今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「あしたも晴れ!人生レシピ〜ライフチェンジ!生と死を見つめた先に〜」を観て。生かされてる命は最大限に!

こんにちわ、SUMIKICHIです。

レギュラー視聴しているEテレ「あしたも晴れ!人生レシピ」、今回のテーマは〜ライフチェンジ!生と死を見つめた先に〜。人生の後半戦、新たな道を選んだ人々を紹介するシリーズで、カレー屋に転身した元警察官男性と乳癌の治療後、田舎暮らしを始めた
かっぽうの元女将のお二人が登場。ざっくり備忘録しときましょ。

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お一人目は・・京都市でカレー屋を営む、吉野明彦さん、56歳。元警察官。
吉野さんは、人の役に立ちたいと高校卒業後、京都府警に入る。それから30年以上、刑事や警視官として第一戦で活躍。そんな吉野さんに、51歳の時に転機が訪れる。

2011年3月に起こった東日本大震災、宮城の石巻に派遣された。現地では、運ばれて来るたくさんの遺体の死因の特定や身元確認などを行った。あまりにも悲惨な惨状だった、早く身元を判明して遺族の元にお返ししなくてはという思いに駆られた。街全体が悲しみに包まれていた。3週間滞在した後、京都に戻った吉野さん、これからの人生に想いをめぐらす日々が続く。「いろいろ考えたら、悲しい人とばかり接してきたんやなとか、じっくり考える時期になってたんではないかと思う。人生全体において、最後はもう、いつも笑顔で接していられるような生活を送りたいなと思った」と当時を振り返る。

もともと料理が好きで、警察官時代に、作ったものをよく仲間に振る舞っていた。得意の料理で人を笑顔に出来ないかと考えた。選んだのはカレー屋。今晩ご飯作るけど来ないかと単身赴任者数人を誘ったら、肉はだめ、魚はだめと人それぞれだけど、カレーだったらみんな行きます!と言う、やっぱりカレーは人気、そういう思いもあった。

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52歳、震災の翌年、警察官を退職。第2の人生がスタート。妻・佳子さんも開店に向けて背中を押してくれた。それから、カレーの味の研究に没頭した。3年間でカレー屋300軒を訪れた。現場から学べという警察官時代の教えを実践した。好みの味に出会うと食材やスパイスに何が使われているか分析、自宅で試作を繰り返し独自の味を追求していった。

そんな吉野さんに決定的に足りなかったのが接客の経験。警察官だったので“いらっしゃいませ”と言ったことがなかった。そこで、夫婦で千葉県に移り住み、テーマパークでアルバイトを始める。園内で行われるショーの案内係りを担当、笑顔で対応、‘すみません’と呼ばれる前に察知して近くに行ってなくてはならないと言う。

一年後、京都に戻った吉野さんは、退職金と貯金を合わせて1,500万円かけて店舗を改装。試行錯誤を重ねたカレー作りには、35種類のスパイスを使うことで思い描いていた味が出せるようになった。

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退職から3年後にオープン。しかし、思うように客足が伸びなかったが、ここが踏ん張り時と、毎日暇なときに小窓から顔を出して、道行く人に笑顔で手を振り店のアピールを続けた。やがて、地味な努力が実を結び、赤字続きだった店の経営は、徐々に軌道に乗るようになった。

吉野さんが味の決め手になると特に思っているのは、タマネギ。

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京都市中央卸売市場に自ら足を運んで野菜を仕入れている。市場の本間さんは、良き協力者で、吉野さんの情熱に押され、全国からいろんな種類のタマネギを取り寄せ、どれが一番吉野さんの欲しいものに合うのか、二人で吟味、半年以上かかって最終的に選んだのは、北海道北見産のタマネギ。キリっとした辛みが特徴。納得ゆくまで手を抜かない、ひとつひとつ丁寧な仕事が吉野さんのカレーの味を支えている。

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オープンから2年半。吉野さんのお店は、地域でも知られる存在となりつつある。「まさか、こういうふうに飲食店の店主になるとは思ってもみなかった。きっかけっていうのは本当にわからないですね」と話す。

 

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お二人目・・滋賀・大津市、豊かな緑に包まれた葛川地区の、築100年の古民家で田舎暮らしをしている中島英子さん、72歳。

2年前に大阪から移り住み、一人暮らしをしている。ゆっくりと時が流れるこの暮らしを満喫している、時間に追われて生活することに都会では慣れてるから、目がくぅーっと上がった感じの生活やったんやろうなと思う、としみじみ話す中島さん。

大阪生まれの大阪育ち、20歳で結婚し、長女をもうけるが、2年後に離婚。その後は、母親と一緒に割烹料理の店を営んでいた。店も繁盛し、娘も独立、人生半ばの50歳を過ぎた頃、突然大きな転機が。たて続けに何でも言い合える親しい友人二人を癌で亡くした。二人の死が中島さんの生き方を変えた。「この二人にも望みがあったはず、それが叶わなかったわけで・・虚しいぃーと思った、そして、自分の人生を考え直そうと思って」と中島さんは静かに話す。

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友人の死から半年後、店をたたみ新たな人生の模索を始める。しかし、今度は中島さんが子宮がん末期だと判明。手術は成功したが、放射線治療のため長期入院。死の恐怖と直面する。3ヶ月目くらいに、自分の部屋でベッドに座っていると、ポロポロと泣ける。しかし、病状は奇跡的に回復し、5ヶ月後無事退院。

「どないゆうても再発の不安はある。何か自分で目標を持ってないと生きていきにくいでしょ、自分が病気になって、本当に何をすべきなのかを考えたいと思った時に、“人のお役に立てたら”というのはあった」と中島さんは言う。生かされた命を最大限に使って感謝を捧げる仕事に就きたいと考えた中島さんは、退院後、神職を目指して専門学校に通い始める。59歳で資格を取ってから10年間、大阪市内の神社で働いた。祈りを捧げる中で、再発に怯えていた自分の心も穏かになっていった。すると、新たな夢が生まれてきた。

都会を離れて田舎暮らしをしたい。10代の頃、父親と一緒にお遍路を回って以来、自然の中での暮らしに憧れを抱いていたのだ。

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70歳を目前にした2年前、住まいを移して田舎暮らしを始めた。たった一人で飛び込んだ田舎暮らし。地域に溶け込むために、積極的に声をかけて回った。今、一番の楽しみは、この地区で仲良くなった同年代の友人と一緒に過ごす時間。山菜を採り、料理して食べ、おしゃべり。そして、毎週金曜日の放課後、小学校に通って子ども達のお世話をしたり、週1〜2回、初心者対象にヨガを教えたりしている。一日中趣味の洋裁をして、オリジナルのコートを作ったり。センスを買われて友人からもオーダーされたり。

「私、まだ生きてるって、癌で物凄く吹っ切れた。私の人生は1回やから、自分の好きに生きてやろう、私の人生を完成させたいな」と中島さんは笑顔で話す。

 

ゲストの東京大学名誉教授・姜尚中氏は、お二人とも、貪欲な生き方ではなく、でも、枯れてる生き方でもなく、自分が生かされてるから一生懸命生きようとする、そういうふうに“幸せの方程式”が変わったんでしょうね、としみじみと語る。  (完)

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やはり、夢中になれるもの、人に伝えたいもの、人の役に立つもの、何かひとつあればいいんですよね。自分のように、あれもこれもと彷徨っているからどれも中途半端で、極められないんですよね。単なる趣味で楽しむのは良いけれど。早期退職して今月末で一年が過ぎようとしていますが、色々な方々の人生を拝見してきて、ちょっぴり想いが深くなっているような気がします。今後の働き方とか人とのかかわり方とか。

日々感謝です。