今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「あしたも晴れ!人生レシピ~どう向きあう?愛する人の死~」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
レギュラー視聴しているEテレ「あしたも晴れ!人生レシピ」、今回のテーマは~どう向きあう?愛する人の死~。遺族の心の傷を癒やすために設けられたある医大の「遺族外来」、何が遺族を追い詰めるのか?そしてどうやって立ち直るのか?など体験談を紹介。ざっくり備忘録しときましょ。

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まずは、遺族外来に通う50代女性Aさんの例。
5年ほど前に夫を胃がんで亡くした。当時小学生の子供を抱え、不安と大きな喪失感に襲われた。「一番大変だったのは、感情がコントロールできなくて、人前に立てなくなって、子供の授業参観などどうしても学校に行かなくてはならないのに、人目が嫌で家から出たくなかった」と振り返るAさん。

遺族外来を10年前に設置した大西秀樹さんは、もともとがん患者本人の心のケアを専門としていたが、その家族の心にも深い傷があることに気づかされた。ある日、がん患者さんの病棟に診察に行ったとき、看護師から、具合の悪い家族がいるから診てほしいと言われて見たら、凄くしょげていた。おかしいなと思った大西さんは、もしつらいことがあれば診察しますよ、と話したら家族が今すぐと言って診たのが始まり。日本でがん患者本人の心のケアが注目されるようになったのは、がんの告知が行われるようになって以降ここ20年ほど。さらに家族の心のケアとなるとまだ始まったばかりで、対策が遅れているのが現状。

死別は、人生で一番辛い出来事。そのストレスというのは、心と体に影響を及ぼすことが分かっていて、体の影響だと心臓病の死亡率が上がる、心の面ではうつ病になる割合が高くなり、自殺も増える。

これまで10年間で遺族外来を訪れた患者は250人になる。例えば、懸命な看病にも関わらず母を胃がんで亡くした63歳の女性は、その後疲れも取れず、夜も眠れない辛い日々が続いた。ある日、駅のホームで、楽になって母のところに行けると、ふらふらと通過する列車に近づいたところ、周囲の人に引き留められた。死別の辛さが原因でうつ病を発症していた。遺族の辛さは、亡くなった直後だけではない。特に癌のように根治が難しい病気は、看病している時から心に大きな負担がかかる。限られた治療の選択肢からどれを選ぶのか、医師が一方的に求めるものではなく、患者や家族にもその判断を求められる。

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一番目に多い悩みは、治療に対する後悔。例えば、モルヒネを使ったから早く亡くなったとか。それにはエビデンス(根拠)がない。そういうかたに対しては、モルヒネを選択したから配偶者は辛くなく、使っても使わなくても同じ時間で亡くなったんですよ、と伝える。すると、そうだったんですか、と安心してくれる。

2番目に多い悩みは周囲からの何気ない言葉。Aさんは、こんな言葉に傷つくことがあると言う。周りの人から「頑張ってね」「しっかりしてね」など悪気はないと思うけど、それらの言葉がズッシリくる。頑張っているのに「どうすればいいの?」と自分が追い込まれてしまう。大西さんは、そういうことは言わず、フォローして聴いてくれる。一番大事な事は患者の話をよく聴くこと。聴いていると何が問題かわかってくる。

大事な事は言葉をかけることではない、言葉にならない事はたくさんある、そういう時に無理に言葉に出すと専門家でも傷つけてしまうこともある。その場合には、「言葉になりません。今かける言葉がありません」と正直に言う。

チャプレンカウンセラーの沼野尚美さんは、愛する人を亡くすということに対する気持ちは2種類あるという。一つは、悲しい、その人の存在をこの世界で見つめることができない寂しさ。もう一つは、ああすれば、こうすればといった後悔。

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傷ついた遺族に周囲はどう接したらいい?

     遺族を傷つけるおそれのある言葉
          ◆「元気?」(良い返事を期待)
          ◆「気持ちの整理つきました?」(探りを入れる)
          ◆「あなたがしっかりしないと」(励ます)
          ◆「たなたより大変な人もいるのよ」(比較)
          ◆「気分転換に〇〇したら?」(アドバイス)

普通に言いたくなる言葉たち。我がことのように思ってくれるのか、他人事なのか、その部分を敏感に感じ取られるんだと思う。所詮人のことよね、とか、タイミングが来ていないのに立ち上がれと、立ち上がっていないのはあなたの甘えなんだと、そんなニュアンスが伝わるとこれもまた傷つける。

ゲストのロザンナさんは、47歳で夫のヒデさんを亡くし、日本にいる時は頑張ってと言われ、とてもプレッシャーになっていたが、イタリアに戻った時に、姉がただ抱きしめて、背中をトントンと叩いてくれた、これはすごいこと。存在感の温かさ、つまりあなたと一緒にいると和む、癒される、安心できることが。

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 次は、遺族外来に頼る、妻を亡くされたケース。

死別の前から苦しみが始まっていたという福岡義文さん73歳。2年前、妻・香代子さん69歳を癌で亡くし、今はひとりで暮らしている。工場の設備関係の仕事で出張が多く、家庭のことは全て妻に任せっきりだった。4年前、胃の痛みを訴え、精密検査を受けた妻、その時癌が判明。早速胃の摘出手術。8時間かかると言われたが、すぐ中止、すでに癌が大腸に転移していて手の施しようがなかった。あと一ヶ月しか持たないと言われた。しっかり者の妻は気丈に振舞っていた、なってしまったものは仕方ないと強気ではいたけど寝ている時に、嗚咽しているのを何度も聞いた。すでに手術が出来ないので、抗がん剤による治療が続いた。独立していた2人の娘たちも看病や家事の手伝いで、頻繁に実家に戻って来てくれた。しかし、肝心の福岡さんは、見舞いにも行かなくなり、家に閉じ籠るようになった。そんな福岡さんのことを、次女の奈弥さんは不甲斐なく思っていた。「父は強い人だからもっとできるでしょ、と接してしまった。自分だけが取り残されるという不安が見てとれた」と。

そして、福岡さんは自ら命を断とうとしてしまった。誰かに相談することがなかったので不安を溜めていく一方だった。そのことを知った妻は、自分が心のケアのために受診していた大西さんのもとに夫を連れて行った。そこでは、自分の気持ちを何でも素直に話すことが出来た。ただ喋りに行くだけだが、気持ちが楽になった。外来に通うようになって徐々に気持ちが落ち着いてきた。

するとある日、大西さんからこう告げられた。「福岡さん、わかってますよね」と。「妻のこと、もう長くないことが医者だからわかる、だから心がまえをちゃんと持ちなさい、と。僕に対して普通だったら、しっかりしろというところを、そんな言い方はしなかった」と福岡さんは話す。

西岡さんは、僕たちはそれを伝えるのも仕事、人間は愛する人が亡くなる経験は少ない、その時に最後までいい精神状態を保つために、こういう経緯を辿りますよ、こうなったら短いです、という話は伝える、それまでに何回も面接を重ねて気心が知れる状態になればしっかり伝えた方がよい、そうでないと急に亡くなったとなると遺族は大変だと思うので、と話す。

福岡さんは、妻の命が終わりつつあることを告げられ、それを受け止めることが出来た。そして、妻の看病も献身的に関われるようになった。そんな父親の姿を見ていた奈弥さんは、前向きに自分が出来ることを頑張ると切り替わったような気がする、それまでは出来ないことを、なんで、と自分を責めていたと思う、車の送り迎えを自分の仕事だからと頑張って積極的になった、と言う。

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その後、抗がん剤治療の効果もあり、福岡さんは妻と1年以上穏やかな時間を過ごす事が出来た。「亡くなる前の日だったかな、お父さん、ありがとねと言った、もう意識も朦朧として喋ることも出来ないのに・・あれが最後の言葉だったね」と振り返る。夫の介護を受け、妻の香代子さんは亡くなった。

直後は、やはり深い悲しみに襲われたが、大西さんや娘さんたちの支えもあり、以前ほど落ち込むことはなかった。今、福岡さんは、妻との楽しい思い出を振り返ることが出来るようになった。結婚指輪を首からぶら下げ、未だに一緒にいると静かにほほ笑む。
「死別の悲しみはゼロにはならない、それほど大きさは変わらないけど、心がもっと広くなっていく中で、相対的に悲しみが小さくなる。一般的に悲しみを乗り越えるとはそういう意味だと思う」と西岡さんは言う。

妻を亡くして2年半、少しずつ前に進めるようになってきたという福岡さん。トレーニングジムでの筋力トレーニングを再開。最近では周囲の人ともお喋り出来るように。

 

スタジオでの補足・・
余命を言われるのは患者だけの問題ではない。楽しい思い出を思い出せるということ自体が癒し。願わくば、生きているうちに、心に訴えるような本心の言葉を伝えるようにしておいてほしい。君のことを愛してるとかお父さんと結婚して良かったとか。人づてに聞いて、ああ、これで生きていけるということをよく聞くが、直接伝えておこう。
また、時間も必要。ロザンナさんの体験として、よく嫌なことがあると、もう一人の自分が傍にいて、ほぉーっ、おまえはその人のことじゃなくて自分のことで泣いてるんだ、って語り掛けられ、ちょっと待てよ、じゃあ他に生き方があるんじゃないかって開き直ったりしていた、けれど、そうなるまでに4~5ヶ月かかったとのこと。

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続いては、夫を看取ったケース。

死別の悲しみをある方法で乗り越えたという女性、長谷川裕子さん54歳。8年前、一歳年上の最愛の夫・秀夫さん(享年47歳)を亡くした。お見合い結婚で、秀夫さんは大手製薬会社の研究者だった。その後、漢方薬などを研究する会社を立ち上げ、仕事一筋の毎日を送っていた。一方、裕子さんはフリーアナウンサーとしてイベントの司会などをしていた。4人の子供にも恵まれ、順風満帆な生活だった。ところが、8年前、2009年5月、耳下腺がんが見つかり手術と放射線治療を試みたが再発。余命半年と宣告。しかし、本人は、自分の漢方の研究を生かせば癌はきっと治ると信じていた。が、裕子さんは、小さい子供4人いて、もし夫が死んだらどうやって生きていけばいいのか、不安が押し寄せてきたと言う。

そんな時、夫から思いもかけない提案を受けた。自分の姿をカメラで撮ってほしい、どういう風に治っていくかを確認したいから、その記録が同じような病の人の参考になるだろうと。お互い死ぬなんて思っていなかったが、その後急激に病状が悪化し、裕子さんは夫を励ましカメラをまわし続けた。

 「なぜ人を助けてきた彼が癌で先立っていくんだろう、小さな子供を残して・・
    そう思った時に、よっぽどの意味があると思った。こんな理不尽な
    ことが起こるなんて理由があるはずだ、その証拠を捉えようとした」

2009年12月、癌の告知からわずか7ヶ月、夫は自宅で47年の生涯を閉じた。その傍らには4人の子供たちが寝ていた。家族みんなで最期の時間を過ごした。瞬間の様子も知人に頼んでカメラで撮ってもらった。気丈に振舞っていた裕子さんだが、しばらくすると大きな悲しみが襲った。子供が寝静まった頃に、遺影の前に正座して物言わぬ主人の前でわんわん泣きながら一日の報告をする。うんともすんとも言わないので、泣き疲れて遺影の前で目が覚めたら朝だったということがあった。そして、あの記録ビデオは二度と観ることは無くなったという。

  「生還すると思って撮影したのにそうではなかった映像を観ても、病んでいく
   可哀そうな映像になってしまうので、それを観たところでプラスになることは
   ないなと思った」 

ところが、3年後、知人から、その映像を活かせないの?と言われ、見直してみたところ、たくさんのメッセージがあった。

  「主人が命を懸けて残したこんな貴重な映像はないな、よく頑張ったなーと
   思って。自分が不安や心配を抱えながらやれることをよくやったと映像を
   観ながら客観的に思った

そして、この映像を活かし、看取りについて考えるドキュメンタリー映画を作ることにした。映画なんて作ったことはないけど、広く伝えるためには形にしてみようと封印していた映像をあえて映画にした。2015年完成、全国各地で上映会をし、様々な反響が寄せられている。看取り方によって、お互い感謝を伝える大切な時間になると感じた、など。

映画を通して裕子さんは、夫のことをどう思い直したのか。

  「肉体として一緒にはいられないけど、生きていたときよりも凄く近くに
   感じられるようになった。触れられない寂しさはあるけれど、
     自分の人生を一生懸命生きることで、喜んでもらえるんじゃないかと。
     死をマイナスに捉えて執着してしまうと逝った方も悲しいと思うので

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スタジオでの補足・・
時間をかけながら客観的に考えられるようになる、3年半後にまた見直してみた時に、そこからメッセージを受け止められる奥様になっておられたのだろう。
ロザンナさんの体験談として、なんてむごいこと(夫の死)をと思ったけれど、きっと何か意味があるんだろうなと思った、お前には違う道があるんだよ、探せって、しっかり自分の足で歩いてごらんって、残されるってことは何かがあるってことだからって、それが今の力になったとのこと。

最後に、患者本人の家族に対する想いについて。
   ①自分のことを思い出してほしい
   ②悲しみ過ぎないでほしい (人生を笑顔で歩いてほしい)

今、悲しみにくれてる人へは?
ひとりじゃないんだ、私たちも一緒だからね、と、周りの方々は温かいまなざしで。時間さえくれば軽くなるから、この悲しみはずっと続かないから・・。(完)

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 死別・・私、母を亡くして25年、父、2年が経ちます。独り身ですので肉親との死別は2人。長女ということもあり、直後は葬儀や役所への手続きなどをこなすのが先で、しっかりと死者を弔うことが出来ておりませんでした。普通はその後、じわじわと悲しみに包まれるんですよね、しかし、日々、仕事に追われそのまましっかり弔うことも出来ず(しなかったという方が正しいのかな)、具体的に言えば、遺影と向き合って一人静かに号泣、とかでしょうか、わざと避けていたのか・・。両親ともに癌を患い、働きながら看病(のようなこと)をしましたが、なぜ介護休暇をとってもっとしっかり看病してあげなかったんだろう、結婚もせず孫を抱かせてあげることもなく、なんて親不孝なのか・・といったやましい気持ちでいっぱいだったからなのかなあ・・逡巡、後悔、いろんな気持ちが混在していました。いえ、未だに引きずっております。両親にひとつだけ確認したかったなあ・・「私を産んで良かった?幸せだった?」と。私は、色々想うことあるけれど、一人でも生きていけるように育ててくれて有難うと言っておくべきでございました。ん?それって良いことなのかな?

死に関する番組を観て、毎回懺悔する気持ちですが(ならば観なきゃいいのに)、心のどこかで何かに救われたいというのがあるのかもしれません。皆さんそれぞれ辛い状況と向き合い、それでも前に進んで行かれるお姿を拝見し、“時間”も心の支えに生き抜かなきゃなと思いますね。

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日々感謝です。