考えてはいけない空気の中、じゃあ何の為に何をしているんだという気になる、“みんなのために自分は我慢しましょ”というスローガンのもと、個人よりも社会を優先させる考え方になると、全体主義、ファシズムにつながると警鐘を鳴らしている。三木は、幸福への要求が抹殺されていた時代だと考えていた。
今度、伊集院さんは、今の時代は簡単に幸福になりたいと口に出せる時代・・・だけど、逆に口に出しにくくないですか?僕、今幸せなんです、もっと幸福になりたい!って言うと、おいおいおまえ、なんか調子にのってないか?って。
岸見さんは、思いますよ、自分が「人生論ノート」を読んだら今の時代のことが書いてあると思う、会社のためとか組織のためとか、それで過労死の問題や同調圧力によるいじめなど、個人の幸福がないがしろにされている状況は今日もある、ひょっとしたら三木の時代より今の方があるかもしれないと話す。
では、なぜ幸福の哲学者になったのか。
明治30年、兵庫県に生まれた三木清は、幼い頃から秀才の誉れ高く、中学を卒業すると単身で上京し第一高等学校に進む。ひとり東京の真ん中に放り出された三木。彼はここで人生を決定する一冊の哲学書、西田幾太郎の「善の研究」と出会う。この本に、今まで感じたことのない善人格的な満足を見い出すことができ、哲学の道に進むことを決意。西田が教鞭をとる京都帝国大学で学び、やがて将来を嘱望されヨーロッパに留学。ドイツではハイデッカーのもとで最新の哲学に触れ、さらにパリでパスカル研究に没頭する。帰国後、大学の哲学教授になり、32歳で結婚。しかし、翌年昭和5年、治安維持法で検挙される。娘が生まれたのは留置場にいたとき。釈放後、大学を去り哲学者として活動していくことになる。アカデミズムの世界を追われたからこそ生まれた「人生論ノート」。苦しみの中で三木は、ひときわ“幸福”という概念について考え抜いた。
スタジオでは、本人にとっては挫折だったんでしょうが、現代の読者にとっては幸運なことだったのではと話す。
三木が生きていた時代は、自己犠牲や滅私奉公が“徳”とされていたので、“幸福=徳”は危険な思想だと捉えられた。しかし、自分が幸福であることは“利己主義”ではない。介護を例にすると、自分を犠牲にして親を看ることが“徳”であり、それを全うしたから人は“幸福”になれるのではなく、自分が幸福であればこそ献身的な介護ができる、自分が幸せでなければ人に優しくすることすらできないと岸見さんは言う。
成功は“過程”であり、幸福は“存在”である。ある目標を達成できたら自分は幸せになれると考えている人は、実は成功を求めている。何かを達成できたら幸せになれるのではなく、人はもうこの瞬間に幸福である、という考え方。現代人は、成功と幸福を同じものだと見ているので、自分は幸福であると思えなくなっている。
たしかに、出世したものの、売れっ子になったものの、結婚したものの・・ってのもありますねと伊集院さんは言う。
“幸福”とは、各人にとって“オリジナルなもの”。絵にかいたような幸せと本当の幸せは違う。成功は“量的”なもの、幸福は“質的”なもの。誰もが真似できないオリジナルな幸福を持っているはず。それを追求すべき。
「人生論ノート」刊行後まもなく日本は、太平洋戦争へと突き進んでいった。ますます言論弾圧は厳しくなり、三木は文章を発表する場所を奪われていく。成功はたやすくコントロールされるが幸福は決してされない、どんな苦境にあっても幸福の力を信じていた三木。しかし、戦争後半に投獄され、終戦後釈放されることなく昭和20年9月26日に獄死する。
刹那的な幸福、偽りの幸福をコートを脱げるようにいつでも躊躇うことなく脱ぎ捨てることが出来る人が本当に幸福なんだと三木は考えている。絶対に捨てられないものは、人格・命である=真の幸福。幸福を持ってあらゆる困難と闘う。
岸見さん自身、以前心筋梗塞で倒れてベッドで横になっていたとき、死を意識するこんな状況でも幸福だと思えるかを考え、これまでは成功を求めていたのかもしれない、今こうして生きていることが幸福だ、と気づいてからはどんなことにも耐えられると思った経験を語る。
さらに、嬉し〜い、やったぁ〜ハッピィ〜みたいな高揚感を意味する“幸福感”とここでの“幸福”は違うと思う、むしろ熱狂をさますもの、“幸福”とは“知性”で考えるもの、だと解説。
伊集院さんは、この本は解説してもらはないと読み間違いをたくさんしそうですねと言う。(同感です)
最後に、お仕着せの人から与えられた一般的な幸福ではなくて、自分自身の幸福は何であるかを考え抜いていかないといけない、考えることを放棄してはいけない、とのこと。
“幸福”は“人格・命”。もともと常時ロー気分な私でも、最近(早期退職後)はちょくちょく、ハッピィ〜的な“幸福感”は得られていますが、それは真の“幸福”ではないんですね、この本によりますと。岸見さんと同じく、私も死を意識するほどの病気経験者(癌治療後5年経過)ですので、おっしゃる事が凄く理解できます。
話ソレますが、ここのところ、“考える”“考え抜く”ことの大切さ、楽しさを説く番組と出会うんですよね。基本的に、私、どうでも良いことをぐるぐる考えて、面倒くさい人間だと自覚していまして、“考える”ことを放棄してもっと楽に、シンプルに過ごした方が、それこそ“幸福”な状態なんじゃない?と内部抗争をし続けたりしております。でも、どうしても止められない、やらずにはいられないそのものが“私”であるなら、それもありかなーなんて思います。
話戻して、この「人生論ノート」、個人的には“孤独”あたりも知りたいです。残り3回も拝見させて頂きましょ。え?本を読め?
日々感謝です。
春うらら、突如海を見たくなり周防大島へ・・・怖い。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
春うらら。昨日ふと、山頂から瀬戸内海を眺めたくなり周防大島までドライブいたしました。しかし、大誤算でございました。朝八時半に出発。高速道路に乗らず国道を走りましたら、至るところで道路工事をしており渋滞。一時間も時間配分が狂ってしまい・・このあと色々がっかりなことに。
なんとか三時間半位で大島の玄関・橋まで辿りつきましたがこの時少し気疲れ状態。
橋の側からの眺め。ついどうでも良いものを撮ってしまいます。
今回は白枠の嵩山山頂を目指しました。本当はさらに右奥の白木山もだったのですが。
春うらら。車窓からの眺めは最高。時折車を停めてパチっ。この時点では多少お疲れ気味でも気分上々。
さて、嵩山山頂目指して車道を登っていきましたが、平日ですし、メジャーじゃないのか車一台も見かけず、しかも、しかも、急な坂道ではっきり申しまして、怖い。お正月にも別の山道を走ったとき、自家用車を本来の走り方ではない過酷な使い方はやめよう、もしパンクしたらどうしよう、やばいよ、やばいよとドキドキし、こんな道はもう二度と車では登らないと誓ったはずでしたのに・・。すぐ忘れるよな、人間って。それもこれも山頂からの素晴らしいであろう眺めを見たい気持ちが勝るのですね。
本当はもっと暗くてくねくね。
あまりにも怖すぎて時速15〜20キロで徐行し、予想より大幅に時間がかかりましたが、無事山頂到着。狭くて、展望台も小さい。あとで父子連れの一台の車到着。
眺めは素敵なのですが、ちょっともやもやでございました。やはり、時期的にはベストではないのかしら。そして、撮影ポイントとしては他の山の山頂がいいんでしょうね、ここは遮る木々や鉄塔等が半分以上でした。まあ、撮影技術の問題かな。
ハンググライダーの離陸台があったので、主にそれ用の場所なんですね。恐る恐るその台から下を眺めると・・怖い。よく飛べるな、でも、気持ちいいだろうなー。
反対側からの眺めは・・こちらにも離陸台がございました。
写真右上あたりにも集落?作業小屋?があり、凄いな、あんな高い所に住んでらっしゃるの?まさかね。どうでも良いことが気になります。
さて、下山、怖い。写真撮る余裕はあるみたいです。絶対離合無理。しかし、登っている時も思ったのですが、よくこんな道を作って下さったよなと。税金払うの当然だな、私の税金は、きっと私のこの思いつきの楽しみのために納めさせて頂いてるんだと思えば逆に感謝です。いえ、そもそも世のためですけどね。
本当はもっと暗くてくねくね。
時間がなくなり、当初の目的・白木山は諦め帰路へ。オシャレなカフェや道の駅的なお店、浜辺も断念。行き当たりばったりはこれだから。そうそう、大島の桜開花状況は、少ーし咲いている木もありましたが、満開はすぐそこまでって感じかな。
気を取り直して海岸沿いを走り、行きに通り過ぎた場所に立ち寄ってみました。大島からすぐ近くです。
綺麗に整備された感はございますが、海の色が綺麗でございました。
適度な人数の家族連れが遊んでいる風景は癒されますね。
こんな場所で読書したり、イヤホンつけて音楽聴きながら頭の中で妄想PVを作ってみたりするのもいいかなーと思いました。せっかく録音機(言い方が古っ)&イヤホン買ったし。やってみよ。
ん?そうそう、重要な事を思い出しました。せっかくなので、「女が歌う男」みたいなタイトルのCD3枚を道中車で聴きまくってたのです。それも目的のひとつでございました。レッスン曲候補が見つかり収穫ありでした。
対岸道路からの宮島の鳥居。近いうち、何十年ぶりかに弥山に登ろう!もちろん、ロープ―ウェーで。平日ですのにフェリー乗り場から降りてくる観光客は多かったですよ。先輩山ガール風な人も結構いらっしゃいました。総評しますと、怖かったけど収穫もあり・・“楽しかった”ということで一件落着。にしとこ。
日々感謝です。
きのう見た風景⑭〜気持ちよさそうに泳いでる〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
昨日、Vocal Lessonに向かう途中の県道沿いで見かけました。あら、もうそんな時期?と思わず車から降りて、パチパチ撮ってしまいました。あまりも気持ちよさそうに泳いでらっしゃるんですもの。
ちょっと休憩なさってます
そして、この川土手にはいろんな品種の桜の木が植えられているようで、少し歩いてみました。
一本だけ8割位咲いている木がございました。
他は、あとひとふんばり。
ぷくっとして可愛い
ここ数日のうちには満開の木々がずらーっと並んで名もなき絶景の地となることでしょう。ここだけではなく、この県道沿いの川土手がだいたいそうみたいですので、可能な限り走ってみましょ。ちなみに、広島市内から三次に向かう県道で、白木街道って名前だっかな?
ところで、昨日からテレビ朝日の連続ドラマ「やすらぎの郷」がスタートしましたね。以前NHKの倉本聰さん特集で宣伝されてた番組だと思いますが、とりあえず拝見しましたところ、倉本さんのこのドラマの創作過程が少し紹介されていましたので、どうしても倉本さんがちらついてしまいます。
良い悪いではなく、台詞の一言ひとことが重いですね。私も着々と歳を重ねてますので、諸先輩方のお姿(役だとしても)をみてるだけで身につまされます。って、始まったばかりでまだ何も起こってないんですけどね。しばらく観させて頂こうと思います。つらくなるかな。
日々感謝です。
VOCAL LESSON記録〜2017/4/3&イヤホン購入
こんにちわ、SUMIKICHIです。
まだ朝晩は寒いですね。
本日もちゃんとVOCAL LESSONに行ってまいりました。
外の入口にはいつもフレッシュな花
いつものように高音中心に発声をしたあと、レッスン曲の練習。アギレラの『Hurt』。特にファンというわけでもなく、英語苦手で洋楽大好き人間でもないのですが、縁あって以前出会った曲を久しぶりにきちんと歌ってみたくなったからかな。その時は、自信がなくて(今もですけどね)途中で投げ出したんですよね。リベンジのつもり。ちなみに、自分で歌いたい曲を選んでも良いのです、こちらの教室では。
そもそも声質や声量からして無理ですが、やってみたいことは思った時にやっておかないとね、老い先短いですから。フェイクの歌い方とか発声の仕方などのコツを教えて下さり、目からウロコ。上手には歌えてないですけど、雰囲気はちょっとつかめました。
ストレスを発散させ気分すっきり。帰路の車内でふと・・おーっ!大変!せっかく録音機買ってバッグの中に入れていたのに、歌うことに夢中になり過ぎて録音し忘れてるじゃん!ぎゃーっ!
まぁ、良い。実は、この機種はイヤホンとかスピーカーとかを使わないと再生音が聴けないと取説に書いてありまして、レッスン時にはまだなかったので次回録音しましょう。で、仕方がないからイヤホンを買いました。SDカードをパソコンに差して(それ用の機器はある)聴けばいいんですけどね。詰めが甘いです。
自宅にもどり、次回のレッスン曲を決めなくては・・と手持ちの洋楽ものからめぼしいものを選びました。しばらくの間、洋楽のR&B系(詳しくないけど)にしましょ。
映画「DREAM GIRLS」のサントラ盤から、ビヨンセが歌う「LISTEN」に決めました。無謀でしょ。
私、洋楽は(も)歌い慣れていないですし、英語の発音もダメダメですので、歌入りの曲に合わせて歌うのにも時間がかかります。ですから早めに決めて、歌詞をネットで調べて解釈するところから始め、そのあと毎日数十分ですが、何回も聴き流し曲の雰囲気に慣れて、それから歌詞を見ながら一緒に歌う、っていう流れでざっくり体裁を整えられるまで最低2週間必要かな。2〜3日朝から晩までやれば出来る、って感じではないですね、私の場合。毎日少しずつ継続がいいみたいです。英語と日本語とでは、音符に乗せる言葉が一文字か単語かでリズムなんぞが全く違うようで、上手く歌えたら洋楽の方が楽しいかも。ただ、私は個人で楽しむレベルですけどね。早い話、自己満足。
とにもかくにも先生、毎度うるさい歌を聴かされ、拷問のような時間にしてしまってすみません!しばしご辛抱頂きたく存じます!
そうそう、どうでも良い話。イオンカードの申し込みをしたところ、正直に「無職」「一人暮らし」と記入したのがいけなかったのでしょうか、審査に2週間かかると言われました。通常は、即審査OKらしいんですよね、やっぱり少しショック。カードを貰えなければ、今考えているギター教室には入会不可、月謝をイオンカードからの引き落としにできるのが入会条件のよう。とほほ。遊んでないで働きなさい!ってことでしょうね。
日々感謝です。