今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 『全体主義の起原』ハンナ・アーレント 第1回~異分子排除のメカニズム~」を観て。パリアって・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
こちら西日本、今夜から明日の朝にかけて台風が縦断(?)するとのことで、ただ今午後7時過ぎ、すでに風雨強く、外は暗く、庭の木々たちは今にも折れんばかりに踊っております。怖い・・。カープの試合も中止になりまして・・って、すみません、ちょっと不謹慎でした。

さてさて、本題。すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月はハンナ・アーレントの「全体主義の起原」。今年1月、全米でベストセラーを記録、ビジネス書や娯楽小説ではなく、第二次大戦後まもなく出版され、ナチスドイツやスターリンによってもたらされた前代未聞の政治体制「全体主義」がどのようにして生まれたのかを、歴史をさかのぼって探求する極めて難解な名著。
第1回は、全体主義の母胎の一つとなった「反ユダヤ主義」の歴史を読み解くことで、国民国家の異分子排除のメカニズムがどのように働いてきたかを探っていく、という内容。指南役は金沢大学教授・仲正昌樹さん。
お恥ずかしい話ですが、私、著者ともども存じ上げませんので、ざっくり備忘録しときましょ。私に理解出来るとは思えませんけど。ちなみに、PCが壊れていたので、今頃初回の放送分を更新いたしました。


まずは、基本情報から。

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指南役の解説によると・・
全体主義」という言葉を最初に使い始めたのは、おそらくイタリアのファシズム政権とかドイツのナチス関係の知識人たちで、どちらかというと自分たちの体制のことをポジティブに表現する言葉だったが、それを西側の人たちは彼らの体制の異様さを表す言葉として使用するようになった。彼らももともとヨーロッパ人のはずなのに、どこでこう違ったものになっていっちゃったんだろうと疑問を持っていた人が多かったと思う。そういう状況の中でアーレントは、「全体主義」というのが、どう結実していったのか、人ではなくて自分たちの文化の中に内在している問題だと広く意識させた。

指南役がこの言葉を知ったのは最近で、トランプ大統領を始めとして、ちょっと全体主義的な流れみたいな比喩で聞いた、その時に、その言葉だけ、全く無知な状態で聞くと、個人主義ということより良い言葉に聞こえたという。一体化したいという欲求が、実は地下水脈のようにだんだんと広まっていって、大衆の願望が動かしていった政治運動、あるいは体制として全体主義を捉えている、ヒトラーみたいな特殊な人たちが、みんなを巻き込んでいくイメージだった時に、選挙で選ばれた人だったんだと気づいてびっくりする、民衆の方から望んでいるという、とのこと。

さらに、日本でも世界でも、何年か前から閉塞感という言葉をよく聞く、その閉塞感を打ち破るために何か刺激を与えてほしいと、より強いカリスマを求めるメンタリティが高まって、日本だけじゃなくアメリカでも、ヨーロッパでも偏ってるんじゃないかと言う。

 

では、アーレントとはどんな人物か?
ハンナ・アーレントは、1906年、ドイツの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、自由主義的な考え方を持っていた。アーレント家は特に宗教に関心を持たず、ユダヤ人という言葉を聞くことなく育った。ユダヤ人であることはただの事実に過ぎず、社会との軋轢を感じることはなかった。アーレントユダヤ人問題に関心を深めたのは哲学を勉強する過程で、ユダヤ国家の建設を目指すシオニストたちと交流を持つようになってから。

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そんな中、1933年、ヒトラー内閣が成立。台頭したナチスユダヤ人を敵視し、状況は次第に悪化していく。アーレントはベルリンで、シオニストの非合法活動に協力したとして逮捕されるが、8日後に釈放。すぐにドイツを脱出し、フランスに逃れる。その後、ナチスドイツは1935年、ニュルンベルク法により、ユダヤ人の公民権を剥奪、さらに、1938年、水晶の夜と呼ばれた事件では、ドイツ各地でユダヤ人を迫害、翌年、ナチスポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まると、アーレントにとってはフランスも安住の地ではなくなった。ドイツ出身者は敵国人としてフランス南部の収容所に送られる。1940年、パリが占領されると、アーレントは混乱に乗じて、夫とともにアメリカに亡命。ニューヨークで反ユダヤ主義に抵抗する文筆活動を始める。そこでアーレントは、驚くべきニュースを耳にする。ユダヤ人収容所で何百人もの大量虐殺が行われたと。想像を超えたユダヤ人への絶滅計画、ホロコースト
アーレントはそれが事実と知ると、大変な衝撃を受ける。『決して起こってはならないことが起こった』。アーレントは、つきつけられた事実を理解しようと試みる。そして、大戦終結後、ドイツに残されたヒトラー政権の膨大な資料を調べ上げ、「全体主義の起源」を書き上げた。

 

スタジオでの解説・・
ホロコーストに集めて殺すなんて、わざわざなんでそんなことをしなくてはならないのか、とそれがわからなかったんだろう。「全体主義の起源」がたったひとつあるとは考えてなくて、いろんな要素がヨーロッパ人の不安を高めているんだ、最初はこうだったのに、だんだんエスカレートしていき、そうさせないためにはどうするのか考えてほしいという動機で書いたのだろうと指南役は言う。

伊集院さんは、今の日本はどの段階にあるんだろうと考えちゃう、そのための本として今月取り上げたのかなと話す。

 

それでは、「全体主義の起源」の第一章 反ユダヤ主義の中身を見ていこう。

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アーレントは、19世紀に生まれた反ユダヤ主義が、それまでのユダヤ人に対する反感とは違うものだと考えた。従来のユダヤ人のイメージは、旧約聖書でイエスを十字架にかけた罪深き民、キリスト教が禁じた利子をとって金を貸す金融業で儲けるマイノリティだった。17、18世紀に各地の王家に金を貸す宮廷ユダヤ人として高い地位を得る者も現われる。しかし、多くのユダヤ人の富は、憎悪と蔑みの対象となり、差別を受けていた。そうした立場を大きく変えたのが、19世紀、ナポレオン戦争後に生まれていった国民国家だった。

国民国家とは、言語、歴史、文化を共有する人々によって構成された国家のこと。ナポレオン戦争で敗れ、フランス人に支配された各国の人々が国民意識に目覚めていくことで国民国家が生まれた。そうした状況の中で、ユダヤ人の立場も変化する。ロスチャイルド家初代マイヤー・ロートシルトに代表されるユダヤ人銀行家が台頭、ヨーロッパ全土にわたるネットワークを築き上げる。そして、それまで差別を受けていたユダヤ人の国民にも法律上の人権が与えられた。しかし、それこそが新たな反ユダヤ主義を生み出すきっかけとなった。

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スタジオでの解説・・
国民国家は英語でいうと、          ↓ 誤り“Nation”です

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                           ↓ 誤り“State”です

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なぜそれが問題になるかというと、ヨーロッパは自然な国境ってない、いろんな国民意識を持った人たちが混在している、NationとStateが一致していなかった、目指すけれども現実的には出来ないから。

 

国民国家がどのように出来ていったのか、ドイツ国境の変遷をドイツを例に・・

11世紀末、ドイツのルーツである神聖ローマ帝国の中には様々な文化の人々が住み、やがて、それぞれの領主が治める小さな国が数多く出来た。19世紀のナポレオン戦争で、神聖ローマ帝国は消滅。ドイツ人という意識を持つ地域の集まり、ドイツ連邦が結成。19世紀ウィーン会議後、1871年にはドイツ統一。しかし、その中にドイツ人とは異質とみなされた人々、ユダヤ人がいた。

要するに、ドイツ人同士が自分たちは一緒だと確認するために、異分子(ユダヤ人)が入り込んで来ているという意識に、どうも進んでいた感じがあるのでは。

アーレントは、反ユダヤ主義についてこんな風に言っている。

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隠密の世界勢力とか大袈裟なイメージになってきたのは、弁護士とか医者、教師、大学教授にユダヤ人の割合が高く、陰に隠れて、どうも結託してヨーロッパ各国で昇りつめてるんじゃないかと見られていた状況だったから。
そんな中、反ユダヤ主義を象徴するような事件が起こる。
1894年、フランス陸軍大尉アルフレド・ドレフュスが、ドイツのスパイである容疑をかけられ逮捕される。フランス陸軍の機密情報が記されたメモがドイツの外交官の屋敷で発見され、筆跡が似ていることからドレフュスが疑われた。ドレフュスは無罪を主張。物的証拠も状況証拠も薄弱だったが、逮捕の理由は、彼がただひとりのユダヤ人であったこと。このとき反ユダヤ系の新聞は、ユダヤ人が国家を裏切る陰謀をめぐらせていると主張。軍部の弱腰も非難する。証拠不十分のままドレフュスの判決は終身刑軍刀をへし折られ、南米の離島へと送られた。アーレントはこの事件を通じ、国民国家に同化しようとしたユダヤ人をこんな言葉で表現した。

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ユダヤの男爵というのは、銀行家などがお金で買うようなかたちで男爵の称号を持っていることが結構あった。自分はもう男爵で貴族だし、ユダヤ人のナショナリストとして自分が所属しているフランスとかドイツを愛しているんだから、そんな差別されるはずはないだろうと思っていたのが、ドレフェス事件をきっかけに、それまで築いてきたものが関係なくなってしまう。その事件の直前頃に、フランスでパナマ運河疑獄があり、

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どうやら、あいつら(ユダヤ人)がやったんじゃないかと思われていた時期だったので、やっぱりユダヤ人は、となった。どこかの扇動家が計画的に作ったというよりは、国民がそう信じて盛り上がってしまうような素地がすでにあったということがこの話のみそ。

自分たちとは異なる人たちを排除したいという気持ちや動きは、現代でも世界各地で見られる。社会の大多数は自分に対して共感してくれるような人たちで、自分にとって敵というのを極少数の特殊なグループにまとめて考えておくと気持ちが落ち着く。

伊集院さんは、この先の回に立ち向かうには気合を入れて頑張らないと、と話す。(完)

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なんだかちっともまとまっていないなあと自覚していながら更新しています、すみません、さきに謝罪をば。私は池上さんにはなれません、いえ、求められてませんけど。私、このユダヤ人関連の出来事に疎く、義務教育レベルでは知っていてもなぜ?なぜ?と腑においていないのです、この歳になっても。ですから、この番組で取り上げられると知ったとき、少し期待いたしました。誠にお恥ずかしいのですが、知らない言葉も出てきて、ちょっぴり得した気分でございます。本当に理解したいのであれば、もっと体系的に探っていかねばならんのでしょうね・・。

それにしても、台風が怖い・・窓がみしみし言ってます。ただ茫然とTVの台風中継を観ています。こんな時にブログ更新するのもどうかと思いますが、更新させていただきます。

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日々感謝です。