今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「あしたも晴れ!人生レシピ〜ライフチェンジ!人生は二毛作〜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

Eテレ「あしたも晴れ!人生レシピ」、今回のテーマは〜ライフチェンジ!人生は二毛作〜。定年を控え、その後の人生の模索を始める50代。それまでのキャリアを捨て、思い切って転身を図った人たちがいる。彼らを決意させたものは何だったのか?新たな一歩を踏み出した人たちの姿を通して人生二毛作について考える、という内容。ざっくり備忘録しときましょ。

 

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まずは、外資系企業の営業部長から美術商という畑違いの仕事に転身した女性。

“青い海と青い空というイメージのバリ島。実は、芸術の島でもある。そこに画家が多く住む村があり、その細密画のような絵が非常に素晴らしい。日本に紹介したい”と定期的にワークショップを開催する、その女性は・・
坂本澄子さん、54歳。
大阪の外語大学を卒業後、外資系のコンビューター関係の企業に就職。女性で初めての法人営業の担当としてキャリアをスタート。その後、様々なプロジェクトに参加、40歳を過ぎた頃には100名ほどの部下を率いるまでになった。セールスマネージャーとしてお客様と触れあう中で、いろんな仕事をしていくのはとても楽しかった。ただ、外資系なのでアメリカとのやりとりが多く、24時間フル稼働みたいなこともあった。

多忙な日々を送っていた30代、趣味で絵を描きはじめた。ひとりキャンバスに向かう時間が何ものにも替え難いものになった。この趣味が後に大きな転機をもたらす。

ある時、インターネットでパリ絵画を目にし、心を奪われ、パリへの想いを募らせていく。ちょうどその時、仕事がすごく忙しい時期で、自分のことを誰も知らない土地でぼーっとできる所に行くたいなというのも半分、もう半分は絵に関するものを観たい、触れたい、学びたいという気持ちだった。

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バリ島を訪れるチャンスは間もなくやってくる。47歳の時、勤続25周年で3週間の休みが貰え、その休暇のほとんどをバリで過ごした。

びっくりしたのは、時間の進み方。朝、明るくなると農夫が外に出て農作業をゆっくりとやっているのが、本当に一つひとつがスローモーションみたいな情景。田んぼの上は、ずっと空が広がっていて、雲が動くのをずっと見ているだけで、いいなという感じ。日本で会社員として生活しているときには、一生懸命努力もしたけれども、それでできたことは所詮限られていた。大きな自然の摂理の中で、物事が動いていく流れというのは「こういう世界もあったんだな」とすごく実感したところがある、と坂本さんは振り返る。

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そんなバリでひとつの絵に惹かれ、購入を決めたが、その値段に驚いた。「えっ?この絵がこんな値段でいいの?」という感じ。日本で絵を買うっていったら、いわゆるお金持ちが銀座の画廊で、みたいなイメージがあるが、もっと絵を自宅で楽しめる裾野が広げられるんじゃないか、そういうことを仕事としてやれないかと思った。

当時50歳、順調にキャリアアップをはかり、営業部長のポストについていた。しかし、転身を決意することに迷いはなかった。会社の中で働こうと思うと定年が必ずある。自分で何か出来ることを模索していた中で、自分自身も絵を描くので、絵に関することで何か出来たらいいなというのはずっと心のどこかにあった。
「今まで積み上げたものがもったいない」とほとんどの人から言われたが、思い留まろうとは思わなかった。

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バリ絵画を専門に扱う画商としてあらたな人生をスタートさせる。
しかし、思ったように絵は売れない。営業の経験を活かし、住宅展示場やエステサロンなどに売り込みをするが全く相手にされず、商売にはつながらなかった。それまでは、ある程度大きな会社の看板を背負っていたので、会社説明は新規の客でもしたことがなかった。ところが、自分が何者かというところから説明を始めないといけない。いかにも胡散臭さそうな感じ、と坂本さんは笑う。

一年経った時に、一周年記念の大きな展示会をやったが、客がほとんど来なかった。本当につらかった。自分がいいと思っているだけで、世の中一般的にニーズがあるのか?と、孤独に待っているときにそう感じた。

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そんなとき、ある風景に心動かされる。マンジョンの自宅の窓から見える風景。人や車が行きかう何気ない日常を見つめ、自分が今いる状況を再認識したという。今自分は、一人になってしまったように思っていたけれど、本当は絵を運んでいる人とかいろんな方に支えられて、この仕事を続けていられるんだというふうに思った。

そんな想いを込めて『世界につながる窓』というタイトルで絵を描いた。開業の準備などでしばらく絵を描くのを休んでいたが再開する。精力的に作品を仕上げ、コンテストに出品するようになった。そんな中、『往く春』が、銀座画廊の主人の目にとまり、その絵を使って作者と観客が直接交流するワークショップを開催。初めて参加した坂本さんは、絵を観て喜んでくれる観客、絵の力で人を幸せにする、絵の持つ力を改めて感じた。

画商に転身して4年。その取り組みは少しずつ実を結んでいる。そして、今新たな事業を始めている。お客の希望にあわせてオーダーメードで仕上げた作品を販売。絵としては気に入ってるんだけど、鳥が4羽しかいない、5人家族だからもう1羽なんとかならないか、といった相談に対して、自らも絵を描くという経験を活かしながら、1羽描き足してもらうなど、客と画家との橋渡しをする。

客からダイレクトに反応が返ってくるという意味では遣り甲斐もあるし面白い、収入は激減で安定しないがお金には代えられない部分がある、と笑顔で話す坂本さん。

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 続いて、インテリアデザイナーで管理職への道を捨て、大好きなある趣味の魅力を伝える活動を始めた男性。

今若者の間で密かな人気を集めているカセットテープ。同時にテープを再生するラジカセにも注目。2016年12月、世界中の古いラジカセを集めた大規模な展示会が東京と大阪で開かれ、賑わいを見せた。このブームのきっかけを作ったといわれる人物が・・

自らを家電蒐集家と名乗る松崎順一さん、56歳。
小さい頃からラジオや無線機が好きで、ラジカセに興味を持ったのは中学生。オーディオのメーターにバックライトがついていて、薄暗い所でメーターが光りながら、ゆったり振れている、その何ともいえないゆらぎがカッコ良くてとりつかれたらしい。現在、70年代、80年代のビンテージラジカセを全国各地を駆け廻り集めている。ざっと5000台、つぎ込んだ金額なんと1,000万円にものぼる。

松崎さんは、専門学校卒業後、デザイン会社に就職しインテリアデザイナーとして店舗の内装や商品の展示を手掛けていた。37歳で結婚したが、その一ヶ月後バイクで大事故を起こし、背中を大けがして半年に及ぶ入院生活。ある想いが頭をよぎった。

「人生ってはかない。一瞬で知るかもしれないし、次の日死ぬかも。何か自分ならではの価値的なことをやるべきじゃないか」と思い、趣味の世界を仕事にできないかと考え始めた。

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そんな時、管理職への打診が。現場の第一戦に遣り甲斐を感じていた松崎さんは、退職を決意。奥さんにはひどく叱られた。42歳で退職し、一年間リサイクルショップで見習いアルバイトをした後、古物商の資格を取得。そして、家の近所に10坪のスペースを借り、古いラジオやラジカセ、プラモデルなど自分の好きなものを扱う店を立ち上げた。しかし、思うように客足が伸びず、我慢の日々が続く。

本当に後悔して、何度会社に戻ろうかと思ったことか。独立したものの崖っぷちに立たされたが、お客さんのある反応に着目し、方向性を見い出す。「ラジカセとかあるんだ」と結構言われ、お客さんはラジカセに惹かれた。

「自分が今後展開するのであれば、“ラジカセの松崎”って呼んでくれるように、ラジカセが僕の代名詞になるよう世の中に表現できたら」と話す松崎さん。

扱う商品をラジカセに絞り、再スタートを切る。まずは、ラジカセの魅力を知ってもらおうとHPで情報発信。さらに、出版社にラジカセの企画を持ち込むなど積極的に行動をしていく。昭和レトロブームでラジカセが注目されると専門家として雑誌にも登場。広くその存在が知られるようになる。

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そんな松崎さんの仕事は大きな広がりを見せ、千葉市の科学館には、かつてのインテリアデザイナーとしての経験を買われた松崎さんがプロデュースした30台の古い家電が展示されている。この仕事に手ごたえを感じた松崎さんは、ラジカセを活かした店舗の内装を手掛けるなど独自の道を切り開いている。

「人生一度きりなので、やるときはやらないと。今までやってきて一番感じたのは、そのときのタイミングやらなくて悔いを残すことが一番もったいない、やることで自分が今まで培ってきた証しを残すことが一番大事だということ」と松崎さんは話す。

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さらに、今、新たな取り組みをしている。現代に合うデザインのラジカセの製作、販売。ボタンを押したときの感覚に拘っている。製作費用は約2,000万円、インターネットで出資を募り、公庫も利用。今回は2,000台販売予定、利益はほとんど出ないが、大きな可能性に夢を膨らませる。

「日本だけではなく世界中の方が、カセットテープとラジカセの魅力に気づいてくれたら本望」

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 スタジオでは・・・
何かをする時、熟考に熟考を重ねる大切だが、直感を信じることも必要。その直感を育てるには、いろんな人に会って、本を読んで、いろんな所に出かけて行って初めて人は賢くなる。家でじっと考えていてもそんなに賢くならないのでは。

今の自分しかないわけで、これまでちゃんと生きてきたわけだから、今までの蓄積を信じて、今思う判断をしていこう、もし上手くいかなくても人生何が良かったかは、喜怒哀楽の総量ではないか、楽しいことが100ならプラス100、悔しいこと100ならマイナス100、合わせてゼロではなく、全て自分の経験なので絶対値200になると思う、その方が人生豊かではないか、思い返すとあのときの悔しさがバネになったとか、あれほどのどん底を味わったんだから、たいていのことなら耐えられるとか。

アメリカでは、ベンチャー企業に出資する際、大きな失敗をした人に投資する傾向があるらしい。ライフチェンジ50代って、今が一番若いんだから人生二毛作どころじゃなく、多毛作でやりたいことにチャレンジしましょう、などなど様々なお言葉が飛び出す。  (完)

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お二人を拝見し、当たり前のことに気づきました。まず一歩踏み出して、この場合、自分の城(自分の名前の事務所やお店)を持ち自立ってことでしょうか、その上でやってみる、しかし上手くいかない辛抱の期間に何をするか、そう、どんな小さなことでもいいのでお客様の声に気づけるか、ですよね。自分の好きな事、得意な事をただ提供してるだけではなく、そこから求められるものに舵を切れるか。根本に、自分が心底好きな事、っていうのがしっかりしていないと途中で投げ出してしまいますよね。そういう意味では、私は甘い。早期定職してあと一ヶ月位で一年が過ぎようとしていますが、何のリスクもとらず、まだチャレンジもしていません。とほほ。いつまで考えるのかわかりませんが、なんとなく、ゆーっくりまとまりかけている気もします。

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 日々感謝です。