今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「ミュージック・ポートレイト 久本雅美×つんく♂ 第1夜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

対談者によってごくごくたまに録画視聴しているEテレ「ミュージック・ポートレイト」。二人の著名人が人生で大切な10曲を持ち寄り、語り合う番組。一組で第一夜と第二夜、二回にわたって放送。

私、それぞれの人が歩んできた(いる)人生にどんな曲が寄り添ってきた(いる)のか興味ございますので観てしまうのです。

今回は、タレントで女優の久本雅美と音楽プロデューサー・つんく♂、第一夜。

お二人の共通点は、いわば“アングラ”。土から根が生えてきて花を咲かせていったような。そんな二人に寄り添った音楽とは?ちなみに、つんく♂さんはパソコンで言葉を綴られてます。

 

久本雅美さん(現在58歳)。
1958年大阪生まれ。父はトラック運転手、母は保育士。幼い頃の久本さんの原点は、土曜の夜の一世を風靡したお笑いグループ、ザ・ドリフターズ1曲目は「いい湯だな(ビバノン・ロック)」。「8時だよ!全員集合」のエンディングテーマ。

松竹新喜劇吉本新喜劇も大好きで、よくギャグをまねてたけど、この番組はドタバタしながら笑いの渦に巻き込んでいくわかりやすさがいい。舞台女優としての(笑)根っこ。自作コントも作ってた。大阪のクラスナンバーワンのおちょけ(お調子者)だった。

15歳、高校入学。モテた、黙ってたら。入学当初、可愛い子が入ったと話題になり、男子生徒が覗きに来たが、丁度掃除中でほうきを股にはさんで「うぇー」って叫んでいたのを見て、みんな蜘蛛の子を散らすように去って行った。また、おしゃべりが好き過ぎて、全校朝礼の時ずっとしゃべってたら、先生に前に連れ出された後、朝礼台に立たされて「日本一のおしゃべりです」って校長先生に紹介された。

そんな久本さんがこの曲を聴く時は黙り込む。2曲目「梅田からナンバまで」上田正樹サウス・トゥ・サウス

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このグループが私の青春。初めて聴いたときの音楽のエネルギー、難波のリズム&ブルースに感動してハマった。バンドのおっかけをした学生時代。

20歳、短大を卒業したらおしゃべりを活かす仕事につきたいと夢見ていた。ある舞台との出会いが人生を変えた。劇団東京ボードヴィルショー。吉本でもない松竹でもない、大阪で観たこともないこんなスタイリッシュな笑いがあるんやと衝撃をうけた。お芝居で笑わせるなんてと。漫才とかコントは好きで観てだけど、漫才師とかになりたい気持ちは一ミリもなかったけど、それを観た時、お笑いの女優さんになりたいと思った。東京に行こう!やりたいことを見つけて舞い上がっていた。

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東京ボードヴィルショー入団を決意して上京したいと両親に話したら猛反対。それまでそんな素振りを見せてなかったので驚いたよう。入団合格したと嘘までついて説得。親不孝してると思うけど、後ろめたい気持ちは全然なかった。東京まで弟が車を運転してくれた。車中で高校生の妹から貰った5千円を見て感動。嬉しいなーと思っている時に車のラジオから流れたきた曲が3曲目「大空と大地の中で」 松山千春

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曲を聴きながら、両親の顔、五千円、いろんなことがリンクして、“東京行って頑張るでー”としゃくりあげながら号泣。劇団に入って、舞台で輝きたい、生きることに必死やった。

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上京して24歳。念願の劇団入団を果たしたが、端役しかもらえない下積み生活が続く。稽古が不定期でアルバイトも出来ない。あんぱん60円をどっちが払ったか払ってないかで喧嘩したり、稽古場に行くにも、部屋中小銭を探してかき集めるほどの極貧生活。いつか絶対成功してやるぞ!そんな成功を夢見る自分と重なる映画音楽があった。4曲目「THE ROSE」ベット・ミドラー

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大好きな曲。映画はサクセスストーリー、主人公が最後はステージ上で倒れるけど。いつかは誰もが知る喜劇女優になるんだと耐え続ける久本さんをひそかに応援していたのがお母さん。ある日実家から戻ってカバンをあけると一本のウィスキーと手紙が入っていた。「寒いときはウィスキーでも飲んで体を温めなさい」とお酒好きの娘を気遣う。親不孝なことしてる・・。劇団でおこられるわ、親不孝してるわ、とめげそうになると列車の中とかでイヤホンつけてこの曲を聴いてテンションを上げていた。

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25歳、劇団WAHAHA本舗結成。もっと自由に自分たちの笑いを追求したい。旗揚げ当時から型破りなパフォーマンス。股間に風車をつけてお客さんに回してもらったり、ナスのぬいぐるみ着て「言うことナス」みたいな、女だてらに下ネタをやる破天荒な芸風。いくら下品と言われてもこのやり方で突き進むと決めていた。そんな決意を後押ししたのが、当時友人でもあったバンドの曲、5曲目「裸の王様」JAGATARA

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インディーズで人気だった。同じアングラということで心に刺さった。出身はやっぱりアングラ。それなりに誇りもある。あの時のエネルギー、絶対譲らへんでーみたいな。やがて、TVにも出るようになり、インパクトある芸は話題を呼びオファー殺到。マイナーの中で知らない人はいないというのもカッコええけど、老若男女から指示されるメジャーの世界で認められることの方が実はカッコええんちゃうかと自分の中で変わっていった。

自力で一歩一歩階段を上ってきたというのは誇りであり、自信であり、歴史でもある。
それまで見たことのない型破りな女性タレントの誕生、メジャーの世界でブレイクを果たす。

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つんく♂さん(現在48歳)。
1968年大阪生まれ。乾物屋の長男として育つ。音楽に目覚めたのは小学生のとき。世界的ロックバンドに衝撃をうけた。1曲目「オール・マイ・ラヴィング」ザ・ビートルズ

小さい頃はTVに出てるものが全てやったけど、西城秀樹さんやキャンディーズとか、でも、レコードの中から聴こえてくるビートルズは何か格別やった。音楽だけで聴けた。TVに出てくる音楽は聴くもので、自分で弾き始めたのがビートルズ。中2かな。ビートルズからギターを始める人が多い、世代を超えて仲良くなれるし。つんく♂さんの心に音楽の種が蒔かれた瞬間。

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15歳、高校入学。音楽に没頭していく。当時はディスコミュージック全盛期。その中でも心を捉えたのが、2曲目「THE REFLEX」デュラン・デュラン

化粧してめちゃめちゃお洒落なのが目に飛び込んできた。当時アースウィンドアンドファイヤーとかシック、マイケルジャクソンとかもいましたけど、デュラン・デュランが刺激的だった。お洒落な衣装、派手なダンス、全てにおいてエンターテインメント性あふれるステージ。つんく♂さんのその後の音楽に大きな影響を与えた。

18歳、近畿大学入学。ここで人生を変える出会いがある。大学2年、シャ乱Qを結成。基本はライブハウス活動。しかし、大阪のライブハウスは上田正樹さんのバンドや憂歌団が作った音楽の歴史があり、テクニック重視だったので、自分達みたいな一見チャラいバンドはなかなか出演できなかった。

悩んだ末、当時東京で流行っていたホコ天ライブを大阪でやることに。梅田や難波、いろんな場所でやったが、警察などに注意され、行きついたのが大阪城ホールへと続く路上の公園をステージに選んだ。それにはつんく♂さんの戦略があった。大阪城ホールで人気バンドのライブがある日に出向いて、“毎週日曜日にここでライブしてます”というチラシを一万枚配った。30名くらいが興味を持ってくれて、そのうち何名かが宣伝してくれる。さらに、自分たちの曲が入ったカセットやグッズを配ったり。徐々に知名度をあげ、いつしか大阪城へ続く道は人が通れなくなるほどになる。

早く東京に行きたい!誰か俺らに気づけよ!という気持ち、手ごたえは感じていた。

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大学卒業時、人生の岐路に立たされる。大阪の信用金庫の内定が決まっていたが、入社式ぎりぎりまで悩んだ結果、両親にプロになりたいと話す。母親は泣いていた。黙って聞いていた父親は、3年だけだぞと許してくれた。それからは活動資金を稼ぐためプラスチック工場でアルバイトをした。作業中工場のラジオから流れたきたのが当時ミリオンヒットをしていた曲、3曲目「BAD COMMUNICATION」B'z

ええなぁー、カッコええなぁーと思いながら聴いていた記憶がある。やっぱ、曲のセンスかな。

そして、3年で結果を出すため音楽コンテストにエントリーする。派手なダンスを取り入れたエンターテインメント性あふれる曲「ラーメン大好き小池さん」で勝負をかけた。NHK「ヤングバトル」に出場、みこど優勝。それまでの人生って、なんとなく器用にそこそこ上位でいたけど、大阪府になると10番目くらいに下がってしまって、全国一目指すには程遠い存在だった、でも日本一っていう称号を貰って正直嬉しかった。優勝していくつかのレコード会社から誘われ、その中にB'z所属の会社もあり、迷わずそこに決めた。日本一の肩書きをひっさげ意気揚々と上京。

鳴り物入りでメジャーデビューしたものの、売り上げは低迷。さらに、地元大阪の動員も減少。“あいつら大阪捨てたで”という感じ。同時期デビューしたMr.Childrenはデビュー曲からチャートイン。めちゃめちゃ売れていき、差は広がるばかり。何かと比較され、会社の人にも「なんであんな曲が書けないんだよ」とか「曲をもっと勉強したら」とか言われた。そんな苦しい時期があって、悔しさと失意の中、それでも聴いてみた、ミスチルの曲を。4曲目「抱きしめたい」Mr.Children

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自分たちの音楽にないものを見つけて愕然とした。「さすがやな」と。だったらあいつらが日本のビートルズと呼ばれるなら、俺らはストーンズになったろとそう思って頭の中を切り替えたら、なんか違う感じの曲が出来てきて、ある意味ミスチルがいなかったら、俺もここまで勉強しなかったなと思う。

これが売れなかったら最後と言われ発表した4枚目のシングル「上京物語」が10万枚のスマッシュヒット。6枚目「シングルベッド」は半年かかって100万枚に。その後、ある賭けに出た。5曲目「ズルい女」シャ乱Q

ディスコミュージックとロックほ融合させた曲。当初メンバーは、疑問を抱く、最初にサックスの音から始まることなんかに、これは俺たちの音なのかと。僕はメジャー志向が高かったので、そんなこだわりはなくて、カッコ良かったらええやん、みたいな。狙いはぴったりハマり、140万枚の大ヒット。時代を象徴する一曲になった。

もちろん、僕もメンバーも迷っていたけど、結果売れることによって自信にもつながり、逆にいえば、シャ乱Qからは何が飛び出してくるかわからない、みたいなイメージになって、その後はどんな音楽でもやれた。翌年、ロックバンドの殿堂・日本武道館3DAYS実現、「いいわけ」もミリオンヒット、二年連続紅白出場、さらに、大阪ドーム3万5千人凱旋ライブ実現。路上ライブから自らの手でチャンスをつかみ頂点まで登り詰めた。

忙しくなりすぎてどんな生活になっていくの?第二夜に続く・・。

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もし、ミスチルがいなかったらここまでになっていない、と言うつんく♂さん。潔しですね。私が若かりし頃、元いた職場に送られてきていた駆け出しのミュージシャンのCDの中にシャ乱Qさんのものがあり、初めて見たとき、うわぁ、胡散臭そうなバンド、と思ったのを覚えてます。見方が変わったのは「シングルベッド」かな。他の番組などでも昔話をされていたので多少は苦労なさったことは知っていましたが、路上ライブ出身というのは初耳でした。

久本雅美さんは、絶頂期に観た舞台ですごく光ってたのを覚えています。TVの仕事が忙しく、あまり舞台稽古はなさってない感じでしたが、オーラが凄い。客席を走り回られた際、間近で生久本さんを拝見し、小柄ながらめっちゃ綺麗で目がキラキラしてました。本日のお話を聞いて納得です。

アングラ。路上からホールへ。舞台で、人前で輝きたい!そして、観てくれる人にも喜んでもらいたい!。早くから目指す道を見つけた人は羨ましいなといつも思います。ただ見つけたばかりでなく、不安や焦り、恐怖と闘いながら歩いてきた一歩一歩に頭が下がります。皆がみな成功できるわけではないですよね、きっと何かで選ばれた人たちが花を咲かせるんでしょうね。第二夜も楽しみです。

日々感謝です。