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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著〜アドラー『人生の意味の心理学』〜」第2回を観て。“普通であることの勇気”かぁ。

TV番組 日々のコト 生き方 資格・検定

こんにちわ、SUMIKICHIです。

ドラマ「嫌われる勇気」スタートまでに予習しておこう!と録画視聴している「100分de名著 アドラー」。 

sumikichi52.hatenablog.com
第2回のテーマは〜自分を苦しめているものの正体〜
アドラーが明らかにした“劣等コンプレックス”“優越コンプレックス”という概念で、自分を苦しめているものの正体を知り、それを乗り越える方法を学んでいく。

さてさて、いつものように備忘録。

「自分を苦しめているものの正体」はズバリ“劣等感”。こ“劣等感”と上手く付き合えれば、飛躍の原動力になる。人は常に自分のためになることを追求して生きている、たとえその方法を誤ったとしても、アドラーは今より優れた存在になりたいと思って生きている人間の在り方を“優越性の追求”と呼んだ。

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その“優越性の追求”と対称をなすのが“劣等感”。この二つは誰もが持っていて努力や成長への刺激になるが、使い方を間違えると我々を苦しめるものとなる。

ここで亜土羅(たしかこんな当て字)診療所寸劇。小柄で大人しそうな20代男性が訪れる。

[青年]  僕には彼女ができない、背が低くて、この容姿で、学歴も仕事もイマイチで、こうしてコンプレックスに悩むひがみっぽい性格だし、自分でも嫌になる劣等感の塊みたいな男です。
[先生]  もし、君の顔が好きだという女性が現われたらどうする?
[青年]  もしそうなったら大喜び!
[先生]  君の劣等感は単なる思い込みかもしれない。“何かが劣っているのではなく、問題はその顔や肉体について、君がどんな価値を与えているか”だ。身長だって、他者との比較の中で生まれた主観だ。君は本当に彼女が欲しいと思っているの?本当は彼女なんて欲しくないのに、自分で自分をだましてるんじゃないのか、180㎝あればという可能性の中に生きていたいがために。とりあえず、ありのままの君で始めてみることだ。

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さらなる解説。劣等感を持つことには“目的”がある。
劣等感にさいなまれて自分を好きになれない人は、そういう自分をあえて選んでいる。劣等感がなく自分を好きになってしまうと対人関係の中に入っていかなくてはならない、しかし、誰かと関わると傷つくことがある、その現実に直面することを避けた方が望ましいと考えている。モテない男性はそう思い込んでいる。ここでの“劣等感”は誰かと比べてというのとは違う。

理想の自分と現実とのギャップ=“劣等感”

では、他者と比べてではなく自分の中の問題として“劣等感”〜“劣等コンプレックス”と“優越コンプレックス”〜を考えてみる。
まず、過度な劣等感“劣等コンプレック”。

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例えば「赤面症だから(A)、彼ができない(B)」、すぐ顔が赤くなるから男性と付き合えないと思い込んでいたとする、しかし「赤面症」と「交際」には全く因果関係はない。“見かけの因果律”を立てて人生の課題から逃げようとする。生きるということは思うとおりにはいかない、モテない現実を受け入れるしかない。(えーっ、バッサリ!)

整形してモテなかったら、事は重大、モテないのは性格が悪いからじゃんとなったらキツい、だから顔のせいにしていた方が楽。低いレベルの劣等感を持ちだす方が自分で受け入れやすい。

生きる喜びは人との関係でしか得られない、だから“勇気”が必要。悪いことばかりじゃないということを一度でも体験してみる価値はある。

 

そして、もうひとつ。過度な優越感“優越コンプレック”。

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大雑把な具体例としては、学歴・肩書・高級品・自分が輝いていた時代の自慢話・手柄話などを披歴し、いつも注目されていたいと思いたい。自分には価値があると思いたいので、現実的な努力をしていないのに初めから高いハードルを上げて、そこに挑戦している自分は素晴らしいと自分に酔いたい人。

 

他のバリエーションとして、相手の価値を貶めることで自分を優位に立たせようとする=「価値低減傾向」がある。いじめや差別がこれにあたる。強い劣等コンプレックスを持っている人が自分より弱い人をターゲットにしていじめて相対的に自分を上に位置づけようとしているのだ。また、自分の不幸を自慢してばかりの人も、劣等感を先鋭化することで特異な優越性を持とうとする。

「我々の文化において、弱さは非常に強くて権力がある」、一番わかりやすいのは“赤ちゃん”。(えーっ、そういう使い方?)

引きこもる子供もそうである、周囲が腫れ物にさわるように接し、そのまま大人になる。

 

では、コンプレックスを受け入れるには具体的にどうすればいい?
ここでまた亜土羅診療所寸劇。引き続き、先程の男性のカウンセリング。

[先生]  君は、彼女のいる奴やカッコイイ奴に負けてると思ってるだろ?
[青年]  負けてますよ、完全に・・
[先生]  あいつはああで、こいつはこうで、それに比べて自分はこんなだ。競争や勝ち負けで生きていると劣等感が生まれる。常に誰かを羨み、一方で誰かを見下す、そんな生き方をする。必要以上に自分を大きく見せる必要はない、157㎝、上等じゃないか!“普通であることの勇気”を持とう。
[青年]  僕はただ普通に彼女がほしいだけなんですけど・・
[先生]  “そのままの自分を認めよ”だよ。

 

“普通であることの勇気”とは、平凡ということではなく、特別良くも悪くもなろうとしなくていい、ありのままの自分から始めようということ。(“普通であることの勇気”は、何となく、すっごくわかる、勇気がいりますね、ホント)

ライバルや盟友を持つことそれ自体は問題ではない、ライバルと競争する必要はない。

 

では、他人と競争せずに自分の能力をあげるのはどうすれば?
上を目指すのではなく、平面を歩いて行くイメージで。

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第2回は以上のような感じでございました。やはり、ずきずき個所はございました。“劣等感”、私もその塊、特に若い頃は。金持ちだったら、美人だったら、あと5㎝身長や脚の長さがあれば、頭が良ければ、側転できれば(なんじゃそりゃ)・・きりがない。優越コンプレックスのハードルを上げる、自分に何かあると思いたくて努力しないくせに理想だけは高く掲げる、けれど常にギャップにさいなまれていて、いつも全く幸福感を感じない、まさに自分?って、怖っ。まぁ、薄々気づいてましたけどね。

交流分析という心理学を少し勉強したことがあり、流派はが違うのですが、自分はダメだと思っている人がいる場所があり、そに留まっている人が、頑張って気持ちを切り替えてみんなが幸せな場所に行ってはみるものの、無意識のうちにダメだと思う場所に戻ってる、なぜならそこが居心地いいから、というあたりを思い出しました。褒められたりするのが慣れてなくてくすぐったくて、本来自分は褒められるに値しないと思っているから居心地悪いんですね。

うーん、話がソレましたね、戻します。

えっと、ですが、52歳にもなりますと、先が短いですからいちいち悩んでたら時間がもったいないのでございます。該当時期はつらいですが、歳を重ねる良さって、こういうことなのかな、言葉では表現できませんが。何と闘ってきたのかホントのところよくわかりませんが、なんとか生きてきたなぁ、未婚で子どももなく残せるものは何もないけど、引きこもってるけどなんとか生きてます。

こうして色々深く考えて人生を味わえる(これを自己満足と言う?)のも、つらさや感動や人からの援助や様々なことを経てるからこそです、アドラーの言うところの“人生の喜びは人とのつながりの中でしか得られない”かな。正直、社交的ではないんですけど。

余談です。番組中の寸劇も、自分の生活に活かそう!(例えば、ネタ書きとか演技とかかな)目線で観てたり気楽だな。

でも・・・157㎝、上等じゃないかっ!って、言うのは簡単ですよねぇ・・。

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日々感謝です。