今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「日曜美術館 ピカソ×北野武」を観て。呼吸=描く。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

滅多に観ることはないEテレ「日曜美術館」ですが、北野武さんが初登場、しかも画家・ピカソについて語るということで拝見いたしました。ピカソについては、随分前に民放のバラエティ番組でオリエンタルラジオの中田さんが解説されてまして、その違いも確かめたくて。ざっくり備忘録しときましょ。有名な話ばかりでしょうけれど。

 

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番組冒頭で、北野さんは「ビカソはあらゆるものを吸収し、それに技術が伴って螺旋階段のように上がっていく、貪欲さが凄い」と語る。

 

まずは、北野さんのお気に入りのピカソの作品「泣く女」を紹介。ビカソが56歳のときの代表作。大きな目から溢れる涙、ハンカチを握りしめ悲しんでいるように見える。心が揺さぶられるほど生々しい感情が吹き出しいる。

北野さんは、この絵を見て「単なる泣く女じゃなくて、下町の半狂乱になったおばさん、旦那が棟梁で、酒癖悪くっていつも殴り合いの喧嘩をしてるみたいな。これを見て、感情を前面に出して絵を描きたいなと思って悲しい絵を描こうとしたけど、悲しいだけじゃだめ、悲しい中に怒りが見えないと。じゃあ、怒りっていうことで、眉をつりあげちゃったら、ただの危ない人になっちゃって・・。」と話す。

 

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ピカソ研究の第一人者、早稲田大学教授の高橋保二郎さんは、次の通り解説。

「泣く女」ほど、‘悲しみ’と‘怒り’を同時に一枚の絵の中で描けた作品はなかったんじゃないか、赤と緑、ブルーとイエロー、など不協和音でありながら、それがピカソの独特の破壊されたフォルムとマッチしている。ピカソ以外の画家ではできない表現、だと。

 

絵のモデルは、愛人だった写真家のドラ・マール。知的で才気あふれる女性だったが、感情の起伏が激しくよく泣いた。ピカソは、あらゆる試みを繰り返しながら何枚もの「泣く女」を描いた。顔の向き、感情の大きさ、色彩・・そして、ついに、複雑でそれでいて強烈な「泣く女」を生み出した。

 

ここで、‘感情を描くのは難しい’と言う北野さんへの質問。どうして、暴力を突き詰めたような映画を撮るのか?

例えば、静止している振り子があるとして、一方が‘暴力’、反対側に‘愛’があるとしたら、‘暴力’にマックスで振り子が振れたら、今度は‘愛’に振れる。物凄い‘暴力’は、物凄い‘愛’に変わる位置エネルギーがあるとよく説明する、中途半端な暴力は、中途半端な愛でしかない、と北野さんは答える。

さらに、「泣く女」を見つめて言う。
泣くのと怒るのと同時に爆発してる感じ。ピカソが画家だなと思うのは色使い。原色って、生(なま)って感じがして、悲しみも生、怒りも生、生どうして混ざり合って・・凄い。面白いのが、じーっと絵を見てて、ふと目をそらすと、絵の細部なんか思い出せない、相当集中して見ててもそれをはぐらかすような、よくここまで崩せるなって思うね、と。

 

ピカソの言葉を紹介。

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そんなピカソがある色で自身のスタイルを確立。有名な「青の時代」。紹介されたのは、20歳の頃の作品「海辺の母子像」。寒々とした青い海と青い空、子を抱く母が佇む絵。当時パリにいたビカソは監獄に通ったという。我が子を監獄で育てなければならなかった女性の悲しみに引き込まれる。青で悲しみを描く、こうした作品が画家ピカソの出発点。

近年、この絵に関して、X線をあてると下に別の絵があったことが判明。ドレスを着た若い娘、下の方には花もありごく普通の女性像。調査では、白やオレンジ、黄色など明るい色彩が使われていたことがわかった。

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このように描き直した作品は、この時代たくさんあり、ピカソはどんどん、違う描き方を試みていきたかったということが表れている。若きピカソは格闘していた。悲しい表現を生み出すめ、キャンバスを買うお金がなければ、それまでの絵を塗りつぶしてでも描きたかったのだ。

 

ピカソは、スペイン・マラガで生まれる。母親はピカソの幼い頃のことを「言葉を覚えるより先に絵を描いていた」と言っている。11歳の頃のデッサン「石膏トルソの習作」を見た画家の父親は、自分を凌駕するような技術に舌を巻いたという。19歳、ピカソはパリへ。しかし、芸術の都は甘くなく、思うように絵は売れなかった。ある日、共にパリにやって来た友人が自殺。絶望の淵でそれでも筆を握り続け、苦難の果てにあの色に辿り着く、青い「自画像」。誰にも似ていない独自のスタイルがここで確立される。ピカソピカソになったのだ。

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‘青’といえば、北野さんの初期の監督作品「あの夏 いちばん静かな海」が思い起こされる。耳に障害がある若い男女の物語。空や海も青い、そしてヒロインの気持ちも青。この印象的な‘青’は‘北野ブルー’と呼ばれ、北野さんにとっても‘青’は重要な色だった。北野さんは、ロケ地の背景に多いセメントが青みがかったグレーで、全体モノトーンにしたくて‘ブルー’が美しいなと思った、‘青’って面白くて、ピカソに限らず北斎もそうだし、‘青’にとりつかれていく画家が多い、と話す。

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しかし、ピカソは「青」の時代を3年で捨ててしまう。現れたのは明るくなった作品「サルタンバンクの一家」。どこかはかなげな旅芸人を柔らかな色彩で表現。この頃になると、恋人もでき、少しずつ絵も売れた。

30代でさらに変わる。対象をバラバラに分解して、その存在感が引き立つよう組み合わせた「ぶどうの帽子の女」。これが“キュビスム”。絵画の革新者・ビカソの誕生。

40代になると、「海辺を駆ける二人の女」からもわかるが、ギリシャ彫刻と出会い、のびやかな生命感溢れる作風が開花。第一次世界大戦後、束の間の平和な時代を反映するかのような光景。同じ画家とは思えないような変貌を遂げるピカソ

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同じスタイルを続ければマンネリ化する、そして、ひとつのスタイルで戦争の時代、平和な時代を表現できるのか、ピカソのスタイルの変貌はビカソ自身と時代の変化に応じていったものだと言える。

 

北野さんも、映画「Dolls ドールズ」では、ブルーとうって変って鮮やかな色彩で画面を彩り。次々とチャレンジしている。

北野さんは、それはあくまでも過程であり、一番つらいのは、いつまでも‘北野ブルー’って言われること。それは、その映画でのこと、飽きるんですよね、同じことをいつまでもやっていると、言う。

 

やがて、ピカソは戦争のうねりに巻き込まれる。スペイン内戦勃発。そんな中、パリ万博のスペイン館の壁画制作を依頼される。当初、芸術の自由を謳い上げるテーマを構想した。しかし、ある悲劇がおこる。ナチス・ドイツによるスペイン北部の町・ゲルニカへの無差別爆撃。ピカソはテーマを一変させる。完成した作品「ゲルニカ」は横7.8m×縦3.5mの大作。愛人だった写真家のドラ・マールが撮った制作過程の写真を見るとナチス・ドイツへの怒りや惨状などを象徴していた握りこぶしなどのモチーフが過激なものから随分柔らかくなっている。

ピカソにとって作品とは、その時代や場所を離れて永遠に生き続けることを願ったもので、当初の握りこぶしを排除して人類共通の遺産として作り上げたのだろうと解説。時空を超えて人々の心をつかむには・・・と何度もこの絵を見つめ直した、とピカソは話していたようだ。この一枚の絵の中に、人間が生きて行く上での悲しみや希望など全てが盛り込まれているね、と北野さんは言う。

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北野さんも映画を作るときに普遍性を意識するのか?
禅宗のお坊さんとかが言うように、人間は‘生まれて、飯食って。死んでいく’こと、その中でいろんなことがついてまわるんだよと言われるとそうかもなと、その一部を切り取って恋愛映画や暴力映画、感動映画なんか撮ったりするけど、所詮人間は‘生まれて死ぬこと’になっちゃうんだけど、その単純さをアーティストとかが広げていく、どこにスポットをあてるかが勝負なんじゃないかなぁと語る。

 

ゲルニカ」や「泣く女」の後、あまり評価されなくなる。力の衰えを批評する人もいた。それでもピカソは描き続けこう言う。

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今、ピカソの晩年が見直されている。何事にも捉われない自由奔放さ。特別に借りた本物の作品がスタジオに。亡くなる一年前、90歳のときの作品「男の顔」。ビカソって聞いたからかなぁ・・聞かなくても凄いと思うけどね、俺、と北野さんは絵を観て言う。

ピカソは、絵を描くとか描かないとかそんな次元にいるのではなく、朝起きて、見たものを‘いいねー’なんて言いながらササっと筆動かしてて、まるで息するかのような域にまでいたのかなと、絵の評価も彼には関係ないんじゃないかなと、子供みたいな絵が描けるようになったっていうのも自分で評価しなくなったってことじゃないかな、と話す北野さん。
今後の映画作りについては、今まであまりにも考えてこなかったんで、今後は台詞ひとつにもこだわりを持とうかなと思ったりするねと笑う。

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以上の内容は有名な話でしょうけれど興味深かったです。こうも語る人によって切り口、見方が違うものかと。この番組では女性遍歴や盗作疑惑などは一切省かれていまして、シンプルでしたし。「ゲルニカ」の解説の切り口も違ってました。売れない時代のことや晩年の子供のような絵も存じ上げませんでした。バラエティ番組を観て、そんなに詳しくなかったピカソのことをちょっと調べてみようと図書館で本をお借りしたんですが、熟読してないからこぼれ落ちているところが多々あり。 

晩年の絵を拝見して、ピカソの絵だと言われなくても凄い!と思えるかなと自身に問いかけてみましたが、正直自信ございません。有名画家の力作揃いの中に飾られていましたら、面白いし、インパクトがあるので目に留まるとは思いますけれどどう凄いのか説明できないでしょう。が、ピカソの「見たいように見ればいいのだ」という言葉に励まされます。それと、北野さんが出演されることに興味がありましたので満足です。

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日々感謝です。