VOCAL LESSON記録〜2017/6/29&女子会!初・朗読会!〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
こちら西日本では、昨日深夜頃、ピカっと光ってどおーんっという大きくて重い音の雷が続き、うわぁっ、怖っ、と独り者の私は怯えつつも、ベッドに入って横になると・・気づいたら今朝になっていました。きっと昨日のタイトなスケジュールがそうさせてくれたのでしょう。
昨日は午後から『Vocal Lesson』⇒私の心の支えである先輩女子Sさんとお食事⇒『朗読会』というここ最近なかった活動的な日でございました。一週間誰とも会わない日が続くかと思うと、数少ない友人と会う約束を一日に詰めてしまう日があったり、これをバランス?緩急?メリハリ?と言ってよろしいですか?
『Vocal Lesson』
今回は、明日の島ライブで歌わせて貰う「OH MY LITTLE GIRL」と「少年時代」をおさいらい。
どうも単調といいますか、一本調子なのが気になり、今更どうあがいても劇的な変化は望めませんが、少しでも修正できればと先生に教えを乞いました。サビはボーリングを投げる感じにしたらダレ防止になるよ、とか、リズムに合わせるけど緩急もつける、などハッとすることもあり、ちょっぴり楽になりました。何より、楽しむことですね。明日午後からライブです!継続は力なりっ!
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私の心の支えである先輩女子Sさんとお食事
そのライブでギター伴奏して下さるM氏の奥様Sさん。いつも私の窮地には、お話(単なる私の愚痴?)を頷きながら黙って聴いて、時折じっと目を見て優しいお言葉をかけて下さり、私の心を軽くしてくれます。また、今後の働き方のヒントも頂きました。私がSさんにお出しした手紙をお読みになって、気持ちが籠った目に残る印象的な文字だと思った、いつもそう思ってたよ、習字教室とかは嫌?などと言って下さり、ハッといたしました。数年前、そんなことをふと思って、いろいろリサーチし、友人の紹介で基本をやり直すため(基本がないから)教室に通い始めました、が、癌になり治療を終えて以来ぷっつり。ここでも三日坊主。今、時間があるうちに、趣味や特技を、ただダラダラ日々を楽しむだけのものではなく、今後食べて行くためにブラッシュアップするタイミングなのかなと感じたりしました。身内問題が発生したのも何かの縁なのかも。そして、なんと、ご馳走して頂きました!貧相な食生活にも潤いを与えて頂き有難うございます!
そうそう、先日、Sさんから頂き、自宅に吊るしていた自家菜園のタマネギを使ってスープっぽいものを作って食べました。
料理は苦手で美味しくないのですが、タマネギ自体は優しい味がいたしました。自家製って、Sさんが育てている姿を想像できるので、Sさんの人柄が味になるって気がします。こじつけかしら?
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『朗読会』
先月、演劇公演の受付のお手伝いをした際に知り合った同年代女性Yさんに誘われて、初参加。先生を含めて15人位。それぞれ違った文学作品を1ページずつ各自順番に朗読し先生のアドバイスを受けるスタイル。ただ単にナレーションのように美しく読むのではなく、自分のありのままのストレートな声で、半ば演劇をするような感情で読むようです。初心者は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。
私は、基礎のない素人演劇の経験はありますが、朗読とかナレーションは初めてで、案の定、きれいな声で、きれいに読まなくていい、それは横に置いておいて、まず、自分のストレートな声で読んでみて、と鋭い突っ込みが入りまして、ぎょぎょ、私のバリアがばれてるなと、ちょっとびっくりするも、嬉しさもありで楽しかったですね。一度でいいから朗読をしてみたい、いえ、舞台に立つとかではなく、読むことで自分を見つめ直してみたかったのです。ヘンな事言ってますよね、何かを表現するって、突き詰めると自分と向き合うハメになるんですよね、私の場合。いつも自分の殻がやぶれなくて、別にやぶらなくても無難には生きていけて、でも、それでは生きてる実感がつかめなくて・・・コミュニケーション教室とかコーチングとかそんな直接的なアドバイスより、芸術・芸能など言葉ではない表現の世界でのやりとりの方が広く奥深く漂える気がするのです。ん?単にステレオタイプの専門用語に傷つきたくないだけ?月2〜3回、しばし通ってみようと思います。
日々感謝です。
こんなに剪定を繰り返して大丈夫?〜アルテシマ・ウンベラータ・エバーフレッシュ〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
先月剪定したウンベラータ、エバーフレッシュが元気良過ぎでございます。有難いことなのですが、日が当たらない葉も少なくないので整理した方が良いかと思い、また少し剪定いたしました。アルテシマは、去年8月頃に大胆な剪定をしまして、約一年になるのでこちらも。大丈夫かな?
【アルテシマ】
去年の剪定前は、明るい日陰のような場所に置いていたからか、間延びした枝があっち向き、こっち向きしていて、ざっくり切ってしまいました。
《剪定前》 去年8月末 《剪定後》
→
↓今年 5/21
↓ 6/29 剪定前
裏向き
虫食いの葉とか間延びした妙に長い茎を切りました。
重たくなってるかなと思う枝は思い切ってバチッ。何の専門知識もなく、思いつきでやってますのでマネなさらない方がよろしいかもです。
この白い液は手につくとカブレるらしいので注意。
葉を切って、とりあえず水挿ししときます。どうしようかな・・。
結局、↓剪定前
↓
切り過ぎ?
左側も切った方が?
挿し木の方の芽が成長早っ。 2日位?で次の葉が。
⇒
【ウンベラータ】
今年 5/21 《剪定前》 《剪定後》
⇒
↓
6/29《剪定前》
裏側
こちらも傷んでいる葉と間延びした枝を切ってみました。
これ、可愛いから切れません
結局、剪定後はこんな感じ↓なんか中途半端ですね。
上から見ると・・《剪定前》 《剪定後》
⇒
【エバーフレッシュ】
今年 5/21 《剪定前》 《剪定後》
⇒
↓ 6/29
向きを変えて・・
今年 5/21 《剪定前》 《剪定後》
⇒
↓ 6/29
上から見るとこんな感じ↓。今回、剪定はしませんでした。
剪定ではなくて、成長記録として・・何せ早いです。
【マドカズラ】
ダメだろうなと思いながらも茎だけを水挿していましたら、なんと根っこと新葉が出ているのです。私も頑張らねば!と元気を貰えます。
↓ 2日位?しか経ったてないのに新葉(葉が巻いている)になろうとしてる。
【モンステラ】
↓ こちらも2日位?なのに
頑強で元気な観葉植物の挿し木とか剪定にかまけてまして、他の種類を放置してたんですね、ちびシマトネリコがこんなことに!蜘蛛の巣?とほほ。元の置き場所は玄関の片隅でしたので・・とかなんとか言い訳です。ごめんなさい!゜
しかし、むやみやたらに切ったりして、いつか罰があたるんじゃないかしら。私には、ゴム系(合ってますか?)が適してるのでしょうね。
日々感謝です。
Eテレ「100分de名著 維摩経〜第4回 あらゆる枠組みを超えよ!〜」を観て。苦難の世俗を生きろ!かぁ・・。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は「維摩経」。聖徳太子によって日本で初めて解説された仏典の一つ。
かの文豪・武者小路実篤も「維摩経を読んで偉大な知己に逢ったような気がした」と述べるなど、日本人に親しまれてきた経典です。しかし、現代人には、意外にその内容は知られていません。第4回は、既存の枠組みにとらわれず、解体、再構築を繰り返しながら融通無碍に生き抜く自由なあり方を維摩から学ぶ、というもの。
指南役は、如来時住職・相愛大学教授の釈徹宗さん。著書「なりきる すてる ととのえる」「お世話され上手」で知られる宗教学者・僧侶。
お恥ずかしながら、聞き馴染みのない「維摩経」。ざっくり(としか言いようがない)備忘録しときましょ。
最終回は、中巻の第9章“入不二法門品”から。
“不二”は“2つではない”、二項対立を解体した世界、悟りの世界へと入る道の章、と考えれば良い。“不二法門”について、維摩が並み居る菩薩たちに質問し、30人以上の菩薩たちが次々と答えていく場面。
維摩の問いに菩薩たちは、“対象と主観”“聖と俗”など、様々な例を挙げながら、
それを解体した世界こそ“不二の法門”だと答える。
例えば、徳頂菩薩は、
仏教では、“死”があるのは“生じた”からと考える。大きな生命の流れで考えれば、結び目があって、またほどけて、を繰り返している、そういう目で生命を捉えれば、生まれもしなければ、亡くなりもしないと。この場面で伝えたいのは、“聖”と“世俗”は別々ではないということ、ここにこの経典の主眼がある。
“善と悪”を区別するのは、私たちの日常では非常に大事だと思うが、どうしてこの二項対立はダメなのか?確かに、善悪の区別がないと社会適応できないが、そこにある種の罠がある。例えば、町のゴミ拾いのボランティアをしている人がいて、それ自体はとてもりっぱだが、そのうち、ゴミのボイ捨てをする人に腹が立ち、怒りさえ覚えてくるだろう、これを突き詰めていくと、ゴミを捨てる人と拾う人の二項対立がおこる、世界を二分して考えるのが原理主義、信仰のある人とない人に二分すると世界への認識が歪む、とのこと。
続いて、珠頂王菩薩がこんなことを言う。
これまで維摩が説いてきた大乗仏教と初期仏教の対立すら否定。いわば、維摩経自体の立ち位置すら外そうとする言葉。
維摩は30人以上の菩薩たちから意見を聞いたあと、ついに文殊菩薩にも言う。
ここは、なんといっても維摩経の有名な場面。
維摩が沈黙を示したことで、みなが雷に打たれたように“不二の法門”について悟るという場面。宗教というものは、限界まで知性と学びで行くけれども、そこから先行き着けないところまで行くと、黙って飛ぶしかない、ということがある。
では、最後の下巻へ。第10章“香積仏品”。
香りに満ちた仏の国で、香りで教えを説く衆香国の菩薩たちが維摩の所へ来る。仏の国は一つではない?我々のこの世界にお釈迦さまは登場して下さったが、パラレルワールドのように、様々な次元があって、様々な仏の国で、様々な仏が教えを説いている、そういう思想が大乗仏教の大きな特徴のひとつ。
話を戻して、衆香国の菩薩たちは、自分たちの国では香りで教えを説いているが、そちらはどうなんですか、と維摩に問うと・・
これ、この経典の根っこの部分。普通の暮らしが理想だが、出来ないなら出家するしかないという思想。
伊集院さんは、大事なことは何ですか?って話だと思うが、有り難いお経を聞くと悟れるんだって時に、じゃあ、耳が聞こえない人は悟れないのか、この香りで満ちてる国の人たちが香りでいろんな教えを聞けるならば、大事なことはそこじゃないってことになりますね、と言う。
指南役は、香り・音・光など、あらゆるものが仏教の法(真理)を説く、求める心さえあれば、大きく言えば、仏教の構造自体がひっくり返ってる話だと解説。
続く、第11章“菩薩行品”。
無事に維摩のお見舞いを済ませ、第9章“入不二法門品”も聞けた文殊菩薩一行は、釈迦のもとへ戻って来る。素晴らしい香りを放ちながら戻ってきた文殊菩薩たちを見て、釈迦のもとに残っていた阿難は、香りの意味に気づき感嘆の声をあげる。
釈迦は阿難に応えて言う。
さらに、釈迦の口から維摩の正体が明かされる。
なんと、維摩は仏国土からやってきた人だったのだ。‘妙喜国’とは、西方にある阿弥陀仏の極楽浄土に対し、東方にある阿閦仏の仏国土。
伊集院さんは、やはりただ者ではなかった、ひねくれ者でもなくその国での素直な意見だったのかもと驚く。
異世界から来た人物の話は経典に多い。維摩の娘が登場する経典『月上女経』もある。光の中から生まれた絶世の美女で、次から次へと来る求婚者に対して難題をふっかけて断るという、『竹取物語』の源流だと言われている。
そして、第13章“法供養品”。仏道修行で拠りどころとなる“法四依”が釈迦によって語られる。
①言葉に振り回されない
②本質を見抜く
③語る人に惑わされない
④経典の枝葉末節に捉われない
現代の我々に特に大切なのは、①と②ではないか。情報過多の現代、時間がかかっても自分で咀嚼して身につけよう。
指南役は、学生たちにも、次から次へと情報を消費しているタイプと少なくても自分なりに情報を消化するタイプがいて、後者の方が失敗した時に立ち上がる力が強いと話す。
ついに最終章の第14章“嘱累品”。“嘱累”とは、釈迦が教えを人に託すこと。集まった弟子や菩薩たちを前に、釈迦は最後にこう語る。
続いて、仏道を歩む者の在り方や躓きやすい事柄などを説いた。次の仏陀となる弥勒菩薩を始め、一同は釈迦亡き後もこの教えを正しく守り抜いていくことを誓う。フィナーレを迎えた維摩経、最後に阿難が釈迦に問う。この教えを何と名づけましょうと。釈迦は答える。
最後は釈迦の言葉で終わるっていうのは経典らしいと伊集院さんは言う。指南役は、一応仏教経典の様式に沿っており、お坊さんの間で、法話や説教をする極意として・・『はじめしんみり なかおかしく おわりとうとく』という言葉があり、そうすればみなさんに聞いてもらえる。まるでその通りの経典。
伊集院さんは、維摩経を振り返って、在家の在り方を教えられたと言う。例えば、研究者の人が、世の中のことなんて一切関係なく、籠ってひたすら研究だけしていたい!というと、それも一つの在り方だけど、社会生活で見た事が、あっ、これって自分が研究してることとつながるんじゃない?と、より自分の大切にしている世界に厚みを与えたりする気がすると。
指南役は、これはりっぱなお仕事で、これはつまらない行為っていう枠をはずしてみると、世界が違って見えたりする、何回も出てきたが、世俗の中に紛れてこそ悟りがあると話す。さらに、どこにも逃げ場がないんだ!っていう気がする、今を引きうけて・・
というメッセージだと思うと。また、仏教が説くように、自分という枠が強いほど我々は苦しむ、自分というものを守るために、いつもバリアを張っている、それを外すために、人の世話をしたり、されたりするっていうことを考えてみようじゃないかって提言している。
“お世話上手 お世話され上手”という言葉を使って、指南役は高齢者の介護施設を運営しているNPO法人代表をしている。そこで気づいたことがあるよう。ある年代から急にお世話されるのが苦手な世代があることに。だんだん都市化するにつれて、人に迷惑かけたくない、迷惑をかけなければ自由という価値観は美徳ではあるが、傲慢でもあると言う。自分というバリアをおろして、人のお世話になるのに達者になっていかなければならないのでは、そして、この維摩経が説くように、次々と枠を解体・再構築して生きていけっていうのは我々にとって大きな知見・ヒントじゃないかと締めくくる。
伊集院さんの感想で・・僕は、貸し借りのない人生がいいんだと思いがち、まあ、それには限界があって、最後の下りはずしっとくるお話しで・・とあり、全くの同感でございます。私、現在、身内の問題で、ここのところずっと思案中。自分という枠が強すぎて、返って自分を苦しめている、人のお世話をする、誰にも迷惑かけなければ自分の自由でしょって価値観は傲慢でもある、などなど、痛いところを突かれてます。
“苦難の世俗を生きろ”、逃げ場はない、ですかぁ、そうですよねぇ、そうハッキリ言われますと、潔しではありますが、重い腰を上げるといいますか、よし!と全てを引きうける覚悟をするには時間がかかりますね。私、面倒臭がりで諦めが早いので、ずーっと考えても堂々めぐりですと、やがてマイナス思考パワーに疲れて、まあ、命までは取られまいと開き直って受け止めてしまうんですよねぇ。貧乏性です。二項対立をなくす不二の法門とか空の思想というより、“虚”です、“虚”。生きることは苦行ですよねぇ。維摩経・・とても興味深くて楽しゅうございましたが、身内問題と重なってしまい、リアル過ぎてずしっときました。ふぅ。
日々感謝です。
水挿し中の観葉植物〜ウンベラータ・プミラ・アイビー・マドカズラ〜を土に植替え。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
ここのところ気になっておりました水挿し中の観葉植物たちを、やっと土に植替えてみました。そのままでも構わなかったのですが、マドカズラとウンベラータはちゃんと大きく育ててみたかったのです。本日はお天気が不安定でしたので、デッキではなく、なんと、玄関先で道具を広げて作業いたしました。まあ、誰も来ませんので。
右奥から時計まわりに、ウンベラータ、アイビー、プミラ、マドカズラですね。仕立て直しに挑戦した際に切った枝たち。根っこがもさもさ生えているものもございます。
【ウンベラータ】これは根付いてくれそう
2週間少しでこんなに根がもさもさ
【マドカズラ】これも期待できそう
丈夫そうな根
くねくね茎は切った方がいい?
あまり活発ではないグループ
結局、今回は、ウンベラータ2本、マドカズラ3本にしました。
ウンベラータは真っ直ぐなので、そのまま深めに植えましたが、マドカズラはくねくねしていますので、なんとか真っ直ぐになるようにくねくねした部分が隠れるように深めに土をかけました。どうしても自立不可能なものは添え木を。
⇒
【アイビー&プミラ】
根が出ているものとそうでないものとに分かれます。
以前も使ったことがあるロックウールブロックというものが余っていましたのでこれを使用。これに根が張ったらそのまま土に入れても良いのです。前回失敗したものもあります。今自宅で育っているアイビーとプミラは、これで成功したものです。ちょっと時間かかるのかな。
もともと真ん中に小さな穴は空いているのですが、竹串などでさらに広げた方が、根が出ている場合は傷つきにくいかも。今回、結構根が長くなっていましたので、ゆっくり丁寧に挿しましたら、飛び出してしまい、無理やり折り返して入れ込んで大丈夫かどうか悩みましたが、根の先を出したままにして乾いてはいけないと思い、やさしく入れ込みました。なにやら失敗の予感?
この後、水をたっぷり吸わせて出来上がり。当分乾かないように、でも腐らせないように水やり。明るい日陰に置くんですよね。このブロックを入れるプラスチックの箱、製氷皿みたいな感じかな、それも売ってると思いますが、横着な私はこれで。
モンステラも健康そうな根が生えているのですが、土も無くなったことですし、もう少しわさわさするまで先延ばしです。
日増しにアナベルがでかくなる気がする
ホント、こんなに増やしてどうしましょ。
日々感謝です。
Eテレ「オイコノミア〜お笑いで読み解く! 貿易の経済学〜」を観て。ただただ懐かしい・・。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
レギュラー視聴しているEテレ「オイコノミア」。今回のテーマは〜お笑いで読み解く! 貿易の経済学〜。1960年代から現在までのテレビを中心とした「国内東西お笑い史」を題材に、貿易の古典的理論からノーベル経済学賞候補の新理論まで学ぼうという前代未聞の大胆企画!という内容。ゲストはラサール石井さん。ざっくり備忘録しときましょ。
貿易というと、国と国の間でモノが行き来することを思い浮かべるが、サービスもその対象。東西のお笑いで考えると、大阪の芸人が東京で仕事をするのは、大阪から東京へのサービスの輸出(今回は、東西それぞれを一つの国として考える)。また、消費者が移動するサービス貿易もある。例えば、日本人が海外旅行に行く場合、その国の観光サービスを受けることになる、これは日本がサービスを輸入していると経済学では考える、逆もしかり。私たちが想像する以上にいろんな貿易のかたちがある。
では、お笑いの歴史をみていく。
【1960年代〜】
東京・・1966年結成 コント55号
1964年結成 ザ・ドリフターズ
大阪・・1966年結成 横山やすし・西川きよし
1966年デビュー 桂文枝(三枝)
この頃は、東西交流はなかったよう。いつ頃から交流したか?大阪で1967年から放送した深夜ラジオ番組MBS「ヤングタウン」で、仁鶴さんや三枝さんが人気となり、テレビ番組「ヤングおー!おー!」スタート、それがまた人気となり、全国ネットになった。大阪発信の番組で、若手芸人の登竜門と言われていた。
【1970年代〜】
東西の貿易が始まった。東京は主に俳優さんを主としてドラマを制作し、大阪に輸出。大阪はお笑いが得意で芸人を東京へ輸出。それぞれの地域で得意なものを輸出し合っている。こういう貿易のことを・・
19世紀、イギリスの経済学者・リカードが唱えた。大阪は、俳優よりもお笑い芸人に比較優位があって、東京はその逆。絶対優位ではない。わかりやすく言うと、例えば、ひとつの番組に芸人と俳優の両方が出る場合、番組の出演料を生産性とみなして考えると、仮りに大阪で養成された芸人の生産性は300、俳優の生産性は200、一方、東京の俳優は200、芸人は100とする。もし、大阪で俳優も芸人も要請すると、大阪の生産性の合計は500、東京は300。
大阪は豊かだからこのままでいいかな、東京もまあいいかなとは思うが、実は、大阪の人は俳優にならずにみな芸人になり、東京の人は芸人にならずに俳優になる、そして需要ににって大阪の芸人は東京に輸出、逆もありとしてみたら・・
お互いが得意なことに特化して貿易すると、大阪の人の生産性は600、東京の人は400になる。ということは、大阪も東京も得をする。
ここで、日本で実際に行われているサービスを利用している例の紹介。フィリピン人女性の家事代行サービス。フィリピンは世界でも有数のサービス輸出国。英語を話せる人が多く、現在の人口の10人に一人が国外で働き、GDPの約1割がサービス輸出の収入。フィリピン政府も国外で働くことを積極的に進めている。また、養成学校や国家資格を作り、世界中に質の高い家事代行サービスの輸出をしている。日本で利用する人は、日本人だと年上の方が来られて頼みにくいのとフィリピンの方なら慣れてらっしゃるからということで人気が高い。さらに、子供の英語教育のため英語が話せる点が良いらしい。この家事代行サービスは日本政府も注目しており、今年3月には家事支援を目的とした在留資格を持つフィリピン人25名が来日。
話しは戻って
【1970〜80年代】
1970年代後半に人気だったテレビ番組「8時だヨ!全員集合」「欽ちゃんのドンとやってみよう!」など放送。萩本欽一さんやザ・ドリフターズの番組、北野たけしさんのツービートが1973年結成。東京のお笑いもこの時期どんどん発達。ただしネタ番組ではない。大阪はこの間、どんどんネタを作っていて、それをフジテレビが目をつけて、東京の番組に呼ぶ、ここに火が点いて1980年代の漫才ブーム到来。火付け役となった番組が「THE MANZAI」。これにより、大阪のお笑い芸人が一気に注目を集めると、その多くは活動の場を東京に移し、東西の芸人が全国ネットの番組で一緒に活躍するようになった。
その頃、さんまさんは大阪ではスターだったが、MANZAIブームが過ぎ去って先輩たちが疲れたころが自分の出番だと、力を蓄えていた。そして、「笑っていいとも!」の前身番組「笑ってる場合ですよ!」で東京に来て、通いは効率悪いからと東京に移り住んだらしい。東京に居を移したのはさんまさんが最初の人。
この頃になると、大阪の芸人だけではなく、東京の芸人も活躍するようになった。全国ネットだから大阪の人も東京の芸人を観るようになった。ということは、お笑い先進国同士が、同じお笑い貿易をし始めたということ。これ、大阪の人にとってみれば、東京にも大阪にもお笑いがあるのに、どうしてわざわざ貿易をするのかという気持ち、これを経済学で説明すると・・アメリカの経済学者 ポール・クルーグマンは先進国同士が、同じ産業で貿易する理由について考えた。
お笑い芸人がたくさんいたら質が上がっていく。そして、東京と大阪の目指すお笑いはタイプが違い、視聴者はどちらも見ることができる。こんなふうに産業内でも貿易が行われるようになった、これが新貿易理論。こんな東西のお笑いが融合した番組としてブレイクしたのが「オレたちひょうきん族」。
【1990〜2000年代】
お笑い界で様々な芸人が活躍するようになつた時代。ウッチャンナンチャン、ダウンタウン、とんねるず、ナンティナインなど。経済界では、メリッツが提唱した貿易理論が注目を集めるようになった。
これを考えた人は将来のノーベル賞候補じゃないかと言われている。きっかけは、2000年にアメリカで行われた調査。アメリカで創業している約550万の企業の中で、輸出しているのはわずか4%、さらにこの中の上位10%が輸出総額の96%を占めていることがわかった。つまり、貿易で利益を得ているのは、輸出大国と言われた国でもごく一部の企業に過ぎず、多くの企業は貿易を行っていなかった。生産性の低い企業の多くは輸出企業としては参入できないし、してもすぐ撤退する。
この構図はお笑い界に似ているよう。たけしさんやタモリさんたちが頑張っていて世代交代ができていないと言う。この頃、人気芸人は番組の司会もしたり、冠番組を持つことが増えていった。「ぐるぐるナインティナイン」「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!」「とんねるずのみなさんのおかげでした」など。売れる芸人が増えても、そうでない芸人もいる。これをどうやって“新々貿易理論”で説明するかというと・・
まず、移動しなきゃいけない、例えばその舞台まで行く交通費があるかどうか、そのコストを超える生産性があるかどうか。もうひとつ、一度移動したらたくさんの仕事が出来て、人気が上がる、大きなマーケットが広がる、そのラインを超えるか超えないか。つまり、貿易をする企業としんい企業で格差が生まれる、これが“新々貿易理論”。
これが、大阪芸人が東京に住むってことらしい。さらに進むと、大阪は芸人を送り込んだだけじゃなくて、東京にも養成所とか事務所を設立したりする。
では、ここまでのおさらい。
ここまでは、何の制限もなく芸人が自由に行き来できる“自由貿易”。ところが、この逆を行こうとする流れが。アメリカ大統領のトランプ氏は一貫して唱えているのが“保護貿易”。この政策もお笑いで読み解くと、国内・国外にどんな影響をもたらすのかがよくわかる。東京国の大統領がトランプ氏だとすると、大阪国からどんどんやって来る芸人に対して、壁を作ったり、東京で仕事をする際に税金をかけたり、こうなると、税金を上乗せしたギャラになり、東京のTV局からすれば高いので、結果大阪の芸人を呼ばなくなる。
実際の貿易だと関税のこと、輸入品には高い関税をかけて自分の国の産業を守ろうとする、トランプ氏もアメリカ産業を守ろうとしている。さらに、参加予定だったTPP(環太平洋パートナーシップ協定)からの離脱を表明。保護貿易を推進することでアメリカの失業者を減らし、雇用を増やそうと考えている。
しかし、こうした政策は本当に有効なのか?
お笑いの話でいえば、面白い人が東京に来なくなり競争が減り笑いの質が低下、東京の芸人の仕事は増えるかもしれないが全国ネット番組の質も下がるかも、すると困るのは視聴者、質の低い番組は視聴率も下がるから、ギャラも下がるかも、そして国民の所得も下がっていく可能性も出るという話。
トランプ氏の話に戻ると、自由貿易よりも、国民の所得が下がる可能性があっても保護貿易による雇用の確保を目指している。
スタジオでは、5年後、10年後のことを考えると自由貿易の方がいいんじゃないかと思ったりしますけどね、と話している。
又吉さんは、お笑いの場合は、食べるためにやっているというよりは、好きなことで食べてたいという人たち、本当に食べれなくて生きて行くために他の職業を選ぶのも一つの手、そこがわからないと別のチャレンジもできない、また、すごい人は入って来ないで、こっちはこっちでやっていくからと同じメンバーでやっていって、果たしてお笑い界の進歩や劇場にお客さんを呼べる可能性があるのか、ですよね、と話す。さらに、その中にもし、自分が入れないんだったら別のチャレンジをするタイミングなのかなって考えておかないと、ほかに、ライバルは貿易だけじゃない、娯楽はお笑いだけじゃなくて、ゲーム、スポーツ、音楽などたくさんあり、ブームを終わらせてしまうと才能を持って行かれる、と付け加える。 (完)
この「オイコノミア」、一般常識として知られている事が多いのかもしれませんが、私には初耳ネタが結構ありまして毎回丁寧に工夫されているなと思います。お笑い大好きで、コント55号やドリフの番組なんてリアルタイムで観てまして、貿易とは関係ないけれどとても懐かしゅうございました。
備忘録には綴ってませんが、ラサール石井さんと又吉さんのさんまさんネタに笑えました。ある番組で、たけしさんが、さんまさんのそばの床にそっとバナナの皮を置くのを、さんまさんは何気に横目で密かに見ていて、ひとしきり喋って、立って歩いて、あららと滑る、また、置く、横目で見る、滑る、今度はさんまさんが、たけしさんのそばにそっと置く、密かに横目で見ておく、滑る・・滑るたびにドカンドカンと笑いが起こる・・この二人のアドリブで10分間笑わす光景を見た石井さんは、凄いな、俺、ついていけない、と思ったらしいです。
又吉さんは、さんまさんとコントをする機会があり、本番5分前にコレとコレとコレって振りを言われて、スタッフさんも大騒ぎ、おいっ、又吉、大丈夫かっ?応えられるかっ?って、で、少し僕をひとりにして下さいっ!と言って一生懸命考えて、紙に書いて持っていたら、本番寸前でさんまさんに、おまえ、こんなん見んとアドリブでやれっ!って取り上げられたと話していましたが、これには笑うというより、笑いに命賭けてる感が伝わってきました。
ん?今回は、私にとりましては、ホント、貿易より、お笑いのおさらいの回でございました。
日々感謝です。
我が家の庭の観察記録㉜〜ヤマモミジの赤ちゃん〜
こんにちわ、SUMIKICHIです。
また気が向きましたので、我が家の庭に勝手に種が飛んできて自生してくれてるヤマモミジの赤ちゃんたちの成長具合を記録しときましょ。左側が発見した日付、中央はその一週間後位、右端が一週間前位、その下が本日、それぞれの写真。ボケてます。写真の大きさを揃えてないのはダメですね。
⇒⇒
↑4/23頃 ↓
↑6/25
⇒⇒
↑4/24頃 ↓
↑6/25
⇒⇒
↑5/16頃 ↓
↑6/25
⇒⇒
↑5/20頃 ↓
↑6/25
⇒⇒
↑5/23頃 木の下にあるので日照時間が短い? ↓
↑6/25
⇒⇒
↑5/23頃 ↓
↑6/25
⇒⇒
↑5/25頃 デッキ下にあり日照不足? ↓
↑6/25
⇒⇒
↑5/25頃 ↓
↑6/25
⇒⇒
↑5/31頃 なんか成長してくれてる! ↓
でも、誘拐された?
⇒⇒
↑ 6/13 やっぱりダメかな 復活しそうにない ↑6/25
⇒⇒
↑6/14 ↑6/25
置かれた場所によって成長のスピードが明らかに違います。先日、9番が何者かに連れ去られたようですし、10番はやはり復活の兆しがないようですし、木陰の5番とデッキ下の7番は成長が足踏み状態ですし、様々です。ふと、出遅れているモミジは、しばし様子見も良いのですが、植え替えてみるという手もございます。いつのタイミングがベストなのでしょうか。樹木は秋頃がいいんでしたっけ。たくさんあるから一つくらい実験してみてもいいんじゃない?とは思いますが、どれも愛着が湧いていてダメにしたくないのでございます。って、土と一緒に植え替えするから、そんなに悩まなくても良いのかしら。梅雨明けまで待ちましょ。
日々感謝です。