今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 宮沢賢治スペシャル・第3回〜理想と現実のはざまで〜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

すっかりレギュラー視聴するようになったEテレ「100分de名著」。今月は、「銀河鉄道の夜」「春と修羅」などの作品で今も多くの人に愛される宮沢賢治スペシャル。第3回は、作品に描かれた賢治の葛藤を克明に読み解きながら、私たちが理想と現実にどう向き合っていけばよいかを考える、という内容です。ざっくり備忘録しときましょ。

 

今回は、ちょっと意外な賢治の世界。日本人の理想(?)とされている「雨ニモマケズ」から。

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賢治の手帳に書かれて、死後発見されたもの。作品として発表するつもりだったかは不明。手帳を見ると知られていないところがある。

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法華経の言葉が手帳の見開きの左ページにあった。前放送で突然楽譜が出てくる詩もあったりして入れるのはおかしくないけれど、入れないという解釈もある。(ほとんどの詩集には入っていないですよね。)

この詩は、賢治の死後、不思議な経緯で広がっていく。

花巻学校で教師をしていた賢治。しかし、5年ほどで教師の職を去る。

  『もう本当の百姓になります。
   そして小さな農民劇団を利害なしに
   創ったりしたいと思ふのです。』
          大正14年4月13日 杉山芳松宛書簡より

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農民たちによる芸術の実践を理想に掲げ、実家の別邸で羅須知人協会を立ち上げた賢治。農作業をする傍ら、地元の人たちと童話の朗読会や楽器の練習をしたが、ほとんど理解されず、社会主義者の疑いをかけられたりし、一年もたたないうちに活動を終える。その後、化学肥料のセールスマンとして重い見本を抱えて各地を歩いた賢治は病に臥せってしまう。そんな時期に「雨ニモマケズ」を書いたという。

この詩が見つかったのは、死後半年の賢治を偲ぶ会の開催中で、皮のかばんから偶然発見された手帳に書かれていた。

注目されるようになったのは軍国主義の時代。昭和17年大政翼賛会が出した詩集に掲載され、「雨ニモマケズ」は‘ほしがりません、勝つまでは’などと同じく戦時にあるべき日本人の精神として広まる。

戦後22年には教科書に載るようになった。今度は、戦後の窮乏を耐えて生きる日本人の姿と重ね合わされていった。

こうして日本中に広まった「雨ニモマケズ」。この詩とともに偉人として宮沢賢治のイメージが定着していった。

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スタジオでは、戦争が宮沢賢治を国民一般に知らしめた、学徒生たちがそれを読んで、自分は捨て石になって戦うんだという気持ちを代弁するものであったのはたしか、普通は戦時中に流行った言葉は一新されるが、今度は敗戦後にGHQの民間情報教育局から‘玄米4合’は多すぎるので修正を指示されて教科書に載り、勝てなかったけれども「雨ニモマケズ」という日本人の気持ちを代弁するもの言葉となって行き残っていく不思議な詩、と解説。

‘今’つらいという人の気持ちに共鳴する作品、逆に言えば、時の権力を利用して生き残ったテキストともいえる。

 

それらを踏まえた上でどう読むべき?
賢治が、理想の世界を現実に映そうとしたときに、どうせ金持ちの坊ちゃんがやってる、農民の気持ちはわからない、と理解されなかった。誹謗・中傷もされ、もがく中、この詩のような言葉を呪文のように唱えながら生きていたのだろう。

伊集院さんは、最後の法華経の言葉を見ると、具体的なアプローチ策がつきたという気持ちが込められていると思う、さらに、これまで僕は、こんなりっぱな人になりなさいと受け止めてきたけれど、賢治がドン底の中で、いろんなものを削ぎ落とした本当の自分になりたくてなれないものの話をしている感じだと話す。

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さて、「雨ニモマケズ」の影響か、人間のあるべき姿を描いたというイメージの強い賢治。しかし、人間のありのままの姿を書いた数多くの童話がある。そのひとつが「毒もみの好きな署長さん」。

プハラという国では、国の決まりの第一条で‘毒もみをして魚をとってはなりません’と定められていた。“毒もみ”とは、山椒の木の皮などを袋に入れて川で揉みだすと、その毒で魚が腹を上にして浮かび上がってくるという魚の捕り方。

この国の警察の一番大事な仕事が“毒もみ”をする者を厳しく取り締まること。ある時、プラハに新しい警察署長が赴任。カワウソに似ていて赤いひげに銀の入れ歯。彼は毎日丁寧に町を見回る。ところがしばらくすると、誰かがこっそり“毒もみ”をしているという目撃情報が。容疑者として浮かび上がったのが、なんと署長さん。「実は、“毒もみ”は私ですがね」とあっさり認めてしまう。

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植木等さんの“♪わかっちゃいるけどやめられない”ですよね、さらにすごいのが、“みんなは感服しました”って、と驚く伊集院さん。

人間はそういうもんだ、やりたいこと、押さえきれない欲望は地獄に行くことになってもやりたい!と、あなたにとっての“毒もみ”って何?人それぞれ何がしか持っている、だから他人を責めることはできない、というまなざしですね、と先生は言う。さらに、文学は裁くものではない、法律で裁かれてしまう人も文学の中には生きている、また、賢治は命をかけてでも欲望に忠実でいられるかと問いかける、と先生は話す。

 

賢治は、子供対象には教訓であったり、明るい側面が注目されるが、大人が読んでみると心がざわーっとなるものが多くある。

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正しい人を書いているわけではない。

 

ところで、賢治には働くことの理想と現実を見つめた作品もある。「なめとこ山の熊」。ある猟師と熊のお話。

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獲った熊を店の主に売るとき、二束三文で買いたたかれるが、それでも小十郎は遜って頭を下げる。みじめで残酷な気持ちでいっぱいになる。

ある日、狩りに山に入ったとき、熊に出くわしやられてしまう。

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小十郎は、山では熊たちとお互い尊い命の関係を結び、天から与えられた‘仕事’として自然の摂理の中で生き生きとしているが、一旦山を下りると、素晴らしい関係で獲った獲物を二束三文で売らなきゃいけない、それが現実の‘労働’となり、みじめさを味わう。‘仕事’と‘労働’の対比が描かれている。

自分の‘仕事’は何かを見極めることが重要で、賢治の場合は、‘仕事’‘理想’はきちんとあって、それだけではなく、セールスマンなどいろんな労働をしていく中で、理想と現実を見つめた人なのだろうと先生は語る。

最後に、伊集院さんは、僕らは賢治を、あるときはファンタジー、あるときは道徳、と理想の人だと思ってて、今回の部分を全く読み落としてきたようですと締めくくった。

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 お恥ずかしながら、なぜ賢治の本が演劇の台本で使用されるのかわかりました。羅須地人協会なるものを立ち上げていたんですね。このブログでは、「なめとこ山の熊」も「毒もみの好きな署長さん」も何がなんだかわからないと思いますが(文字もわかりにくくてごめんなさい!)、たしかに心がざわーっといたします。自分が怖くなったり・・。ふと、もし賢治が大人になっても、田舎の風景の中に身を置き、自然とだけ対話する人生を過ごしていたら、つまり、‘労働’することなく、自分を傷つける人が周囲にいない世界で生きたなら、どんな作品を描いたのでしょうか。

最近、図書館で小学生対象の詩人別の詩集を借りていますが、かれこれ10人には達したかな?、前回お借りした賢治の詩集を読んでみて、番組のおかげか何となく読みやすかった気がします。理解なんて出来てないです、自分の好みの感覚です。「雨ニモマケズ」の最後には例の法華経はありませんでした。

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あるのとないのとでは、意味合いが変わりますね、きっと。次回は「銀河鉄道の夜」を読み解いて下さるようで楽しみです。以前、他の民放番組でも解説していましたが、また違った味わいがあると嬉しいな。他力本願かいっ!

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日々感謝です。