今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 高慢と偏見 第2回〜認識をゆがめるもの〜」を観て。“えこひいき”ねぇ・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は、ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」。「永続的かつ普遍的な魅力があり、英文学の最も偉大な作家の1人と認められる」と絶賛され、2017年から英国の新10ポンド札に肖像が印刷されると発表された、作家ジェイン・オースティン。彼女の最高傑作とされる「高慢と偏見」は、人気映画「ブリジット・ジョーンズの日記」の元ネタになるなど今も世界中の人に愛されている小説だが、単なる「恋愛小説」ではなく、人間の本質を見事にとらえた洞察を読み取ることができる作品。

番組では「人間は虚栄心や偏見をどうやったら乗り越えられるか」という現代人にも通じる普遍的な問題を読み解いてくれるらしい。第二回は、さまざまな登場人物との関係から見えてくる「認識をゆがめるもの」を解剖していくというもの。

若い頃、映画「ブリジット・ジョーンズの日記」を観たものの、本「自負と偏見」は買ったまま。つまり、詳しくございませんまで、ざっくり備忘録しときましょ。

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スタジオでは、成り上がりたい主人公の‘婚活物語’みたいなストーリーになってきたと盛り上がる。

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今回はここにハンサムで頭の良いとても魅力的な男性が登場し、エリザベスの認知がまたゆがんでくる。また偏見持つ?ではさっそく。

 

ベケット家からほど近いメリトンの町に国連軍が駐留することになった。軽薄な下の妹たちは将校、中でも男前のウィッカムに夢中になる。いや、メリトンの町中の娘たちがのぼせ上った。エリザベスも例外ではなかった。

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ほぼ全ての視線を集める幸運な男性で、エリザベスは彼に隣に座ってもらった幸運な女性だった。

初対面にもかかわらず、エリザベスに自分の身の上話をしたウィッカム、実は子どもの頃からあのダーシー家と特別な関係にあるのだと言う。ダーシーの父親に可愛がられ、遺言で牧師の職に推薦されていたこと、しかし、嫉妬に駆られたダーシーに富と財産を地位を利用して無効にされたことなどを、巧みな言い回しでエリザベスに吹き込む。

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「だから、今のダーシーを見ると、先代の懐かしい思い出がわぁっと蘇ってきて、心からつらいんですよ」

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パーティが終わった時、エリザベスの頭の中はウィッカム氏のことでいっぱいだった。ダーシーへの反感という点でもウィックに共感したエリザベス、ウィッカムへの恋心はどんどん高まり、反面、ますますダーシーへの偏見を強めていく。

ここまでで伊集院さんは、ウィッカムはひとくせありそうだと言う。そして、エリザベスはのぼせ上ってますねと。

ウィッカムはとにかく頭が良くて、話も上手くて、自分を持ち上げるようにストーリーを脚色している。父親同士が親密な腹心の友って言うが、実はウィッカムの父は執事なので階級が違う。ダーシーにひどい目にあったとも言うが、それも実は逆だったということが後でわかる。
ウィッカムはさらに、さりげなくエリザベスのダーシーに対する偏見を煽るようなことを言っている。例えば、ダーシーの行動基盤はプライドだと言って人間性を貶め、ダーシーへの反感と嫌悪感でウィッカムはさらに接近していく。人の悪口で盛り上がって心が結ばれるってことがあるみたいな。エリザベスとウィッカムはダーシーを介した‘共謀関係’になっていた。

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ウィッカムはかなりの成り上がり組で、‘類は友を呼ぶ’でますます魅了されていったという心のしくみがあるのではと指南役は解説。

 

ここで、人間関係のベースとなっている当時の階級制度を理解しておこう。

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ベネット氏は経済的に豊かとはいえない。妻の実家が事務弁護士、商売人の弟がいるということで、この作品の中では家柄に傷をつけているとなっている。‘働かずに生活できる’ということに敬意が払われ、今とは随分価値観か違う。上流階級までは土地や財産など不労所得で生活できる人たち、一方、ウィッカムは将校なので財産がなく、働かなくては食べていけない境遇。ベネット家はというと、ジェントリーという上流階級の下層の身分に属しているが、実質的には境界線あたり。だから、その家の娘がピングリー氏と結婚すればランクも上がり、一方、ウィッカムと結婚するとランクが下がる。そういう図式、結婚相手がかなり重要。

では、ウィッカムとエリザベスが結婚したとしても周囲は羨ましいとは思わない?どちらも財産が無いので結婚しても幸せにはならないだろうと周囲から忠告されるらしい。

 

さて、ウィッカムに恋してるエリザベスの偏見がどうなっていくのか。

エリザベスは、ウィッカムから聞いたダーシーの話を姉のジェインに打ち明けた。他人を悪く見ることのない心優しいジェインは、それは誤解が生んだ何かの間違いでは?と意見する。

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伊集院さんは、この台詞のやりとりは良く出来ていますね、ジェインは冷静でもダーシーがひどい人であるなら親しい人こそ言ってるはずと、とてもわかりやすい。エリザベスの言ってることは根拠がないと言う。

この他、エリザベスはこういうことを言っている。

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エリザベスは‘偏見が強い’というのが浮かび上がる。ジェインは母親に愛されて育っているので‘自己肯定感’があり、劣等感もなく認知のゆがみもない。

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この後、エリザベスとウィッカムの関係はどうなる?
ウィッカムは金持ちの女性と付き合うようになる。つまり、エリザベスは失恋。しかし、心があまり痛まない不思議な状態になる。ウィッカムにとって、一番必要だったのは‘お金’なんだと、自分にお金さえあれば自分を選んでくれたんだと、奇妙な納得の仕方をしてプライドを保つことが出来ていた。別れに至るまで本当に好感の持てる男性だったとか、素敵な男性の見本だったと、そこまで想い続ける。これは、認知が歪んでいるとしか言わざるをえない。相手を実際以上に良く見ることも一種の偏見といえる。ウィッカムに対しては“えこひいき”という偏見を抱いたのだろうと指南役は言う。

伊集院さんは、エリザベスが自分の自信のあるところ、評価してもらいたい知的な部分と共鳴するような知的な男性が現れ、しかも、周りの女性が憧れるその男性に自分が選ばれたのだという意識が、前回登場した、誰にも対手にされず知的さが見受けられない
コリンズに対してのものと違うんですね、コリンズとは根本の野心家で成り上がり者という点では似ていても嫌悪に向かう、が、ウィッカムに対しては“えこひいき”というバイヤスがかかってるんだ、と納得する。エリザベスは、他の女性に勝ったのだというプライドが守られたことで偏見が加速していく。

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このように巧みに登場人物を作り出した作者、オースティンとは、一体どのような人物なのか。

ジェイン・オースティンは、1775年 イングランドの南部の村で牧師の娘として生まれた。教養溢れる父親のもと蔵書に囲まれ育ったオースティンは、早くも12歳の頃から小説を書き始めた。20歳で「高慢と偏見」の原型となる小説「ファーストインプレッション」を書き、父親に絶賛されるが、出版には至らず。オースティンには姉一人と、六人の男兄弟がいた。彼らは、地主、牧師、軍人、実業家など様々な職業についており、兄弟の話から世間を観察する術を得ていたといわれる。晩年は、裕福な兄のひとりかせ用意してくれたコテージに母や姉と暮らした。愛用した小さな椅子とテーブルが
今も残っている。41歳で亡くなるまでに彼女には2度の恋があったといわれているが、生涯独身を通し恋愛小説を書き続けた。

オースティン家は中産階級、結婚や経済力によって地位が大きく変動する階級なので階級意識が先鋭で、人間の俗物根性が育ちやすい。小説の材料になる人間観察をする上では抜群のポジション。

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オースティンはそう言っている。

今も残っている小さなテーブル。彼女の文学を象徴しているともいえる。オースティンの文学はよく“制限の文学”だといわれる。自分が知っていることしか書かないという。当時流行していたのは、悪党、幽霊、殺人など激しい出来事が好んで描かれていた。女主人公はしょっちゅう気絶していた。オースティンのものはどれも出て来ない些細な日常を材料にして、人間とは何かという本質を掘り下げた。

 

そんなオースティンが一番愛した主人公・エリザベス。ダーシーに対する偏見はその後どうなったのか。

最悪の出会いのあと間もなくダーシーは、密かにエリザベスに惹かれていく自分に気づいた。その美しさにも、知性にも。ビングリーの住むネザフィールド屋敷での舞踏会の夜、思い切ってダーシーはエリザベスにダンスを申し込む。しかし、ウィッカムのことで腹を立てていたエリザベスは踊りながら、彼に対して偏見をぶつける。

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   「そうです」と彼はきっぱりと答えた。

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   「そう願いたいものです」
   「自分の考えを変えないというような人は、最初にちゃんと
    正しい判断をすることが特に必要ですわね」

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   「それで上手くいきましたか?」 

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その頃舞踏会では、ベネット夫人が暴走し始めていた。ダーシーへの敵意を剥き出しにしながらピングリーと長女・ジェインの仲を吹聴してまわり

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この一件のあと、ビングリー家はネザフィールド屋敷を去って行った。何の挨拶もなく彼らが去ったことに、ベネット家は不安を募らせる。ついにピングリーの妹からジェインに‘あの屋敷を手放すことにした。兄は戻らない’という内容の手紙が届く。しかも、ビングリーの結婚相手はダーシーの妹になりそうだと書かれていた。なぜ。そんなことが?ピングリーはジェインを愛していたはずなのに・・。

 

スタジオの解説では・・
ダーシーが考え込んでいたというシーンがあったが、それが前触れ。ベネット家を、親友・ビングリーと親戚にしてもいいのだろうかと思ったのだろうという。

この舞踏会で、エリザベスはダーシーに舌鋒鋭く挑みかかった。

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エリザベスはダーシーに対してもウィッカムに対しても偏見を持っている、ダーシーの偏見を言い当てて鬼の首でもとったみたいな言い方をしている。実は、この激しいやりとりを通して人間関係が深まっていく。この「高慢と偏見」には人間と人間の対決としての恋愛が描かれているのが特色。作品の中でジェインとビングリーの会話は一切出て来なくて、エリザベスとダーシーの関係が会話だけで成り立ち、対決して深まっていく人間同士の関係が際立っている。。

伊集院さんは、恋愛小説といっても我々がいかに偏見を持っているかというメカニズムを見せられて、ある意味怖い小説、自身でも恋愛小説に偏見を持っていて、それはおそらく自分が上手くいかない恋愛を積み重ねる中で出来上がった、それこそスキーマ?、そこから出来上がった偏見なんですよね、と感想を話す。    (完)

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私も、今は、完全なる恋愛小説は手にとらないですねぇ。が、二回目にしてだんだんと、このオースティンの“偏見”ワールドに慣れてまいりました。よくよく考えますと、エリザベス的な‘認知のゆがみ’からくる“偏見”って、人間誰にもあるような気がいたします。もちろん、私にもかなりの割合でございます。そして、そういえば、昔はダーシー風な男性に惹かれた頃ってあったよなぁーなんてことを思い出しました。そして、どちらかというと、恋愛とか結婚相手の条件(って、そんなこと言える立場じゃござんせんが)に‘本心を言って喧嘩できる人’というのがありましたねぇ。喧嘩とか意見するって、相手と真剣に向き合っていないとできませんよね。あっ、単なる言い合いとかではなく。そんな相手とは出会えなかったなぁ・・まあ、それは置いといて。

そう考えますと、この回までは、ある意味、例え認知が歪んでいてもエリザベスが羨ましい部分はございますね。50歳過ぎての今は・・実りのない喧嘩はしたくないですし、個の違いを受け入れあえるのが良いですねぇ。ん?恋愛(小説)に興味ないと公言しているくせに、まんまと引き込まれているようでございます。

そうそう、不労所得階級の若い女性たちは、日々恋愛以外に何をしてらっしゃるんでしょう。

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日々感謝です。