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自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 『維摩経』 第1回〜仏教思想の一大転換〜」を観て。 『維摩経』 って?

こんにちわ、SUMIKICHIです。

すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は「維摩経」。聖徳太子によって日本で初めて解説された仏典の一つ。かの文豪・武者小路実篤も「維摩経を読んで偉大な知己に逢ったような気がした」と述べるなど、日本人に親しまれてきた経典。しかし、現代人には意外にその内容は知られていない。第1回のテーマは、〜仏教思想の一大転換〜。「維摩経」が成立した背景や維摩の人物像を紹介しながら、既存の仏教体系を大きく揺るがした大乗仏教の基本構造を学んでいく、というもの。指南役は、如来時住職・相愛大学教授の釈徹宗さん。著書「なりきる すてる ととのえる」「お世話され上手」で知られる宗教学者・僧侶。

お恥ずかしながら、聞き馴染みのない「維摩経」。ざっくり(としか言いようがない、理解できるのか?私)備忘録しときましょ。

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まずは、「維摩経」の基本情報。

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聖徳太子の編著とされる日本最古の仏典注釈書「三経義疎」の中にも登場する。日本仏教の方向性を決める際に大きな一躍を担った。多くの仏教経典は、釈迦の弟子とか出家者、世俗を捨てて修行した人が中心だが、ごく普通に社会生活や家庭生活を営んでいる仏教徒維摩が中心となっているのが特徴。また、「維摩経」のように出家者と在家者の区別をあまりしないのが大乗仏教の特徴。ちなみに、この経典は物語性が高く、宗教文学的な側面も強いらしい。

 

そもそも、大乗仏教とは?流れをまとめると・・

  仏教の誕生
  紀元前5世紀ころ(開祖:釈迦)
      ↓             ≪現在≫  
  初期仏教          ⇒ 上座部仏教  
   出家修行を中心として     (タイ・スリランカ・東南アジア諸国 など)
   戒律を厳格に守る保守派
      ↓           
  大乗仏教          ⇒ 大乗仏教 
   紀元前後に登場        (チベット・中国・ベトナム・日本 など)
   在家仏教者の活躍や革新派から
   生まれたムーブメント

 

現在の日本の仏教大乗仏教の系統。禅、念仏、法華経華厳経密教などもそう。大乗仏教、“仏教史最大の信仰改革ムーブメント”。初期仏教が確立すると大乗仏教が生まれたように、仏教ではひとつの体系が構築されると、そのカウンターとして別の体系が生まれる、これが繰り返されてきた。そこには、執着を捨てるためには教え自体にも執着するなという釈迦の言葉の影響が見られる。

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指南役の解説・・
こういうタイプの宗教は珍しい、絶対的な神が軸にあるとこれを否定するわけにはいかないけれど、そういうものを立てない、真ん中が空いている構造になっているのでこういう言説が成り立つ、さらに、仏教という体系の中に自己否定の装置が内蔵されているということでしょう、これを、“脱構築装置内臓宗教”と名付けてみた。現代思想で“脱構築 deconstruction”というのがあり、内部から体系自体を揺さぶるというものに使われているが、まさに仏教って、そういう構造になっていて大乗仏教ムーブメントが起こる、「空」という高度な理論が発達すると、実践的なヨーガ(瑜伽行)が起こる、次は密教のような神秘的な仏教が起こる、次々とひとつの体系に対するカウンターが生まれる、とのこと。

さらに、それもそれも釈迦自身が残した“脱構造装置”が内蔵されているからであって、この装置を装着した人は釈迦だったと思う、と言う。

 

こうして様々な経典が作られていく中で、大乗仏教の主要テーマが見えてくる。

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『菩薩道』
菩薩とは、もともと悟りを開く釈迦を指したもの。大乗仏教になると悟りを求め歩む人は全て菩薩。優れた修行者だけでなく、誰もが悟りを開けるのが大乗仏教

『空の理念』
初期仏教での「空」は“からっぽ”“無い”の意味。象の「空」がある、鹿の「空」がある、そういうものの考え方で実体が無い。“聖”なる世界と“俗”なる世界、など二項対立を解体していくための理念として「空」を発達させた。二つに分けているのは我々の分別。

『他者性と社会性』
この社会をどう生き抜くのか、人とどう関わるのか、本来の仏教は出家という形態より、人々と関わるものだったのではないか、というのが大乗仏教

この3つを全部まとめて面倒みてくれるのが「維摩経」。

 

それでは、読んで行こう。
まずは「上巻 第1章 仏国品」。(朗読は仏教大好き芸人 笑い飯の哲夫)

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物語は林の中で始まる。そこには釈迦の説法を聞くために八千人の弟子、三万二千人の菩薩たち、数万の神々が集っていた。説法の前に、宝積という菩薩が釈迦を讃えようと歌い、そして問いかける。

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釈迦はこたえた。

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スタジオでの補足・・
日常にこそ理想の国が打ち立てられるべきというお話。これは「維摩経」上巻の大きなテーマ。続けて、釈迦は、大乗仏教が定めた「六波羅蜜」「四無量心」「四摂法」を説く。

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我々は、“自分の都合”を通して物事をゆがめて認識してしまうので苦しみが生じる。「六波羅蜜」は“自分の都合”を捨てるための修業が説かれている。「四無量心」は理想的な心のあり方で全ての執着を捨てていく、「四摂法」は一緒に協力して社会を作っていく、大雑把にいうとこの二つで“慈悲”のことを説いている。大乗仏教の言わんとしている大まかなものは、“智慧と慈悲”。This is the 仏教

世界中どれだけたくさんの宗教があろうとも、これは共通。初期仏教は「六波羅蜜」、大乗仏教は「四無量心」「四摂法」を重視傾向。

 

維摩経」に戻って、前述の釈迦の言葉を聞いた弟子・舎利弗は、心の中でこんなことを考えていた。

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舎利弗の様子を察した釈迦はこたえる。

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指南役は、この舎利弗は大天才で、その舎利弗から見ればこの世は随分ガラクタに見えるかもしれない、でも、それは君がそう見ていて、躓いているのであって、環境は内面の投影である、と話す。

伊集院さんは、そんなことをよく考えるようになったと言う。この人がいいとか悪いとかではなく、自分にとって都合がいいということではないか、感情って自己責任じゃないかと僕は思うことがある、例えば僕は、企画案を作るときに、自分の一番嫌いな人がこれを見たら・・というフィルターをかけるのが好きで、それでも面白いものは相当面白いんだろうなって、と。

指南役は、自分で自分の歪みって認知できないので、“鏡”に映してチェックしないといけない、チェックする基準が仏教の教え、そして、フィルターに捉われずに本質を見るというのが教え、それが智慧だ、と話す。

 

続いては「上巻 第2章 方便品」。いよいよ主人公・維摩が登場。

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そんな維摩が驚くべき手法で人を導くことになる。自分を病に倒れたことにした。維摩が病気だと聞いて、国王や大臣を始め数千人が見舞に訪れた。その人たちに向かってこう言う。

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方便品・・方便というのは、もともと真実へ近づくためのプロセス、決して目的のために嘘をついてもいいという意味ではないが、維摩はあらゆる手段を用いて人を導く人で、この病気もそのための手段(仮病?)とも言われている、しかし、僕は本当に病気だと思っている、と指南役は言う。それらしい表現も出てくるよう。釈迦入滅までの最後の旅や入滅以降の様子が描かれた経典「涅槃経」というものがあるが、高齢者の釈迦が大変苦しんで、嘔吐や下血を繰り返して行く様子が克明に描かれている。釈迦はこの姿をみんなに見せろ、という。維摩も似たようなところがあり、自分の倒れる姿を人々に見せること自体が維摩の説法だろう、体も精神も「関係性」で成り立ち変化し続けるという立場で苦しみを引き受ける、と指南役は言う。

そして、指南役の友人の言葉に触れて・・
難病を抱えながら今も生き抜いておられる友人は、難病発症前から仏教を一生懸命学んでおられる方。まだ少し手が動く頃に書いた日記には「“自分が様々な縁の集合体で、刻々と変化している”と実感できた日は、(こんなにつらい毎日だけど)明日も生きようと思える」と綴られており、随分感銘をうけ、あらためて仏教の教えの凄さを知ったそう。

「しがみつく」をいかに外しいくか、そこに老・病・死の苦悩を引きうける道すじがある、そんなお話。次回は、主人公・維摩ってどんな人? (完)

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うーん・・・そもそも“仏教”については、義務教育で習った程度で習得など出来ておりませんので、へぇーっ、「維摩経」って興味深いですね、と思ってはみるものの、何だか表面的感想になってしまいます。人は自分が見たいものしか見ない、とか、全ては自分の心が見せている、執着心がある故に不幸、世界は“無”、とかとか、いろーんな教えを見聞きしますが、自分の中で体系的に整理出来ていないので、いま一歩身にならないですね。

視聴中、ふっと思い浮かんだのは・・・

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ここにコップなり湯呑みなりがあったとします、一度自分のお小水入れに使いました、それをきれいに洗って、消毒したとして、あなたはそれに水を入れて飲めますか?仏教だったか禅だったら忘れましたが、本来は飲めるはずだという。100歩譲って、もし、お小水入れに使っていたことを知らなければ?そりゃ、飲めますよね。私・・もしかしたら、出家するしないではなく、この世俗ででも修行を積めば飲めるかもしれないなぁ、と思ったりしました。歳を重ねたからかなぁ、だんだん、そんなにしがみつかなくてもいいんだろうなぁーの境地に引き寄せられつつ。ヤバイ?まあ、まだまだ欲深い50代独女ではございます。

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日々感謝です。