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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 人生論ノート・三木清 第4回〜「死」を見つめて生きる〜」を観て。執着するものがあるから死ねる・・?

こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は、1937年に冒頭の一章が発表されて以来80年近くもロングセラーを続ける名著「人生論ノート」。第4回は、さまざまな視点から「死」という概念に光を当てることで「死とは何か」を深く問い直していく、というもの。ざっくり備忘録しときましょ。

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「人生論ノート」は‘死について’の考察から始まり、“希望”で締めくくられている。戦争が拡大していく中、“死”が身近にあり、“死”を持って国に貢献することが素晴らしいとされていた時代背景の影響もあるのではないか。

では、“死について”。

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昭和14年、三木はこの文章を書いた。当時41歳、2年前に妻・きみこを亡くし、親類や友人などもたて続けに見送った頃だった。この一節は、死から目をそむけず、死の恐怖に惑わされず生きたいという三木の想いが込められていた。

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‘死は観念である’とは?

誰もが生きている間には、自分の死を経験することは出来ない。死を経験した時にはこの世にいない。私たちが“死”について考える時には“観念”しかないという意味。実際にどうかというと難しい問題で、現実の中に“死”は入り込んでいる、生の直下に“死”はあるといっていい。

伊集院さんは、僕は想像しても仕方ない、死ぬ前にあれこれ思っても仕方ないと思っているけど、‘死について考えることが無意味であるなどと私は言っているのではない’と言われると、あれ?って気になる、そして、三木は死の恐怖が薄らいだと言っているがどういうこと?と戸惑う。

岸見さんの解釈では、まず三木は、妻や友人たちとどうすれば再会できるかと考えたはず、明らかに、生きている間は再会することは出来ない、だったら死ぬしかないのではないか、宗教的なものというより確率的な問題で、生きていて死んだ人に会うことはないから確率は‘ゼロ’、死ねばひょっとしたら会えるかもしれない、その確率の方がはるかに高い、ということらしい。(はぁ・・・そうなの?)

さらに、人間はロジックで割り切れる存在ではないので、一方では哲学者として理論的に考えた人だけど、それよりまず人間だったんだろう、そうあってほしいという要請としてそのように考えたのではないかと言う。

 

同時に、後に残すものについてこんなことを言っている。

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人間はそんなにりっぱに死ななくてもいいんだ、静かに穏かに死ななくても執着するものがあってもいいんだと三木は断言していて、私たちに大きな勇気を与えてくれる、と岸見さんは話す。

 

“執着”するものって、三木は具体的に何を想像しているの?
おそらく、一人娘のようこさん。妻を亡くし、娘の成長を見届けなければ死ねないと思っていたはず。

「私に真に愛するものがあるなら そのことが私の永生を約束する。」

と三木は言っている。想いを残す人がいるなら、死後自分が還っていくべき所を持っているということ。折にふれて自分のことを思い出してくれれば、そのとき私は永生を約束されているんだ、その人の心の中で生き続けるはず。

伊集院さんは、哲学を超えてこの根拠になってることって、自分を愛してくれた奥さんのことを、自分が生きている限りずっと忘れず奥さんの気持ちに応え続けると、娘もそうなってくれるはずなんだということですね、と言う。

触れることも話すことも見ることもできないけれど、思い出すたび、ここにいるという実感を三木は持っていただろう。

 

さて、三木自身の死について・・・
「人生論ノート」の連載が始まったのは、奥さんの死から一年後、その一周忌に追悼文集を編纂。「幼き者の為に」と題した自身の文章も収めた。(個人的見解ですが、まるで恋文みたい)

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「人生論ノート」が刊行された翌年、三木は徴用されフィリピンで従軍。そこでの戦争体験は彼の哲学を大きく変貌させるものであったはずだったが、帰国すると、三木に言論発表の場はなく、娘とふたり埼玉に疎開。昭和20年3月、逃亡犯だった友人を匿ったという嫌疑で逮捕される。8月15日の終戦後も釈放されることなく、9月26日、疥癬に罹り独房のベッドから落ちたまま獄死、48歳だった。

友人は共産党員、匿ったら危険が及ぶとわかっていたのに、人間としての三木は友人が助けを求めてきたら断るはずはなかった。「三木は死ななくてもよい命を落とした」と言われている。三木は戦争に行った数少ない哲学者のひとり。体験を基に著書を書けたはず、本当に残念だと岸見さんは言う。

 

続いて、人間の死と歴史について。
三木は、人間の“生命”と“過去”を重ね合せ、その意味についてこう述べている。

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三木は“死”=“過去”と考えていた。“過去”を自分の都合よいように使う場合があるが、その危険性をこの言葉で指摘している、いわゆる、“歴史修正主義”を厳しく批判。現代でも南京虐殺ホロコーストは無かったとか、そういう歴史的事実を改ざんしようとすることは、歴史を尊重していない。人間の死を尊重するということは“歴史”を尊重することでもある、三木の独自の歴史観、死生観であると考えることができる、と岸見さんは解説。

 

最後“死について”から始まった「人生論ノート」、どのように締めくくられたか。
昭和16年11月、雑誌「文學界」における最後の連載は“希望について”。

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戦時下にあっても“希望について”熱く語った哲学者・三木。最後まで絶望することなく自らの人生論を書き終えた。

伊集院さんは、人生は“虚栄”だと書いてきた人がこのように締めているのは、なにか抑えきれない優しさみたいなものを感じると言う。

 

どういうメッセージ?
個人、個性が失われつつあった時代に、自分とは何か、人間とは何かを問い続けた哲学者。最後まで人間の可能性と希望を信じていた人だろう。もし、一切が保証されていたら希望すらない。そういう意味で三木は、「“希望”こそが“生命”の形成力である」という言い方をしている。

さらに、「私は未来への良き希望を失うことができなかった」と言っている。

国家による言論弾圧の中、精神のオートマティズムによって一度考えることをやめてしまったら、大勢に流され抜け出すのは至難の業。

 

自分ひとりだと自分が何者かわからない、二人いて初めて自分のことがわかる、多くなりすぎるとまた自分がわからなくなる、今まさにそう、満たされているはずの中で起こる“虚無感”。だが、そういう時代に生きているからって絶望することはない、生きている意味がないわけではない。三木は終生、“理想主義者”だったのだろう、“理想だけが現実を変える力がある”ということを私たちに語りかけているのではないか、と岸見さんは締めくくる。

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実際に本を読んでいないのでアレコレ言えませんが、全回通してざっくり感じますのは、ここで名づけられている“虚無”に生まれ落ちたのだから“虚無”は当たり前、人間には高等な“脳(心)”があるから“孤独”や“希望”、“恐怖”などがつきまとうのも当たり前、現在無職で社会と関わりを持たない自分は、世の中に何か役立つことが出来てしませんし、攻撃も受けていません、夫も子供もいない自分は、‘執着するものがあるから死ねる’に反してて、全てひっくるめてどうなんでしょう、ってことかな。支離滅裂。

“希望”は・・自分が亡くなった後、誰かの心に残して貰えるよう、誰かを想い、尽くすことなのかなぁ。あれが欲しい、これがやれたい、みたいなことじゃないんでしょうね。なかなか難しくて、考えてしまう名著でございました。

新緑の美しい今頃の時期で良かったですよ。うーん・・と考え込み始めて、ふと窓の外に目をやるとその風景が、とりあえず今日も元気で!と呼びかけてくれているようで。

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日々感謝です。