今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

図書館で借りた書籍記録⑯&『家族という病』を読んで。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
先日、図書館でお借りした本の中の一冊『家族という病』(著者:下重暁子)を読みました。発刊された頃に少し気になっていた本でございます。けれど、蓋をしている自分の心と向き合うことになりそうで何だか怖くて、そのまま時が過ぎていましたが、居候Kくんの出来事をきっかけに手に取ってみたのです。

f:id:sumikichi52:20170817103535j:plain f:id:sumikichi52:20170817103537j:plain

私の心を整理するために、ざっくり備忘録しときましょ。自分にしかわからない感じです、ご了承下さいまし。太字が本からの引用です。


  ≪序章≫ ほんとうはみな家族のことを知らない
       なぜ、私は家族のことを避けてきたのか


  多くの人達が家族を知らないうちに両親や兄弟が何を考え感じていたのか
  確かめるうちに別れてしまうのではないかという気がする

         ・・私は、両親が、特に母に確かめたかった。
           亡くなる前にひと言聞くことは出来たはず。
         「結婚して良かった?私を産んで幸せだった?どんな人生だった?
          幸せだと感じることはあった?」と。
        「まあまあ幸せかな」とひとこと言ってくれたら、私は救われた。

 

   自分で生きていこうと考えていた
  誰かに食べさせてもらうのではなく、自分で自分を養っていかねばならぬ、
  それだけは死ぬまで譲らないと考えてなんとか先が見えるところまできた

         ・・いつの頃からか、私もそう思って生きてきた。つもり。

 

      f:id:sumikichi52:20170817103538j:plain

 

  子供のために離婚しない?は正義か

              ・・どの時点での判断にもよるのかな。
           両親揃っていても家族の表情がどんより気味、
           シングル親で生活苦でも表情が生き生き、
           どちらが正解なのか他人にはわからない。 


  子供を産むこと
  理性で判断せねばならぬものを 母という感性の中で
  うやむやになってしまうのではないか
  私は産む自信がなかったので つれあいの同意も得て子供を作りませんでした

             ・・私も同様に産む自信、いえ、
         産む前提の誰かを真剣に愛するという自信もなく、
         それは、家族を否定しているのか、
         自分を否定しているのかわからないが、
         ただいろんなことからの逃避なのか、やっかいである。
         もうじき50半ばを過ぎる。
         過去を吟味してみても苦く酸っぱいだけである。
         味わいながらも、口角を上げて歩くしかない。 

    

     f:id:sumikichi52:20170817103539j:plain


  家族に捨てられて安寧を得ることもある


  孤独死は不幸ではない
  誰にも気づかれず、ひっそりとこの世を去ることが希望たったかもしれない
  一人で死ぬのは覚悟の上だろう 後始末に迷惑をかけるが
  少しずつ食物を減らして 水だけにし 
  最後には それも摂らずに亡くなる死に方を選ぶ人もいる
  野垂れ死と言われようと、
  心ない家族に看取られるよりは満ち足りているかもしれない

 
         ・・ひやっとする。
           単純におかしいんじゃないの?と非難出来ない自分がいる。
           そんな風に綴ることが出来る下重さんがパートナーと
           生きてらっしゃるのが不思議で、ある意味羨ましい。

  

      f:id:sumikichi52:20170817103542j:plain

    

  結婚はしなくても他人と暮らすことは大事
  パートナーがいることは有難い
  他人と一緒に暮らしてみることは大事だと思うようになった
  両親に反発して自分勝手に生きてきた人間にとっては
  他人と暮らすことは様々なことを教えてくれた
  思いやらざるを得ない、
  私にも相手のことを想像する余裕が出来たことは良かったと思っている


  孤独に耐えられなければ家族を理解できない
  独りを知り、孤独感を味わうことで
  初めて相手の気持ちを推し量ることが出来る
  家族に対しても、社会の人々に対しても


  家族に迷惑をかけられる喜びもある

              ・・このくだりを一番知りたかったのかも知れない。
           他人ではないが、人(4歳年下の弟)と期間限定ではあるが
           同居してみて、自分は人として欠陥人間だと再認識している。
           よっぽと、心を閉ざして生きてきたんだなと。
           今の私には、“家族に迷惑をかけられる喜び”はない気がする。。
     

  旅だった家族に手紙を書くということ
  家族を知ることは自分を知ること
  私自身を知りたかったのだ
  自分がこの世のどこに位置しているのかを確かめるため


  私への手紙
                                 (完)

     f:id:sumikichi52:20170817103536j:plain


“家族を知ることは自分を知ること”、そうなんでしょうね。冒頭にも書きましたが、だから読めなかったのかな。本の中では、下重さんが自分に宛てた手紙を最後に書かれていましたが、私はこうしてブログという手段で少し綴っております、表層だけど。下重さんのようにりっぱな経歴ではない凡人の私にも、似たような感情があり、心が癒されたりはするのですが、どうしても理解出来ないのが、他人と暮らし、共に人生を歩んでいらっしゃること。文章を読んでいまして、頭では理解出来るのですが・・。

     f:id:sumikichi52:20170817103540j:plain

そうそう、居候Kくんの友人の奥さまが占星術の講師をされていて、Kくんが自分の事を占ってもらったついでに見知らぬ私のことも占って下さったようで、その回答に驚愕!

K「お姉ちゃん、家を建てたの、いつ?」
私「32歳の時かな」
K「ふーん・・」
しばし沈黙・・
K「お姉さんには絶対に内緒にね、って言われたんだけど・・
  “結婚はないね、32歳の時点で決定してるね、それと、
  清潔で強い人みたいね、この先良くも悪くもなく時が過ぎるね・・だって。
  びっくりだね。よく当たるんよ、この人の」

なんと、私は32歳で家を建てたのでございます。その方はそれを知らないのです。もう結婚しないから!と決意してではなく、ただ自分の城が欲しかっただけ。私は占いとか信じないタイプですし、たまに「結婚しなくても絶対つれ合いができるよ」と言われても聞き流してきましたが、こうまでキッパリ言い当てられたのは初めてで笑ってしまいました。潔い!

私「で、Kくんはどうなの?」
K「これから良くなる、特にこの2年は絶好調で、何をやってもいいんだって」
私「はぁ〜っ?」
“嘘つけぇ〜、ホント能天気!”と心の中で突っ込んでおきました。

重い内容の後に、こんな姉弟の軽い会話で締めくくるのはどうかと思いますが、思い悩み過ぎておかしくならないのは自分以外の人間のおかげなのでございましょう。私は本当は幸せ者なのかもしれません。

  f:id:sumikichi52:20170817103541j:plain

日々感謝です。