Eテレ「世界の哲学者に人生相談」を観て。死ぬことを練習・・・。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
‘哲学’という言葉に弱い私。コンプレックスの裏返しで、時折、街場の‘哲学’してみたくなるのですが、番組表で何やら楽しそうなものを見つけまして視聴致しました。Eテレ「世界の哲学者に人生相談」。ニーチェやカント、偉大な哲学者に悩みをぶつけたらどんな「名言」で答えてくれるのか?前向きに生きるヒントになるかも、ふと立ち止まって、一緒に「哲学」しませんか!という内容。ちょっと予想外の井戸端会議的哲学劇場でございましたが、ざっくり備忘録しときましょ。
スタジオに集まったのは、プラトン、ソクラテス、アリストテレス、カント、ニーチェ、ベンサム、ルソー、アラン、デカルト、ドゥルーズ、ボーヴォワール、サルトル、孔子、西田幾多郎、老子、と錚々たる哲学者たち(似顔絵仮面を被った人たちですけどね)。
まずは、哲学者の名言で人生が変わった人を紹介。
神戸市在住の新藤里恵さん 38歳。いつも読み返している言葉は・・
7年前、待望の赤ちゃんが生まれて、嬉しくて、嬉しくて、この子のためにりっぱな母親にならなきゃと心に誓ったのだが、その想いが逆に里恵さんを苦しめていた。実家の父親が抱っこして可愛がってくれても、口の中の虫歯菌が唾で飛んでうつるから歌わないで、などとかなり神経質に。理想の子育てを妨げる敵のように見えていた。夫に対しても敵意が芽生え、やることなす事が気に入らず、ぶつかってしまうこともしばしば。本当に敵しかいない、なんでこんなに上手くいかないんだろうと精神的にひとりぼっちだったという。
そして、向かった先は図書館。何気なく手に取ったのが、ニーチェの本「ツァラトゥストラはこう言った」。しかし、当時は何を言ってるのか全然わからなかった。でも、何か気になっていた。その後、里恵さんに双子が生まれ、理想の子育てはさらに難しくなってくる。ところが、3年後のある日、周りの人たちへの想いが一変する出来事が起こる。電車から降りるとき、子ども3人のうち2人が寝てしまい、両方を抱きかかえて帰らなきゃ、1人はどうしようって困ってたら、私が抱っこしてあげるわって、見ず知らずの人が家まで運んでくれて、とても嬉しかった。
そのとき頭に浮かんだのが、あの言葉だった。特に胸に刺さったのが“敵”“あなた自身”という言葉。そうか、敵だと思っていたのが自分だったと、自分が敵を作り出してたんだなと。席、どうぞとか手伝いましょうか、と言ってくれた人がいたはずなのに、いいですって言ってたから気づけてなかったのかな、と里恵さんは言う。二―チェの言葉で新しい世界が見えたという里恵さん。今ではみんなが味方。
ニーチェは“超人思想”を掲げている。弱い自分を超えていくには、敵を倒しててかなければならない。敵は自分の中に潜む。その背景には、ニーチェの人生がある。幼い頃から天才と呼ばれ、20代で大学教授となったが、書いた本が認められず大きな挫折を味わう。さらに、最愛の女性から結婚を拒否され孤独な人生を送ることに。自分自身の弱さを見つめ、乗り越えなければならないと考えた。
失意の中、ニーチェが自らに向けた言葉でもあった。
名言とは、聞いてすぐに響くものじゃなくて、落ち込んだとき、迷ったときに、そういえばあんな言葉があったなと蘇るもの。視点が変わるきっかけになる。
次は、番組に届いた2,300通の視聴者からのお悩みに名言でお答え。
このお悩みには、この方の名言で。
この中で、アランが一番ポジティブで楽観的、何でも良い風に考える。
20世紀前半、フランスで活躍したアラン。幸福について考え続けた幸福の哲人。彼の書いた「幸福論」は、日本人に向けたわかりやすいエッセイのようなもので、とにかくポジティブで前向き。積極的に動き、受け身にならないで自ら幸福を作り出す。それがアランの主張。だから、結婚後もお互いに大切にしなさいとのこと。
もうひとつ、アランには名言がある。
結婚生活も、楽しいのが結婚、ではなく、自分が楽しいから結婚生活も上手くいく、と考える。
ここで、ボーヴォワール登場。
ボーヴォワールとサルトル。20代で出会った2人は互いに惹かれあい、50年もの間、パートナーとして添い遂げた。彼等は‘契約結婚’という自由恋愛を認め合い、束縛しない新しい結婚のかたちを作る。根底には、自由な選択にこそ価値があり、互いの意思を尊重することで2人は常に強い絆で結ばれていた。サルトルの死後、彼への50年の想いを綴った「別れの儀式」をしたためる。その中の一節、2人の絆を表現した言葉である
名言とは、ときに物事の見方を変えてくれる。
続いては、人生に関する深いお悩み。
サルトルは“実存主義”。自分で人生を切り開く哲学。置かれた環境とか評価を気にせずに、自分でどんどん変えていけば良い。
そもそも、何を持って成功というのか?
18世紀、スイスに生まれたルソー。戦後、両親を亡くし10歳の頃には天涯孤独の身となる。成人してからは、時の権力者に危険人物とみなされ、ヨーロッパを転々とする放浪生活を送り、66歳で亡くなった。しかし、様々な地で多くの人と交流し、この言葉が生まれた。
ここで、西田幾多郎の名言登場。
明治時代に活躍。西洋哲学と日本独自の思想を融合させ、いわば、日本哲学の父とも呼べる偉大な哲学者。西田がこだわったのは、良いことを意味する“善”という言葉。著書「善の研究」はベストセラーになった。西田の善とした人格の実現とは、周囲に惑わされず、自分自身の価値観を確立すること。
ここから、哲学的思考を深めるために思考実験。ありえない設定の超難問を作り、あえてそれに挑戦。古くから哲学者たちは、この思考実験を重ね、思考トレーニングを行ってきた。有名なのは古代ギリシャ時代の思考実験『アキレスと亀』。俊足自慢のアキレスがのろまな亀を絶対に追い越せない理由とは何か?を考えるもの。このような問いをめぐって大論争。思考実験は脳の訓練だけでなく、普段は気づかない物事の本質に迫るためのものなのだ。(結局、番組では答えは紹介されず)
では、今回の思考実験のお題は・・
今、あなたが乗っていた飛行機が不時着し無人島にいる。
生存者はあたなを含め、AさんとBさんの3人。
助けを呼ぶ方法が無く、食糧は底をついた。
このままでは3人とも餓死、特にBさんは衰弱がひどく今にも死にそう。
すると、Aさんがあなたに、こんな耳打ちをする。
「Bさんを殺して食べて生き延びよう」と。
さて、どちらを選択する?
①Bさんを犠牲にして生き延びるか
②我慢してみんなで餓死するか
出演者4人は①と②で真っ二つに。生きたいし、もうもたないのなら・・でも、人として人を殺して食べるのは・・食べて生き延びてもずっと頭に残る・・・と色々。
みんな死ぬより誰かが生き延びた方が良いと考えるのが“功利主義”。少しでも多くの人が幸福になることを良しとするベンサムの考え方。一方、いかなる場合も、人間を手段にしてはいけないという“カント倫理学”の考え方。
さらに、思考わ深めるため厳しい質問が次々と・・
例えば、犠牲になるのが自分の家族だとしたらどうか?では、逆に、誰かを犠牲にすることはダメなのか?もし、仮に、本人がいいって言ってたらどうか?
出演者の一人は、本人がいいって言ってても、人を殺すのは嫌だと言う。ならば、その人が最初から死んでいたらどうか?だったら、その人の意思がもうないからいいかも、でも、人間を食べるっていうのは抵抗があるけど・・と答える。
では、臓器移植とどう違うのか?(いきなり飛ぶのね)
臓器移植は、誰かが亡くなって(脳死なのかな)、別の身体に入れてその人が生き延びる、ってことだが、それは、自分が手をくだしてないから、逃げ道は必要だよね・・エトセトラ。というか、我々出演者(芸能人)ではなくて、有識者たちで話し合った方がいいんじゃない?ってことで終了。
ちなみに、今さらですが、司会は高田純次さん、解説 山口大学准教授・小川仁志さん、ゲストに池田美優さん、西川貴教さん、磯野貴理子さん。
哲学というのは、生きて行く上で何があっても大丈夫なように、日頃からトレーニングしておくということである。トレーニングすることで、思考が浮き彫りになったり、考え方を見つめ直したり、物事の本質について深く探求していける。
最後に、西川さんのお悩み相談。
みんな死に近づいていくけど自分の死が受け入れられない、どう受け入れたらいい?
小川先生曰く、考えるしかない、死ってなんなんだろうって。すると、「だんだん受け入れられるようになる」とソクラテスは言っている。
古代ギリシャに生きたソクラテス。人生の全てを哲学に捧げたまさに哲学の父。人はどう生きるのか、そして、どう死んでいくのか。哲学の最も大切なテーマとして問い続けた。そんなソクラテスは死刑を言い渡される。しかし、死について考え続けた彼は、怖れることなく受け入れた。
西川さんは、自分の頭の中には、今やりたいことがいっぱいあって、全部やるには時間が足りないという。モデルの池田さんは、自分は明日死んでもいいと思ってる、だから、やりたいことやったらいいじゃないとキッパリ。そこにすかさず、磯野さん、あなた若いからわかんないのよ、とツッコム。司会の高田さんは、俺のやりたいことって、24、5歳の若い女性と仲良くなりたいってくらいのもんよ、と口出しし、みんなからヒンシュク。そんなチグハグな様子を見て、みなさん、今、凄い話してるんですよ、古代哲学者たちもこんな風に議論し合ってたんですよとフォローする小川先生。えっ!?私たち、ソクラテスレベル!?と磯野貴理子さんのお約束のボケで番組終了。 (完)
初めての哲学入門のさらに入門編という感じで、楽しかったといえば楽しゅうございました。ソクラテスの言葉、「正しく哲学している人びとは 死ぬことを練習しているのだ」というのは存じ上げませんでした。死ぬことを練習って、それは、逆に生きてる実感を味わっているってことになりますでしょうか。難しい・・。
そうそう、人間の肉を食べるか、食べないかについては、Eテレ「100分de名著」の先月の課題本『野火』」でも取り上げられていまして、結構気分が沈んでしまいましたが、結局、私はどうするのかなぁ(他人事?)・・諦めて、その場で静かに目を閉じて・・でしょうか。‘生’への熱がどれだけあるか、なんでしょうね。
話がソレたついでに、本日、とっても心温まる出来事がございました。昨日、居候Kくんが駅のトイレに定期券&小銭入れを置き忘れたことを、今朝出掛けに気づき、ああ、それはもうないかもねぇ・・と姉弟でやりとりし、ダメもとで駅の拾得物窓口に電話で問い合わせましたら、なんと、なんと、男子高校生が届けてくれていたようで、もぉー、感動!でございました。名乗るほどの者じゃござんせん張りに、どこのどなたかは不明なままなのですが、このまま誠実な大人の道へまっしぐら進んで頂きたいと思います。わざわざ、トイレから窓口まで運んでくれたわけです。 この当たり前の行為がなかなか、ね。哲学とは一切関係ない話でございますが、どうしても、この感動を本日のブログで綴っておきたかった、のです。
日々感謝です。