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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著〜アドラー『人生の意味の心理学』〜」第3回を観て。ドラマ番宣でみる“課題の分離”。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

ドラマ「嫌われる勇気」スタートまでに予習しておこう!と録画視聴している「100分de名著 アドラー」。 

sumikichi52.hatenablog.com 

第3回のテーマは〜対人関係を転換する〜。
複雑な対人関係を解きほぐし、自由を得るための処方箋をアドラーから学ぶ。

さてさて、いつものように備忘録。

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人間の悩みはすべて“対人関係の悩み”であるという。太っていても他人がいるから気にして悩む、孤独にしても他人がいるからこそ。

アドラーはすべての行動には相手役がいるという。相手役である他者を自分の敵だと考える多くが、自分が世界の中心にいるとてう意識を持っている。典型的なケースが“広場恐怖症”。家に引きこもって外に出られない、神経症の一種。(えっ、ヤバイ?私)

広場恐怖症”の人は、みんなから見られることを恐れているように見えるが、実はその逆で、みんなに注目されて世界の中心にいたいと思っているのだ。外に出たら自分が One of them、多数の中の一人でしかない。

原因は、“甘やかされ”。幼い頃にすべてのものを与えられると、他者から与えられるのが当然だと思い、他者が自分に何をしてくれるかしか関心を示さない大人になってしまう。そして、ひとたびそうはいかない現実に直面すると不機嫌になったり、攻撃的になったりする。

いつも注目されたい子供の例として“夜尿症”がある。思うような注目を得られないので親の気を引くために親が困ることを困るタイミングでやる。この場合、おねしょに関するコミュニケーションを一切やめて、お父さん、お母さんはいつも君を見ているよと伝えるようにする。関係を変えない限り、夜尿症が治っても、すぐ次の症状、気を引く手段を見つけてしまう。

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ここから、他者に認められたいという“承認欲求”についての話に。いつもの亜土羅診療所寸劇。1回目に登場した女子校生。

[女子]  私、絵が描きたくて美大に行きたいけど、両親は普通の大学に行って良い会社に入ってほしいと思ってる。がっかりさせちゃ悪いなと。自分の夢なんて諦めた方がいいのかな・・。
[先生]  まさに、承認欲求のなせるわざだね。良い子だと褒められたい、認められたい、だから夢を諦めようとしている、期待にこたえたいというのが目的ならいいんじゃないの。それが本当に君の目的ならね。

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どんな絵になろうと自分で引き受けるしかない。

 

承認欲求が強いといろんな問題が出てくる。例えば、“賞罰教育”。街中にゴミが落ちていたとする、褒められて育った子は、無意識のうちに一瞬まわりを見て、人がいたら捨てる。これを続けていたら、これからすね行為が適切かどうか自分で判断できない人間になる。母親の子育てについて、日々一生懸命面倒をみても誰に褒められるわけでもなし、だから承認欲求の強い人にとっては介護や子育ては非常につらいものになる。ギブ&テイクという発想から抜ければよい、人生はギブ&ギブである。(いやいや、なかなか、そんな)

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続いては、“課題の分離”について。(これ、番宣CMで観ますよね)

女子高生の母親が憤慨しながら診療所へ。

[母親]  親に逆らったことがないのに、美大に行きたいなんて。食べていけるわけない、挫折してからでは遅い、そんな道を歩ませるなんてかわいそう。
[先生]  全くもって“課題の分離”ができてないですね。

 

アドラーは、これを雨に例えた。私たちは、降ってきた雨を傘で防ぐことは出来ても、雨が降ることをとめることは出来ない。他者の感情も雨と同じで、いくら力で抑え込もうとしてもそれを変えることは出来ない。つまり、他人の課題に無理に踏み込まず、“課題の分離”をすべきだと言う。

 

[先生]  彼女の課題に土足で踏み込まず、見守ってあげて。さもなくば、彼女が人生の選択に失敗したと思ったとき、お母さんのせいにするでしょう。自分の人生の責任は自分で取るしかない。
[母親]     先生の言うことは残酷です。手塩にかけて育ててきたのに、課題の分離なんて・・親子じゃないの!


課題とは何か、あることの最終的な結末が誰にふりかかるか、誰が困るのかということ。寸劇の場合、彼女が困るのであって、親が困るのではない、親がいい人生を歩んでほしいと願うのは親の課題、親がいい人生と思うものが子にとっていいとは限らない。

あらゆる対人関係のトラブルは人の課題に土足で踏み込むこと」と言っても過言ではない。何やら冷たい関係に聞こえるが、そうではなく涼しい関係である。課題の分離は切り捨てることでも、最終目的でもなく、入口である。分離した上で話し合うのだ。カウンセリングに来たお母さんには、ただひとこと「誰の課題でしょうか」と岸見さんは言うらしい。これはかなりの劇薬。

アドラーは「薬にも毒にもならなかったら意味がない」と言う。

誰かを喜ばせるだけなら他人の人生を生きることになる(それが本当に自分が望む場合は除いて?)、自分の人生を生きるのも勇気がいる、でもそれは幸せになる勇気でもある。

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対人関係の中に入っていけば、摩擦は避けれないし、嫌われるかも、裏切られるかもしれない、しかし、生きる喜び、幸せも他人関係の中からしか得ることが出来ない。アドラーは、課題を分離しろとは言っているが、他人との関係を切りなさいとは言っていない。

 

岸見さんも実は、父親との関係が良好ではなかったと言う。小学3年の頃、父を怒らせ拳骨で殴られ、ずっと忘れられず恨みに思っていたが、ある時気づいたそう。殴られたから関係が悪かったわけじゃなく、関係を良くしないでおこうという目的があって、拳骨のことを思い出していたんだと。「対人関係のカードは自分が握っている」と教えられて、「今これからの関係を考えるしかない」と決めてから比較的良好関係になった。
人は変えられないけど、自分は変えられる」。自分の変化によって、相手も変わるかもしれないし、変わらないかもしれない、でもそれは、相手の課題であって他者を支配したり、操作はできない。“課題の分離”には訓練が必要。いわゆる“おけいこ”(笑)らしい。

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この第3回も、ずきずきでしたね。私も岸見さん同様、親子関係で腹の奥底で燻ってる、未解決のものがありまして、それも自分がそう仕向けてるのかなぁ・・今は両親とも他界したのでどうすることも出来ないままだけど。もう少し歳を重ねると見えてくるのかれしれません。過去と他人は変えられない、とはよく言いますよね、でも、自分を変えるのはなかなか一仕事です。そして、課題の分離は一見冷たく感じるので実践するには本当に勇気が入りますよね。うーん・・実は、人間って本性の部分では“課題の分離”をしてるんじゃないかと思ったりします、他人に対しては。そこに“承認欲求”とか“優越コンプレックス”が絡み合うからややこしくなってる感じかな。

 

また、脱線しますが、なんと、先日録画していた「3月のライオン」11話分を流しながらこのブログを書いてたんですけど、ブログで心理学、テレビ画面でも心象場面満載、気が滅入りそうでございます。このアニメについては全く情報なく、ただ単にNHKでアニメ放送してたんだくらいのかるーい気持ちで録画したんですけど、なにがなにが、重い。好みかも。背景の絵が素敵だし。有名な映画タイトルもあったりして。また、いつかの機会に別記事にする(しないかも)として、本日はここで終りましょ。

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日々感謝です。