Eテレ「オイコノミア〜経済学でみんなハッピー くっつけ方の極意〜」を観て。“キープ”って・・。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
よく観るEテレ「オイコノミア」。今回のテーマは〜経済学でみんなハッピー くっつけ方の極意〜。男と女、職場と自分…実は人生の多くの悩みは「くっつけ方」にある!知らぬは損でも役に立つ。ノーベル経済学受賞のマッチング理論であなたのお悩みを一気に解決!という内容でした。ざっくり備忘録しときましょ。
日本はモノづくりの国って言われるが、それを作っても有効活用する人の手に渡らなかったら無いのと同じなので、その財の価値を引き出せるところに渡るような仕組みが大事。上手い組み合わせを実現する仕組み、“マッチングアルゴリズム”について考える。
ここに経済学のスゴワザ、組み合わせの探し方があるらしい。
ここで突然、又吉さんとゲストの井森美幸さん、そして先生の前に、下記の食べ物が置かれ・・・
又吉さんには・・乾きもの菓子
井森さん・・・・おまんじゅう
先生・・・・・・ショートケーキ
けれど、みんな食べたいものが違う。ならば、自分の前にある食べ物をみんなでくるりと回してみよう。これが、交換。経済学では“サイクル”という。
すると、又吉さん・・おまんじゅう、井森さん・・ショートケーキ、先生・・乾きもの菓子が目の前にきて、それぞれ望むものが手に入った。この“サイクル”を上手く使っていくと、7人いても10人いても100万人いても、みんなの満足度を高めることができる。(ホント?)
3人いるときは、3人と3つの組み合わせで、
3×2×1=6通り
7人いると、組み合わせの数は
7×6×5×4×3×2×1=5,040通り
5,040通りの中から一つ見つけろと言われてもわからない。こういう時は、システマティックな“アルゴリズム”が必要。
では、多い人数でくっつけ方をみつけてみよう。
女子7人と7種類のフルーツ。各自好きなフルーツの取り合い。全員納得できるように交換したい!
まず、又吉さんと井森さんが仕切ってみる。まず、テーブルに置いたフルーツの中で、各自欲しいものを指さし、競合しなかったイチゴとパイナップルは確定。残り、みかん、干柿、バナナ、メロンに人気集中。どうしたものか?又吉さんは、髪の毛の色がバナナに近い人にバナナで・・、メロンは誕生日が近い人に・・最後に残ったものを、残った人に・・って、こんな決め方で大丈夫?当然、みんな納得できていない。全員が納得できる決め方って難しい。
ここで先生登場。7人だと5,040通りあるので、その中でみんなを納得させられるのは実はひとつしかないと言う。(えっ、あるの?)
そのやり方を“トップトレーディングサイクルアルゴリズム”、略して“TTCアルゴリズム”。
そのやり方はいたってシンプル。まず、持っているフルーツと人に同じ番号を割り振り、
次に、一人ひとり欲しいフルーツを1位から7位まで決めて貰い、表を作成。赤茶枠がもともと持っているフルーツ。
縦列の1位の青枠がそれぞれ一番欲しいフルーツで、まずここに注目。
ここで“サイクル”になっているものが、2 5 6。
2番の人は5番の持ってるフルーツを希望、5番は6番のもの、6番は2番、ここでフルーツを交換。3人は一番欲しかったフルーツを手に入れる。
次に、残り4人の矢印を進め、“サイクル”を探す。
3と4が“サイクル”なので交換、さらに、1と7で“サイクル”、交換して確定。
こうして、5040分の1の、これ以上突っ込みどころがない組み合わせを見つけることができた。今回は、好みが割合バラバラだったので、上手くいった方。もし、好みが似ている人たちの集まりだったら満足度が低くて、奪い合いになってたかも。干柿が嫌いな人が多い中で、5番の人が干柿好きで、みんながハッピーになることができた。
先生は、テーマには関係ないけれど、人々の好みが違うことって、すごく好ましい
ことなんだと今回のテストで実感したと言う。
このやり方の有名な実用例として・・アメリカでの腎臓移植に使われている。2004年、アメリカの経済学者が腎臓移植に“マッチングアルゴリズム”が応用できるという論文を発表。腎臓移植では、身内の患者に提供したいというドナーがいても、様々な条件が適合しなければ移植できない。そこで、ドナーと患者のペアを何通りも集めて、適合する組み合わせを探す、ここに、“マッチングアルゴリズム”を用いるというアイデアは、すでに現場で取り入れられている。2012年には、なんと一度に30組のマッチングが実現。“マッチングアルゴリズム”は人命救助にも生かされている実践的な理論。
次は、ヒトとヒトのくっつけ方。両想いを実現する“マッチングアルゴリズム”。
〜オイコノミア くっつけカップル 5対5〜ということで経済学合コンスタート。
フリートークタイムのあと、告白タイム
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結果・・・
果たして、このマッチング、上手く出来たのだろうか?と問いただすのが出発点。具体的にどうなっているかというと、えりかさんの第一希望は別の人で、ゆうまくん。ひろきくんは4番目。一方、ゆうまくんは、ふみえさんに告白してフラれたので、2番目のえりかさんに告白しようとしたら、すでに他の男性と確定していたので、3番目のはるかさんに告白し、確定していた。
というわけで、せっかく5組成立させたけれど、ゆうまくんとえりかさんが目くばせして、このあと二人でどこかに行こうよってなったら不倫みたいなことが起こるかも。とすると2組はすでに崩壊の兆しが見えていることになる。このような不倫が起こらないようなマッチングの仕組み、アルゴリズムがほしい。それには、一つ工夫を加えることで出来る。先程のやり方だと、来た男性の中から一人選ぶことになっていたが、それを“確定”させない。
では、新ルール“相手を確定させない”で、再度合コンスタート。
ふみえさんの前に3人の男性。先程と同じ人を選ぶ、が・・今回は、第一希望ではないので“キープ”と言い確定させない。えりかさん、男性2人のうち、ここでも“キープ”と言い確定させない。第一希望は、ゆうまくんなので。
ここで、先生は、女性陣が“キープ”という言葉を発する状況にいたく感銘を受けている様子。これを大学でやると問題になるので、番組でしかできない、女性が言うのを初めて見たと。さらに、そんな先生凄く生き生きしてますね、とみんなに突っ込まれていた。
そして、男性陣は、これまでフラれたことのない中で第一希望の女性に告白。女性陣は、“キープ”している男性と告白してきた男性を比べて、より好ましい方に“キープ”し変える。第二ラウンドで、えりかさんの所に2人来てゆうまくんに“キープ”し変える。“キープ”されていても再びフラれることもあるので安心できない。“キープ”し変えることで、えりかさんは第一希望のゆうまくんとくっつくことに成功。ちなみに、結果の組み合わせは少し替わっていた。割愛。
“キープ”と“確定”を繰り返すことで、女性の意思がより良く反映される。最後にカップルになった組は“キープ”状態のカップルかもしれないが、このやり方が一番不満が少ないってこと?
不満という言葉の使い方が難しいが、不倫の予知が起こらない程度には程度にはみんなの満足度を高めることに成功している。今確定していて、後で壊してくっつくということは起こらない。“キープ”を入れることで女性の満足度はあがったが、これを“受入保留方式”といい、さらなるプロポーズを待ち続けることが出来る。男性陣には厳しい競争をさせているようだが、ルールが上手く出来ているのでフェアな競争になっているので納得感を得やすい。
一番有名な活用例は、『研修医マッチング』。研修医になる学生と彼らを雇う病院のマッチングのこと。日本では、2004年から医師臨床研修医マッチング協議会が受入保留方式を導入。医学生はHPに希望の病院を登録、病院側も受け入れたい学生を登録し、キープしながら人材を選んでいく。昨年度登録した医学生9千人の8割が第一希望の病院とマッチング、医学生、病院どちらも‘満足’と‘納得’を合わせて97%を超えている。
今後、例えば、部署と社員を上手くくっつけるときに、これらの方式を使えば会社としてのパフォーマンスが高まるはず。この方式がもっとポピュラーになれば、世の中の、あまり意識しないで適当に決めていることを、きっちり形式化してシステマティックにやると、もっと上手くいくんだろうと思うとのこと。
最後に、又吉の経済ポエム・・あまった方がマシな場合もあるかもしれない (完)
“トップトレーディングサイクルアルゴリズム”、初めて見聞きいたしました。実践的に、10人以上でやったとしたら大変なことになるのでしょうが、考え方としては面白いですね。オイコノミア合コンの“キープ”も、なかなか興味深いですが、告白する側は心を強く持たないとつらいですね。たしかに、先生のおっしゃる通り番組内での企画だから、しかも、芸人さんが担当してくれますので、私、視聴者は笑って観てられるんですけどね。この番組、地味ですけどれ、手間暇かけて制作してらっしゃるなといつも感心いたします。ただひとつ、んーっと思ったのが、企業において、部署と社員のマッチングをする際、希望が叶うとモチベーションが上がって、実績も上昇、というのが理想でしょうが、望まない、不得手な部署に配属されても、なんとか踏ん張って誠実に取り組んでみると実は自分に向いていた、とか、視野が広がったなどという場合もあると、個人的には思っています。そう実感できるまでには結構な時間と辛抱が必要ですけど。
それと、又吉さんの経済ポエム『あまった方がマシな場合もあるかもしれない』っていう、余り物には福がある的な考え方はありですよね。私、結構、これ、使います。時には、流されるのもいいですよね。ん?また話がソレました。
最近よく食べるフルーツ
日々感謝です。
我が家の庭の観察記録⑱
こんにちわ、SUMIKICHIです。
パートのお仕事、お休み二日目の朝。本日は雨が降るのかな。
気分アップのため、ちょっと気になっておりました雑草を抜こうかなと庭に出てみました。早速、無計画的にざくざく・・。
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ちょっと、ぶらぶらしてみましたら・・なんと、蟻の巣が!どうしたら良い?
木がやられてしまう?
【ハナミズキ】
もう花は終わって、優しい色合いの葉っぱたちが風にゆらゆらと。
散ったあと・・アートだな
【ヤマモミジ】
まだまだ花たちは元気です。まだ大きくなるのかな。癒されますぅ。
【ミョウガ】
頂いた株からすくすくと。
【あじさいアナベル】
なんと、花芽かな、ぽつぽつと見えました。うわぁ、順調です。
ビーズの縁取り、みっけ。アートだな。癒されますぅ。
【シラカシ】
寡黙で武骨で地味な感じですが、力強く生きてくれて心強いです。茶色の部分が成長分なんですよね。バーゲンで買って樹形がいびつなんですが、どう剪定してよいのかわからず見守り中。といいますか、放置?
«現在» «約1年半前かな»
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やっぱり、好きですねぇ、カツラの葉っぱ。癒されますぅ。
そうそう、観葉植物たちに置肥をいたしました。説明欄を見ながら適量。
ウンベラータやエバーフレッシュの葉が混みあってきましたので、剪定をしなければという状況。
さてさて、本日は午後からVOCAL LESSONでございますが、今回は全く練習できておりません。課題曲を、洋楽ではなく、高橋真梨子さんの曲に決めたのがいけなかったのでしょうか。知ってるからついつい・・。
それと、防音部屋がほしいです。って、あったらするの?毎日20分でも、発声練習しないとダメなんですよね、わかっているのに・・はぁ。と、気分が沈みがちになると、グリーンを眺めます。その繰り返し。
日々感謝です。
Eテレ「100分de名著 三国志・陳寿 第2回〜曹操 乱世のリーダーの条件〜」を観て。孤独だなぁ。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は、正史「三国志」。小説、漫画、アニメ、人形劇、ゲーム、そして映画と、1800年前の中国激動の歴史を描いた三国志は、世界中の人々を魅了してきた一大スペクタクル。この物語は「三国志演義」。しかし、実は、小説のもとになった歴史書がある。それが正史「三国志」、今月の名著。ざっくり備忘録しときましょ。
第2回は、曹操が実行した様々なアイデアの適否を読み解きながら乱世に生き残るリーダーの条件を探る、というもの。
番組冒頭、渡邉先生は曹操のことを、ひと言でいうと‘突き抜けた才能の持ち主’、例えば、諸葛孔明がいなくても中国の歴史はあまり変わらないけど(先生は諸葛孔明がお好き)、曹操がいなかったら中国史が変わってしまうというほど圧倒的な力の持ち主(先生はあまりお好きじゃないみたい、ちなみに小説『三国志演義』では悪役扱い)だと語る。さらに、曹操の人物評価は“乱世の能臣”“乱世の姦雄”、と悪者なんだけど英雄、革新的な制度で“義”の基本を作ったと解説。
実は、その後の隋・唐の律令の基本にもつながっており、さらにはその律令を取り入れた日本も遣隋使や遣唐使を送ったりして関係が深いとのこと。
陳寿は、三国志の中で、曹操は“非常の人”“乱世の傑”、時代を超越した英雄だと書いている。いつの世も時代の先端を行く人って評価されにくい。曹操もそんな感じだったのかも。
曹操は、漢の時代にトップ官僚の家に育てられ、地方の役人からキャリアをスタートさせる。そこで猛政と呼ばれる徹底的に法律に基づいた統治を行った。法を犯した者は、杖でたたくなど厳しい罰を定めた。そして、朝廷で権力を握ろうとしていた董卓を倒すため、190年結成の反董卓連合軍に参加し、頭角を現す。
こんなエピソードがある。
連合軍は董卓軍を追いつめると、董卓は皇帝の献帝を連れて、首都・洛陽から長安へ逃走。強固な要塞のある長安にまで董卓を追撃するのはリスクが伴うと考えたリーダーの袁紹たち。戦いに疲れ、祝宴を繰り広げる。しかし、曹操はひとり、ここで董卓軍への追撃を主張。
勇ましい曹操だが、賛同する人はほとんどない。曹操は数少ない兵を率いて董卓軍を追撃するが、圧倒的な武力の差で大敗。袁紹軍に吸収され、荒れ果てた兗州の統治を任される。しかし、無謀と思えるこの行動によって、曹操の評判が名士たちの間で急上昇。漢の復興のために戦い、捕らわれていた皇帝を救出しようとした曹操。それが、義にあふれる行動として評価されたのだ。結果的に、荀彧や郭嘉など傑出した名士たちが集まり、勢力を拡大するきったけとなった。
スタジオでの補足・・
漢時代は、仁とか徳などを尊重する儒教に基づく政治、軽い犯罪だと罰しない。それが後漢の支配の弛緩につながった。だから曹操は、きちんとした法制度を作り直して漢の支配の緩みを直そうとした。
また、少しの兵で大敗してしまったが、そもそも何の為に結成された軍なのかを考えた時、勝ち目がなくても漢のために戦う人を、儒教を学んだ名士たちは支持するのだ。勝てなくてもいい、戦わなければならない時がある、そこに曹操は挑んだ。
曹操は、実は戦いのプロ。
中国の兵法書『孫子』に、ここはこう解釈するんだよと注釈をつけたのは曹操。我々が『孫子』を読む時は曹操の注釈に従って読んでいることになる。なので、戦いの分析はきちっと出来ていたにもかかわらず、戦いに行く、こういうところに、ビジョンがあり、長いスパンで物事をとらえるリーダーの資質を見ることができる。
曹操はこの後、画期的な制度を取り入れ勢力を拡大していく。
主な政策は3つあった。
①兵力の獲得
曹操が支配した兗州は、黄巾の乱で荒れ果てた土地。兵士もわずかしかいなかった。兵力拡大のため曹操が目をつけたのが、なんと黄巾の乱の残党兵。彼らは兗州の東・青州に逃げ延び、再び力をつけ曹操に攻撃をしかけてきたが、曹操は何度も打ち破る。そして、最終的に残党兵30万あまりと100万人の民衆を降伏させた。しかも、残党兵を青州兵と名付け、曹操軍の主力にした。普通は降伏した兵士は殺されたり、解散されたりするものだが、彼らが信じていた道教までも丸ごと受け入れた。彼らの価値観までも受け入れることで曹操は、兵士や民衆の信頼を得た。
②屯田制の実施
曹操は黄巾の乱で荒れ果てた土地に農民を戻そうと考えた。流民となっていた農民に農地を与え、道具と牛や馬を貸出し、農民として定着させ生活を維持できるようにした。屯田制によって安定した税を得ることができるようになり、国力を高めた。ちなみに、そもそも屯田制とは、軍隊が戦いのないときに耕したところ。ところが、曹操は一般人に、しかも辺境地ではなく拠点に作った(この場合、拠点となる土地が荒れ果てていた)。この屯田制が、隋・唐の均田制になり、日本に入ってきて班田収授の法に、これがまた隋・唐を経由して日本に入り租庸調の原型になる・・(ややこしいけど、習ったなぁ、この用語)。
話を戻して・・そうしているうち、ある時、曹操は感情的になって失敗をおかす。曹操に恨みを持つ徐州の武将に父親を殺され、激怒した曹操は徐州に侵攻、武将だけでなく民衆も虐殺してしまった。人望を失くしてしまった曹操は、これを挽回する策を思いつく。それが3つ目。
③献帝の擁立
漢の最後の皇帝・献帝を保護し、擁立した。これによって曹操は、軍を動かすことの大義名分を得ただけでなく、朝廷内を意のままに操ることができるようになる。こうして、曹操は徐州の虐殺で失われた信望を回復させた。
それから、画期的な政策で権力を強める曹操は、一大勢力の袁紹たちに向かっていく。
時は200年、群雄割拠の中から抜き出てきた曹操と袁紹が、黄河をはさんで激突。天下分け目の決戦“官渡の戦い”。袁紹軍10万に対して、わずか1万の曹操軍。圧倒的に袁紹軍が有利。広大な黄河、どのタイミングで渡り攻撃をしかけるかが重要なカギ。曹操は軍を二つに分け、運動戦という簡単に言うと動き回る戦術で、袁紹軍の先発隊を破った。しかし、10万の袁紹軍はその後も曹操軍を攻めた。このままでは負けるかもしれないと弱気になる曹操を、名士・荀彧が激励する。
チャンスはすぐにやってきた。袁紹軍が兵糧基地を烏巣という場所に置いたという情報が、袁紹に離反した軍師・許攸から曹操のもとに入る。部下たちはこの情報を疑ったが、曹操は食糧を奪うチャンスであると決断。自ら軍を率いて烏巣へ向かう。烏巣で警備をしていたのは、淳于瓊率いるわずかな軍だけだった。
曹操はこの戦いで勝利。これがきっかけで袁紹は敗退。その後、袁紹が病死すると、曹操は袁紹軍を破りその領土を獲得する。
スタジオでの補足・・
伊集院さんは、僕(ゲームはしますけど)、三国志ゲームはしないけど、おそらくこの場面、ゲームにしたら面白いんだろうなーと思いますねと言う。
先生は、“赤壁の戦い”の方が有名ですが、この“官渡の戦い”の方が重要、曹操の覇権が決定的になった戦いだから、と話す。さらに、ただ、後半は、負けてもおかしくないスレスレの戦いだっただろう、食料基地の情報が勝敗を喫したところ、スパイが行き来する中で、部下たちは情報を疑うが、曹操は情報源相手と会って、自分の目で確かめているはず、結局“決断力”と人の真否を見抜く“判断力”、その部分で勝負が分かれたとも言える、と解説。
曹操は、他にも画期的な取り組みをした。衰退する漢をこの先どうしていくのか、革新的な取り組みが急務、儒教やその教えを支えとする名士たちを変えていかねばならぬと考え、“文学”というものを出して行く。この“文学”を人事(登用制度)の基準にする。唐の時代になると詩を作る科挙というのがあるが、曹操の文学サロンから始まったもので、作詩を試験科目にする。新しい価値観の創出に基づいて行われる試験だ。
伊集院さんは、凄い“才”の人ですね、と感嘆。様々なビジョンを出しっ放しではなく、一つずつ政策として実行する。曹操の、苦難に対する対応力から打ち出される“才”、リーダーの中核に置かれるもの・・・だが、先生は“才”だけでは足りないんですよね、部下は置き去りですから、曹操がやろうとしていたことを誰がどれだけ把握していたかというと・・疑問、と話す。
これから、その曹操に欠けているものを持っている人たちが出てくる。
【魏】 曹操 「才」
【呉】 孫権 「信」
【蜀】 劉備 「情」
それは、次回で、とのこと。
曹操、孫権、劉備・・お名前は存じ上げております、映画も観ましたし。なんだか懐かしい。“班田収授の法”とか“律令制度”、“遣隋使・遣唐使”、なんといっても“租庸調”という歴史用語。日常生活で「ねぇねぇ、昨日、租庸調がさぁー」なんて出てくることありませんし、かといって全く忘れてるわけでもないので、「ああ、あった、あった、そんな用語!」と、当時の授業風景なんかもぼんやり浮かんできたりして嬉しくなりますね。なるほどね、こんな風につながってたんですねぇ、何を学んでいたのか、ホントに・・苦笑い。こんな感想しか綴れない自分はどうなんでしょうね。現在の私には、リーダーの条件ってあまり関係がないからなぁ。
そうそう、少し硬い話ですが、下降線をたどる世の中を、社風を、流れを変えたいとき、決して私利私欲のためではないのに悪者扱いされるリーダーっていますよね。孤独です。精神的にタフなんでしょ、と言ってしまえばそれまでですが、歴史はあとから評価されるし、実際に本人を見ることも出来ませんので、自分の中で乏しい想像力を働かせて色々物想うしかないんですよね。元いた会社でも、色んなタイプの上司や役員さんがいらっしゃり、偉大な歴史の中のミニチュア版のような戦いが繰り広げられてました。どこにもある風景ですよね。この番組でいうところの儒教タイプの仕組みは、だいたい撃沈するんですよね。名士は時に、策士となり、あまり褒め言葉では使われてなかった気がします。ああ、また魑魅魍魎とした組織風景を思い出してしまいました。が、今思いますと、それはそれで楽しかったのかなぁと思ったりもします。皆、自分の信じるやり方で事にあたっているんですものね。
この番組って、固くなった脳を耕してくれる良い道具(あっ、失礼)なのかも。
日々感謝です。
パートのお仕事一週間経過、“そうそうコレコレ”備忘録。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
約一年振りのお仕事、ホームセンターでのパート勤務も一週間が過ぎまして、慣れないこともあり、予想以上に心身ともに少し疲れを感じております。
お仕事内容は、まだ見習いですのでいたって簡単な作業。商品のグリーンたちの水やりや値札つけ、レジでの商品袋詰めなど。ひたすら体を動かしていますと健康には良いと思うのですが、足腰にきますねー。帰宅後、簡単な昼食をすませて、ソファに座りこんでTVなんぞを観ているうちにうとうとしてます。
それと、グリーン関係はやってみたかった職種ですので、ある意味、希望叶ったってことだよねとは思いますが、自分の知ってる植物は、凄く少なくて、しかも自己流で育ててるので商売には役立たないのです。それに、グリーンだけではなく、ホームセンターですから全く見たこともないものもありますし・・やれやれ、絞って勉強するとしたら、園芸店の方がまだ良かったのかなと反省してみたり。いけない、いけない、こんな風にすぐ欠点探しをしてしまう悪い癖。
そこで、考えたのでございます。その日、嬉しかったコトや知識が増えたなと思ったコトなどを備忘録すれば、今後自分は何を望んで、何をすれば良いのか少しは具体的にイメージできるようになるのではないかと。
で、本日の“そうそうコレコレ”(嬉しかったコトメモ、今思いついたタイトルだけど)を綴ってみることにしましょ。
◆外のグリーン売り場を水やりしていたら・・
トマト苗数個入れたカゴをお持ちの上品そうな奥様が側に来られて
奥様 「トマトの苗の種類がたくさんあって、迷いますぅ、何が美味しい
のかしら?」
私 「個人的にですが、これが小さくても甘くて美味しいですよ。」
奥様 「そうなの?じゃ、これも」
私 「保証はできかねますけど、よろしいでしょうか?」
旦那様「その前に、枯らさんかどうかですよね、ハハ」
◆可愛らしいおばあ様が側に来られて
おばあ様「この苗、大丈夫かねぇ?どれがええか選んでくれる?」
私 「見た目の葉や茎も大切ですが根がしっかりしてるかどうか・・
これはどうですか?保証はできかねますけれど」
おばあ様「よさそうじゃね。大丈夫よ、わたしゃ、よお失敗するけん」
◆雨が降り出して・・
おば様「雨合羽はどこにありますか?」
私 「こちらになります」
おば様「Mサイズじゃと大きいかね?」
私 「そうですねぇ・・服の上から着るので、ぴったりサイズだと余裕が
ない時があるかもしれませんねぇ」
おば様「ほうよね、じゃ、Mにし「」
◆店内で何やらお探しのおば様・・
おば様「線香の、えっと、なんか小さい・・」
私 「線香コーナーでよろしいでしょうか、こちらになります・・」
おば様「あっ、これこれ、線香を立てるやつ。名前がわからんかって、
まだあったわ、良かった」
お会計後、「どうもありがとね」とお声がけ頂いた。
◆花コーナーで水やりしていたら、ご高齢のお母様と私より一回り下にお見受けする娘さん、お二人から呼び掛けられ・・
お母様「このアジサイは花が咲いたあと、どうするんかね?」
私 「翌年もきれいに咲かせたい時は、咲いたあと、ザックリと剪定する
方が良いようです」
お母様「ああそうねぇ・・まぁ、今きれいなけこれにしよ」
雨合羽は、以前このお店で上下分かれたものでMサイズを購入し、着用した経験がありましたので、あくまでも個人的見解だと断りを入れてお話するこができました。ほっ。あじさいも我が家の庭に地植えしている(放置ですけど)ので、イメージはできました。が、我が家では、アナベル、商品はガクアジサイ、剪定時期とか育て方がちょっと違ってたような・・。
自分の興味対象物だけ大まかに記憶してますので、これからはもっと広く情報収集すべしですね。田舎のホームセンターに身を置いてみますと、これまで過ごしてきた自分の日常生活ぶりなどが如実に現れます。何を必要としてきたか、無視してきたか、興味を持ってきたか、果ては、世の中のお仕事をどれだけ知っているか、エトセトラ。
とまぁ、“そうそうコレコレ”こんなやりとりをしたかったのです、私。心しておくことは、知ったかぶりと適当な説明はしない。あくまでも、個人的にということで。後々どういうカタチでクレームになるかわかりませんので謙虚に。けれども、お客様の立場で考えてのやりとりなら通じ合えるものではないかと思っています。甘いかな。
また勉強になることもございました。本日の“へぇー”(これも今思いついたタイトルだけど)。
◆トマトの苗の水やりは、さっとがよい、あまり与えすぎると実になった時美味しくないとのこと。
店長にご指導いただきました。当たり前のことだと思いますが、家庭菜園経験者ではないので“へぇー”なのです。テキストで勉強すればすむ話ですが、日々おっつかないのです。って、してないな。シキミをシキビと間違えたりしましたが、これで覚えました。
嫌だったことや腹の立つことは、仕事帰りに写真を撮りながら田舎道を通って自宅に着くと、なんとなく消滅してるような気がします。それもそのはず、15分の道のりに一時間もかけてるんですもの。本日は、道すがらこんなふつーの写真を撮りました。
試用期間三ヶ月、ファイトだ!
いきなりですが、我が家のヤマモミジの花がこんな大きさに。
小指の先です
日々感謝です。
NHK「ドキュメント72時間〜金剛山 ライブカメラの山頂で〜」を観て。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
たまに観る「ドキュメント72時間」。今回は、〜金剛山 ライブカメラの山頂で〜。ざっくり備忘録しときましょ。
大阪駅から車で1時間。ロープウェーも完備し、気軽なハイキングに最適な“金剛山”。中でも人気なのが、山頂に設置されたライブカメラだ。1時間に1回シャッターが切られ、ネット上に登山客の姿が残される。なぜ人が集まるのか、不思議なカメラの前で3日間を過ごしてみた。
4月、すっかり春めいてきた大阪。しかし、ロケ初日、登るにつれ天気が急変し季節外れの大雪。こんな天気でも山頂は結構賑わっている。
【4/1(土)】―9:50―
おじ様たちがシャッターチャンスを待っている。次々と人が集まってきた。僕たちも仲間に入ろうと、番組スタッフも“ドキュメント72時間始まります”といった手作りメッセージを掲げて一緒に映ることに。撮影まであと30秒、自然とカウントダウンが始まった。写真は無事ネットにアップされた。
・・・一緒に映っただけなのに、なんだか距離が縮まったみたい。
撮影がすむと、食事をとり始める女子たちなどみんな思い思いの時間を過ごす。
◆元商社勤務の男性65歳
次のシャッターチャンスに間に合うよう早めに登ってきて、体中から湯気がたっている。待っている間に必ず寄るところがある。登頂記録のスタンプカードを押してもらう。毎日のように登って638回、最高齢だ。
11:00、3分前、カメラの前にスタンバイ。時計台と同じポーズで映る。必ず11時に映るのが日課らしい。「ネットの写真を取り込んだら、自分のデータが溜まっていくでしょ。ひとつの楽しみ方。ここへ来たっ、俺は生きてるぜ!みたいな」と笑う。
ライブハウスを運営するのは、広場の横にある神社。パソコンが4台、20年前に配信開始。「カメラがない時は、山頂は雪ですか?雨ですか?という問合わせが、朝の3時、4時から夜の12時位まで電話が鳴りっばなしだった。対応が大変でライブカメラというのが出来るのでやってみようと」いうことらしい。しだいに口コミが広がり、人が集まるようになった。
―13:59―
◆カメラ前に走ってきた女性67歳
時間になると、バンザイして映る。「ひとりで。この雪なのですぐ用意して来た」という。二日に一回登る常連。現在旦那様を亡くし、一人暮らし。離れて暮らしている子供たちに、今日もお母さん、元気に登ったよと、アップされた写真をすぐに送信する。看板横が定位置。この日は「お疲れさま」と息子さんから返信。ある時は娘さんから「少しずつ暖かくなってきてるね」というコメントも。
・・・カメラの前に立つことで伝えられる気持ちもあるのかな
時間が経つにつれ人はまばらに。
◆杖をついて登ってきたおじいさん
いつも夕方に登る、朝は登山客が多いからと、カメラには目もくれずマイペースで時間を過ごす。
―18:59―
◆夜7時直前、男性が駆け込んできた
「4/1だから久しぶりに映っておこうかなと思って。それでギリギリやったから走ってきた。寂しい奴でしょ、仕事が終わってからなんで、どうしてもこの時間に。土日も仕事、うちブラック企業なんで。最初はほぼ毎日ここに来て、今日も景色がきれいとか見ててんけど」と言う。一日の終わりに密かにここに来るのが楽しみらしい。
・・・金剛山名物の大阪の夜景。眺めていると一日の疲れも吹き飛ぶのかな。
【4/2(日)】―3:45―
◆一番乗りの女性71歳
「毎日来て、いつもここから淡路島を見てる。島から嫁いでこっちに来た」らしい。懐かしいふるさとを眺めているうちにシャッターチャンスが近づいてきた。毎朝5時に、山で知り合った仲間と一緒に映るのが楽しみのよう。「45歳だったかな、子宮筋腫を患って、近所の人が山へ行かないかって声をかけてくれた。田舎者でしたから、いろいろありましたけど、そんなに悪い人生でもなかったし、ああ、やっぱり山に行って良かったと思う。楽しいです」と微笑む。
―6:51―
◆熱心に写真を撮る建設業男性48歳
夜景を撮るのが趣味で、番組スタッフの様子をネットで見ていたらしい。「僕は映らない、陰でコソコソしてる方なんで」だって。
・・・撮影開始から21時間。動画をアップする人も現れ、番組のことはすっかり知れ渡っているみたい。
日曜日の昼、賑やかだ。一時間に一枚ずつ穏やかな日常が刻まれていく。
―16:14―
◆「ライブカメラで映るから下で見てーって」という家族連れ
見て欲しい相手は息子さん。実は最近、ほとんど会話をしていないらしい。「目も合わさず、おはようとか。どこもそうちゃうん、アメリカのホームドラマみたいにめちゃくちゃ仲良しとう家族ばかりじゃなくて。カメラっていうワンクッションがあって、でも
つながっているね、みたいな。どこまで伝わるかわからんけど、今出来る精一杯」
【4/3(月)】―5:00―
◆映っていたのは、昨日会った淡路島出身の女性
番組スタッフのために茹でた玉子を持って来てくれた。
◆エアコン工場勤務男性52歳。
最近、体調管理のため登山を始めた。淡路島出身の女性を師匠と慕っているよう。「下りとかだったら、自分の方が先に15分位先に出発しているのにすぐ抜かされる。夜勤で朝5時の休憩のときにスマホで見たら、師匠が映ってて、今日も元気に登ってはるなぁと。たまにおらん時があって、体調悪いんかなーって気になる」
いつも元気を貰っている師匠と並んで一枚。
―7:22―
◆ひとりでやって来た印刷工場勤務の男性44歳
ほら貝を取り出し吹く。夜勤が多く不規則な生活だが、今の生活に満足している。「大学卒業した頃、ちょうどバブルがはじけた時で、なかなか仕事が見つからんで、苦労してる人が多くて、それを考えたら有難い。山まで登らせて貰える」
8時が近づくとカメラの前へ。そこへもう一人男性が。同じ時間に居合わせた者同士、なにか通じるものがあるのかな。
―12:00―
◆撮影直後、ひとりの男性、乾物店経営の79歳
ああ、残念、15秒遅かった。そのあと奥さんが。自宅でライブカメラを見るのを楽しみにしているというご夫婦。昨日アイパッドで確認し、雪も大丈夫だと思ったがまだまだ残っていた。カメラに映るためもう一時間待つことに。
・・・夫婦の歴史に新たな一枚が加わった。写真を見た姪っ子から連絡入る。
【4/4(火)】―6:00―
◆胃がんを克服した男性
毎日ライブカメラに映る。「こうして記録に残して自己満足。けれど、みんなに見て貰って元気出してくれたら、私も元気が出る」
・・・ライブカメラに映ったのは、3日間で483人。(完)
いろんな人たちがいて、いろんな人生がありますよね。人間って、ひとりでいいやと思っていても、どこかで誰かが見てくれているとやはり嬉しいものですよね。何かの想いがあって、このライブカメラに映る人と私が個人的なブログ日記なるものを綴ってることは、一部同質のものかもしれません。
それにしましても、日課で朝早くからひとり登ってるご高齢の方には驚きでした。登る・・歩く・・、最近働きだしたお店まで15分程度歩くようになりましたが、健康に良いのはもちろんのこと、良い思索タイムにもなっています。ですから、車通勤なら2〜3分程度で行けるのに、あえて写真を撮ったりしながらぷらぷら歩いているのです。番組に出られた方達は、ただ無心に山登りなのでしょうけど、その無心も良いんでしょうね。気持ちや脳がスッキリする感じ。
話がソレましたが、そのライブカメラに映ったら、私は誰に見て貰いたいかな、知らせたいかな?あの世にいる両親?って、ありきたりかしら。
日々感謝です。
我が家の庭の観察記録⑰ 生きてるんだなぁ・・ミョウガ
こんにちわ、SUMIKICHIです。
パートのお仕事を始めて我が家の心躍る庭の観察記録が滞っておりますが(誰も困らないけど)、なんと今朝、またまた見つけました!VOCAL教室の先生から頂戴したミョウガの株が無事根付き芽が出たのではないかと思ってるんですが、いかがでしょうか?そうなのかしら。凄い!生きてるんだなぁ。
【ミョウガ】
↓
【フェンネル】
前回ブログにアップした、小さくて濃い緑の新葉
↓
上の小さな葉はぐんぐん伸びて左から三本目。さらに右下の新葉が。
【ヤマモミジ?】
草むしり時に見つけた、自生の芽(左)。おそらくヤマモミジだと思うのですが・・。現在小さな小さな新葉が出てるような(右)。写真のサイズが違って比較にならないですね。
↓もうひとつの芽。サイズを合わせてないから、なんだか左の方が現在のようですが。実際には、高さは少し伸びてる気がします。 育ってくれるかな。
【ハナミズキ】
もう花は終わったようです。今回の観察で花の大きさはわかりました。
【あじさいアナベル】
草むしりで見つけた時は・・こんな感じで二ヶ所に。
短期間でこんなに・・ ↓
【オガタマ】
そんなに花は大きくなかったかな
【ヤマモミジ】 またです、くどくてすみません
ボケててすみません、でも、日増しに大きくなってるんですよねぇ
ちなみに、通勤途中の大きなモミジの花は、比べものにならないほど大きいのです。手が届かないので比較できないのですが。わんさかありまして、ちょっと怖いかも。
ここのところお天気が良く、風もそよぎ、本当に気持ち良いです。
日々感謝です。
NHK「にっぽん紀行〜その風に乗れ 広島 紙ヒコーキ・タワー~」を観て。飛ばしたいな。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
TV番組表を見てたら、NHK番組欄の「その風に乗れ~広島 紙ヒコーキ・タワー」というタイトルが目にとまりまして、録画視聴いたしました。広島に紙ヒコーキ・タワーっていうのがあるの?と気になりまして。
週末には家族連れなどでにぎわう。逆風や追い風、上昇気流…人生を重ね、空へと放つ人々、紙飛行機をめぐる心温まる物語というものです。
ざっくり備忘録しときましょ。
広島県神石高原町の山の山頂に“世界に一つ”という「紙飛行機タワー」がある。高さ26mの塔で紙飛行機専用の飛行場。入館料300円を支払うと、5枚の折り紙が貰える。サトウキビで出来ているので、水に溶けてゴミにならない。備え付けの教本で、思い思いの紙飛行機を折っていく。折り方は、研究が進み、現在国内だけで100種類以上もある。
例えば、空中に長くとどまる滞在タイプの‘ハヤテ’とか尖った先端で風を切り遠くへ飛ぶ距離タイプの‘スペースライナー’、上昇する風を利用してよく飛ぶ、一見何だかわからないデザインタイプの‘ボディリング’といった具合に様々。
そもそも、この紙飛行機タワーが作られたのは、14年前、地域活性化が目的だった。しかし、町の人口減少は止まらず、最も多かった時の1/3以下9,400人になった。タワーは活気を失った町にとって大切な存在となっている。この地区では、小学校、中学校が統廃合されてから地元で多くの子供たちを見る機会が減り、タワーの近くに住む高齢の住民の方達は、畑仕事の最中、山の上から「わぁー、飛んでる」という子供たちの大きな声が聞こえてくると嬉しい、タワーは子供たちの存在を感じられる貴重な存在だと言う。
また、このタワーの管理人、西川昇さん75歳は、12年間ずっとタワーを見守ってきた。慣れないお客様を見かけると声をかけて、飛ばせなかった人には、“紙コプター(飛ばすとくるくる回る可愛い飛行物体)”を教える。
お客様が帰った後の夕暮れ時、落ちた紙飛行機を拾う。最も大切な時間だという。紙飛行機には夢が書いてあるのだ。
‘パイロットになりたい’
‘みんな元気で過ごせますように’
‘合格できますように’ エトセトラ
地域にあかりを灯してくれる人々を西川さんは見守っている。
そんなタワーを訪れるのは主に家族連れ。物が溢れる時代に、紙一枚で家族がつながれるから不思議だ。この日高松市から車で3時間かけてやって来た家族がいた。小学6年生の安川希くんは、去年紙飛行機と出会って今では30種類以上の紙飛行機を折れる。
そして、最近仲間に加わったのが、父親の勤さん42歳。希くんに指導を受け、ハヤテを折る。
風に翻弄される紙飛行機
上昇する風に乗って
遠くに運ばれる 遠くに・・・
二人の目標は4月末開催の滞空時間を競う記録会で、納得の記録を出す事。
希くんは、幼い頃から脳性まひの影響で手足に重い障害を持ち、3度の手術を経て、多少は不自由だが、ようやくひと通りの日常生活を送れるようになった。しかし、学校ではからかわれたり、いじめられたりして、引っ込み思案ですぐ両親に頼っていたが、小学5年生になって、クラスい゛流行っていた紙飛行機に挑戦したところ、希くんの珍しい紙飛行機が注目を集めた。からかっていた子までが、褒めてくれたことで自信がついた。
「いじめられてた。家にあった紙飛行機の本を見て、作って飛ばしたら、うわぁーっとみんなが言って、いじめがなくなった。紙飛行機はすごいなぁーと思った」と希くんは恥ずかしそうに話す。
頼りなく感じていた子どもが変わっていく姿をみて、父親の勤さんは、自身も紙飛行機に興味を持ち始めた。
実は、勤さんは去年仕事を失い、今は家で過ごすことが多い。高校卒業後、競輪選手の道へ進み、万年最下位のクラスながら22年にわたってプロの座を守ってきたが、成績不振が続いた去年、選手生命を賭けたレースに挑み、ついにプロの座を失った。
最近、競輪場でレースが開催される数日間だけの裏方仕事を始めたが、それだけでは収入にならず貯金を切り崩す生活。「高校から自転車に乗ってて、それしか知らない。とりあえず、ここで一生懸命やっていこうかと」と話す勤さん。
新しい人生に踏み出すきっかけを探していた。
そうした毎日の中で、希くんの背中を追うように夢中になっていったのが紙飛行機。記録会に向けて、折るのが難しいタイプの紙飛行機を手に二人で練習。勤さんには、思い描いている飛び方がある。
「競輪と一緒で、やばい、やばい、やばい、落ちる、あーやっぱりダメみたいな。カーンとあがって、カーンと落ちるでは面白くない。あっちいったり、こっちいったりしながら、しぶとい、しぶとい、しぶとい、あぁ、行ったぁ、っていうのが面白い」と勤さんは笑う。
記録会本番。50人が参加。勤さんの紙飛行機は、何度目かの挑戦で1分20秒の滞空、しだとく、しだとく、想いがカタチになった。しかし、希くん、上手くいかなくて机に突っ伏して泣いている。その姿を見た勤さんは、「悔しいんやったらやらな。(気持ちが)向かってる方向が違う。あくまでも前を向け」と背中を押す。
しばらくして、希くん、再度挑戦・・・滞空時間2分38秒!しかも、没視界(見えなくなるほど遠くに飛んだ状態)。ぶっちぎりの優勝。勤さん、嬉しそう。
記録以上に、安川さん一家は大切なものを得ていた。
「ちょっとでも前に進めたかなって。厳しいかもしれないけど・・厳しい向かい風に立ち向かう力、向かおうとする行動を起こせるようになったかなって」と勤さんは優しく微笑む。・・・完
紙飛行機で、今すぐ連想するのは、AKB48の「365日の紙飛行機」って曲ですね。♪人生はぁ〜紙飛行機ぃ〜願い乗せてぇ〜飛んで行くよぉ〜(略)その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが一番大切なんだ・・。番組で登場した希くんのお父さんの勤さんも同じようなことをおっしゃってました。
山頂から放たれた紙飛行機が風に乗って飛んで行く様を見ていると、なんだかとても懐かしく、気持ちが穏かになりました。安川さん親子が紙飛行機に夢中になり、とりあえず一瞬一瞬を大切に進んでらっしゃる姿と、そして自分の人生を重ね合せてしまいます。何より、広島県内にこんなタワーが存在することを全く存じ上げておりませんでした。面白いことを思いつかれましたね。私も飛ばしてみたいな、と思ってしまいました。私は、紙コプターの方がいいかな。羽のようなものがとても小さくて、風に乗るとクルクル高速回転でまわって、とても可愛いのです。例えると・・フィギュアスケートの羽生くんが高速でスピンする感じでしょうか、違うかな。とにもかくにも癒やされた番組でございました。
日々感謝です。