Eテレ「人生デザインU-29 ♯012 遺品整理会社経営」を観て。自分の生きた証・・。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
“自らの人生をデザインしようと奮闘中の29歳以下代表”という意味が込められた「人生デザインU-29」。 働き方も生き方も自分の手でつかみとる時代、そんなU-29世代の悩みや不安、新たなチャレンジなどをまるごとドキュメントし、実際に社会で働くことはどんなことなのか、働く醍醐味、収入と支出などを伝える番組のようですね。
“U-29”かぁ。53歳の私には過去の時代となり、残り少ない人生の指針は、だいだい年上の先輩方からお知恵拝借とさせて頂いてます、最近特に。ですから、観たことはないのですが、居候Kくんの家財道具一式廃棄(遺品整理ではないけど)を業者の方にお願いしたこともあり、番組表を眺めていて何となく録画視聴いたしました。ちょっと考えさせられたのでざっくり備忘録しときましょ。
「自分の大事なもの、どこにしまってあるかわかりますか?」
遺品整理士・江田梢さん29歳は、講習に集まったご高齢の方々に問いかける。
「遺品整理士の本当の仕事は、家の中から出てきた大切なものや思い出の品物を確実に見つけ出して、ご遺族さまにつないでいくプロフェッショナルのこと」と語る。
江田さんは遺品整理会社を経営。依頼を受けて、亡くなった人の住まいを片付けるのが仕事。しかし、ただ片付けるだけの仕事ではない。大切な品が思わぬところから発見されるかもしれない、ノート一冊ずつページをめくり細心の注意を払う。
大学受験も就職活動も失敗。挫折続きの人生。アルバイトで生計を立てていた。自分の生き方を好きになれずにいた時、出会ったのが今の仕事。
「“いろんな生き様を見て行く仕事”で、自分がどうあるべきか結論はでていないけど、自問自答しながら、自分自身のことも受け入れられるようになったのは、この仕事のおかげかなと」
遺品整理を通して、江田さんが見つけた生きるヒントは・・。
仕事の拠点は大分市。事務所には遺品整理の現場で使う掃除道具などが無造作に置かれている。去年1月に立ち上げた。メンバーは社長の江田さんひとりだけ。会社には月に10件ほどの遺品整理の依頼がある。
この日、雇っているアルバイト5人、黒のTシャツに黒のパンツで統一し、現場に向かう。独り暮らしをしていた男性の住まい、一軒家。玄関に入る前に全員で合掌してから、家の中の全ての荷物を運び出す作業へ。大切にしていたものはないか目を光らせる。貴金属や骨董品など価値ある物は遺族と相談。荷物を片付けた後、家具の解体。あることに気付く。
「自作ベットみたい。DIYしてるところが多い。この作りつけの棚も手作りかも。なかなかの腕前の日曜大工だなと」
木材も出てくるし、男性の暮らしぶりがうかがえる。さらにたくさんのカードの中から見つけたのは、ネコカフェのポイントカード。
「ネコ大好きです。生きてらっしゃったらきっと仲良くなれたと思う」
遺品から浮かび上がった故人の人生。江田さん、ただ片付けているだけではないよう。
「相手の方はもう亡くなってしまってるんですけど、整理させて頂けるというのも何かの縁だと思うので、どういう方だったのか少しでも紐解いていきたい」
江田さんは岡山出身。スポーツトレーナーを目指す活発な少女だった。しかし、高校3年のとき、母親がくも膜下出血で倒れ、看病と家事に追われた結果、受験に失敗。唯一受かったのはスポーツとは無関係の大分県の大学。学費と生活費を稼ぐため、睡眠を削りながらアルバイト漬けの日々。就職活動は100社以上、すべて不採用。結局、県内の介護施設に就職。しかし、あまりの重労働に一年で退職。スナックで働きながら就職活動する日々。
「先のこと真剣に考えろと言われるとつらかった時期でもある。頑張ってるんだから、神様、もうちょっと希望ある結果を下さい。頑張っても結果ってついてこないことがあるんだなーって思ったら、それも正直、仕方がない話なんですけど、でも、やっぱり、つらい思いもしてきたのになぁーと思うと涙も出てきた。もやもやはあった。私は何者か?と、自分の生き方に納得がいってなかったんでしょう」
そんな中、ようやく見つけた働き口が、遺品整理の会社だった。正社員として働けるのが魅力だった。最初の現場は、病死した40代男性のアパート。父親が立ち会った。そこで江田さんが見つけたのは、小さな赤鉛筆と競馬新聞。
「落ち込んでぼぉーっとしていたお父さんに、‘これ、息子さんが使っていた赤鉛筆じゃないんですか?’って渡したら、お父さんの顔がぱぁーっと明るくなって、‘そうなんですよ、息子は競馬が好きじゃったんよ’って言って、そこから思い出話をがぁーって喋ってくれたことがあった」
亡くなった男性が使っていたボロボロの赤鉛筆。遺品を通してその人の人生が蘇った瞬間だった。
「ゴミとして捨てちゃうことは簡単だけど、遺品というのは故人のことを、もう一度思い出させてくれる大切なツールになるんだなというのを目の当たりにして、凄い感動したっていうか、ドラマチックっていうか、とっても興味深くて魅力的」
たまたま出会った遺品整理の仕事。江田さんは遣り甲斐を感じるようになった。孤独死をした女性の部屋から見つかった亡き夫との思い出が書かれた日記、離婚した男性が大切にしていた、離ればなれになった子どもの写真・・これまで150人以上の人生と出会い、江田さんの気持ちは少しずつ変化していった。
「もう、遺品整理していて、この人の人生しょうもないなって思ったこと1回もないんですよ。そういうことに気がついて、自分のことも受け入れられるようになったのはこの仕事のおかげかなと」
江田さんの一週間のスケジュールは休みなくずっと仕事。最初に就職した会社から5年。1月に独立。仕事も軌道に乗り始め、今はプライベートより仕事優先。息抜きは、友人との飲み会。この日は、経営者仲間の40代男性2人。飲みニケーションが江田流。「彼女のいいところは、昭和チックな付き合い方。あまりにも逞しいので女の子らしさはちょっとないけどと」と仲間は笑いながら言う。
会社の売上は月約100万円、そのうち20万円を給料にしている。食費・日用品5万円、通信費2万円、奨学金返済2万円、ゴルフ・交際費2万円、保険料など4万円、貯金・その他5万円。
この日、江田さんは今年3月、独り暮らしの94歳で亡くなった女性(仮名シズエさん)の家に出向いた。故人の義妹からの依頼。
シズエさんは、定年まで公務員として働き、晩年は書道の先生をしていた。生涯独身。少し頑固で気難しい人、年々親戚とのかかわりが薄くなっていたよう。どの部屋にも大量の荷物。中から、書道コンクールの賞状や作品などが大量に出てきた。その中に、書道教室の生徒たちからの‘ありがとう’の文字が書かれた手紙もたくさん見つかった。
「事前情報で書道一筋(の人だった)と思って遺品整理を始めたけど、生徒さんからの手紙を見て、人望も厚い人だったんだなと」
最後に見つかったのは、額に収めてある畳一畳分の大きさの作品。義妹さんを呼んでの会話。
「壁の奥に収まっていたので誰も見ていないと思うんですけど、凄く恰好いいのでご覧になりませんか?」
「見慣れていたはずのシズエさんの書、あらためて見るのは久しぶり・・・こういうのを見ると条幅にいつも練習していたのを思い出します。ご飯作ってくれたり、遊びに連れて行ってくれたりとか。作品があるとここにいるのかなと思いますね・・」
結局、作品は捨てずに残しておくことになった。遺品から垣間見たシズエさんの人生。遺族の心の中で蘇った。
「波乱万丈な人生だったと思うんですね。時代の激動に流されみたいな。そんなときもあったと思うんですけど、ストイックに生きた一生だったんでしょうね。書道だったり、賞状であったり、いろいろ自分の生きてきた証をきちっと残しながら、生き抜いた女性だったのかなと」
江田さん、またひとつ、新たな人生にふれることができた。
これからの人生デザインは?
「いろんな人生を、遺品整理して見てきた中で、じゃあ私はどう生きていけばいいのかってことは、正直、まだ見つかっていない。ですけど、それでもたったひとつ、確信が持てたことがあって、やっぱり、毎日一生懸命行きたいなと、人生一回きりだなと思ったんですよね。なので、毎日一生懸命生きよう!みたいな感じですかね」
この日、江田さんは、ボランティアで講演を行った。訴えたのは“生前整理”の必要性。
「形があるものは手放し方を考え、形のないものは残し方を考える。自分で自分のものの行方を決めるのは安心感につながっていきます。自分が生きた証を大切な人に伝えてほしい」
今日も遺品から“人生”を見つける・・・ (完)
最後に語った江田さんの言葉、「形があるものは〜自分が生きた証を大切な人に伝えてほしい」、よく聞く言葉ですが、今の私には彼女のこの言葉が深く刺さりました。そして、故人の人生に、限られた時間の中で全力で向き合おうとする姿に見入ってしまいました。「頑張っているのに報われないことがあるんだなぁー、ちよっとでいいから〜」のコメントにもじーんときました。私も経てきたなぁ、そんな時期。けれど、インタビューに真摯に答える彼女の横顔を見ていましたら、今後いろんな方々とのつながりが広がり、きっと将来、頼りにされる人間になって行かれるんだろうなと感じました。もし私が孤独死したら、彼女に遺品整理をお願いしたいと思いました。えっ?生前整理をして旅立ちなされ?そうですね。
今回は静かに考えたいと思いますのでこの辺で。
日々感謝です。