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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 人生論ノート・三木清 第1回〜真の幸福とは何か〜」を観て。“幸福感”と“幸福”は違うらしい。

こんにちわ、SUMIKICHIです。
すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は、1937年に冒頭の一章が発表されて以来80年近くもロングセラーを続ける名著「人生論ノート」。「怒」「孤独」「嫉妬」「成功」など私たち誰もがつきあたる問題に、哲学的な視点から光を当てて書かれたエッセイ、その表題に比べて内容は難解らしいです。書いたのは、西田幾多郎和辻哲郎らとも並び称される日本を代表する哲学者、三木 清(1897- 1945)。第1回は、三木清がとらえなおそうとした「幸福」の深い意味に迫っていく、というものです。

お恥ずかしながら、何かで見たことはありますが、読んだ記憶はございませんので、ざっくり備忘録しときましょ。

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読み解いて下さるのは、アドラー心理学の回でも登場された哲学者の岸見一郎さん。ご自身が学生の頃、近親者が次々と亡くなり、‘死’が怖くなってたい時、この本と出会い救われたとのこと。

まずは、この「人生論ノート」の基本情報から。

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“実践の哲学”で、この本を読んで人生が変わらなければ意味がないと岸見さんは言う。

 

昭和13年、戦争の足跡が近づいている時、三木清は哲学者として思索を続けていた。前年まで自らの著書となる哲学書に取り組んでいたが書きあげる事が出来ず、完成を断念。挫折感の中で「人生論ノート」の執筆を始める。

この頃、ファシズムの嵐が世界中に吹き荒れ、言論の世界にも影響を与えていた。同じ頃、日中戦争開戦。日本全体が暗い影に覆われていたいた時代。三木は、同時代の人々に向けて“人間はいかに生きるべきか”という根源的な問題を語りかける。中でも最も重きを置いたのは、私たちの“幸福”についてだった。

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この直前に、国が戦争の為に国民の生活、財産を統制できる国家総動員法が制定され、一人ひとりが個人の幸福を追い求めることが許されない時代に突入していた。しかし、どんな状況下でも人は幸福を求めていいのだ、我々は幸福とは何かをしっかり考えるべきだと三木は宣言する。

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伊集院さんは、言葉がめちゃくちゃ難しいと言う。しかし、ゆっくり読むと‘最近日本で幸せってなに?みたいな本、全然出てないよね、幸せになっちゃいけないって空気になってない?それはおかしいよね、本来人は幸せになりたくて頑張ってるのに、そんなこと考えてる奴は不道徳だみたいな空気は何だよ’ってなことでしょうかとわかりやすく岸見さんに尋ねる。

これに対して、この本は言論統制下の時代に書かれたもので、あえて持って回った言い方しかできなかった、‘本当のことを書こうと思えば狂人になるしかない’と本人も言っていると岸見さんは答える。

さらに、幸福のことを考えてはいけない空気の中、じゃあ何の為に何をしているんだという気になる、“みんなのために自分は我慢しましょ”というスローガンのもと、個人よりも社会を優先させる考え方になると、全体主義ファシズムにつながると警鐘を鳴らしている。三木は、幸福への要求が抹殺されていた時代だと考えていた。

今度、伊集院さんは、今の時代は簡単に幸福になりたいと口に出せる時代・・・だけど、逆に口に出しにくくないですか?僕、今幸せなんです、もっと幸福になりたい!って言うと、おいおいおまえ、なんか調子にのってないか?って。

岸見さんは、思いますよ、自分が「人生論ノート」を読んだら今の時代のことが書いてあると思う、会社のためとか組織のためとか、それで過労死の問題や同調圧力によるいじめなど、個人の幸福がないがしろにされている状況は今日もある、ひょっとしたら三木の時代より今の方があるかもしれないと話す。

 

では、なぜ幸福の哲学者になったのか。

明治30年、兵庫県に生まれた三木清は、幼い頃から秀才の誉れ高く、中学を卒業すると単身で上京し第一高等学校に進む。ひとり東京の真ん中に放り出された三木。彼はここで人生を決定する一冊の哲学書、西田幾太郎の「善の研究」と出会う。この本に、今まで感じたことのない善人格的な満足を見い出すことができ、哲学の道に進むことを決意。西田が教鞭をとる京都帝国大学で学び、やがて将来を嘱望されヨーロッパに留学。ドイツではハイデッカーのもとで最新の哲学に触れ、さらにパリでパスカル研究に没頭する。帰国後、大学の哲学教授になり、32歳で結婚。しかし、翌年昭和5年、治安維持法で検挙される。娘が生まれたのは留置場にいたとき。釈放後、大学を去り哲学者として活動していくことになる。アカデミズムの世界を追われたからこそ生まれた「人生論ノート」。苦しみの中で三木は、ひときわ“幸福”という概念について考え抜いた。

 

スタジオでは、本人にとっては挫折だったんでしょうが、現代の読者にとっては幸運なことだったのではと話す。

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三木が生きていた時代は、自己犠牲や滅私奉公が“徳”とされていたので、“幸福=徳”は危険な思想だと捉えられた。しかし、自分が幸福であることは“利己主義”ではない。介護を例にすると、自分を犠牲にして親を看ることが“徳”であり、それを全うしたから人は“幸福”になれるのではなく、自分が幸福であればこそ献身的な介護ができる、自分が幸せでなければ人に優しくすることすらできないと岸見さんは言う。

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成功は“過程”であり、幸福は“存在”である。ある目標を達成できたら自分は幸せになれると考えている人は、実は成功を求めている。何かを達成できたら幸せになれるのではなく、人はもうこの瞬間に幸福である、という考え方。現代人は、成功と幸福を同じものだと見ているので、自分は幸福であると思えなくなっている。

たしかに、出世したものの、売れっ子になったものの、結婚したものの・・ってのもありますねと伊集院さんは言う。

“幸福”とは、各人にとって“オリジナルなもの”。絵にかいたような幸せと本当の幸せは違う。成功は“量的”なもの、幸福は“質的”なもの。誰もが真似できないオリジナルな幸福を持っているはず。それを追求すべき。

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「人生論ノート」刊行後まもなく日本は、太平洋戦争へと突き進んでいった。ますます言論弾圧は厳しくなり、三木は文章を発表する場所を奪われていく。成功はたやすくコントロールされるが幸福は決してされない、どんな苦境にあっても幸福の力を信じていた三木。しかし、戦争後半に投獄され、終戦後釈放されることなく昭和20年9月26日に獄死する。

 

刹那的な幸福、偽りの幸福をコートを脱げるようにいつでも躊躇うことなく脱ぎ捨てることが出来る人が本当に幸福なんだと三木は考えている。絶対に捨てられないものは、人格・命である=真の幸福。幸福を持ってあらゆる困難と闘う。

岸見さん自身、以前心筋梗塞で倒れてベッドで横になっていたとき、死を意識するこんな状況でも幸福だと思えるかを考え、これまでは成功を求めていたのかもしれない、今こうして生きていることが幸福だ、と気づいてからはどんなことにも耐えられると思った経験を語る。

さらに、嬉し〜い、やったぁ〜ハッピィ〜みたいな高揚感を意味する“幸福感”とここでの“幸福”は違うと思う、むしろ熱狂をさますもの、“幸福”とは“知性”で考えるもの、だと解説。

伊集院さんは、この本は解説してもらはないと読み間違いをたくさんしそうですねと言う。(同感です)

最後に、お仕着せの人から与えられた一般的な幸福ではなくて、自分自身の幸福は何であるかを考え抜いていかないといけない、考えることを放棄してはいけない、とのこと。

 

“幸福”は“人格・命”。もともと常時ロー気分な私でも、最近(早期退職後)はちょくちょく、ハッピィ〜的な“幸福感”は得られていますが、それは真の“幸福”ではないんですね、この本によりますと。岸見さんと同じく、私も死を意識するほどの病気経験者(癌治療後5年経過)ですので、おっしゃる事が凄く理解できます。

話ソレますが、ここのところ、“考える”“考え抜く”ことの大切さ、楽しさを説く番組と出会うんですよね。基本的に、私、どうでも良いことをぐるぐる考えて、面倒くさい人間だと自覚していまして、“考える”ことを放棄してもっと楽に、シンプルに過ごした方が、それこそ“幸福”な状態なんじゃない?と内部抗争をし続けたりしております。でも、どうしても止められない、やらずにはいられないそのものが“私”であるなら、それもありかなーなんて思います。

話戻して、この「人生論ノート」、個人的には“孤独”あたりも知りたいです。残り3回も拝見させて頂きましょ。え?本を読め?

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日々感謝です。