今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 -野火- 第2回〜兵士たちの戦場経済〜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は大岡昇平の「野火」。大岡昇平の代表作「野火」は、太平洋戦争末期、絶望的な状況に置かれた一兵士が直面した戦争の現実と、孤独の中で揺れ動く心理を克明に描きだした作品。戦後文学の最高傑作とも称される「野火」は、数多くの作家や研究者が今も言及し続け、二度にわたる映画化を果たすなど、現代の私たちにも「戦争とは何か」を問い続けている。番組では、作家・島田雅彦さんを講師に迎え、「野火」を現代の視点から読み解く。第2回は、極限状況下で展開される人間の経済行為や衝動的行為の意味を読み解きながら、人間の中の「悪」と「卑小」を見極めていく、という内容。

お恥ずかしい話ですが、私、読んでいませんので、ざっくり備忘録しときましょ。

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今回は戦場での一種の物々交換経済の形態がしっかり描かれている。では、さっそく・・

中隊を追い出され病院に辿り着いた田村。病院脇の草むらで8人ほどの兵隊と出会う。彼らは田村と同じく、行き場を失った者たちだった。

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戦場ならではの経済活動。特に長けていたのは安田という男だった。足に熱帯性の潰瘍を患う安田。しかし、彼は大量の煙草の葉を蓄えていた。これを食糧の芋と交換する商売を仲間に対して行っていた。そんな安田と親しくなるのが年若い永松。

「まあ、おめえもなるだけ、わしのそばにいるがいい。できるだけ、
 なんとかしてやるから」
「でも・・」

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安田は、永松を手足のように使い、食糧を調達させる。

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「永松が肩を貸してくれるんでぼつぼついってるんだ」
「肩を貸してやんなきゃ飯が食えねえ、だからしようがねえ」

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「そうでもねえぜ、おっさん」

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スタジオでの解説・・
安田自身は、煙草本位制を強いておきながら、自分では吸わない。そのくせ、兵隊は最後の一本は煙草と取り替えるんだという根拠のない自信を持っている。吸う奴をバカにしている。一方で、安田に手足のように使われる永松。たまたまある会話の中で、「俺、女中の子なんだ」と告白すると、「実は俺は女中を孕ませて子供がいるんだ」となり、疑似親子のような関係を結ぶ。この人について行けば生き延びにれるんじゃないかという予感を永松は持っているので、こき使われながらもついて行こうと決める。この二人の関係が次第に書き換わっていく。最初は、雇用関係、協力関係、やがて、強権支配、隷属、さらには、敵意、殺意へと。

 

さて、田村の経済状態はどうなるのか?
この時点では田村は戦場の経済には参加出来ていないが、ひょんなきっかけから、別の代替貨幣、価値あるものを手にして彼自身も戦場の資産家になる。さて何なのか?

丘陵地帯を独り彷徨った田村。ある日、林の上に十字架があるのに気づく。

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少年時代、キリスト教に心酔していた田村は、その夜見た夢の中で、教会の祭壇に置かれた棺の中で自分の姿を見る。

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その口が呟いたのは、聖書の中にある神に救いを求める言葉。

ある日、危険を顧みず教会を訪れる。しかし、そこで彼は教会の台所にやって来たフィリピン人の男女と遭遇してしまう。田村は意を決して彼らの前に出た。

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女の顔は歪み、なおも切れ切れに叫びながら目は私の顔から離れなかった。

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玉は女の胸に当たったらしい。

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男の方はすぐに逃亡。そして、田村は彼らのいた台所の床下に麻袋を見つける。

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スタジオの解説・・
この点はほとんど成り行きでそうなったとしか言いようがなくて、じゃあ、なんで、教会という神聖な場所で田村は、兵士じゃない女性を撃ってしまったのかという問題について、作者の大岡氏も、あとで、迷いはあったようだという。キリスト教が自分を助けてくれるかもしれないと思って行ったところで、真逆のことが起き、しかもそれと引き替えに床下から塩、それを持ち逃げする。

 

戦場での塩の価値はそれほど大きい?
そもそも古代の経済において、塩、特に岩塩は最も古い貨幣の形態といってもいい。塩を輸送する最中、泥棒から守るため雇われるのがSoldier(兵士)、その語源はsalt(塩)、Soldierに払う給料をsalary(賃金)、その語源もsalt、そういう語源的な見方もある。戦場というのは、古代のプリミティブな経済を復活させる。

長く孤独なさすらいのあと、田村は別の部隊と合流することになる。そのときに、塩を持っていることがわかると急に仲間の態度が変わる。上官も塩を分けてくれませんかねと。孤独に死と向き合ってた田村の態度が塩を手に入れたことで変わる。

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スタジオでの解説・・
軍隊の一員であれば敵兵を殺すことは罪に問われない、民間人を殺すのは軍規違反だが、このことがばれなければいい。戦争というのは国家の指令で行われているので、時として個人の倫理を超える行動をしてしまう。しかし、田村は個人の倫理観と国家の縛りの間で揺れていた。現代の組織においても同様なことがある。

田村は、戦場での殺人は日常茶飯事、女性を撃ったのは偶然だと、自分を合理化しようとするけれども、後悔したり悲しんだり、いろいろ逡巡する。そこでふと気づく。

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自分が悪いのではなく、国家が私に銃を持たせたのが悪いと。一種の自己正当化、責任逃れ。罪悪感を何とか自分の中で論理的に解決させようと考えた結果、銃を棄てるという決断をする。自分が戦闘能力のある兵士なら持ち続けるだろう、しかし、野火では一切銃を使っていない、女性を撃っただけ。むしろ、この銃を持っていることが負担になってきた。銃を捨てることによって捕虜となり、生きられる可能性が出てくる。捕虜になるということは、大岡氏の体験と結びついてくる。彼は捕虜になって生還するが、その傍らで、捕虜になることを潔しとせず自決した兵士たちもたくさんおり、その人たちの手前、生還したことを誇れずにきた、兵士たちへの罪悪感を生涯にわたって引きずっていた。

人はどんな状況でも集まれば、そこで経済が生れる、いざ、密林で極限状況に置かれたら、先祖がえりしたみたいに、駆け引き、取り引き、というものが自然発生的に起こる。人間というものはつくづく、生き残りの本能と直結して、経済的な生き物だと思い知らされる。          (完)

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どんどん恐ろしい状況になってまいりますね。田村と一緒に密林を彷徨ってみましたが、とてもではありませんが、一日たりとも生きていられません。本日終戦記念日、静かに祈りを捧げます。

日々感謝です。