本日は、島ライブの音合わせ。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
バタバタしていましたらこんな時間にブログ更新となりました。一瞬チラッと明日にしようかなと思いましたが、日々更新を課していますのでPCの電源を入れました。
本日は、定期的に参加させて頂いてます島でのライブの音合わせに出かけまして、終了後、ギター伴奏をして下さるM氏のお宅にお邪魔し、いつものように、一方的に私の愚痴にじっと耳を傾けて下さいました。居候Kくんの話なんですけどね。聴いていただけるだけで、すっきり、いえ、考えがまとまることがあり、とても助かっております。後でしゃべり過ぎたなと毎回反省するのですが・・。
帰り際、Kくんの就職祝いにと、フルート奏者のCDをプレゼントして下さり、そのお心遣いにじんといたします。
さらに、奥様からは、たくさん作ったからとおでんを頂戴、他にも調味料、お菓子、エトセトラも。我が家の家計状況からすると、非常に助かります!まるで、お盆やお正月に里帰りした子供に、母親がいろいろ持たせてくれる光景のようで、これもまた、じんといたしました。
撮る前に食べてしまった~!
母がまだ生きていたとして、私に家族がいたとして、里帰りした時はこん感じなのかなと。それにしても、毎回、私は手ぶらでお邪魔して、何のお返しもしていませんで、人としてどうなんでしょうね。
先程帰宅したKくんに、CDを見せましたら、驚いて嬉しそうにしておりました。週末聴いてくれるかな。そして、早くフルートを手に入れられるようにお仕事に励んでくれるかな。
それはそうと、私自身、歌の練習しなくっちゃ。
日々感謝です。
本日も地元劇団公演の受付お手伝い。答えは出せない・・。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
地元劇団公演の受付お手伝い二日目、公演自体最終日。
本日は、受付の後、観劇させて頂きました。チラシ程度の予備知識しか頭に入っていませんでしたが、結末を拝見し、ちょっとショックでございました。決して硬派のバリバリ社会派ものではなくて、笑いありなのですが、扱うテーマが知的障害者に関するものでしたので、考えさせられました。
というよりも、知らない情報も織り込まれており、それらを知ったことだけでも愕然と。知的障害を持つ子供の将来を憂いて殺してしまう親。しかも、その親は余命三ヶ月の末期がん。知的障害のある35歳の兄を持つ妹。両親が亡くなり兄妹二人、週に一回必ず兄のいるホームに顔を出し、優しくかいがいしく接しているが、結婚話も破談になり、一時はやけになり兄から逃避、しかし、兄の面倒を一生みると覚悟を決め、同居することに。兄弟だから・・たった一人の家族だから・・大好きなお兄ちゃんだから・・。兄も自分がバカだから妹が結婚できないと考え、同じ障害を持つ女性と結婚しようとするが・・その女性は、前述しましたが娘の将来を悲観する父親に・・。劇だと言えばそれまでですが、現実世界でも起こっている出来事のようですね。
私なんて、健常者の弟の件でも、一生面倒みるからと、まだ覚悟をきめられないのに・・何も言えません。なにより、このようなテーマにあえて挑戦する劇団の皆さんにエールを送りたいと思います。
丁度隣のホールでは、知的障害者さんたちが出演するコンサートが開かれてまして、大勢の人たちがロビーにいらっしゃり、出番を前にとても楽しそうに準備されていました。
よくわからない気持ちを抱えたまま、救いを求めるかのように、次に編むセーター用の毛糸を買って帰りました。
今度は、いろんな色が混ざっていて指触りの良い、ちょっとお高めの毛糸にいたしました。やはり、編んでいる最中も気持ち良いものがいいよなと思いまして。
日々感謝です。
本日は、地元劇団公演の受付お手伝い。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
本日の午前中は、地元劇団公演の受付お手伝いをいたしました。
3日間で5公演、60人規模の小さなスタジオでのお芝居ですが、全公演完売で結構人気の劇団のようです。私は、差し入れ受付で、たいしたことはしていませんけれどね。
当初は、全公演お手伝いする予定でしたが、顔の肌荒れが治らず体調も優れませんので本日一回と明日午前中に変更していただきました。とほほ。
最近は、といいますか、編み物に夢中期間は、演劇熱も影をひそめてまして、演者さんたちを羨ましいなとか、あまり思わなくて心は落ち着いております。明日は、観劇させて貰えるようですので、楽しみにしております。
そんなこんなで、編み物の進捗状況は、ほぼ完成に近づいてまして、あと10㎝位首の部分を編めば出来上がりです!
安い毛糸だからかな、重たいしガサガサしてますし、着てたら肩凝りそう。そうそう、私、我流で好きなように編んでまして(一目瞭然でございましょう)、人様にアドバイスとか全くできませんのであしからず。
次は、バイオレット系の毛糸で編もうかな。同じデザインで。
日々感謝です。
Eテレ「100分de名著「歎異抄」第1回~人間の影を見つめて~」(再放送)を観て。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は「歎異抄」(以前に放送されていたようですね)。
一宗派の壁を超えて、多くの人たちに読み継がれている宗教書、西田幾多郎、司馬遼太郎、吉本隆明、遠藤周作等々……数多くの知識人や文学者たちが深い影響を受け自らの思想の糧として、また、信徒であるないに関わらず、膨大な数の市井の人々の人生の指針となってきた名著。
第1回は、親鸞の人となりや弟子・唯円が「歎異抄」を執筆した背景を紹介しながら、人間の「影」を見つめ続けた親鸞の教えに迫っていく、という内容。指南役は、相愛大学人文学部教授で比較宗教学者の釈徹宗さん。
私、かつて手に取ってはみたもののじっくり読んでいませんでした。ざっくり備忘録しときましょ。
まずは基本情報から。
仏教といえば、修行して悟りを開いたお坊様が人生の難しさや尊さを教えてくれるといったイメージがあるが、そういうイメージをひっくり返す、揺さぶるような教えを孕んでいる書。時に、喉元に刃を突きつけるような厳しさも、また、この書をむやみに人に読ませてはいけないというような注意書きまでついている。
執筆動機は・・
色々勝手な教えを広めたり、異なった解釈をする人たちがいる、このままだと惑わしてしまうという嘆きがあって、この文章へと続く。知識とは仏の教えを説いて導く先人。決して自分勝手な解釈を振り回して、他力の教えを乱してはいけません。
誤解されやすい、とは何なのか?
‘易行’‘他力’とは何なのか?これは、親鸞、元を云えば、そのまた師の法然が説いた教えの基本。もともと仏教の主流は、修行や学問によって煩悩を無くし、悟りを開くというものだった。出家して世間と離れた所で難しい経典を読み込む毎日。これは誰にでも出来るものではない。だから‘難行’。僧侶が自分で努力して悟りを開くもの、自力の仏教。しかし、法然は、これに疑問を抱く。誰もが救われてこその仏教だと考える。そこで彼が注目したのは、中国・唐の高僧が伝えた阿弥陀仏の名を唱えることで誰もが救われるという教え。
厳しい修業が出来ない凡人は、阿弥陀仏の名を唱えなさい、そうすれば誰でも浄土仏の世界に行けますよ、というもの。‘南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏...’、この念仏を唱えるだけ。だから、‘難行’の反対の‘易行’。しかも、自分が悟りを開くのではなく、阿弥陀様がお救いくださる、だから、‘自力’じゃなくて‘他力’。これなら僧侶だけでじゃなく、どんな人でも救われる。こうして、仏教に革命を起こした法然。その教えに出会い、深く共感したのは親鸞。その教えを受け継いだ。
スタジオでの解説・・
右側部分の方が最初から説かれている。仏様を信仰して救われるというのは小さな脇役だったけれど、法然はこの主役と脇役を入れ替えた。
伊集院さんは、誤解されやすいっていうのはわかります、だって、何もしなくて(修行とか)いいんならそうしますもん、と言う。
‘他力本願’っていうのと同じ?
日本語の中には仏教用語がびっしりと入り込んでいる。本来仏教の大切な教えなのに、たまに良くないこととして転用されたりする、たとえば、‘嘘も方便’とか‘有頂天’とか。‘他力本願’も、本来は“阿弥陀様の願いの力”ということなんだけど、‘人任せ’って使われている。
難行している人からすると、なんで易行も救っちゃうの?って思わない?
法然は、従来の仏教の枠組みからこぼれる人に目を向けた。一旦仏教を解体する。キリスト教やイスラム教は‘救い’、救済型で、神への信仰によってのみ救われるみたいなタイプの宗教。仏教は‘悟り’、自己啓発型で、修行して大きく転換していく。しかし、‘易行’は他力の道、つまり、救い型仏教という感じがする。
「歎異抄」の前半は、親鸞が弟子の唯円に直接語った言葉。では、歎異抄第一条。
スタジオでの解説・・
アミダというのは、インドのサンスクリット語に漢字を当てはめたもの。ミタは‘限り’、アがつくと否定になるので、‘限りが無い’、アー・ユースで‘命 限りなし’。アー・バで‘光’、‘限りない光’。アミダというのは、‘限りない命’と‘限りない光’のはたらき。ちなみに、‘寿限無(じゅげむ)’は寿命限りなしからきていて、阿弥陀仏のこと。
頭に‘南無’をつけると、サンスクリット語ナマスに当て字をしたもの。平たく言うと、‘おまかせします’。口に南無阿弥陀仏と唱えるのは、もともとの意味から言うと・・
生きる姿勢を表す言葉。阿弥陀仏は、仏教が持っている救済原理の象徴。
伊集院さんは、僕、急に腑に落ちてきました、今感じている、この競争社会で落ちこぼれた人どうすんの?誰が救うの?落ちこぼれた人の中には、本当に努力したけどダメだった人がいるわけで、勝ち組の人は俺は難行を超えたんだから救われて当然となるけど、社会は前者を救わなきゃおかしい、なんかそれが阿弥陀様のような、と話す。
指南役は、努力して到達した人の欺瞞、高慢を鋭く突くっていう面と枠からこぼれる人たちの道筋という両面がある。しかし、こぼれる人の中に、努力してダメだった人とはなから舐めている人がいて、両方救っていいのかっていう・・概念としては・・・。
歎異抄第二条。
京都に親鸞のもとに関東からはるばる弟子たちがやって来て、念仏について教えを乞う。当時関東では、念仏を鋭く批判する人もいて動揺が広がっていた。念仏すると地獄に堕ちるんですか?と聞かれた親鸞、すると・・
親鸞は弟子たちにそう言い放った。
スタジオでの解説・・
二ヶ月以上かかった大変な旅、それだけの時間をかけて来た弟子たちに、知らん、難しいことを聞きたかったら学者に聞きに行けと言う。親鸞という人は、こういう面に関しては本当に厳しいところがある。本当に救われるかどうかわからないけども、俺はもう、この道しかないんだというある種の独白という感じ。
親鸞は、京都の下級貴族の家に生まれ、9歳で出家。20年間比叡山で厳しい修行を続けたが、煩悩が消えないことに苦しんでいた。そんな折出会ったのが法然の教え。親鸞は、念仏者の道を歩み始める。念仏すれば誰もが救われると説いた教えは、武士や庶民の信仰を集め広まっていった。しかし、やがて、旧来の仏教勢力から糾弾され、法然と親鸞は新潟と四国に流罪。僧侶としての資格を奪われてしまう。4年後に赦免され、関東に移った親鸞は、僧侶でも俗人でもない非僧非俗として、庶民と生活しながら教えを広めた。親鸞は、肉や魚を食べ、妻をめとり子供も7人いたと言われている。これまでの仏教の戒律にとらわれず独自の道を歩んだ。
スタジオでの解説・・
親鸞は‘愚禿(ぐとく)’と名乗る。おろかなはげあたま、かもしれないし、‘一人のおろかな人間’として立つ。90年生きてるが、一度も悟ったと言わなかったお坊さん。真っ暗な中にいる自分に仏教の教えという光が当たって、パアっと闇がはれて、どんな姿をしているか見えてくるし、どこに立ってるかも、どこに進んでいけばいいかわかってくる、でも、光が当たってパッと下を見ると影が出来てる・・光が強ければ強いほど、なお一層くっきりと、影が浮かび上がる・・という、ここを一生ごまかさなかった。光と影の緊張状態が生涯続く、だからこそ生まれた思想、というのが第四条に出てくる。
この世でどれほど愛しい、不憫であると思っても、思い通り助けることは大変困難であるので、この慈悲は不完全なものである。私たちが日常生活で起こす慈悲の心や行いは不完全なものだと親鸞は言う。2011年の震災、大きな波にのまれた方、この手を離さないでおこうと思っても離れてしまい、一生愛する人と会えなくなったとなった・・思い通りにならない・・これが生きるということ。
伊集院さんは、劇薬だなと思うのが、この言葉を聞いて、あきらめちゃう人とだから頑張れる人とがいるってこと。
指南役は、NPO活動をしていて認知症や難病の方と関わっているが、時々四条が囁いてくる、おまえ、いいことしてると思ってるんじゃないのか、とか、どこまでいっても自分の都合が混じってるだろ、とか。だから続けられるという面もあるけど。何一つ思い通りにならないということが本当にわかったときに、じゃあ、何するの?っていうふうな課題も突きつけてくる、と話す。
最後に伊集院さんは、いいなと思うのは、このことを知ってて、何かにぶつかった時に、僕は、これを思い出すことはある、これをもとに、やらないいいわけにするくらいなら、今は知らなきゃいけない言葉がある、このあとも理解していきたいと締めくくる。 (完)
そもそも「歎異抄」の意味からして誤解しておりました。今回再放送して頂いて良かったな、これも何かの縁だと思います。真っ暗闇の中にいる自分に光が当たって、その光が強ければ強いほど、影がくっきり出来る・・自分なりの解釈しか出来ませんが、生きるってそんなこと。私は、太陽の光が苦手です。真夏の戸外は苦手です。単に紫外線や日焼けがいけないというだけですが、明るく照らされることが苦手です。舞台でもスポットライトが当たるのも苦手で、そこから逃げたくなります。自分の本性がさらされるのが怖いのかもしれません。って、別に何を隠し持ってるわけでもないのですが。
それと、指南役さんのおっしゃる、何か人のために良い事をしてる時に、四条が自分をつついてくるというあたり、よくわかります。私ならそれに負けて、何もしなくなるんですが、だからこそやり続けるんだというお言葉に、そうかぁ・・常に内なる自分と自問自答しながら行動なさってるのだなと考えさせられました。自分だけがぐじゃぐじゃ考えて身動き出来なくなってるんじゃないんですよね。
日々感謝です。
相田みつをさんのお言葉を備忘録。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
本日は、雨。
図書館でお借りしている相田みつをさんの本、数冊。編み物の合間の気分転換に、書写?してみました。
昔、会社員30代の頃でしたでしょうか、部署異動で全く別世界の仕事場に行ったとき、まるで転職!のような環境に愕然とし、毎日かな、救いを求めるかのように図書館や映画館、そして本屋を彷徨っていましたら・・目に飛び込んできたのが本屋に並んでいた相田みつをさんの本たちでした。じーっと眺めて、じわじわと目頭が熱くなり、思わず購入いたしました(後に断捨離で処分してしまいましたが)。その時から心に焼き付いているのが、“根っこ” “憂いのまなこ” “ただ咲く”エトセトラ。
久々に借りてみましたら、懐かしくて、懐かしくて・・でも、返却しなきゃいけませんし、買えないし、で、ならば書き付けておこうと、いつもの思い付きでボールペンでサラサラと。あっ、ダメだな、曲がるし、思うような字が書けない・・。書いてみて気づいたのですが、相田さんの書、作品はすごいなと。バランスとか筆遣いとか凄く考えられていて真似できません。いえ、真似て書くつもりは毛頭なく、言葉を記しておくだけなのですが、実際横に置いて、言葉をなぞってみると素晴らしさがよくわかります。自分の浅ましさといいますか、未熟さ、甘さを思い知らされました。とほほ。
そして、夕方から先ほどまで朗読勉強会に出席してました。今回は、メンバーの方に、ちんすこうを頂戴いたしました。
私の課題「蜘蛛の糸」も終盤に入り、先生の指導も厳しくなりました。しかし、なんだか楽しいです。私と真剣に向き合って下さってるんだと思うとうれしいです。顔の赤みとかゆみが引かなくて、ほぼすっぴん状態なので欠席しようかなと思ってましたが、えいっ!と出席して良かったです。継続は力なり。
日々感謝です。
ほったらかしをすっきり。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
どうにもこうにも限界でしたので、本日、やっとこさ、美容院に行ってきました。まだ白髪スタイルにする勇気もなく、白髪染めとカット。春夏は男性のように刈上げスタイルにしていましたが、この秋冬は、少し襟足は残してみました。どこにでもあるスタイルです。やっぱり、気質的に刈上げが似合うかなぁ。
美容院って、パーマとかヘアカラーとかにすると・・一日仕事になりますよねぇ・・。
帰りに、ただ今熱中している編み物の毛糸が足りなくなりましたので、追加購入。袖口とタートル部分の端を、色を黒にしてみようかなと。
午前中に、各パーツは編みあがりました。他には何も手をつけておらず、TV番組備忘録もさぼってます。編み物の方が好き、楽しいってことなんでしょうか。
こんな風になるはずなんですが、どうやら、でっかくなりそうです。コンパクトだから素敵なのに・・。ここのところのブログもコンパクトです。
日々感謝です。
すこぶる良いお天気でしたのに、本日もお籠り・・。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
本日も朝から良いお天気でございました。風が強く吹いていましたが、とても気持ちが良くて。
先日もブログに載せましたが、ハナミズキの実?何なのか不明なのですが、日増しに赤くぷくぷくになっております。ネット検索しようしようと思いながら・・。
これは来年咲く花の芽ですよね?
一体何なのでしょうか。って、毎回言ってます。
こんな良いお天気の日は、外に出て思う存分お日様の光をうけるべきところでございましょうが、ここ数日、編み物に熱中しておりまして、本日もお籠り。前回のブログ更新時より、だいぶ進みました。前身頃と片袖完成。ただ今はもう片袖の作業中。
あまりにも動かなさすぎでしたので、夕方日が落ちてから、気分転換に気になる草むしりをちょこちょこっといたしました。
→
→
→
→
あんまり変化ないですね。とほほ。
放置してる所はこんなにボウボウ
明日も、三ヶ月ほったらかしのヘアをカットしに美容師へ行く以外は、引き続き編み物に熱中予定。お気楽なもんでございます。これから(21時に)、居候Kくんのお迎えです、車で30分かけて。なんて素晴らしい姉だ、私は!
日々感謝です。