今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

もったいない!賢く使い切るヒントを観て。我が家にもある使い古しの歯ブラシ。

こんにちわ、SUMIKICHIです。 

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私の口角炎はだいぶ落ち着いてきたのですが・・結局、皮膚科には行かず、洗顔料や基礎化粧品も一切使わず、口角には、薬局で買った白色ワセリンを乾燥したら、ちょこちょこ少し塗り、チョコラBBを朝晩食後に飲み、頬の赤み部分にはノニジュースを塗って・・一週間くらい経ったかな、引いてきたような・・。

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しかし、現在は、口の周辺からまぶたの二重部分の腫れと赤みに移り、少し突っ張っている感じでございます。
まあ、夜痒くて眠れないということもなくぐっすりですので、あまり焦らず、くよくよせず、無職だからだらだらせずに、きちっとしなきゃ病から離れて、昼寝したり、休息しながら生活しています。って、これまでも毎日休息の日々でしたけど。ただ、在宅中もマスクがはずせなくて面倒くさいです。乾燥すると突っ張って痒くなるので。先日、ひまし油が良いとコメント下さった方がいらっしゃいましたが、まだ試してなくてすみません。つい、予算が・・とか考えてしまいまして。

 

それと、居候Kくんの姿を見て、イライラするのもしばしお預けにしようかなと。自分の心の奥底にある、自分自身に対する後ろめたさや不安をKくんに重ねて・・つまり、平たく申しますと、八つ当たり?なのかもしれないなと考えたりします。実際、Kくんの大人になりきれていない(本人は気づいていない?)部分はどうかと思うんですけどね。

そのKくん。数日前、契約仕事関連でトラブルを起こし、現在別の在宅仕事を始めることになりました。このときばかりは、私の堪忍袋の緒がキレ、感情をぶつけて(決して○○女性議員のような暴言は吐いてません)しまいましたら、さすがにKくんも「甘えてたんだね・・ちよっと、マジになってきた」と、初めて見たらしい私の涙ながらの訴えを本気で受け止めたよう。ホントに?と疑心暗鬼ですけどね。

そして、すぐに仕事先をなんとかせねばと色々と連絡をとり、11月から決定している正社員中途採用を10月からに、それまでの一ヶ月は在宅でアルバイトをさせてもらうことになったようでございます。次々と決まるのは大変有難いことではございますが、ちゃんと責務を全うしてほしいな、人として、と思うのでございます。 

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で、在宅でゴロゴロが始まるのは危険ですので、心を鬼にしながら、表面ではソフトに、朝は定刻に起きようねー、水やりよろしくー、昼から夕方まで電車定期券があるんだから外に出ようねー、身綺麗に暮らそうねー、エトセトラ、いちいち指図?しております。

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f:id:sumikichi52:20170831135746j:plain 男臭対策

少し心を入れ替えたのか、元気よさそうに動いてくれてます。その代わり、私も、送り迎えや食事の支度、洗濯、エトセトラ、精一杯やらせて頂いております。

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気づくと、Kくんに文句を言う分、自分自身も以前よりきちっと整頓したり、食事に野菜が増えたりしているんですよねぇ。

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ただ・・Kくんの荷物による家のごちゃ感はちょっぴりイラっときたりしますね。

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生活費も予想外に増えております。食材も二人分になるとこんなに!?ってほどに。独り暮らしのときのような感覚ではとてもじゃないけれど家計赤信号点滅ですので、食材選びも単価を下げて慎重に、さらに使い回しの技を習得しなければ!と日々家計運営に取り組んでおります。Kくんと自分の将来ばかりを憂いている場合ではございません。目の前の生活をなんとかするのが先決。てなことで、最近目につくのが、節約とか。

 

で、ここで、先日観た番組の備忘録をしときましょ。

NHK「ごごナマ 知っとく!らいふ〜もったいない!賢く使い切る〜」

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≪あまったパン粉で技ありスイーツ ふんわりチョコレートケーキに!≫

 材 料  乾燥パン粉     40g(カップ1弱)
      ベーキングパウダー 小さじ1
      ココアパウダー   大さじ2
      バター       50g
      砂糖        50g
      卵         1個分
      牛乳        100ml

  ①ベーキングパウダー・ココアパウダーをパン粉に混ぜる
  ②溶かしバターに砂糖・卵・牛乳を混ぜる
  ③合わせて5分間なじませる
  あとは電子レンジで4分間チン!するだけ

これは面白そう!とメモいたしましたが、待てよ、ベーキングパウダーとかココアパウダーなんてものがそもそも無い、買ってしまうとそれ自体がもったいないことになるぞ!?と思い直し、作ってみるのは止めにいたしました。持っている友人におすそ分けしてもらうか、いつかお菓子作りなんぞに興味が湧きましたらその時に試してみましょ。って、そんな日は永遠に訪れないであろう、この私には。

f:id:sumikichi52:20170831135736j:plain 手持ちのパン粉は生なのでダメだな、そもそも

 

そして、もうひとつ。使い古した歯ブラシの再利用方法

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真っ直ぐのままだと使いにくい場合があるので、曲げるよう。我が家にも数本、そうじ用に便利かなと捨てずにいるのですが、あまり使っていないなぁ。簡単そうでしたので早速やってみました。

  ①熱湯を入れた器の底に、歯ブラシを曲げたい方向に押しつける。   

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  ②曲がってしばらくした後、冷水につけて固定。

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     ※曲がらないようなら無理やりしない。
     ※ブラシの先をはさみで揃えると良い。

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これは、使えそうでございます。

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Kくんのおかげで、節約しよう!という気にはなっておりますが、Kくん経費がかさんでいく方が多いのはどうしたらよいものか。同じ生きる時間を過ごすのならば、文句たらたら顔でいるより、嫌でも口角を上げて穏か顔でいる方が良いに決まっている、と頭ではわかるんですけれどもねぇ・・。男性のことはよくわからない・・・それが本音でございます。でもでも、Kくん外出タイムには、家で心地よく暮せている時間があるだけ有難いことなのでしょう。

 

そうそう、唐突ですが、本日お借りしてきました図書本を載せときましょ。

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今回は、エンデさん特集。そして、今ごろですか?さくらももこさん。

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日々感謝です。

Eテレ「100分de名著 ―野火― 4回〜異端者が見た神〜」を観て。NO!というのが文学者の役目・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は大岡昇平の「野火」。大岡昇平の代表作「野火」は、太平洋戦争末期、絶望的な状況に置かれた一兵士が直面した戦争の現実と、孤独の中で揺れ動く心理を克明に描きだした作品。戦後文学の最高傑作とも称される「野火」は、数多くの作家や研究者が今も言及し続け、二度にわたる映画化を果たすなど、現代の私たちにも「戦争とは何か」を問い続けている。番組では、作家・島田雅彦さんを講師に迎え、「野火」を現代の視点から読み解く。第4回は、映画監督の塚本晋也さんをゲストに招き、映画化の経緯や自分自身の解釈も交えて読み解いてもらうことで、「野火」という作品が与えた後世への影響や現代の私たちがこの作品から何を受け取るべきかを考えていくという内容。

お恥ずかしい話ですが、私、読んでいませんので、ざっくり備忘録しときましょ。 

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塚本監督は、3年前に「野火」を映画化。高校生の時に読んで以来の長年の夢だった。第一印象は、あまりに強烈だったが、レイテ島のあまりの自然の美しさが頭に入ってきて、その中で人間だけが泥んこになって、ぐちゃぐちゃになっているというのが強かった。それと、田村が自分と全く同じ、本来戦争に行きたくない人が、正直に語っている感じが凄く共感できたと話す。

今回は、塚本監督の映画から後半を見ていく。 文章化できてません、すみません。

飢餓が極限に達しつつある田村。倒れた自分に何か(銃口)が向けられているのに気づく。
「あっ、やっぱりおまえか」
それは、野戦病院で出会った永倉だった。助けられた田村は、永倉にあるものを食べさせられる。
「猿の肉だ。この間撃ったやつを干しといたんだ」
安田と永倉は、猿を獲ることで生き延びてきたという。
「行ってくる、おまえはここにいろ」と言って永倉は行く。
そして、田村の持っていた手榴弾を手にすると、安田の態度が豹変する。
「返せよ」
バーンと大きな銃声が。
「やった!猿だ!」
そして、田村は猿の正体を知る。田村は手榴弾を手に投げようとする。
「よせよせ、わかった」
そして、3人の関係は破局的な結末を迎える・・     

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スタジオでの解説・・
‘持ちつ 持たれつ’ の関係が ‘食うか 食われるか’ に変わる。銃口を向けてる永倉の顔が、前半とは別人。本来、逞しく成長するっていいことだが、戦場でそうなるのは、人の肉を食うみたいな、どんな悪いことをしてでも自分が生き残るというのが逞しいとなっていく。手榴弾が爆発してこそげ落ちた田村の肩の肉片を、自身が食べるシーンは
凄い。自分の肉だから迷わず食べれる。

猿の正体がわかった衝撃的なシーンについて。
前回、田村が辿り着いた境地、死んだものは食べていいんだという、むしろ、生きているもの(花や植物)を食べる方が罪深いという戦場での宗教を発明するところでこの物語が終わっていたら、魂の救済的なテーマの小説としてわりと美談の話。しかし、そのあとも続きがある。仲間を殺して食べているんだということがわかり、一旦獲得したと思われる倫理に、さらに、試練を与えることをやっている。それが、レイテ島の現実だったと。

塚本監督曰く、自分は原作に忠実に描いたつもりだが、市川崑監督の映画「野火」では、田村が人肉を食べようとすると歯がボロボロになって食べられないという設定になっているよう。市川監督の映画は、戦後間もなくだったので、そのシーンが生々し過ぎるから食べさせたくなかったという想いがあったのではと。だから、食べないというところで終わる。戦争って、英雄みたいに描かれるときがあるが、そんなもんじゃない、若い人が自分の肉体を、いろんなかたちで壊して死んでいくものなんだ、ということがはっきりわからないと。それで、自分は生々しく撮った。

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映画という時間的な制約上、ここは使えなかったというところは?
なるべく原作に忠実に、とは思っていたが、宗教の問題がかなり大きく描かれていて、これを丸ごと失くしたとしても大丈夫かなと。あとは、小説を読んで感じた自然の物凄い美しい様となんで人間がこんなにとんでもないことになってしまったんだろう、という対比もくっきり描いた方がいいだろうと思った。

島田氏は、塚本監督が信仰の問題を描こうとする代わりに、徹底した自然描写をするところをすごく高評価する。田村一等兵は、決して、キリスト教のコンテクストの中でこの経験をしているのではない、異端者の側から信仰や神の問題を考えるということが「野火」の核にある。バールーフ・デ・スピノザ(オランダの哲学者 著書『エチカ』『神学・政治論』など)という哲学者を例に挙げると、彼はユダヤ人、あの時代、キリスト教改宗にも応じず、ユダヤ教にも入らない、いわばどっちつかずで、異端的な立場で神を考察した。その信論というのが、ほぼ、‘ 神=自然 ’。ここで言う自然というのは、田村の周りに広がるジャングルの自然でもあり、あるいは、状況によって行動が変わってしまう人間の本性という自然であり、あるいは、あらゆる出来事の偶然の積み重ねらよってある方向に向かわされてしまう運命的なメカニズム、それを出来るかぎり緻密に考察すると、それを信仰の問題として捉えている。そういう意味で、特定宗教の教義にかなうような形で倫理の問題を考えたというのではなく、それを超えて極限状況の中で、人がどのように神を発見するのか、運命を考察するのか、これを描いたという意味では、もっと普遍的なものに辿り着いた。

 

伊集院さんが、前回の ‘私を食べていいわよ’ という花とか擬人化のような植物の描写あたりは神がかってると思ったんですけど、と言うと、島田氏は、そこは単なるビジュアルイメージとして強烈でしょ、この田村も、そういう強烈な記憶とか体験は映像として捉えている、多分塚本監督が映画化しようとしたときに、田村がリアルに感じた映像を捉えることを最大の目標にしてたんだと思いますが、いかがですか?と、塚本監督にふる。監督は、(わかって頂いて)有難うございます、と頭を下げる。

 

さて、「野火」の中で、田村が不思議な火を目撃する。

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スタジオでの解説・・
塚本監督は、番組出演にあたって再度読み返してみたら、小説の中の大事なポイントに「火」の章があることに気づいたという。田村が理性的に動いているところから、これからもう(人肉を)食べていく可能性が十分ある、スイッチが変わる丁度境目のところに、「火」の章が。「火」に対して、怖れ怒っていたとあり、非常にシンボリックなものであると思うが、人間の中にある欲望や動物の本能の強い「火」。この「野火」というタイトルは、生活上の火もあるが、やっぱり、自分の中にある戦争へ向かってしまう
かもしれない「火」でもあるのだろう、というのが浮かびあがってきたと話す。

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伊集院さんは、僕が知りたいのは、戦争のときはテンションが上がるのか?それを聞かないとリアリティーがない、と尋ねると・・

ある兵隊さんの手記だと、日本では本当に優しいお父さんが、戦場では鬼のようになる、きっかけは、上官に捕虜を刺してみろと言われ、刺せない、刺せないと心中では思っているけど、自分が殺されてしまうので仕方なく刺すと、その時に嫌悪感ではなく充実感が体中をどーんと走ったとあった、そうしたら、もう戦場では松永のようになる、それが戦場っていうことだと思う、と塚本監督は話す。誰もが攻撃本能、攻撃衝動を持っている、それをどれだけ制御できるかが問われている。

島田氏は「野火」について、映像の中に戦争の記憶が凝縮されていると言う。その記憶はフラッシュバックする。戦争は、戦いが終わったら終わりじゃない、生き延びた兵士が生還する、心的外傷はもの凄いと思う、田村も復員後精神病院に入院する。個人的戦争がずっと続く。本当に傷が深い人は戦争のことは人に語れなかった、ところが、大岡氏は、「野火」や「レイテ戦記」という形で、その体験記を、戦死していった人たちが何をしてどのように死んでいったか事実を集めて残すことをやった、と説明。

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復員した大岡氏は小説家としてデビュー。人気作家として多忙な日々を送っていた。そんな中、あるニュースに衝撃を受ける。それは、フィリピンに放置されていた遺骨の収集をするため船が出航するというもの。大岡氏は、戦死した仲間たちに向けて詩を書いた。

  ・・・(略)
  あんな山の中の骨まで どうせ届きはしないが、
  形式的でもみんな家へ帰れるんだ
  帰るのは 帰らないよりましだ
  そう思ってみんな喜んでくれ
  家へ帰って 大威張りで仏壇へ座れ
  そこでひとつ 頼みがある
  ひとつ 化けて出てくれ
  あれから13年 
  あんなひどい目に遭わしておきながら
  また兵隊なんて
  嫌な商売をつくろうとしているやつのところに
  化けて出てやってくれ

その9年後、大岡氏は、日米の膨大な資料を調査し、「レイテ戦記」を書き始める。レイテ島で兵隊たちはなぜ死ななければならなかったのか、その事実の全てを明らかにしようとした。晩年、ある番組で大岡氏は、戦争の記憶が薄れてきた世代に向けて・・ 
  
  みんなが楽に暮らせるなら忘れちゃって・・
  とがめようとは思わないし・・
  まあ、そういうもんなんですよ・・
  死んだ人間も、これでいいと思ってるんだと思うけど
  ただ、このまま、またひどいことになっていくんじゃ
  彼等も・・レイテだけで8万人死んでるからね・・
  浮かばれない
  政府が勝手なことをするのに
  NO!というのが文学者の役目であって、
  俺が言うねー!ってなる  ハハッ

この言葉を聞いて島田氏は、身の引き締まる思いですね、と答える。さらに、自分の責任ですね、自分が生きて帰ってきたことの、それを果たさなければならないという想いですねと言う。

 

最後に・・この小説が書かれたのは昭和26年、朝鮮戦争を背景に、アメリカの要求で日本の再軍備が議論されていた時だった。

「野火」の中からこんな一節を紹介してお別れ。

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                           (完)

私、今回の番組内でほんの一部だけですが映画を拝見しまして、とても全編通して観続ける勇気がございません。原作に忠実に描かれているということ、そして、大岡氏が自らの体験やもと兵士の証言、資料をもとに書かれたということ、それらを想うと辛くて。 大岡氏が番組のインタビューでお答えになっていた “政府が勝手なことをするのにNO!というのが文学者の役目であって、俺が言うねー!ってなる” のお言葉は、とても重いですね。そして、“みんなが楽に暮らせるなら忘れちゃって・・とがめようとは思わないし・・まあ、そういうもんなんですよ・・死んだ人間も、これでいいと思ってるんだと思うけど・・” のお言葉には、今さら・・何か言いようのない・・諦念のような響きを感じました。のほほんと暮らしている自分が、ああだこうだと言うのもどうかと思われます、ただこうして見聞きさせて貰うことだけでも良しとして頂きたく存じます。

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日々感謝です。

Eテレ「オイコノミア〜みんなのものをどう守る? 公園の経済学〜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

レギュラー視聴しているEテレ「オイコノミア」。今回のテーマは〜みんなのものをどう守る? 公園の経済学〜。散歩に、デートに、リフレッシュに!誰でも自由に使える公園、災害時には頼りになるありがた~い存在なのだが、意外な問題も。経済学の考え方でどう解決できる?というもの。ゲストは武井壮さん。では、かなりざっくり備忘録しときましょ。写真と内容は関係ございません。

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今回のロケ地は、東京都立井の頭恩賜公園

都心から電車で20分、年間500万人以上が訪れる。ボートに乗るもよし、身体を鍛えるもよし、季節と共に移ろう多彩な表情も魅力。市民に親しまれつつ、今年100周年を迎えた。お笑い芸人・作家の又吉直樹の原点の場所でもある。若い頃、家にいると気が滅入ってくるのでしょっちゅう来ていた。ここに来ると開放感が得られ、気持ちが楽になっていたそう。武井さんの驚異的な身体能力は、公園での遊びが原点だと言う。

 

公園は人間にとってプラスの効果がある?
実際に公園には、気分を良くさせるだけだはなく身心を良くする研究結果が結構ある。

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公園は奥が深い。経済学と公園は、どう関係ある?
糸口として、公園という言葉を考えて見る。「公」ということから公共の施設、みんなのもの。特徴として・・
       ①誰でも使える
       ②みんなで同時に使える
これら二つを満たす財のことを経済学では・・

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他には、一般道路、公民館など。高速道路は料金が発生し、誰でも使えるわけではないので入らない。“公共財”の反対は“私的財”。

 

ところで、ここ井の頭公園は、災害時の広域避難場所に指定されている。公園の災害時に果たす役割が注目されたのは、1995年の阪神淡路大震災。火災が広がるのを防ぎ、被災者を支援する拠点になった。今、公園の防災機能がとても期待されている。

ここのベンチもそう。ベンチの座る面を取り外して火をつけると、2分もかからず、かまどに早変わり。‘かまどベンチ’。簡単に炊き出しが出来るように園内8ヶ所に設置されている。

他にも、マンホールがたくさんあり、災害時トイレになる。2017年に設置された‘マンホールトイレ’。その下は下水管につながっていて、使う時はその上にテントをはり、背もたれのある便座もつけられ個室になり安心感ある。公共財の特徴を活かして、公園に作られる防災設備。全国の自治体で進められている。

 

日本で公園という制度が始まったのは1873年。

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東京では、上野公園など5つの公園が誕生した。明治政府は、都市化が進む中で市民の健康のため、公園が必要だと考えた。都市って、人が集まる、あんまり密集すると空気が悪くなる、そこで、当時のコンセプトとなったのが“都市の肺臓”。都市の中で公園に肺の役割を果たせたかった。

 

井の頭池は、かつては、飲み水として利用されるほどきれいな水だった。1921年(大正10年)にはプールとして開放されたことも。しかし、近年、池は多くの問題を抱えている。水草やヤゴなどの水生昆虫を食べて池の生態系を狂わす原因となっている、アメリカザリガニオオクチバスブルーギルなど本来ここにはいない外来種が増え、在来生物は絶滅寸前になってしまった。そこで、それらを取り除くため、2014年、2015年に池の水を抜き、からっぽにする作業が行われ、延べ1,000人の市民ボランテイアの協力を得て、生態系破壊していた外来種を取り除いた。オオクチバス1,300匹、ブルーギル2万匹などを駆除。それでも全ては駆除出来ず、今も170ヶ所に網をしかけて捕獲を続けている。

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そもそも、なぜ外来種が増えたのか?
人間が池に放ったもの。経済学でよく言うのが、“共有地の悲劇”。自分のものじゃないから雑に扱う。みんながそれをすると公共財の質が下がってしまって、みんなが損をしてしまう。2014年の外来種駆除で池の中から出てきたのは、外来種だけではなく、自転車が、なんと230台!他にも家電製品など様々なものが不法投棄されていた。

公園のような‘みんなのもの’を人は大切に扱わない傾向がある。みんなのものなので、良い状態を保つのは難しい問題。共同利用するものは、自発的な意思に任せては上手く管理出来ない。すると何らかのルールが欲しくなる、共有地にはルールが必要。井の頭公園内にもたくさんのルールがある。そのひとつ。公園内のベンチの多くは、真ん中に手摺がある。それは、利用者にあるルールを強制するため。ベンチで横たわって寝ないようにするための‘ホームレス対策’。

今回は、みんなが使える、人を排除しないものと説明してきたが、この真ん中の仕切り(手摺)は寝るという行為からは全ての人を排除している、誰でもベンチに座れるけれども、座る行為にしか使えない。

そういう人たちにも親切にしてあげるべきでは?
たしかに、実際憲法にも・・

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とある。例えば、又吉さんが、家も財産も全て失ったらホームレスになる?実家もあり、友達もいる。そういう風に人との関係を持っている限り、人はホームレスにならない。社会から本当に分断された時に人はホームレスになる。そして、公園のベンチで寝ることになる。そして、この仕切りはそこからも排除してしまおうという効果を持ってしまう。目の前からホームレスがいなくなると、ますます社会の中でマイナーなものになっていくサイクルが生まれる。

公園とは別の場所に作るのは?
もしかしたら、そこで野宿する人が増えるかも。本来必要がない人も、野宿する場所があるからと努力しなくなるかもしれない。

そもそも公園は、夜、過ごしたり泊ったりする所じゃないのにもかかわらず、それを求めて来る人たちが本来の目的を阻害してしまう可能性があるから、この手摺がついたということなのだろう。

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井の頭公園は、東京都が管理している。公共財をどう管理していくか経済学で考えて見る。公共財というものを我々が、政府を経由してどんどん引き継いでいるというところがある。公共財のキープレーヤーは政府。じゃあ、政府なしで、みんなが自発的に、道路を共有したり、供給したりの自由放任システムだったら、こんなに公共になっていないはず。

みんなの自発性に任せていては公共財は出来ない?
公園みたいなものを造る時に、みんなはお金を払ってくれる?それぞれ苦しい生活の中難しいだろう。それと、誰でも使えるというところがポイントで、例えば、武井さんが公共財のためにお金を出してくれたとして、それをただで使えるわけである。

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これを経済学では、“フリーライド(ただ乗り)”という。

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これを経済学で言うと・・

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ということで、我々は、政府という制度を通じて公共財を獲得している。たまに、こなのいらないよなっていう過大供給されているものもあるが、政府は万能ではないので難しい。

そこで、ひとつ、優れた決め方を考えてみよう。

必要な公共財の量、どう決める?
ある社会の中で住民一人あたり幾ら負担して、どのくらいの規模の公園を造るか。選択肢は下記の4つ。住民9人で決める。

                     結果 

  ①大きな公園   3,000円  →  2人
  ②中くらいの公園 2,000円  →  2人
  ③小さな公園   1,000円  →  1人
  ④公園無し        0円  →  4人

ちなみに、武井さんと又吉さんは①、坂井先生は③

多数決なら、4票の‘公園無し’に決まる。しかし、‘いる’‘いらない’で分けるなら、5票対4票で、‘公園いる’に決定。しかし、無しの4人も社会構成員のメンバーなので無視できない。そこで、ひとつの良い決め方として、真ん中を選ぶ。つまり、③の‘小さな公園 2,000円’に決まる。

他の人から不満は出ない?ある程度は出るかもしれないが、③は、非常に多数意見を反映したもので、例えば、②と③でどちらがいいか?と聞くとする、‘公園なし’と答えた4人は百歩譲って③と言うだろう、‘大きな公園’にした2人は②を好むだろう、とすると、②と③は4票対5票で、‘小さな公園’の勝ち、となる。この決め方は、“中位投票者定理”という。投票者全体が納得しやすい結果を出す方法とされている。

 

公園があるというのは当たり前のようだが、全然当たり前ではない。公園があって生まれるものをちゃんと考えると、みんな大切にするだろうね、武井さんの並み外れた身体能力は、幼少の頃、公園で駆けまわったおかげだから、負担額3,000円よりもっと払っていいよね、そして、公園から受けた恩恵は、社会から投資された、と考えられるらしい、と番組は締めくくられた。     (完)

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若かりし頃(子供の頃は除いて)は、そんなに公園が好きではありませんでしたし、というより、よし!公園に行こう!なんて、まず思いつきませんでしたね。早期退職後、ゆとりができてから、季節の花を見たくて近郊の植物公園に出かけるようになりました。有料ですけどね。行くたびに、植物のみならず、常に環境整備がなされていて頭が下がります。これが公共財の公園だと市民ボランティアさんが協力して下さるんですよね。そういえば、河川沿いの桜並木の管理もそうだとニュースで知りました。私は、町内会の当番で、神社の境内のお掃除を年に1〜2回するくらいでございます。

それと、災害時のマンホールトイレやかまどベンチには驚きました。私の住む田舎の緊急避難場所は、広場のそばにある公民館や小学校ですので、トイレのことなんて考えたこともないです。お気楽だな。それと、ホームレス対策のためにベンチの真ん中に手摺がある、なんてことも想像しておりませんでした。居候Kくんに、そんなことしてたら公園のベンチで寝るようになっちゃうよ、なーんて冗談っぽく言ったりしてましたが、  そっか、公園で寝れないんですね。

田舎に家を建て、町中から引っ越して約20年。周囲がすでに自然公園のようなもの。 

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日々感謝です。

我が家の庭の観察記録㊳〜草むしり4日目〜

こんにちわ、SUMIKICHIです。

今朝5時57分、北朝鮮 ミサイル発射 日本上空を通過して太平洋上に落下、というニュースを知らず、庭に出て3日目の草むしりをいたしました。ひと仕事(1時間程度ですけど)終えて、TVをつけますと大変なことになっておりました。なんてお気楽な私。いかがなものかと思いながら、草むしり記録しときましょ。 

くどいようですが、縦に伸びている草のみ抜きました。 

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 ミントをどっさり切って、抜いて。

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f:id:sumikichi52:20170829073920j:plain なんか美しくない

 

ミントや草を整理しましたら、鉢植えたちが姿を現しまして・・ 

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                  ↑ ローズマリーの小さな小さな花

 

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名前、なんだっけ?撮影場所を変えてみましたら、わかりやすくなりました。いろんな色の葉がとてもかわいい。技術下手なので、薄いピンクがわかりにくいです。

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一時枯れかけていましたが、ここまで持ち直してくれました。下の写真は今年の4月頃で、この頃諦めずに水やりしていましたら、先の方から葉がでてまいりました。 

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まだ、草むしりは続くのでございます。

日々感謝です。

 

 

 

 

TV番組「サワコの朝〜ダンサー・田中泯〜」を観て。俺、道なんかいらない・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

たまに観ている「サワコの朝」。8月26日のゲストは、ダンサー・田中泯さん。
今では圧倒的な存在感で、話題の映画やドラマで大活躍。しかし、そのデビューはなんと、57歳。“俳優”という新しいチャレンジを決意した理由やその後の活躍に迫る、といった内容。

私、ブログ上でたまに、田中さんのお名前を出したりしております。NHKドラマ「ハゲタカ」で初めて拝見し、とても惹きつけられた俳優さんだと。今回、素の田中さんを拝見できてラッキーでございました。ざっくり備忘録しときましょ。

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田中泯さん。
1945年生まれ、72歳。東京出身。57歳(2002年)のとき、山田洋次監督に見出され、映画「たそがれ清兵衛」で映画デビュー。いきなり日本アカデミー賞最優秀助演男優賞と新人賞をW受賞。NHK大河ドラマ龍馬伝」(2010年)、NHKテレビ小説「まれ」(2015年)などに出演し、鋭い光を放つ、孤高の存在として注目を集めている。

しかし、田中さんの本業は、俳優ではなくダンサー。72歳の今も現役。日本はもとより、世界各地で活躍、これまで50ヶ国以上から招待され踊りを披露、高い評価を受けてきた。その踊りは一般的な踊りの概念からかけ離れたまったく独自のもの。衣裳も音楽も劇場も必要とせず、感じるままに身体を動かす。田んぼの中で踊ったりすることもある。

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Q、57歳で初めて映画の役を引き受けたのは?

・・‘踊り’と‘演じる’の境目みたいなものは、一体どの辺にあるのかってことは、ずっと興味を持っていた。ただ、僕は、言葉が苦手なものですから、演技っていっても台詞なんかしゃべれるわけないじゃない、と思って。けれど、山田監督からお話があって・・真田広之さんのことも知らなくて、ビデオで一生懸命勉強して、実際にお会いしたら、あっ、真田さんだ!ってなって・・。自分の撮影はないんだけど、早くから京都に行って真田さんの撮影を待って、練習したりとか。その役者の経験は、その後踊りをずっと続ける上では、ものすごくいっぱいヒントがあった。

 

Q、その後次々とオファーが来るようになられて・・

・・朝ドラ「まれ」の塩まき職人の役は・・モデルの人は、戦時中あいつだけは戦争に行かせちゃいけない、あいつだけが塩まきの技術をつたえることができるんだって、みんなが陳情に行った、それで生き残った人、で、戦後一心不乱に技術を伝えたらしい。そして、その息子さんに会って、塩まきを習えるんだったらやります!って決め方をした。そういう人たちの凄さを身に染みて感じた。

僕は何でも出来るわけじゃないっていうのがわかって、役を引き受ける基準は・・単純に言えば、別の偶然でもし自分が生きていたら、こういう人になっていたかもしれないな、という人をやっている。これとは関係ないよって役は出来ないと思う。申し訳ないけど、本を読ませてもらって、こう言ってるのはわかる、と納得できる人しか。本当に不器用ですから。

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Q、今“場踊り”を始めてらっしゃるとか・・

田中さんが編み出した“場踊り”とは、その場で感じた空気や歴史を、思うがままに表現する踊り。インドネシアの島々では、通りすがりの人と即興で踊ったり、水牛を相手に踊った事も。舞台を選ばず、その場で感じた自然の息吹や空気の流れを体内に吸収し、一気に放射して行くのがこの“場踊り”。

・・最初どうしよう・・と思いながら行って、周囲は霧がたえず動きまくってますから、その中で、自分のことなんて関係ないんですよ、自由にその中で生きていくという。踊りを踊るときは、普段の自分とは全く違う。熱中してるなんてもんじゃない、もっと熱中してる。あえて言わせてもらえれば、僕にとっては、もっと生きるという感覚に近い、あーっ、踊りやってるー!みたいな。

 

Q、踊りの原点は?

・・中学を卒業するまでは、小さくて、なんの自信もない。僕はみんなのことを覚えているけれど、みんなは僕のことを覚えてないくらい存在感が薄くて、かなりいじめられたりした。仲間と遊ばない子だった。一人で野山に潜り込んで行った。その過程で、盆踊りで大人の輪の中に逃げ込むように入って行った。救いの場所だった。隠れるように踊っていたというのが正解かな。その時は夢中だった。そのあとで、踊りって芸術があると。大学生のとき、町の舞踊団に内弟子として家の掃除なんかしながら、クラシックバレエやダンスを習っていた。

そして、踊りって一体どこからやってきたのかが興味の対象になっていった。そもそも、文字文化を持たない人たちの踊りは本当に凄い。文字を持ってからの踊りって、どっかで文字の翻訳のような踊りになっていく。言葉が先にあって、ふりつける。
あなたの感情、言葉以前のことを表現すればいいのよって教わる。はてぇーっ、そんなの俺にあるかなぁー、どこに?って思っちゃう。奥深くって、どこ?みたいに、ホントに思いました。それって先生、言葉じゃないですか!って。

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本当に必要なコミュニケーションのひとつとして踊りは絶対にあったと思う。美味しいものを食べて、美味しい!と言う代わりに震えたりする、でたらめですよね、それってほとんど踊りって言っていいような意味のないこと、それだけとれば。美味しいものを食べて幸せっていう、みんなが共同の体験をしているから、全く抽象的なことをやっても、きっと美味しいんだと思えるわけですよ。踊りって、共同の場に起きていることを伝えていく大事な役割りがあったと僕は思う。

1978年、フランス。踊りをやっていこうと思ったときに、言葉に走らずに、むしろ、言葉をはねのける“裸体”を選んだ。身体の中に踊りの全部が備わっていると思った。例えば、何にもしてなくても‘暗いね、今日は’って言われたりする。後姿からでも見破られたりする。踊りの動きを追求する前に、私の身体の中で本当に感じることを、もっとキャッチしたい、服を着る意味、音楽をかけて踊る意味、客席を準備してお客様をお呼びして踊る意味、何にもわかんなくなっちゃって、必要ないんじゃないか、まずそこから始めよう、と。

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Q、土方巽(ひじかたたつみ 身体表現の新たな概念を提示し「舞踏」という表現形式を確立した)はご存知でした?

・・存在は知ってた。裸で踊り始めた頃に吸い寄せられて・・この人になろうというより、この人からは遠くに行って自分を磨くしか方法はないなと、全部呑み込まれちゃうと思った。

喜び、悲しみ、怒りとか、言葉でレベルを決めるのが好きじゃない。嬉しいことと悲しいことの間はずっとつながっていて、混ざっている方が好き。ダンスピジネスに乗ってやってるのはほんの一部。ここで、ギャラいくら、とか関係ない、ここで踊りたいから踊る。田んぼで踊ることがある。たまたまそこに居る人が観てくれてもいいし、うるさいって声をかけて下さっても結構だし、たいがいそこに住んでいる人は気になるので、不思議と観て下さる。終わって気づくと、周辺にいっぱいの人が、だまーって観てる。やったぁーと思う。最高の褒め言葉は、‘元気になる’。そう言われたら本当に嬉しい。正直、金より俺の方が偉いです。ハハッ。

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《 今 心に響く曲 》

“裸体”の頃から井上陽水さんが好き。陽水さんの曲で踊りたいってプロポーズしたら断わられた。

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怒りと喜びの間はずっとつながってるって言いましたが、彼の歌はまさにそういうことなんですよね。ひとことで表現できることがあるか!って言ってるような気がしてしょうがない。ひとつの何かを欲しくて僕は生きてるんじゃないんです。あらゆる感情を知りたいんです。

今、72歳、年上の人達がね、歳取るとねぇ、人生はねぇ、って言うんですよ、頭にきますよ、俺、知らないんだから、まだやってないんだよー。明日何が起きるかドキドキしてんだから。政治家のポスターに‘自分の道を行く’なんて書いてあったけど、冗談じゃないよ、俺、道なんかいらないよ、この道を行こう!なんてね、あら、怒りの感情が増えてきちゃった、この辺で。        (完)

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ご本人は言葉が苦手だとおっしゃっていましたが、独自の見解を誠実に語ろうとされていて素敵だなと思いました。モノクロの風景中、空気に溶け込んで踊る姿、いいですねぇ。赤がお似合いになりますね。お近づきになってお話したいというより、離れたところで遠くから、パフォーマンスをじーっと拝見させて頂くだけで満足です!という感じです。語らずとも表現出来る方、といいますか、そういう世界を選んだ方々を本当に羨ましく思います。もう一度、「ハゲタカ」を観たくなりました。居候Kくんにも薦めてるんですけど興味なさそう。

ふと、私、男性に生まれ変われるなら、こんな方になりたいのかもしれない・・・。衣裳も、音楽も、舞台も、観客も、何も無くても踊りたい場所でただ踊る・・。

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日々感謝です。

 

 

 

我が家の庭の観察記録㊲〜草むしり3日目〜

こんにちわ、SUMIKICHIです。

今朝早くに目覚めて、どうしよっかなーと一瞬迷ったものの、ちよっとだけやっとくか、と外に出てみますと・・

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本日も空気清々しく、身体が勝手に動き始め、縦に伸びてる草たちをガシガシ抜いてまいりました。ちょっぴり写真サイズを大きめにしてみましたが、ダメかな。

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↓昨日のブログではわかりにくかった紅色トキワマンサク。雑草を整理すると少しはわかるかな、枯れるかなと思っていたのに立ち直っているのが。

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↓抜いた草たち。この処理も一苦労です。

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やっぱり軍手が一番作業が進みますね。濡れるからと炊事用の厚手のビニール手袋を使用していましたが、滑ります。その代りびしょびしょ。

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昨日は、すすきを切ったりするのに便利でしたが、だいたいは手作業。

 

ハナミズキの花後の実?種?らしきものですが、どうなるんだろう。おもしろいなと思い、経過観察していますが・・。

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昨日は気づかなかったのですが、一部色が変わり始めております、ヤマモミジ。

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こんなところにも秋の訪れを感じます。 

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さて、明日もちょっぴりやっつけましょうか。

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日々感謝です。

 

 

 

我が家の庭の観察記録㊱〜草むしり2日目&「生きるぼくら」〜

こんにちわ、SUMIKICHIです。

今朝は風が少し冷たく、秋の訪れを感じる清々しい空気でございました。ここのところいろんな事があり体調は絶不調ですが、昨日気合を入れ直すため、気になってました草むしりをちょこっとやってしまうと気分アップし、勢いづいて気持ち良い早朝のうちに、またちょこっと草むしりをいたしました。写真サイズが小さくて成果がわからないですね。

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縦に伸びている草を抜いただけですので、まだ地面は匍匐性の草たちだらけで、歩くと毛足の長い高級じゅうたんの上を歩いているようでホワホワいたします。個人的には気持ち良いんですけど、見た目の美しさでは芝生には勝てません。

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f:id:sumikichi52:20170827072420j:plainシダ?残してみよう

明日、メインあたりをちょこっとやっつけましょう。

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ふと、よくよく見ますと、早々に剪定してしまいましたあじさいアナベルが、まだ元気でございました。ごめんなさい!放置してました。

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ヤマモミジの花?種?は、まだございました。だいぶ色も抜けて、丸い種みたいなのが目立ってはいるのですが、次々と誕生して、散って、誕生して、を繰り返してるのかな。どうなっているのでしょう。

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植樹してもうすぐ2年。去年の夏は、葉が茶色のチリチリになりましたが、今年はなんとか緑色で、チリチリはほとんど見当たりません。根付いてくれたのか、それとも、それだけ西日ガンガンの日が多くないってことなのかもしれません。

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家の中から眺めると、とっても癒されます。

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写真がいけませんねぇ、こちら紅色トキワマンサク。根付いてくれのかな、全体的に大きくなって、枝や葉っぱに張りが出てました。紫色の新葉も次々生えているようで、とっても嬉しい気分になりました。

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心身ともにローテンションのときは、自然の生命力に触れるのが良いですね。しみじみ思います。丁度、昨夜読み終えた本、原田マハさんの「生きる ぼくら」にも癒されました。長年お付き合いさせて頂いてる着付けのY先生からお借りした本の中の一冊。

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いじめから引きこもりとなった24歳男子・麻生人生が人の温もりに触れ、米づくりから、大きく人生が変わって行く・・という内容。TV番組「鉄腕DASH」をイメージしてしまいましたが、今時誰もがやらない昔ながらの自然農法の米づくりがベースとなっていて、私もその風景に溶け込んでみたいなと思ったりしました。おそらく、身体が持たないけど。田んぼがある田舎に住んでいますと、一年を通して稲の成長を見てはいますが、何かを感じながら見るのと、見ないのとでは全く見る景色の意味が違いますよね。大袈裟にいうと、自分の人生の味方が変わると申しますか・・。

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Yさんからお借りしたのはこんなにたくさんなのに、これを手に取ったということは、自分が今求めてモノがそこにあるかも、と本能がそうさせたんでございましょう。

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次は、どれを読もうかな。

日々感謝です。