今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

我が家の庭の観察記録㉟〜すっかりご無沙汰〜

こんにちわ、SUMIKICHIです。

先程(22時頃)まで、居候Kくんと、私のVocal Lesson発表会の候補曲選びをしておりまして、気づいたら日付が変わりそうになっており、焦ってしまいました。本日は、久々にチェックいたしました庭の様子を記録しときましょ。

先日も更新いたしましたが、雑草たちがさらにワヤワヤしておりました。単なる言い訳ですが、夜露に濡れた草たちは、結構風情がありまして好きではあるんですよね。

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そんな草たちに埋もれて、種が飛んできて勝手に自生しているもみじの赤ちゃんたちがなんとか育ってくれております。番号札をつけておいて良かったです。こんなこともあろうかと。 

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番号ごとの成長過程をば・・成長してるものだけ。 

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  ↑4/23頃発見        

 

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  ↑4/24頃発見      

          

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  ↑5/16頃発見          

 

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 ↑5/20頃発見    

     

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  ↑5/23頃発見             抜いてしまった?         

 

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  ↑5/23頃発見       

 

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  ↑5/25頃発見

置かれた場所によって成長のスピードが明らかに違います。梅雨明けに鉢に植え替えて、ミニ盆栽みたくしようと前回のブログに綴っていたようですが、得意の先延ばしになっております。

 

ところで、ヤマモミジの花たちは、いつの間にか生え変わっているのかなんなのか、黄緑色になっておりました。どういうことなんでしょう。

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こちらは、ハナミズキ。花が咲いた後、ぼこぼこ塊が出来ていましたが、いつのまにか花芽になっておりました。来年の春にもちゃんと花が咲いてくれそうでございます。葉っぱは茶色の斑点柄になってまして、病気なのかな。 

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さて、紅色トキワマンサク。しばし見ないうちに、元気な緑の葉になっているところと、赤紫の新葉のところがあり、元気でございました。 

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シラカシの新葉のこげ茶?あずき色?が綺麗です。

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珍しく蝶々(だよね?)が撮れました。蛾?

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余談ですが、いつの間にか戸外の広いデッキが、居候Kくんの縄張りになっておりました。第二の玄関のようでございます。

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私のお籠り庵がKくんの休憩処と化しております。

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私の物の少ない憩いの城が、みるみるうちに物が転がってる小屋に・・。 ふう。 

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日々感謝です。 

 

  

 

Eテレ「100分de名著 -野火- 第1回〜落伍者の自由〜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は大岡昇平の「野火」。太平洋戦争末期、絶望的な状況に置かれた一兵士が直面した戦争の現実と、孤独の中で揺れ動く心理を克明に描きだした作品。戦後文学の最高傑作とも称され、二度にわたる映画化を果たすなど、現代の私たちにも「戦争とは何か」を問い続けている。番組では、作家・島田雅彦さんを講師に迎え、「野火」を現代の視点から読み解く。第1回は、大岡昇平の人となり、「野火」の執筆背景などにも言及しながら、戦場を巡る一人の男の彷徨の意味を読み解いていく、という内容。

お恥ずかしい話ですが、私、読んでいませんので、ざっくり備忘録しときましょ。

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島田さんは、開口一番に‘戦争には負けたけれども、文学では勝つのだという気概を持って書いた作品’だと評する。では、まず、大岡昇平さんの基本情報から。

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37歳のときから、小林秀雄さんに勧められ小説を書き始める。
「野火」についてはこちら。

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レイテ島は、出征した兵士の97%が戦死。大量死のあと、文学に何が残るのかということを厳しく自問して、捕虜収容所などで日本兵からいろんな証言を聞き出しフィクションとしてまとめたもの。

 

では、小説の冒頭部分から・・

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小説「野火」の舞台は太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。日本兵の戦死者8万人というおびただしい犠牲を出した悲劇の地のひとつ。輸送船が狙い撃ちされ、補給が途絶えたレイテ島の日本軍、米軍も上陸し、もはや戦える状況ではなかった。そんな中、主人公・田村一等兵は、持病の肺病が悪化し、病院からも中隊からも見放されて、いたずらにその間を往復させられていた。

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病院までの食糧として差し出されたのは、わずか六本の小さな芋だった。仲間に別れを告げ、出発した田村。緑の原野の先にある病院に向かう中、彼は、意外な感情を抱く。

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スタジオでの解説・・・
田村はどんな人物?
大岡先生を彷彿とさせる、部隊の中では圧倒的なインテリだが、中年、しかも一等兵だから下の方。下士官には自分よりも若い人がいて、そこで戦力外通告を受けて、最悪死ぬんだよ、自決するんだよと追いつめられていく。しかし、そうなるまでには少し時間がある。わからずやの部隊から追い出されることで、やっとひとりになれた、だからその時間を自由に使うのは勝手という状況になる。

伊集院さんは、僕は学歴社会から早くにドロップアウトしてて、高校でもう出席日数が足りないから来ても無駄だよと言われた帰り道、学校に行く義務からは解放されたけど、別に前向きな何かがあるわけじゃない、みたいな感じと同じですかね?と話す。

結局、田村は何もやることが無くなってしまったので、突然自然観察を始める。初めて見るこの圧倒的な熱帯での自然を前にして、ジャングル紀行みたいな、しかも非常に分析的だし、ときに詩的な。現実逃避でもあり、いろんな感情が混ざった自然観察。

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同じような極限状況にあった人の体験記録として、V・E・フランクルという人が「夜と霧」の中で、ある強制収容所に収容されたユダヤ人の女性の話として、「こんなひどい目に遭わせてくれた運命に感謝しますわ」と言ったことが綴られている。自分は甘やかされて育ったけども、こういう場所に入れられたことで初めてものを考えたとか。あるいは、花の咲いている樹木と話をするという。それを聞いた人は、この女性、ちょっとヘンかなと思ったらしいが、フランクルはこう考える。内面的な拠り所がある人は生き延びやすいと。一見非常事態で、そんな詩とか文学とか言ってんじゃないよ、と思うかもしれないが、ある意味、ホモサピエンスだけが生き延びてきた理由と通じるものがあると思う、と島田さんは話す。  

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田村は他に、孤独に死を意識しながらジャングルを歩いているときに、海辺に出て、‘ここにホテルを建てたら流行そうだ’とか夜になって、ヤシの茂みを見上げながら過去に付き合っていた女を思い出したりしている。絶望的な状況を一瞬忘れるような何かを想像出来るか、出来ればだいぶ気分は楽になったり、休息になったり、発想の転換が出来たりするかもしれない。軸を変えることで生き延びる術を考えてるみたいな。

 

そうした中、田村が見るのは野火・・・

田村は、彼の行く先に一条の煙が上がっているのを目にする。

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ただの野焼きか、それともゲリラののろしか、その後も田村の前には、野火がたびたび現れた。それが次第に気がかりとなっていく。

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スタジオでの解説・・
火の煙っていうのは、そこで人が何らかの煮炊きをしていたりする可能性がある。そこに行けば、食糧が手に入る可能性もある。但し、あそこに日本兵がいるぞ!というのろはかも知れないし、全くひとりで楽園を歩いているわけじゃない、そこには他者の存在を絶えず意識していなきゃいけない、避けるべきか近づくべきか、野火が何らかの逡巡を田村に与える。

田村は20日間位ひとりで彷徨うが、その後にようやく友軍の兵士と会うことになり、やっぱり自分は人恋しかったんだなと認めている。野火の象徴の下にいろんな出来事が隠されている。

 

この後どうなる?
病院に辿り着く。外には治療してもらえない人たちがたむろしている。翌日明け方、病院が砲撃されるという事態に。突然の砲撃に散り散りになって逃げ惑う兵隊や軍医たち。しかし、それを田村は一歩引いた思いで見ていた。

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           ※お詫び 上左から4行目 〜私自身の孤独と絶望〜の間違いです

田村は、幾日も丘陵地帯を彷徨う。その中で考えたのは自らの死。

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また、ある夜は

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スタジオでの解説・・
微妙な距離が現実と私の間に開いている、砲撃を受けて逃げ惑い死んでしまう同胞と自分は重なっている、ざまあみろと思って見ているというよりは、ああやって逃げ惑ってるのが自分じゃないっていうのがおかしくて笑える、というような感覚、その一方で、物凄く自分を他人事のようにも見てる。暗い好奇心とは、地獄を観光してやろう的な感覚。それがいつしか田村の心の中に、ユーモアと呼ぶしかないような感覚となって現れるということではないのか、とのこと。病院に入れてもらえてたら砲撃で死んでいたかもしれない、これは笑うしかない。

この死をどう定義するのか、死について考察し続ける。逆に、そのことによって生かされているんじゃないのか。

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精神分析学者 S・フロイトは「死の欲動」という概念を提唱する。死に向かおうとする無意識の衝動。‘死にたい’という願望ではなく、限りなく死に接近していきたいという欲求、そういう本能があるのではないかと。

まさに知識人である田村が、極限状況の中では、実質的に自分は死んでるという認識までは接近している、それでもまだ探求している。

伊集院さんは、凄いのが、自分は死んでるんだから、自ら自分を殺すことはないんだという結論で、ちょっと可笑しみがあって、なんか魅力的なんだよな、ここ、と話す。

島田さんは、ああいう極限状況をなんで俺は生きてこれちゃったんだろうか、ということに対して大岡さん自身が疑問だったと思う、ただの偶然かもしれない、だもその偶然も様々な要因が複雑に絡まりあった結果であった、ともかく結果だけが自分に与えられた、そのことを様々なカタチで検証した作品だと考えてあげるべき、と語る。

これから、自分は死んでいると思ったところからが長い、らしい。   (完)

    

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 なんと申し上げてよいのやら、腹の底から何か得体の知れない感情がこみあげてきそうな内容でございますね。昔は、このような戦争ものの小説をよく読んでいたような気がしますが、久しぶりにレイテ島などの名称を聞くと、口が重くなってしまいます。ですのに、番組は観たいという、この矛盾。

“死”と一緒に密林を彷徨う、砲撃を目撃、豊饒な大自然、自らの死に際のイメージ・・そして最後の“自分は既にこの世の人ではない、従って自ら殺すには当らない、と確信して眠りに落ちた”。私の癌体験とは比べものにならないほどの、吐きそうなほどの孤独と恐怖。哀しいかな、想像すること自体がおこがましいですね。

それと、フィリピンの大自然に触れて、“私は死の前にこうして生の氾濫を見せてくれた偶然に感謝した。これまでの私の半生に少しも満足していなかったが、実は私は運命に恵まれていたのではなかったか、という考えが閃いた”のくだりは、自分なりにですが理解できます、と言わせて下さいまし。

そうそう、“死ねば私の意識はたしかに無となるに違いないが、肉体はこの宇宙という大物質に溶け込んで、存在するのを止めないであろう。私はいつまでも生きるであろう”という死後の人間の在り様を、宗教的にではなく、科学的に分析しているところは、妙に説得力があるなぁーと感じました。この先、どんどん辛く悲惨になって行きそうですが最後まで見届けようと思う次第です。

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日々感謝です。

 

NHK「クローズアップ現代+“死”をどう生きたか 日野原重明 ラストメッセージ」を観て。最期のありがとう・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
ここ数日は、意識しているわけではないのですが、“生きるとは”“死とは”“お墓”関連のブログ記事が続いております。目につくということは、無意識のうちに求めているということなのでしょうか。8月という時期がそうさせるのでしょうか。

そういう本日も、録画視聴いたしました「クローズアップ現代+“死”をどう生きたか 日野原重明 ラストメッセージ」の中で印象に残ったお言葉をざっくり備忘録しときましょ。脈絡なくて申し訳ございません。

 

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7月に亡くなった医師・日野原重明さん 享年105歳。

100歳を超えてからも現役の医師として活躍、早くから予防医学に取り組み、全国に先駆けて「人間ドッグ」を導入したり、「生活習慣病」という捉え方を普及させた。また、「生き方上手」等の書籍は大ベストセラー。そんな日野原さんが生涯をかけて問い続けてきた言葉がある。“生とは何か”“死とは何か”“死をどう生きるのか”。そこには、医師としての日野原さんの知られざる葛藤があった。

30年にわたり自宅に若い研修医を招き、医師としての自らの考えを伝えてきた。99歳のときに問いかけられた研修医からの質問「医師として最終的な目標はありますか?」に対して「頂上はないけど、坂はあるだけ。やっぱり患者とどうして一体感になるか」と答えた。

 

日野原さんがよく語っていたエピソード
緩和ケア病棟に入院していた60歳位の女性が、亡くなる一週間前、お腹の痛みがコントロールできたときに、「ちょっと外に出たい、私はソーシャルダンスが好きだから、死ぬ前に一回踊って死にたいから」と言って、綺麗な衣装を身に纏って踊った。その写真を僕にくれた。その4日後に彼女は亡くなった。そういう人生もあるんです。


“人は死をどう生きるべきか。そして、生を完成させるこの終末に立ち会う医療は、そこで何をなすべきか”

 

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苦い記憶となる出来事もあった。医師として初めて受け持った16歳の少女の死。
死を受け入れたかに見えた少女に対し、日野原さんは無理な延命を施したのだ。“私は彼女を安らかにみとるのではなく、最期まで苦しめてしまった。そのことがいつまでも心に引っかかっていた” こうした経験を重ねた日野原さんは、終末期医療に力を入れるようになる。

日本で初めてホスピス専門の病院を開設したのも日野原さんだった。

死に向かう最期の時間をどう豊かに生きてもらうか。日野原さんは、患者の理想の死を追求し続けてきた。

「その最期にね、ありがとうっていう、自分が生を与えられたことに対する
 感謝をね、いろんな方面にね、自然にこう、声がでるようなことがあれば
 いいと思いますね。だから私は、いろいろ苦しいときにモルヒネなんか、
 こういろいろするけどね、意識が全くなくなってしまうと感謝の言葉が
 出ないから、そこまで強いお薬を使わなくても、いま死んでいく自分
 だっていうことが分かる意識あればね。その時にその人はそういう言葉を
 心の中にでもね、出すことが出来るっていうように思うわけですよね」

 

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生涯で1,000人を超す患者の死をみとってきた日野原さん。しかし、最愛の妻、静子さんの死は自身にとって全く異なるものだった。

静子さんは、80歳を過ぎた頃から意思の疎通が難しくなり、目に見えて体調が悪化。入退院を繰り返した。日野原さんは医師として静子さんらしい死を迎えてほしいと強く願う一方、夫として、妻の死を前に崩れ落ちそうになる自分も感じていた。

「私自身の生き方とか命を考える、こんなにシリアスに訴えてくることは
  今までなかった。もうこの病気はやむを得ないんだから、ベスト尽くしたから
  これであきらめざるを得ないという気持ちで今までは水に流されたのが、
  今はね、水に流すことは考えられないね」

静子さんは93歳で亡くなった。その最期に、妻から感謝の言葉を直接聞くことは叶わなかった。

講演などで交流してきた歌手の加藤登紀子さんは、日野原さんのこんな言葉に心を揺さぶられたという。

「奥様の意識が薄くなっていても、雲の向こうには必ず月はある、
  雲の切れ目から瞬間的に輝くときがある、その瞬間を待つんですって。
  手を握ってらしていたときのこととか、やっぱりある意味で、最期の瞬間まで
  口には出せない、けれども、なんらかの方法で命は輝いているはずだって」

最後がその人にとって一番大事な表現として人の心に残っていくということ。
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東京オリンピックで聖火に火を灯したいと話していた日野原さん。
その後しばらくして体調を崩し、病床での生活を余儀なくされた。次男の妻・日野原眞紀さんは、当初、日野原さんは自身の死と向き合いきれずにいたと話す。

「やっぱり未知の部分で自分が体験していないから、
『そこにはやっぱり不安と怖さがあるよね』っていうようなことを
  言ったんですよ。人の死をたくさん見てきて、75年も臨床医をやってらして、
  そんな思い、やっぱり怖いっていうのってあるんだなと」


その後、全身の衰弱が進み、食べることも困難になっていく。主治医は、家族の立ち会いの下で、本人に延命治療の意思を確かめることになった。日野原さんは明確に、管を介する管理補給、胃ろうを含めて望まないと。命の終わりを覚悟した日野原さん。

亡くなる3週間前、日野原さんは「新老人の会」に電話し、「講演会にもう一度出たい、行けるようにこれからリハビリをするから」と伝えたという。

講演のテーマは「限られた命をどう使うのか」。もう一度、人々に自分の思いを伝えたい。その一心で日野原さんは歩くためのリハビリを懸命に続けた。その姿を見守っていた眞紀さんは、
「最後までチャレンジ精神でしたね。それは亡くなる4日前も、聞き取れないことばで、私が『何?』って言うと『体操』って言うんですよ。『足の体操をいつもみたいにして』っていう意思表示だったんですね。だからそれはしましたけど、最後はやはり蹴る力がなかった。それが運動の最後の日でした」と話す。

一方、主治医は、「日野原さんは命が燃え尽きていく自らの姿を、医師としてのまなざしで見続けていたのでないか。ご自身の死を自分のものとしてとらえながら、一方ではそのような自分、死にゆく自分を観察してやろうくらいの、それくらいの客観性と好奇心を持ち続けていたんじゃないか。命の終わりが近づいているということはわかっていながら、そこのところの気持ちはやはり行ったり来たりだと思います」と話す。

 

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そして、7月18日。日野原さんは105年の人生に幕を閉じた。感謝の気持ちを伝える最期だったという。

「『ありがとう、ありがとう』の最後でした。子どもたち一人ひとりに、
   『じゃあ誰々と話しますか?』っていうと、『うん』って父が言って、
   それで一人ひとりにラストメッセ―ジをちゃんと伝えていました。
   あなたがよくしてくれたということを自分はすごく感謝していると。
   僕の存在がいなくなったときに、あなたが一番悲しむのは僕にはわかって
   いると。でもそんなに悲しまないでほしいと」

日野原重明さん。死を生ききった人生だった。

瀬戸内寂聴さん・・
死ぬことがどんなことか、お医者さんだったからよくわかってらっしゃったからね、生きるはお好きだったものね。結局、自分が生きていることが誰か人の役に立つ、立ってることが先生にとって、生きることだったんじゃないですか。

人間の精神性の命は、むしろ定年後とか病気をしてから成熟していく。死んで終わらないで、亡くなった後も、その人の残した生き方や言葉は後を継ぐ人の中で生き続ける。これまでの日本人にあった“老い”や“死”を暗く考えるのを180度変えて、チャレンジする新しい生き方を日野原さんは身を持って教えてくれた。“死後生”を考えると、今、どう生きるかへの問いかけ、“死を生きる”ということ。       (完)

 

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私にとりまして、番組の中に特に目新しい答えがあるわけではないのでございます。ですが、時々ふと脳裏をよぎる漠然とした“死”について、いえ、“死に至るまでの生”“生き方”と言った方がしっくりくるのでしょうか、その問いに向き合いながらも、生来の、まっいっか、が邪魔?現実に引き戻してくれる?とかして、ふわふわした気持ちのまま日々過ごしているところもあるので、ほんの少しのヒントになりそうなコトはございました。誰にも頼らず、迷惑かけず独りで生きていけるわと強がっているのは良いけれど、じゃあ、最期に「私が“ありがとう”って言いたい人は誰?ちゃんといるの?」「本当に“私”を知って覚えていてほしいって人はいるの?いてほしくはないの?」「残したい言葉はないの?本当にないの?」って内なる自分に問いただすと・・・今は、自信持って「必要ない!」と言えない自分に気づいたりします。実は、「必要ない!」って割り切ってた方が楽、独りの世界にどっぷり浸かってた方が楽、なんですよね。それでは、重さも深さもなくて、本当に軽い人でございますね。ですから、私の場合、自分が誰かの役に立てたら、というそんなおこがましいことではなく、私が最期に感謝の言葉(社交辞令的なものではなく)を伝えたい人とちゃんとつながっていられるように、生き抜かなきゃいけないなぁーと、自分の夢を叶えたい、叶えるために今後の人生を使いたい、それも大切ですが、そういったことじゃないコト、私に欠けているコトにも命を注がないといけないのかなー、なんて当たり前のことながらしみじみ想ったのでございます。やはり、8月って、こんなことを考えてしまう時なんでしょうかしら。

最後に、昨日先方の手違い(と本人は主張)で間違えて研修会場に行った居候Kくん、本日無事研修を終えたようで、帰りにキャベツとネギを買ってきてもらいました。明日も引き続き研修のよう。先月こちらに戻ってきた時より、顔つきが締まってきたようでございます。人間、やはりすべきことがあると多少イキイキしますよね、って、完全に私のしもべと化しているのですが。Kくん、最期には私にちゃんと感謝の意を表明してくれるのかなぁ?えっ?人に求めてばかりでどうする?あっ、そうでした、すみません。うーん・・Kくんが先に旅立ったら・・私が墓じまいせねばならぬ!それは困る!って、やっぱり私は、自分が可愛いようでございます。

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日々感謝です。

TV番組「サワコの朝〜スピリチュアリスト・江原啓之 “人生のつまずきは宝”〜」を観て。50代でつまずいても大丈夫?

こんにちわ、SUMIKICHIです。

たまに観ている「サワコの朝」。先月29日のゲストは江原啓之さん。オベラも歌うスピリチュアリストで、2005年〜2009年放送のテレビ朝日オーラの泉」に出演し一躍話題に。現在は、スピリチュアル講座や雑誌などで生きるヒントを伝えている。この日は、不安や悩みを前向きな力に変える秘訣を語るという内容。番組の中で印象に残ったコトをざっくり備忘録しときましょ。

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4歳で母親を、15歳で父親を亡くした。そのお通夜の席で周囲の大人たちが「正しく生きていれば報われるからね。真面目に生きなさいよ。世の中にはもっと大変な人がいる」と言った。
江原さんはそれを聞いていて、心の中で思ったのは・・
  ‘ちょっと待って下さい、僕は真面目に生きてます、幸せって比較ですか?
  この世で一番不幸な人にはなんて言うの?
  みんな悪気はなくて、僕を励まそうとしてくれてるのはわかるけど、
  なんという矛盾!理不尽!’
  そして、この想いを解明しないと生きて行けない!と。

      “幸せな人 不幸な人ってどうしてあるの?”

霊が見えるとかうんぬんはどうでもいい話で、それよりも、‘理不尽ってのは何なのか?この世の不条理って?’を突き詰めていったら“魂”というものに行きつく、すると“生き方”とか“見方”が変わるよね、この世の不幸と魂の不幸は違う、ということが解かったら、まず、自分自身が救われた。

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一大ブームになった番組「オーラの泉」について、オーラとか前世とか、テレビの演出的には面白かったと思うけど、個人的には、自分のアドバイスがゲストの方の人生のヒントになることだけが楽しみだった。

 

個人カウンセラーを随分前からやめたのは、キリがないから。相談者さんは自分自身の利得、自分だけを愛する気持ち、ばかり考える。儲かりますか?結婚できますか?自分で努力しましょうよってことですね。

そんなことよりも、人はなぜ生まれて、なぜ生きるのか?とか、なぜ病気になったのか?病気=嫌だ、だけじゃないよ、得られるものもある、人生のつまずき全てそうだけど、そこをしっかりと自分で理解しないと、部分だけ貰ったって失うよ、という考えです、私は。

 

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番組に寄せられたお悩みについて・・

Q.43歳女性、70歳の義母が若年性認知症で介護が続くと思うと心配

スピリチュアル的な視点から言うと、認知症によって親が変わっていくように見えるが魂は変わらない、だから親をたたいたりすると魂は覚えている。異物を食べる人は、‘お母さんはいいのよ’と子供に食べさせたりして、食べることに苦労してきた人。徘徊する人は、逃げたい事がいっぱいあった人。暴言を吐く人は、辛抱して我慢してきた人。人間って、最後に正直に表す。だから、そんなお義母さんを見て、‘良かった、全部吐き出してくれた’という視点を持つのか、‘あんな人じゃなかった’という視点を持つかで生き方が変わる。

 

Q.56歳女性、他人の心無い言葉に傷ついてしまう

自分が受けて傷ついている間は“自己憐憫”。人間、本当に苦しんだら分析するようになる。自己憐憫は楽な段階。それと、人って自分に無いことには腹を立てない。例えば、私(江原さん)にデブって言ったとする、私は怒る、なぜならデブだから。これが、もし痩せていたら、誰のこと?ってなる。“刺さる”というのは、自分に弱みがあるから。

マザー・テレサのお言葉で・・
    すべては自分と内なる神とのあいだのことで
    他の人との間であったことは一度もなかったんです

と言う内容のものがあるが、要するに、自分自身の中にあるものに腹を立てたのであって、言った人はただ指摘してくれただけであって悪いわけじゃない。

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これに関連して、意地悪について、“幸せな人は意地悪しない”。職場や家庭の壁に貼っておいたらいい、きついことをがぁーっと言われた時に、その人を見ずにチラッとその紙に目をやる、するとその人は、‘わ、私、不幸せなわけじゃないから’と優しくなる、きっと。

SNSの炎上などを見ると、みんな不幸せなんだなと気の毒になる、現世の人々の方が面倒くさい、だから生き抜かないと。“価値があるから生きるんじゃない”、“生き抜くことに価値がある”のだ。みんな価値を望むから、よけいにつまずく。

講演会でも言ってるが、‘転んでもただで起きるな!人生には必ず饅頭が落ちてる!’、なんで転んだんだ?ばかりを思っていると、饅頭が見えない。転んだときに、何が得られるのかな?と、それが自分のバネになったり、肥やしにもなる。それをしっかり握りしめて立ち上がれ!次に同様なことがあっても必ず乗り越えられる。子育て中の母親にも“その子にもつまずく権利があるんだから心配しなさんな”とよく言っている。“人生のつまずき”こそ得るものがある。

 

ちなみに、江原さんの思い出の曲2曲のうち、1曲はこちら。スピリチュアルを感じるらしい。

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 - ABBA「EAGLE」 -
    They came flyin’ from faraway
       彼らは遥か彼方から飛んできたのです
    Now I'm under their spell
       私は、今、すっかりその魔力に捉えられてしまっています
    I love hearing the stories that they tell
       私は、彼らが話してくれる物語を聞くのが好きです
    they've seen places beyond my land
       私の国の向うで、彼らが見て来たこと、
    and they've found new horizons
       みつけた新しい世界のこと
    they speak strangely but understand
       彼らは不思議な話し方をしますけど、私には判ります
    and I dream I'm an eagle
       そして、私は、自分がワシになった夢をみます
    and I dream I can spread my wings
       自分の翼を拡げている夢を
    Flyin' high, high
       飛べ、高く、高く
    I'm a bird in the sky
       私は空の鳥
    I'm an eagle that rides on the breeze
       私はそよかぜに舞い飛ぶワシ
    High, high
       高く、高く
    what a feeling to fly
       飛ぶっていうことは何て素晴らしい気分なんでしょう
    over mountains and forests and seas
       山を越え、森の上を、海を渡るっていうことは
    and to go anywhere that please
       好きな所、どこへでも行けるっていうことは        (完)

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“生き抜くことに価値がある!”。“つまずいても饅頭を手にして立ち上がれ!”。“人は本当に苦しかったら分析し始める”。全く同感でございます。最近で一番悩んだことは、居候Kくんのこと。最初は‘なぜこんなことに・・なぜ私がこんな目に・・’とぐじぐじで堂々巡りの思考回路にどっぷり浸かりましたが、やがて、分析し始め、‘今なすべきことは何なのか’ ‘WIN-WINになるためには’ を具体的に挙げていきましたね。いえ、私は出来た人間なのだと自画自賛しているのではなく、そうでなければ誰も助けてはくれませんし、最終的に覚悟、決断、実行するのは自分しかいないですよね、と言いたいだけでございます。問題のKくん、饅頭を手にして立ち上がってくれることを日々願って、身の回りの世話を焼いているのでございます。嫌味をさんざん言いながら(私のサンドバック役になってる?)。本日も、先日決定した派遣先の仕事の研修があるとかで、交通費節約のため車で送り届け、スーパーで買い物しておりましたら、派遣会社の手違いで研修は明日だったと、連絡が入り、今度は迎えに行く始末。おいっ!ホントに担当者の手違いなの?大丈夫か?Kくん!と心の中で毒づきながらも、まあ、ありがちなことだよね、とにっこり笑う心優しき姉でございます、私。Kくん・・もしかして、つまずいてることに気づいてないってことないよね。が、それはある意味、タフだということ。羨ましいなあ。

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日々感謝です。

 

Eテレ「あしたも晴れ!人生レシピ〜“お墓”どうしますか?〜」を観て。本日、姉弟揃って20数年ぶりに墓参り・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

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本日は原爆の日。だからというわけではないのですが、ここ数年足が遠のいております両親のお墓参りをいたしました(ごめんなさい!)。といいますのも、車で一時間、山の中腹に古くからある墓地で駐車場の整備もされておらず、とても不便なので(過去に電信柱に車をぶつけてというトラウマあり)・・後ろめたい気持ちいっぱいのまま・・って言い訳ですね。

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ですが、先月から我が家に居候している弟・Kくんが、どうしても行きたいと申しますので、Kくんの人生再出発の意味も込めまして、姉弟揃って20数年ぶりに早朝から出かけたのでございます。

きっと、草ぼうぼうで大変な事になってるんだろうなー、申し訳ないなーとびくびくしながら到着しましたら、なんと、綺麗に維持されておりました。そうです、地域のボランテイアの方々が維持管理して下さってるんですね。本日も、麦藁帽、首にタオル、手には軍手スタイルのご年配の方々が大勢お掃除をなさっておりました。すれ違いざまには「おはようございます、有難うございます」の言葉と一緒に頭も下がっりました。

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早速、Kくんに掃き清めてもらい、花を飾り、線香に火をつけ、静かに手を合わせてお詫びと祈りと・・・。

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昨日の朗読会で聴いたオリジナルの詩(原爆投下直後、母親が我が子を4日間探し続け無事見つかる、その子供が成長し、自分が生きている意味を考えた時、母が見つけ出してくれたのが原点だという詩)を胸に。

   道しるべ〜墓前にて〜      左近司みのり 作

     手を合わせると
     うかんでくる
     母の姿がかんでくる

     二十歳の夏
     閃光
     爆音
     変わり果てた 人 人 人
     わたし わたし わたし?

     どこからか母の声がきこえてくる
     名をよぶ声がきこえてくる
     母はわたしをみつけてくれた

     「わたし」を
     「わたし」に
     もどしてくれた

     九十二歳の夏
     たったひとり 手をあわせ
     なぜ生かされたかを問うときは

     母が わたしの道しるべ
     母が わたしの道しるべ

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当然の事でございますが、来て良かったと思いました。心が落ち着き、気持ち新たに人生を始められるような気がいたしました。Kくんも神妙に何かを感じていたようでございました。「ちょくちょくお参りしようね」とポツリ。

実は、このお墓、母親が亡くなった際に父親が建てたもので、先祖代々から続いているわけではなく、しかも、姉弟揃って独身(きっとこの先も)で跡継ぎもいないので近い将来、無縁仏になる運命でございます。ですから、墓じまい?みたいな事をした方が良いのではないかと考えており、お墓参りを決めた際、Kくんにも話して検討しようねということにしていました。

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そう具体的に考えるきっかけになったのが、レギュラー視聴しているEテレ「あしたも晴れ!人生レシピ〜“お墓”どうしますか?〜」を観たから。

「お盆は子供も連れて里帰り、先祖代々の墓に手をあわせる」と言っていたのは40代頃まで、50代以降になると子供はもちろん、自身も故郷のお墓には疎遠になっていく、その解決策として最近増えてきた“お墓の引越し”はどのように行われるのか?さらに今話題の“樹木葬”や“散骨”とは?従来の代々受け継がれてゆくべきお墓のあり方が変わり選択肢も広がる中で、お墓に関するさまざまな悩みと解決のヒントを探ってゆくという内容。墓参り日記の途中ですが、気になった個所をざっくり備忘録しときましょ。

 

●永代供養
 墓を継ぐ人がいなくてもお寺などが永続的に供養や管理を行うこと

管理料の明確な相場はない、約20万円?80万円までと幅広い。管理料の滞納が続き一年間連絡がとれないと、その墓を撤去することができ、官報にも記載して知らせるらしい。

 

●お墓の引っ越し(改葬)
いろんなタイプの引越し方法があるが、まず改葬許可証を手に入れなければならない。市役所に連絡して郵送も可能。

        「お墓の引っ越し」手続き
             役 所
              ↑
           改葬許可申請書  
            ↑    ↑
      新しいお墓 ↑    ↑ 元のお墓 
   墓地使用許可証         埋蔵証明書
     または
   受け入れ証明書


お墓の移転などの際には「開眼供養」や「魂抜き」などが行われる。

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●ある家族の改葬費用

   岩手の寺への志     100,000円 
   旧墓地解体工事代    500,000円
   移転先墓地確保   1,000,000円
     〃  埋骨代     60,000円
     〃 銘板彫刻代    37,260円
       計    約1,700,000円

東京の相場で新たにお墓を建てるとすると約300万円。


   一般的な墓地の種類
     ①寺院など宗教法人が運営     寺院墓地
     ②地方自治体などが運営      公営墓地
     ③宗教法人が事業主で民間が運営  民間墓地

①の場合は檀家、②と③は宗派は問わない。

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そもそも、お墓は好きな場所には建てられない。
「墓地、埋葬等に関する法律」(昭和23年制定)によれば、墓地は都道府県知事が許可した区域でなければならず、墓地の経営・管理は永続性や非営利性が求められるため地方公共団体宗教法人に限られる。

よく田舎などで見かけるお墓は、みなし墓地。“墓埋法”制定前からあった私有地や集落の一角にある墓地。

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最近はいろんなお墓のタイプがある。

樹木葬
樹木を墓標代わりに、多くの人々と一緒に遺骨を袋に入れて、土の中に収める方法。やがて自然と土にかえるしくみ。
先祖代々という家族の永遠性というものが見込まれない時代に、自然の永遠性、自然に囲まれたゆったりした環境で、自分の見知った人達、自分が出会った人達がお墓参りに来てくれればいいとうもの。

◆散骨
船の上から海に向かって遺骨をばら撒く。自然にかえりたいという人が多いらしい。

◆機械式の納骨堂
会員カードをかざすと、自動オートメーションで遺骨が運ばれてきて、お参りできる。裏側を拝見すると、まるで立体駐車場のシステムのよう。

◆送骨
あるお寺には全国から引き取り手のない遺骨が郵送されてくる。永代供養墓に収められる。

◆アメリカでの宇宙葬
ロケットで地上100kmまで遺骨が打ち上げられて散骨。お墓に拘らないというスタイルのひとつ。

そもそも、この“散骨”について・・
お墓の法律に詳しい星野宏明弁護士によると、まず“散骨”は合法か?違法か?ということについては散骨は合法とも違法とも断定できないと言える、散骨が法律上 問題になるかどうかは2つの法律が関わってくる、ひとつが「墓地、埋葬等に関する法律」で厚生労働省が所管、見解としては「散骨は法律上 想定も規定もされていないので違法と判断はできない」というもの、もうひとつは遺骨の遺棄を禁止した「刑法190条」で法務省が所管する法律、こちらの見解では「善良な宗教感覚などを保護することが目的なので“節度”をもって行われる限り問題ない」としている、この“節度”の解釈がグレーゾーンと呼ばれる原因となっているのでは、つまり法律上は「違法性はない」となるが社会通念上の“節度”は守らなければならない、とのこと。複雑そうだが、グレーなのね。

 

お墓というのは、埋葬された方に関わった方の精神的な拠りどころになっているという側面もあるので、残される側のいろんな選択肢が出てきて、選ばれる方自身、自分はどうしたいのかということと、なにより、家族、周囲の方々と議論して決めていく必要があるとのこと。              (完)

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で、話がもどりますが、姉弟でお墓参りを済ませた後、ホッとしたのか、この先どちらか残った方が考えることにしようか、という結論に達したのであります。Kくんが結婚
する可能性はまだゼロではないですしね。私自身は散骨して貰えればそれでいいかなと今は思っております。これを一般的には“先延ばし”というのでございましょう。

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日々感謝です。

朗読発表会・13分間リーディング、初聴講。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

本日は、最近通い始めました朗読会の発表会“13分間リーディング”が夕方7時半からございまして、先程(23時前)帰宅いたしました。ふう。

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この発表会は、朗読者が自分で作品を選び、13分間で収まるように演出・構成して読む、他者の指導、演出は一切なし、発表と参加者による合評の勉強会です。私は加入したばかりで、どんなことをなさるのか勉強のため見学参加させて頂きました。
発表者は3名。
ラフカディオ・ハーン 小泉八雲 「雪女」
吉本ばなな「新婚さん」
・「平和の祈りコンサート」で朗読する自作の詩

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発表者の皆さん、原作を制限時間内に入るように自分でアレンジされ、ストレートに朗読する人、独り芝居のような演出で表現する人、色々でございました。私は、まだ初心者ですので大人しく拝聴させて頂くばかり。いつか発表者になれるのかな。

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ところで、朗読だけでなく、歌の練習もしなくてはならないのですが、Vocal Lessonの練習曲を選択中。音楽好きな居候Kくんの提案により、水越けいこさんの「too far away」がいいかなと思っております。

そして、“秋のバラード特集アコースティックバージョン”というテーマの教室発表会がこの秋・11月に開催されることになり、エントリーさせて頂きました。さて、その曲も探さなくてはなりません。Kくんは、思いつくつころで、私の声質に合うのではないかと障子久美さんの「あの頃のように」、沢田知可子さんの「会いたい」、今井美樹さん、かなり頑張ってホイットニー・ヒューストンなんぞをチョイスしてくれました。自分では思いつかない曲ばかりですので、新鮮といえば新鮮ですが、やはり、曲選びは難しゅうございます。でも、楽しい。

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本日も忙しゅうございました。朗読発表会の前には、午前中、入社前健康診断の結果を聞きに行く居候Kくんを病院まで送り、午後いちでまた別の病院に付き添い一旦帰宅。そして、朗読会に出かけるまでにKくんの夕食準備。ふと、もしかすると私は、良妻になれていたんじゃないかと最近思い始めています。が、期間限定で、一年以内に自立する約束だから出来ることでございます。きっとそうです。世の奥さま、尊敬いたします。

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日々感謝です。

 

Eテレ「オイコノミア〜帰省シーズン到来! 実家とうまくいく経済学〜」を観て。すでに実家はないけれど。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
レギュラー視聴しているEテレ「オイコノミア」。今回のテーマは〜帰省シーズン到来! 実家とうまくいく経済学〜。帰省シーズン到来!今“実家”を離れて暮らす人は今国民の7割に及ぶ。実家の親と上手くコミュニケーションをするために、経済学の考え方を用いるとスッキリ上手くいく!?というもの。ゲストは、漫画家・蛭子能収さん。では、かなりざっくり備忘録しときましょ。すでに実家というものはないけれど。

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子供が、独り立ちして実家からいつ離れるか、その後両親とどう関わっていくかはとても大切で、その親子関係を経済学で考えてみる。その時、ひとつのキーワードがある。

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今回の場合は“血縁”によるコミットメント。

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子供の場合、自分の意思で産まれるわけじゃない、産まれた時点で“血縁”というつながりで行動が縛られる。自分(子供)が離れた後、母親が一人になって大丈夫かな、という感情になるのは、この“血縁”によるもの。

この親と子のコミットメント、強さゆえの弊害も・・。
例えば、子供が独立したいという時に、‘私を置いて出て行くの?親不孝じゃない?’と強烈な言葉を言われたら、受ける子供側としてはどうして良いかわからなくな。これを

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コメットメントが強いってことは、退路を断っていること。その中で強く押されると逃げ場がなくなってくる。親という強い立場から圧力をかけられると子供はホールドアップした状態に陥る。これも“血縁”というコミットメントのなせる技。

他の関係と比較してみると・・。
例えば、夫婦関係。これもお互いを縛るコミットメント。何によって縛られている?結婚制度。結婚に至るまでいろんなプロセスがある。指輪を贈る、両家に挨拶、結婚式、友人たちの前で誓いをたてるなどしてお互いを縛っていく。

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決定的な違いは、社会制度によって縛られているけれど離婚はできる。親子関係の場合はずっと続いていく。

“血縁”というコミットメント。強いからといって放っておくのは危険。良い関係を保つために子供は、働きかける必要がある。

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蛭子さんは、上京して来て何日も泊って帰ろうとしない母親に、いつまで居るの?と聞くと、すぐに帰ったことがあり、いくら嫁さんからせっつかれたとはいえ、あの時は心苦しかった、と振り返る。

“血縁”によるコミットメントにより、うしろめたいっていうのがあるが、そういうのは経済学で・・

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親子の間で決めようねと言っても、言いづらかったり、照れくさかったり、で“血縁”という関係があるために交渉費用がかかる。昔の親子間の交渉費用は、ほとんどかからなかった。一緒に暮らして、家業に勤しんでいるのでいつの間にか以心伝心、ツーカーだった。昨今の親子は、生活環境が異なることが多く、会話ははずまないので交渉費用がかかる。

又吉さんの家族は比較的仲が良いが、たまに母親の言葉を理解するのに、難しい小説を読むより難しいと言う。上野動物園でパンダのこどもが産まれたニュースをメールで送ってきて、国家間の不穏な空気ある中でこれを捉えたのか、早く結婚しろってことなのか、いろんな意味で難しい。
蛭子さんは、息子さんと何を話していいのかわからないから、あんまり会わなくていい、愛情はあるから健康でいてくれたらそれでいいと言う。

 

今は交渉費用が高くなった。なぜ高くなったのか?

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つまり、親が持っている情報と価値が、子供のそれとズレる。何を考えているのかわからない。

又吉さんは、昔、母親が上京した際に、奮発して美味しいお店につれて行こうとしたら母親はすでにファーストフード店で食事をすませていた、その方が落ち着くらしい、親孝行はひとりよがりになる可能性があるなと思った、と話す。

 

では、この非対称性を少なくするには?交渉費用を高くしてじっくり話す。国民的話題や歌謡曲とかをテーマにすれば盛り上がる。共通の話題を見つける。

 

ところで、最近、世の中を賑わしている片付けられない実家の問題。ある調査によれば、28%の人が帰省した際に実家を片付けたくなったそう。昔の物がいつまでもあり、子供が大事に思っている物と親のそれのズレ。散らかりの原因は、“親子間の情報の非対称”にある。

 

こういう問題を解決するプロ、片付け会社社長・杉之原富士子さんは、これまで3,000件以上の片付けを手掛け、いくつかの解決方法を紹介。

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娘Aさんが久しぶりに実家に戻ると、台所には大小様々な鍋の山。
A「なんでこんなに?」
母「最近は軽くていいのが出てるのよ」
A「なんで古いの残すの?」
母「まだ使えるし、もったいない」
A「これなんか子供の頃から使っててボロボロ、使わないでしょ!」
鍋を巡っての大論争。

杉之原さんがとった解決策は・・
          『思い出を聴く』
   娘Aさんにお母さんの思い出をじっくり聴いてもらう

その鍋でどんな料理を作っていたのか、あのとき確かにそうだったね、というような話をしたことで、お母さんのいろんな思い出が“外に”出た。「そうねぇ、私(お母さん)にとっては卒業なんだね」と納得してくれた。娘Aさんは交渉費用をかけて、話を聴いてあげて、鍋というものの価値を思い出という価値に転換することができた。さらに言えば、親子で話し思い出を“共有”することで、情報の非対称を解消することができた。

 

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娘Bさんが久しぶりに実家に戻ると、クローゼットには大量の衣類が。
B「リサイクルとか捨てるとかしたら?」
母「まだ着るし・・」
渋々売ることに納得してくれた母と一緒に買取窓口へ。
母「えっ!?これ全部でたった800円!?売るのやめます!」
自分の財産がそれだけの値打ちしかないとショックで、片付かないまま。

杉之原さんがとった解決策は・・

       『捨てる・売る以外の方法を提案』
  古着とか団体、自治体とか回収してくれるところで活用してもらう

母「私の服が役に立つのね」と喜んで持ち込む。

値段がつくのも良し悪しで、寄付の動機は、お金じゃない、人間の善意の気持ち。ものの価値から心の価値へ転換。この二つの事例は、価値の転換。

 

さて、実家と上手くいくために避けて通れないのが財産の問題。親が子供に財産を残す動機について、経済学での研究がある。

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  利己的とは、親が子供に面倒をみてもらうために財産を利用

  利他的は、遺産は子供のため

  王朝的というのは、代々続く家のため

日本とアメリカで、どれが重要かと考えているか調査したところ・・

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この違いは宗教心によるものと分析されている。

 

この財産の継承は、最近難しくなってきている。かつては、子供が小さい時は親の方が財力がある、やがて子供が出世し、親が退職すると立場が逆転、だったが、最近は、経済が成長していなくて子供の給料が上がらない、おまけに、日本の平均寿命が延びて、親がリタイヤ後も、リレーのバトンをほいと渡すわけにもいかず、併走し続けなければならないので大変。

又吉さんは、子供が親を養えない状況を知ってほしい、親を養うのは当然という常識は少し考えてほしい、と話す。世の中変わってきているから親子関係も難しくなっているが、なるべく交渉費用をかけて、夏、実家に帰るとかは大切ですね、と指南役は言う。

又吉の経済ポエム・・

  リレーだとすると 今走ってる世代、次の世代 遅いのではなく坂道  

                                  (完)

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私には、もう実家というものはございません。自分が建てた(自慢ではないつもり)家が私の居場所でございます。母親は私が29歳のときに癌で亡くなり、30代前半で一生独身を貫く覚悟を決めて家を建て、父親とは別居でずっと独り暮らし。父親も一昨年癌で亡くなって、天涯孤独。って言いたいところですが、4歳下の弟(ブログ上ではKくんと表記)がひとり、東京の大学生となってそのまま東京で就職し、ずっと関係の薄いまま今に至っていたのですが、先月からわけあって私の家で居候中。ここに至るまで様々な葛藤がありまして、今回の親子間の血縁コミットメントならぬ、兄弟コミットメントにより、期間限定同居を受け入れたのでございます。交渉費用も高くついております。今月中旬で居候一ヶ月を迎えますので、その頃 、想うコトを綴ってみたいと思います。そうそう、両親が生存中に心の内をもっと聴かせて貰っていれば良かったと日々思っております。ですから、Kくんとも日課のように、幼少期の頃の話をしては大笑いしております。それは、おいおい。

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日々感謝です。