今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

NHK「フェイス~私たち“闘病女子部”です~」を観て。やられっぱなしじゃ気がすまない!

こんにちわ、SUMIKICHIです。

たまに観ているNHK「フェイス」。先日、目に留まりましたテーマは~私たち“闘病女子部”です~。病気と闘う女性100人以上がネットでつながる闘病女子部、かわいい闘病グッズの発信や本音の女子会、メンバーの素顔と思いに迫る!という内容。ざっくり備忘録しときましょ。

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鳥取米子、これはある部活動に熱中する女性たちのお話。部長はななさん24歳。現在闘病中。ベーチェット病(全身の皮膚や眼、血管などに慢性的に炎症を引き起こす原因不明の難病)とスネドン症候群(皮膚や脳の血管に異常を示す進行性の血管症けいれんや意識喪失を起こすこともある)の疑いがあるほか、よく脱臼する。そんなななさんが立ち上げたのは、ネット上の部活動、

その名も“もっと楽しくなれる闘病女子部”。

 「難病っていう大きな括りを外して、闘病。女子会だけじゃなくて
  もうちょっと色んなことができるように女子部、部活みたいな。
  患者会って感じが良くない、大変だねって感じで」

部員は100人以上、全国各地10代~20代を中心に様々な病気で闘病中の女子がネットでつながっている。

  活動①可愛い闘病グッズを共有
    “今日の通院コーデ”というコーナーにみんなが洋服を投稿していたり。
  活動②闘病女子たちが本音で語る場
               病気を抱えてて笑える話とかどのタイミングで病気のことを教えてほしい
               とか、今までつらかったね、私もそうだからわかるよ、とか。

ひとりぼっちじゃない、ちゃんと向き合って闘っている子たちがいるから、心を救ってもらえた温かくて大切な居場所。

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6月、部長ななさんは横浜にいた。年に数回、専門医の診察を受ける。症状が出たのは4年前。服飾デザイナーを目指し専門学校に通っていた。

 「将来海外で働いていると思っていたので・・急転直下でこんなことに
  なって。ショックだったのは、力がなくなってミシンが踏めなくなった
  とき、ああ、私はこんなことも出来なくなったんだって」

 

東京・新宿、ななさんは闘病女子部初のオフ会の準備をしていた。

 「自宅療養の子が多いし、外に出るきっかけや理由を作りたい。
  友達と会うからおしゃれしようとか、とりあえず行ってみたいという
  背中を押すきっかけになればいい」

 

オフ会当日。普段はネットでつながっている部員同士が初めて顔を合わせる。会費は200円。許可をとり、お菓子や飲み物を各自で持ち込み。様々な病気を抱える闘病女子が全国から8人集まった。「私の通ってる病院、建て替えして超きれいになって、一日入院費2万円かかって、2万円ってジャグジーとかついてないとおかしいじゃん、ははは。ビジネスホテルの方が安いよ」などと闘病女子ならではの会話に花が咲く。「親に迷惑かけてばかりで、有難いけど距離が近くて・・どうしようかと」「健康な子に合わせてもらってるのが何だか申し訳なくて」などなど。“普通になれる場所”ここは。

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こちら埼玉。
自宅療養しながら通信制高校に在学中のちろるさん17歳。病名、うつ・線維筋痛症(慢性的に全身に強い痛みが起こる頭痛や倦怠感などを伴うことも多い)で闘病中。闘病女子部に入ってからおしゃれを楽しむようになった。落とさなくていいメーク道具は女子部の人に教えてもらった。

発症したのは高2の夏。吹奏楽部の副部長として活躍中だったが、起き上がれなくなった。これからというときに。高校に通えなくなり通信制高校に転校。前の高校に思い入れが強く、部活も日本一目指しててその舞台に行けなかったという悔しさもあり、嫌で嫌で仕方なかった。

そんな時偶然、ななさんのブログに出会い、“今日の通院コーデ”コーナーでみんなが可愛い洋服やグッズを投稿しているのを見て、闘病しながらも女の子らしくいる、そういうことが出来る人たちがいるんだって驚いた。今では、ちるるさんもおしゃれアイテムを発信するようになった。体の負担にならないゆるめの服をチョイス。もちろん、カワイイも忘れず。早速闘病女子部のSNSに投稿。仲間の反応に元気をもらう。

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りんさん24歳、一人暮らし、線維筋痛症で闘病中。学童保育の指導員として働いていたが、全身の痛みなど症状が悪化し、今年5月に仕事を辞めた。

 「起き上がれなくなって、かかりつけの病院へ行ったら、一旦仕事を休み
  ましょう、精神的なものも関係するからと言われてショックで、心に
  シャッターが下りて、もう病気と向き合うのも辞めるって思った。
  病気なんて嫌だ、薬なんて飲まない、みたいな。電車の中で一人で
  女子部のサイトを久しぶりにあけた。みんな楽しんでるな、“闘病して
  ても女の子なんだ”、病気と向き合って生活してるな、と思って。
  私は病気から逃げようと思って・・だからびっくり、衝撃的だった」

りんさんは、市役所の保育園とか子供と関わるボランティア活動をしたいと考えていた。女子部のメンバーからもらったもの、それは、“病気でできないこと”“病気ででもできること”を伝える勇気。

 「病気があっても自分は自分だし、私なりに頑張れるって胸張って伝えられる
  気がする」

役所のボランティアコーナーの窓口で、正直に健康状態と子供とふれあいたいという気持ちを伝えた。すると、絵本の読み聞かせなど体調に合わせた活動を検討してくれることになった。

 「良かった、新たな世界に行きたい」

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こちら山形。
闘病女子部員が発信した“カワイイ”に女子高生も注目。福祉用具のデザインに取り組む谷地高校家庭部。ネットで見た杖のデコレーションをきっかけに女子部とつながった。女子部メンバーにチャットで可愛く実用的なデコレーションの工夫などを教わる。

女子部きってのデコ職人、ぱぷぷさん18歳。長野に住み、薬剤の副作用とみられる症状で闘病中。100均や通販で買った材料、マスキングテープなどで杖をデコる名人。2年前、高校2年のとき、繊維が切れた感じで、ナイフで刺されてるような全身の痛みに襲われ歩くことが困難になる。そんなぱぷぷさん、季節や気分に合わせて杖を衣替えしている。出来上がった杖をネットに投稿し評判に。

 「デコってても、デコってなくても見られるから。若い子が杖をついてるって
  視点じゃなくて、見てもらえるなら、どうせならカワイイって思ってもらった
  方がいいし。それで私たちの知られていない病気とかが、杖の話から広がって
  もらうのは大切なことだし、楽しんで伝えられたらなあっていうのが一番
  大きいかな。この子(杖)がいなかったら、未だに私は学校にも通えずに
  ずっと家で閉じ籠ってたのかなって思う」

激しい痛みで高校に通えなくなり、1年間休学。4月から杖とともに再び高校に通い始めた。

 「その高校を卒業することが私にとっては、今、夢っていうか、特別なので、
  その特別の道を歩ませてくれる存在っていうか、魔法の杖みたいな感覚。
  見た目も魔法っぽい」

約8時間かけて完成。

 「痛くて嫌で、本当にこの世から消えて無くなりたいと思うことが少なくない
  けど、このまま負けたままで終わりたくない。自分が病気になったままで、
  どん底のまま終わりたくない。きっとみんな少なからず理不尽とは闘って
  生きているんだから。理不尽は嫌で苦しいとか言うけど、その理不尽が
  自分の人生を幸せにしようっていう力にもなってるし、恨んだり悔しがって
  たりするけど、でも、その中で、どうやって幸せに生きるかっていう・・
       自分次第だから」

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闘病女子部にとって病気とは・・・

      双眼鏡かなぁ、新たな発見をさせてくれたというか
      幼馴染かなぁ
      気まぐれな友達?病気があったから今の自分がいるし
      印籠!これです!みたいな、病気です!みたいな。やりたい放題ですよ、
      病気を理由にして。健康だったら出来ないことをどんどんしていかないと!
      やられっ放しじゃ気がすまない!今が一番楽しい、ほんとに。
      仲間と“闘う”からこそ得られることがある!                            (完)

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ネット上での部活動、興味があったりなかったり・・団体行動の苦手な私。そのくせ、年に一度程度の演劇活動、朗読勉強会、お歌のレッスン、エトセトラ、ちょこちょこっとエンタメ活動に参加させて頂いてまして、自己矛盾。時代の流れに乗り遅れているなあと思いながらも、もう50歳過ぎてますし、狭くて地味な世界でものんびり生きていこ!なんて、かなり精神は老けてるのかも。

そんな私ですが、女子部の皆さんのコメントにハッとさせられましたね。私も癌罹患者で、忘れかけていました当時の心境を思い出しました。

  自分が病気になったままで、どん底のまま終わりたくない。きっとみんな
  少なからず理不尽とは闘って生きているんだから。
  その理不尽が自分の人生を幸せにしようっていう力にもなってるし、
  恨んだり悔しがってたりするけど、でも、その中で、どうやって
  幸せに生きるかっていう・・自分次第だから

  印籠!これです!みたいな、病気です!みたいな。やりたい放題ですよ、
  病気を理由にして。健康だったら出来ないことをどんどんしていかないと!
  やられっ放しじゃ気がすまない!

悲しみ、悔しさ以上に、負けてなるものか!このままでは死ねない!、ある意味火事場の馬鹿力といった向かって行く気持ちもベースにあったかなあ。私のモチベーション、ちょっぴりアップ。

最後に、彼女たちの心の奥底までは覗けませんし、頑張って下さいというのも何だか違うような気がしますので、今、この時間を生きられるのなら、同じ生きるのなら自分にとって意味ある時間にしましょうね、その積み重ねですね、とエールを送らせて頂きます。ん?このエールっていうのが“頑張れ”ってことになってしまうのかしら?

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日々感謝です。