今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

映画・小林多喜二の母の物語『母』を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
本日は、ゴスペル弾き語り&トーク(少し参加させて頂いてます)でキリスト教の伝道活動していらっしゃるM氏からの情報で映画・小林多喜二の母の物語『母』を観てまいりました。原作 三浦綾子さん、主演 寺島しのぶさん。

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パンフレットには、

       わだしは小説を書くことが、
       あんなにおっかないことだとは
       思ってもみなかった。
       あの多喜二が
       小説書いて殺されるなんて

と綴られております。
あらすじも原文のまま載せておきましょ。

秋田県釈迦内村、小作農と小さなそば屋で生計を立てる貧しい家の娘にセキは生まれた。当時の小作人は、地主に50%もの地代を払わねばならなかった。貧しい農家の娘たちは身売りするより仕方がない。 セキの幼なじみの少女も売られていった。 学校へ行きたくても、学校は男の行くところだと親からは相手にされない。 15歳で小林の家に嫁いだセキは三男三女を生み育てたが、長男は病死。次男が多喜二である。セキは優しい母親であった。 自分は字も書けなかったが、多喜二は叔父の世話で小樽高商(現小樽商科大学)まで卒業させてもらい、銀行に勤める。 当時の銀行は大変な高給で、一生涯楽に暮らせる程であった。しかし多喜二は貧しい人の味方となって小説を書き、 武器を作るお金で皆に白い米のご飯を!と反戦を訴え続けた。 そんな彼の小説は危険思想とみなされ、遂に多喜二は国家権力によって殺されてしまう。セキは自分の息子が悪い事なぞするわけがないと多喜二を信じ続けていた。 そんな折、娘のチマに教会へと誘われる。そこでイエスの死について話を聞かされたセキは、 何も悪い事をしていないのに殺されたイエスと多喜二の姿を重ね合わせ、 思いを巡らす・・・。

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母の愛の偉大さ、息子の拷問死への悲しみなどはもちろんですが、やはり、多喜二さん自身の拷問死、時代の風潮に逆らえない人間の愚かさに憤りを感じました。本日のブログは打つ手が進みません、って毎度のことですけれど。不条理だ、不条理だと言ってみたところで、言論の自由な現代に生きられて感謝ですと言ってみたところで、逆に虚しさで気持ちがいっぱいになります。

何より救いでしたのが、寺島しのぶさん演じる母・セキが、畳の上で子供たちに見守られてやすらかにあの世に旅立たれたこと。これは演出?だとしましても、わたしにとってはせめてもの救いでございました。

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母のこと、家族のこと・・別の機会に感じることを綴ってみたいと思います。本日は、あらすじを載せただけでございますが、これにて失礼いたします。

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日々感謝です。