VOCAL LESSON記録〜2017/6/16〜&もみじの赤ちゃん成長記録
こんにちわ、SUMIKICHIです。
本日は、VOCAL LESSONに行ってまいりました。課題曲は鬼束ちひろさんの『月光』。終盤で盛り上がっていく高音の一番高いあたりを抜き声に移行するのが下手なのでございます、私。これが上手く出来れば、レパートリーがぐぐっと広がるんですよね。どこで披露するのだ?まあ、他にも課題はたくさんありまして、全て考えながらですと、歌えないのでございます。しかし、日頃引き籠りがちで声を出すことが少ない私には、この大きめの声を発する行為自体が貴重なのです。腹式呼吸は身体に良いですしね。って、あまり出来てませんけど。
明日は、7/1開催予定の島でのライブ(私は参加させて頂いてる立場)に向けて、ギター伴奏との音合わせです。曲は、尾崎豊さんの『OH MY LITTLE GIRL』と井上陽水さんの『少年時代』。どちらも美しいメロディラインで優しく軽く(気を抜くというわけではなく)がいいのかな。暑い夏なので、暑苦しくならない感じがいいですよね。って、なんか自由自在でござい、みたいな言い方ですが、ただ単に定まらないだけでございます。とほほ。
気が向きましたので、我が家の庭に勝手に種が飛んできて自生してくれてるヤマモミジの赤ちゃんたちの成長具合を記録しときましょ。左側が発見した日付、中央は一週間前位、右端が本日、それぞれの写真。ボケてます。写真の大きさを揃えてないのはダメですね。
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↑4/23頃
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↑4/24頃
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↑5/16頃
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↑5/20頃
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↑5/23頃 木の下にあるので日照時間が短いかな
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↑5/23頃
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↑5/25頃 デッキ下にあり日照不足?
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↑5/25頃
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↑5/31頃 なんか成長してくれてる!
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↑ 6/13 やっぱりダメかな
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↑6/14 発見からまだ数日ですから
置かれた場所によって成長スピードが違うのを実感しますね。2番、3番、4番、6番、8番などは着々と葉を広げてます。うわぁー、育ってる育ってると成長が楽しみ。
ですが、木陰にある5番 双葉を一部損傷させてしまった9番、デッキ下の7番、雑草の山に覆い尽くされてしまっていた10番たちの方がとても気になります。私は、日々水やりをし、見守るしかないのです。人間社会の人生を重ねて見てしまいますね。9番の復活の兆しを見て、感慨深いです。10番なんかが、どこかにまだパワーが潜んでいて一部でも緑になってくれたら心躍りまくりだと思います。
こうして記録写真なんて載せるのは、単純に自己満足的に面白いだけですけれど、ふと、この刻々と過ぎゆく、過ぎ去っている時間を何かのカタチで確認したいのかなと思ったりします。例えば・・子育てしてると自分が生きている時間が確認できますよね、私にはそれが無いからなのかも。なーんて。
そして!私、本当に愚か者、物知らず。先日、ミョウガコーナーの草抜き中に見つけた草を、枝分かれしたミョウガだと思い込み、わざわざ土をかけたりして悦に入っていましたら・・おっ?花芽?あららー、雑草じゃん!恥ずかしっ。
抜きました。咲いた花を見たかったけれど・・。
毎回、しつこく載せてますあじさいアナベル。日々大きくなります。
これから悩みの時期に入りますね。
害虫退治苦手だし・・
このあたりは剪定?
ここのところ身内の深刻な問題が脳裏をチラチラよぎりブルーになったりならなかったり・・考えても仕方のない事や不安を勝手に増幅させてしまって思考停止の無駄な時間を消費してる、そんな時こそ、この庭めぐり、観葉植物の挿し木の成長チェック、大きな声で歌を歌う、写真を撮りまくる、などシンプルに楽しく没頭できる時間を持ちましょう!ん?誰に言ってるのだ?文章が破綻しております。
日々感謝です。
地元町内会主催のウォーキング教室3回目(最終回)参加。久々の達成感!
こんにちわ、SUMIKICHIです。
地元町内会主催のウォーキング教室、本日、最終回(3回)でごさいました。
前回、先生から指摘された項目の中のひとつで、あなたは片方からの肩掛けバックより、リュックタイプがいいよ、とのことでしたので、昨日、無印良品で折りたためるビニール製のリュックを購入。なんて真面目で素直な私。出費です。
リュック持参でいそいそと集会所へ。参加者は、なんだか増えてない?ざっと30人はいらっしゃいました。3回目ともなりますと、名前はしらないけど顔見知りになり笑顔でご挨拶。先生は、本日もニコニコ元気印で、足がつるのはなぜか、どうしたらいいか、天然塩がいい、スポーツ飲料水は成分表示に果糖よりぶどう糖が最初に記載してあるものを、エトセトラ、為になるお話満載。そして、肩甲骨回り、体幹腰回り、足裏すじ、など事前ストレッチをみっちり。これがスゴイ効くのです。全身軽くなり、腕と肩が回る回る。
さてさて、本日は40分程度、3km位。前回の倍です。二週間しか間が空いてませんのに、緑の成長が早くて景色も変わってました。先生は、おしゃべりしながら歩いて下さいと呼びかけてましたね。
前回、足の膝裏を伸ばして踵から着地!腰回りを締めて!背筋を正して!と指摘され注意しながら歩いてるつもりでしたが、また同様にご指摘。とほほ。
川沿いの木陰になるとひんやりとした風が吹き、とっても爽快。
途中、2回ほど脈拍チェック。1回目は一分間で80、2回目は100になっていて、道理で少し息が上がり気味だと思いました。途中、先生が私の横について、脂肪燃焼目標の歩き方の理論を丁寧に説明しながら歩いて下さいましたので、それに合わせて動いてたからかな。
集会所に戻って、クールダウンストレッチをしていると汗がポトポト。しばらくして、心臓が少しバクバクして、こりゃまずいんじゃないの?と適正脈拍を体感。普段一切運動せず、かるーい甲状腺疾患もどきの身体には、100を維持して動くのは、今はダメですね。って、よくわかっておりませんが。そもそも、写真を撮ってる余裕があるのかって感じですね。
となりの年上の女性が、分けて下さいました。結構おいしかったです。
グループに分かれて、今さらですが自己紹介と目標達成度、今後の目標などを発表。ウォーキングのツワモノさんが結構いらっしゃいまして、毎朝山に登っている高齢者の方とか公共交通機関を利用せず20km程度歩かれる方、様々。長く日課となっている方はなぜ続くのかについて、やはり、仲間がいたからだとおっしゃいます。歩こう会があるからとか何か目標がないと自分一人だと続かないし、長く歩けないと。この教室みたいにおしゃべりしながらだと、無理と思っていたのにいつの間にか歩いてた、それは実感いたします。
せっかくなのでと、教室終了に伴い同窓会(みんなでまた歩こう!)を来月行うことになりました。もしかして、参加する?私。もちろんでございます。集団行動嫌いの私ですが、思いの外楽しかったので。
帰りに付近をちょっぴりぶらり。
たんぼの脇道にあじさいが植栽されてるんだ
我が家にも青とか欲しいなぁ。
またどうでもいい写真。植えるコースってそれぞれですね。
おっ!小学生以来です、おたまじゃくし。わかりますか?
日々感謝です。
Eテレ「100分de名著 維摩経〜第2回 “得意分野”こそ疑え〜」を観て。“慈悲”って厳しっ。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は「維摩経」。聖徳太子によって日本で初めて解説された仏典の一つ。かの文豪・武者小路実篤も「維摩経を読んで偉大な知己に逢ったような気がした」と述べるなど、日本人に親しまれてきた経典です。しかし、現代人には、意外にその内容は知られていません。
第2回は、維摩と釈迦十大弟子や菩薩たちとの議論を通して、「得意分野」にこそ自分の弱点が潜んでいることや自分との向き合い方の極意を学んでいく、というもの。指南役は、如来時住職・相愛大学教授の釈徹宗さん。著書「なりきる すてる ととのえる」「お世話され上手」で知られる宗教学者・僧侶。
お恥ずかしながら、聞き馴染みのない「維摩経」。ざっくり(としか言いようがない)備忘録しときましょ。
今回は、「上巻 第3章 弟子品」から。維摩が病気だと察知した釈迦が、お見舞いに行くよう直弟子たちに依頼。
後世の人たちが褒め称えたエピソード満載の10大弟子。普通は、はい、喜んで!と引き受けそうなものなのに、弟子たちは嫌がり断る。拒否するその理由から維摩の人物像が見えてくる。では、内容に・・
尊敬する釈迦の頼みだったが、舎利弗は渋る。
舎利弗が拒んだのは、以前維摩にやり込められたから。ある時、舎利弗が林の中で静かに瞑想していたら、維摩がやってきてこう言う。
ちなみに、舎利弗は、仏弟子ナンバーワンの人なのに、この後もずっと‘狂言回し’のような損な役割りをして経典は進むらしい。
伊集院さんが、あなたが本当に座禅の名人ならば、瞑想しやすい環境やポーズで行うのは違いますよねぇー、むしろ、一般的な雑踏の中ででも心乱れないのならワンランク上ですけど、ってことですよね、と言うと、指南役は、図星ですね、と答える。ここで維摩が語っているのは、出家の概念自体を大きく変える、本当の出家ってそうなのか?というところ。
舎利弗に断られ、釈迦は目連に見舞いを頼む。が、辞退される。以前、街角で在家信者に仏法を説いていたら、維摩にこんなことを言われたから。
ありのままの姿とは?自分の認識でゆがめているものを一旦横に置いて、物事の本質をきちっと見るということ。この場面では、目連は在家たちにお話をしているが、内容はまるで聖者の道、出家者の道のお話、維摩が聞いて、この人たちに言うべきことはそういうことじゃないんじゃないの、あなた(目連)は自分の‘枠組み’が出来上がってて、それを押し付けてるんじゃないですか?という指摘。
舎利弗と目連の二代仏弟子も、維摩に固定観念を揺さぶられて歩みが進んでいく。
さて、次に頼むのは大迦葉。弟子というより釈迦より年上で親友のようなもの。大迦葉は、“頭陀行”に優れた人。頭陀行とは、自分の欲望を捨てる修行のこと。そのための手法のひとつに“乞食行”というのがあり、他者から食べ物を施して貰って食べるという行に秀でていた。が、この人も断る。
‘食べないために食物を受け取る?受け取らないために受け取る?’
わけのわからない話になってきたが、指南役の解説によると・・例えば、相手と自分との境目がなければ、何のこだわりもなく食物が受け取れる、移行しただけ、それが理想の在り方なんじゃないか?そんなことを維摩は言いたかったのではと。さらに、維摩はこんなことを言う。
あなたとわたし、施す側と施される側、その枠組みをよけてみると本当の乞食行になる、という維摩の問いかけ。
スタジオでは、維摩って物語の登場人物としてはちょっと嫌な奴だよね、身近にいたら友達になりたくないよね、と盛り上がる。しかし、指南役は、維摩とのやりとりを見て周りがハッと気づく、周りの人を導くために嫌な役割を果たしていると言う。そして、10大弟子の“得意分野”を揺さぶるところが面白い、“得意分野”じゃなければマイナーチェンジできるが、柱を折られたら一から再構築しかない、“得意分野”と“弱点”は表裏一体、維摩はそこに食い込んでいくが、考えてみれば、よっぽど相手のことを思わないとそんなことはしない、そういう意味では維摩の活動は“慈悲の実践”でもある、と解説。
この後もみんな断り続ける。例えば、説法上手な富楼那という人は・・
説法が上手いがゆえに、相手を見ず、自分の構築したものを人に伝えようとする。自分と他者との関係の中で説法を再構築すべきと維摩は見た。
伊集院さんは、49歳にもなるとそれなりに若者からアドバイスを求められたりするが、えらそうに言ってても、自分が35歳のときに理解できるようなことだよね、20歳そこそこの奴に言ってる自分はなんなんだって思ったりしますね、と話す。
話を戻して、結局維摩はどうなる?
10人全員に断られ、今度は、釈迦は菩薩たちに声をかけ始める。
弥勒菩薩は初期仏教から出てくる存在で、釈迦入滅後56億7000万年後に次のブッダとなることが約束された菩薩。弥勒菩薩にお願いすると、嫌だと言われる。仏が弟子の未来の成仏について予言することを“授記”というが、維摩は、“授記”っておかしくないですか?と言いだす。仏教は、‘今この瞬間しか世界は実在しない’という立場、だから、維摩は弥勒菩薩に‘未来や過去にこだわりがあるのでは?’と揺さぶってくる。“授記”って大乗仏教の根幹をなすもの。維摩は大乗仏教も揺さぶってくる。
で、なかなか見舞いが決まらないがどうなるの?第5章でようやく決まる。
この経典のもう一人の主役と言っていい、文殊菩薩は智慧の象徴として信仰を集めた菩薩。“三人寄れば文殊の知恵(3人で考えれば すばらしい知恵が出る)”ということわざにもなっているほど。この菩薩なら維摩とわたりあえるかも。最初は嫌がるが、お釈迦さまのご依頼とあらば、ということで引き受ける。
文殊菩薩が見舞いに行くと知った弟子たちは、二人が話をしたら素晴らしい教えが聞けるに違いないと、一緒について行くことに。一方、維摩は、家族を外出させ、家具を片付け空っぽの部屋で寝て待っていた。そして、維摩は菩薩に来訪の御礼を述べた後、いきなり言う。
文殊菩薩は少しも動じることなく答えた。
維摩は答える。
ものごとの本当の姿を理解できないということ(痴)と自分でもコントロールできないほど次から次へと貪る心(有愛)、これに怒り(瞋恚)をたすと“三毒”といって、仏教では苦しみを生み出すビックスリーと考える。
維摩は、結局病院の原因は“慈悲の心”だと言う。“慈悲”といえば大乗仏教の中心、維摩は人々の痛みに自分の心と体をチューニングした結果、病気になったという。大乗仏教を学んだ宮沢賢治が「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない(農民芸術機論網要より)」と書いたことと同じ。
指南役は、大乗仏教の柱“慈悲と智慧”、智慧の象徴である文殊菩薩と慈悲の実践をしている維摩、この構成がしびれる、維摩経を作った人の意図を感じる見事な構成だと話す。さらに、物事の本質がわかって自分の苦悩を解体するだけでは仏道は進まない、他者の苦悩をシンクロさせて相手の痛みを自分の痛みとするところまで到達しなくてはと言う。
伊集院さんは、世間の人々が普通に罹る病気について、修行している人たちは自分が病気じゃないから普通がわからなくなっていて、健康の概念の話ばかりする、いやいやそうじゃなくて治療法とか教えてくれ、ってすれ違っている中で、維摩だけが、自分が自覚のある病人だと思う、と感想を話すと、指南役は逆に‘勉強になりました’と笑いながら返す。
次回は、維摩と文殊菩薩がもっとぶっ飛んでいくそうだ。 (完)
こうして備忘録してましても、自分で消化できていない個所が随所にございます。義務教育レベルの記憶しかなく系統だてて理解していませんので、もし最後まで目を通して下さった方がいましたら、なんのこっちゃ?かもしれません。すみません。しかし、自分ではそれも含めて楽しんではおります。
確かに、維摩の問いかけは鋭いですよね、現代の一般人の中にも、指摘したあたりが引っかかってる方、結構いるのではないかと思いますが。座禅にしても何にしても、修行は、俗世間の中、雑踏の中ででも行われて共存?できないものかなとか。もちろん、命を賭けた厳しい行を成し遂げてからの俗世間との共存ですれど。それにしても、いましたねぇ、元職場にも、的確に本質を突いてくる人って。いわゆる孤高の正論の人(維摩とは違った意味で)。皆、親しくなれないよねって言い合ってましたが、この言い合うコト自体、まだまだですね。他に想うコトたくさんありますが、まとまりませんし、低次元の想いだし、番組備忘録ですのでこの辺で。言い訳?
日々感謝です。
我が家の庭の観察記録㉚〜一体何番まであるの?〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
今朝の庭ぶらり、見て見ぬふりをしておりました“ミョウガ”コーナー2ヶ所の草抜きに取り組んでみました。
一本いっぽん丁寧に優しく抜いていきました。土がふんわり柔らかく、すっと抜けます。いつの間にか集中。
まあまあの仕上がり?なんか雑っ。
↓下の茎は・・ミョウガですよねぇ・・他は、一本ずつスッと立っているのですが、分かれてるん・・あっ、今、キーボードを打っている最中に思い至ることが!ここは、本来地面の下にあるべきところなんじゃなかろうか、土を被せねば!アップしてからにしよう。
↓以前ブログに綴った気がしますが、このよく見かける柄のあたりが実になるのかとネット確認しましたら全くの見当違いで、売られているそのままの姿のミョウガが、地面からぴょこっと頭を出すんですね、たけのこみたいに。で、花が咲く前に収穫しないと食べれなくなると。収穫は夏と秋頃、もう少しなのか。ああ、物知らず。といいますか、調べておきましょうよ、って話ですね。
で、で、な、なんと、また発見!こんな所にもですか。雑草に埋もれてたようです。
早速、番号札設置。ちなみに、100均で買った札はあと4〜5枚あります。
ちなみに、ちなみに、昨日発見した10番は、危篤・・いや脳死?・・呼吸停止?しかし、私は、この10番をチビモミジ永久欠番とし、この先も見守り続けます。
←
‘そんな〜毎日まいにち撮らなくても’のアナベルは、日々少しずつ増殖中。去年購入時の写真(右)と比較すると、今年は痩せてますね。でも、花びらはもう少し大きくなるのかな。 思いますに・・写真の大きさが小さいですね。
←
開いてる、開いてる
でも、一番大きいものでこれ位
↓どうでも良いアングルですが、奥に見えるススキの種は、どうやらアナベルがお好きなようで。昨日もアップしたんですけど、素敵なふわふわ感にちょっとハマッてしまいまして。
まだくっついてる
ちなみに、こちらにも興味津々。決して珍しいものではございませんが、凝視することがないのでちょっと載せときましょ。なんか癒されるなぁー。
ところで、色枠のあたりに、去年草むしりした後の草混じり土を無造作にばらまいています。なぜ、その場所に?たまたまです。カラカラに乾いた草のみ、昨日ゴミ出ししましたけど。
ちょっとわかりづらくてすみません・・。
ふと、肥料とかにならないかとネット検索してみましたら、諸説あり。だいたい抜いたままでは栄養分のある肥料にはならなくて、時間をかけてよく乾燥させた後、苔土石灰、牛糞、米ぬかなどを混ぜると堆肥になるようですね。発酵時には60度になってどうのこうのとか(この、‘どうのこうの’を深堀りしないといけないんですよね、ホントは)。抜いたまま乾燥させないとか熱処理しないまま土に深く混ぜると強靭な雑草種の種は生きていて、地中から不死鳥のようにワァーっと蘇って翌年大変な事になる!とも。ですので、私、手持ちの草土は越冬してカラカラになってはいるので、石灰等々を混ぜて土に戻してみようかと思っております。ほんとにする?
日々感謝です。
定期的に通ってしまう植物公園〜あじさい編〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
先日の続きで、あじさい編です。我が家の庭のアナベルは、6割咲きといったところでしょうか。植物公園の様々なアジサイを見ましたら、ガクアジサイ?というのでしょうか、ちょっと気になりました。
では、写真を載せときましょ。私、“厳選能力欠如症候群”ですので、また大量でございます。
“花火”みたいな名前でした
ちょっと奥に入って行きますと・・木陰の中を歩くので、ひんやりとした空間。人がいなくて、ちょっとびくびく。マムシに注意とか書いてありますし。
個性的なあじさいたちが植栽されていました。
好きな色合いです
ここから4枚、同じ品種かな、ちょっと遊んでみました。
この奥のコーナーから出て、明るい道を歩きますと・・
←“ハーモニー”
←“スノークィーン”
↓ “スノーフレーク”
鉢植えのアジサイの展示会もございました。
売り場コーナーでは、カラフルなアジサイが販売されていました。へぇーっ。
色んな品種があるんですねぇ。アナベル以外にも植えてみようかなぁ。しかし、来園されていた女性の諸先輩方は、「ガクアジサイとかヤマアジサイは大きくなりすぎるけぇ、大変なんよねー、他のがええよー」とおしゃべりしながら鑑賞されていましたので、そっか、やめとこうかと思案中でございます。
ショウブも見頃でございました。
締めくくりがいつもワンパターンで申し訳ないのですが、どうしても園内管理のお仕事をされている方々が気になりまして・・・おっ、日本庭園コーナーに合わせた衣装を身に纏っていらっしゃいました。細やかな演出ですね。たしか、桜の時期に来た時、さくら、梅、桃の見分け方を教えて下さった方じゃないかと思います。お疲れ様です。
日々感謝です。
我が家の庭の観察記録㉙〜またまた発見!ですが・・〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
なんと今朝は5時過ぎに目覚め、空を見上げますとお月様?が見えました。ペイントしたわけではございません。昨日はじっくり庭めぐりしませんでしたので、ちょっと出てみました。寒っ。
かごに入れて放置したまま越冬させた草むしり後の草たち、そろそろ捨てなくちゃ、と作業してましたら・・・
どかせた草の山の下から・・あっ、この草の山は数週間前に置いたんですけれど、その下から、最近よく見かける姿が・・えっ!?も、もしかして!?
砂まみれでしたので、水をかけてみると、おぉーっ、チビモミジ!!かなりのダメージを受けています。気付かず、どしっと草の山をおいたんですねぇ。ごめんなさい。光も届かず押しつぶされた状態で、それでも、なにやら新芽も出ているよう。復活してくれますでしょうか。人生の縮図みたいです。よく見ると、他の9本(別記事掲載)に比べても、一番幹が太いです。ということは、この場所をもっとチェックしていたら見つけられていたということです。まだまだだな、私。
早速、番号札を設置いたしました。なんとか復活してくれたら、この曲線を活かして盆栽風に育ててみようかな。って、出来るのか?静かに見守りたいと思います。
モミジの花は、依然としてわさわさしております。いつ頃、種を抱えて飛び立つんでしょうね。
あじさいアナベルは、すくすくとです。先日行った植物公園の様々な品種のアジサイ(別記事掲載)を見て心奪われましたが、やはり、自分が育てているアナベルは格別可愛いものですね。まあ、自主的に育ってくれてるんですけどね。
大きくなってる
さらに新しい花芽が
ススキの種のストールを纏う
ちなみに、抜いたあとの土まみれの乾いた草たちって、もしかしてこのまま寝かせておいたら肥料になるのでしょうか。調べてみよう。
日々感謝です。
定期的に通ってしまう植物公園〜遅咲きバラ編〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
本当は見頃の期間に出かけるつもりが、今頃になってしまいましたバラ鑑賞。
定期的に出かけている植物公園です。
早期退職後、ブログ開始を機に、ひまわり、ダリア、コスモス、さくら、スイセン、チューリップ・・と四季の花を記録撮影してきまして、バラも!と意気込んでたものの、あれこれしているうちに・・。って、誰に依頼されたわけでもなく、自分が楽しむだけなんですけど、花によっては何百種もあることを知り、結構興味深いです。
脳内を整理するためにも、花よ、花なのよ、と雑でピンボケですが撮りまくりました。多すぎて名前は調べませんでした。そして、今は主に遅咲き種らしく、先月の見頃にはもっと盛大にバラたちが踊っていたんでしょうね。
園内からは、瀬戸内海が見渡せて、風が吹くとバラの香りがさらにふわぁっと漂い、とても気持ちが良いです。訪れた諸先輩方も、きれいね、いい香りじゃね、気持ちいいね、とわいわい楽しそうでした。
うんざりするかと存じますが、バラたちを載せときましょ。あまりの写真の多さにびっくり。“厳選能力欠如症候群”だと思います、私。きっと専門的な病名が適用されるに違いありません。
最初に広島特有の品種を。へぇーっ。間違っていたらすみません。
ここからは、一般的な・・。
←これ、渋い赤系で好きかも。
こんなのもバラなんだぁ
遅咲きのさくらと似てる気が。
この3種、好きな薄紫系の色。
←これもバラ?
一体、どんだけあるのだ!?
ふふふっ、完全に自己満足の世界。本日は、このバラの他に、アジサイ、ショウブなども見頃でしたので撮っておきました。記事を分けることにしましょ、後日また。
そして、何より、至る所で公園内の植物管理のお仕事をされている方々に、毎回心の中でお礼を言っております。側を通らせて頂くときは、おはようございます!とお声掛けすると、楽しんで下さいと返して頂き、それが一番の癒しでございます。あっ、いい人ぶっているわけではなく、美しく咲かせるには、大変な作業があると思うので・・また来まっす!
日々感謝です。