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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 宮沢賢治スペシャル・第4回〜「ほんとう」を問い続けて〜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は、「銀河鉄道の夜」「春と修羅」などの作品で今も多くの人に愛される宮沢賢治スペシャル。第4回は、「銀河鉄道の夜」「マリヴロンと少女」などの作品や彼の晩年の生き様を通して、「ほんとう」とは何か、そして、それを求めていくことの意味とは何かを考える、という内容です。ざっくり備忘録しときましょ。

 

まずは、こちらの作品「学者アラムハラドの見た着物」から。

学者アラムハラドが教え子たちと物の性質について問答をしている。
アラムハラドは云った。
 「小鳥が鳴かないでいられず、魚が泳がないでいられないように
  人はどういうことがしないでいられないだろう
  人は何としてもそうしないでいられないことは一体どういうことだろう
  考えてごらん」
子どもたちが答えていく。

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問答をする中でアラムハラドは、とりわけ聡明なセララバアドという子が何か云いたそうにしているのに気づく。発言を促すと、セセラバアドは云った。

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アラムハラドは、ちょっと目をつぶった。目をつぶった暗闇の中ではそこら中、ぉーっと火のように青く見え、ずっと遠くが大変青くて明るくて、そこに金の葉を持ったりっぱな木がぞろっと並んで、さんさんさんとこずえを鳴らしているように思ったのだ。アラムハラドは云った。

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スタジオでは・・
いいことをするということが正解とするなら、じゃあ何がいいことなのかは人によって違う、本当のいいことってなんなんだろう。賢治は、‘ほんとうの道を求めること’というのを、ひとつの人間のやられずにいられないことであると云っている。古今東西の芸術家、哲学者、学者がしてきた真理探究のまなざしが賢治の中にあると解説。

では何をすればいいのか、何がみんなにとっていいことなのかを考えるとき、賢治の頭の中には母の言葉がずっとあったのではないか。

   賢治の母イチの口癖
    「ひとというものは、ひとのために
     何かしてあげるために生れてきたのス」

それが、信仰、哲学、芸術を求めることになったのだろうと。伊集院さんは、間違ってるかもしれないが、僕たちいつも、これでいいのか?って自分の行動に疑問を持ってたりするが、そんなこと?と言う。

 

そもそも、私たちは自分のことは何も知らないんじゃないかと云っても過言ではなく、何で生まれてきたのか、いつ死ぬのかわからない。賢治は、人間にはどうなっていくんだろう、どうなるんだろうって考えていくという本能があるんだよと言っている。

 

もうひとつ、賢治の“ほんとう”を求める心が表れた童話「マリヴロンと少女」を紹介。

音楽を学んでいる牧師の娘・ギルダ。赴任する父親に付き添って、明日アフリカに旅立つという日、彼女は日頃憧れてやまなかった著名な声楽家・マリブロンの姿を目にする。ギルダは感極まって、マリブロンに心からの尊敬の念を伝える。自分の命などなんでもない、あなたのためなら100ぺんでも死ぬ、というギルダ。それに対しマリブロンはこう云う。

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マリブロンは思わず笑った。

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この童話はめくらぶどうが虹に憧れる「めくらぶどうと虹」を人間に書き換えたもの。
自分で美しくないと思っている野ぶどうは、実際には動物や人間のお腹を満たすのに役立っている、虹は美しいけれど直接的に役だってはいない、しかし美しさで人々の心をいやしてくれる・・このように、少女はこれからアフリカに行って力強く生き、世の役に立つことができる、野ぶどうと同様特別ではないかもしれないが、全ての人に芸術はあるよ、“ほんとう”のものを各自意識してそれぞれ表現していこう、というもの。さらに、‘時間のうしろ’とあるが、生き様とか、過去、未来を含んだ芸術だよと。

 

農民の生活の向上を強く願った賢治。彼の思想をまとめたのが『農民芸術概論鋼要』。

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‘道を求めるのが道’、とても深い。農村では、農閑期になると神様に踊りを奉納したあと、能舞台や神楽をしたりする。さっきまで畑仕事をしていた方々がいきなり衣裳を身に纏い舞う。

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そもそも、全て一体であった。近代になって、芸術、宗教、科学などがバラバラに区分けされたが、賢治は全部を包括して捉えようとした。この著書では、農業を芸術にしていく必要があると言っている。賢治は、たまたま農業といっているが、現代に生きる私たちが読む場合は、自分の仕事をあてはめて見ると良いかもと先生は話す。

これらに関連して、伊集院さんは心に残るエピソードがあるという。
昔、今は亡き伊丹監督の映画に出演した際、助監督さんがみんなのためにカレーを作っていたら、監督が「君はカレーを作ってるんじゃないよ、映画を作ってるんだからね」と声をかけ、それが助監督さんの胸に響いたらしい。それも面白い映画を作る作業のひとつで、にんじんの皮を剥いている、おそらくその作業にも芸術性がある、どのような仕事、労働にも‘美’を見い出すことができるつてことですね、と話す。

 

最後の作品紹介。代表といってもいい「銀河鉄道の夜」にも“ほんとう”が出てくる。

先生は、黒板につるした大きな黒い星座の図の上から下へ白くけむった銀河の帯のようなところを指しながら、みんなに問いかけた。

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天の川とはほんとうは何なのか、星の集まりという科学的な知識がジョバンニの心の中で揺らぐところから、この物語は始まる。

祭りの日の夜、ジョバンニはいつの間にか不思議な鉄道に乗って、親友のカンパネルラと天の川を旅する。ここでも二人は、“ほんとう”について話し合う。

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 「僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなのさいわいのためならば、
  僕の体なんか100ぺん焼いてもかまわない」
 「僕だってそうだ」カンパネルラの目にはきれいな涙が浮かんでいた。

石灰袋とカンパネルラが呼んだ底なしの闇を見つめていたジョバンニ。気がつくとカンパネルラの姿は消えてしまっていた。

伊集院さんは、何度聞いても泣いてしまいそうだと言う。

この作品は、“未完の大作”と呼ばれているが賢治の集大成で大変な問題作。近代文学とか童話の枠を超えて世界文学の域にいってる作品。物語のテーマは“死”。考えれば考えるほどわからなくなってくる、賢治が“死”や“ほんとう”のことを求めたことが描かれている。そして、賢治は、何度もこの物語を改稿しており、そのたびにぼんやりしてくるのだ。どんどん何かわからない闇を私たちにつきつけてくる。

第2回で、妹のトシが亡くなって旅に出るあたりを紹介したが、その頃のこととオーバーラップしますね、と伊集院さんは言う。

先生は、そのとき賢治は、わざわざ夜発の列車を選び、その夜の闇の中で、あちらの世界を考えて、感じるにはどうしたらよいかと追求して、追求した結果が、この「銀河鉄道の夜」だと話す。

 

私たちが、“正しい”こと、“ほんとう”のことをわかったような気になったときは終わりである、考える、問い続けることが大切、“永遠の完成これ未完成”。私たち個人の解釈で、その解釈にも答えが無く多様である、それゆえに後々まで生き残る作品。

 

最後の最後に、賢治が作った曲で締めくくる。

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宮沢賢治。勉強になりました。いえ、決して全てわかった気にはなっておりません。これまで、バラバラだったピースが少しハマった感じかな。私の思い違いだとは思うのですが、中原中也の「お母さん、人間、考えないでいることってすごく難しいね」みたいな言葉やデカルトの「我思う ゆえに我あり」名言などにもあるように、“考える”ことはやめられないですよね。ちょっと使い方違う?なにも高尚なコトばかりがその行為の範疇ではないけれど。日々の単調な生活の中にでも‘なぜ’は散らばっています。答えのない‘なぜ’のなんと多いことか。

先程観た映画の中で、「生きる意味を見つけるためにも子どもを産みたいの」って奥さんが叫んでいました。人はみな、おひさまの日を浴びながらも、ふっと、自分の心の深淵を覗き込む瞬間ってありますよね。

そうそう、伊集院さんの映画エピソードを聞いて思い出したことがございます。番組制作していた若かりし頃、ある日、番組スタッフではない契約女子さんに料理コーナー用に適当にキュウリを切ってほしいと頼んだら、「どちらが画面に映ったときに美しいですかね」とキラキラした眼差しで二種類持ってきてくれました。このとき、はっとしました。自分が仕切ってる!という気持ちが緩んで、一人じゃ何もできないな、キュウリがアップで映ることはほぼないであろうに、こういう表からは見えない丁寧さ、気持ちが物を作るってことなんだなと。これぞ、芸術性。しかも、彼女は制作希望ではないのです。ちよっと脱線?この話は、ほかの記事でも綴ってるかも。

それと、早期退職後、神楽も見るようになりまして、まさに、芸術の必要性をひしひし感じます。

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日々感謝です