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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 ガンディー『獄中からの手紙』」第3回〜非暴力と赦し〜を観て。殴られたら痛いけど・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

最近よく観る Eテレ「100分de名著」。今月は、暴力ではなく精神の力でインドを独立に導いた指導者マハトマ・ガンディー。諸説ありのようですが。

第3回はガンディーの非暴力思想に込められた深い意味を読み解いていく、という内容。では、ざっくり備忘録。

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まず、“非暴力”をヒンドゥー語で云うと“アヒンサー”、“ア”は‘否定’、“ヒンサー”は‘傷害・殺生’、合わせて‘傷つけない・殺さない’という意味で、絶対手を出すなよ、というわけではないよう。ガンディーはこのアヒンサーの概念で独立運動を進めようとした。

ガンディーが非暴力運動を始めたのは、南アフリカに滞在していたときのこと。1907年、南アフリカでアジア人強制登録法成立。8歳以上のインド人に対し、指紋登録を義務化、違反者は罰金等が科せられるというもの。ガンディーたちは、こんな身勝手な法には従えないとして身分証を燃やし始める。たとえ罰せられようとも暴力で抵抗しないことを決意。その結果、ガンディーは投獄される。その後、毎日のように、ガンディーの意志を受け継いだ人々が投獄され続け、刑務所はあふれんばかり。困ったイギリス人は解決案を持ちかけ、ついにはインド人の人権を取り戻すことに成功。

1930年。インドに戻ったガンディーは、イギリスが塩の製造を禁止していたことへの抗議運動のため行進をする。これが、塩の行進。ガンディーは、非暴力の精神で行いなさいと語りかけ、人々は警官隊にひどく殴られながらも進み続けた。

 

スタジオの説明で、いっそ、人々が手を出してくれたら話は早いのに、適当な罪状で罰せられるし、という話もあったそう。また、行進は、殴られて怪我をしたら列の後ろにまわり歩きながら手当をうけ、また列の前に来て殴られたら後ろにまわって・・を繰り返したよう。

 非暴力の方が強い意志・勇気が必要
 暴力を使う人間の方が恐怖の中にある

ガンディーは「獄中からの手紙」でもこんなことを書いている。

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“無畏”とは恐れがない、ということ。

殴られる人は身体の痛みを感じますが、ガンディーは、殴っている人間の心の痛みが殴られている人間の肉体の痛みを上回る時が来るであろう、殴っている人間の心を動かす内面から生まれる善良なるものを喚起させる、という積極的な概念として非暴力を提唱。

また、アヒンサーは‘愛’である、という言い方をしている。

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‘愛’は、自分と相手との間に‘違う’部分と‘同じ’部分が両輪になって現れるもの、つまり、他者との違いを認め、分かち合うことが本当の‘愛’が生まれるとガンディーは考えた。‘非暴力’と‘愛’をつなげていることが重要。

日本でも抗議デモなどで暴力的な言葉を抗議先に向けているが、ガンディーがもしいたら、その言葉は暴力じゃないですか、と言ったかもしれない。暴力というのは、一発殴るとか物理的なものだけではなくて言葉もまた暴力になる。殴られるより、ひとことで
グサッと言われる方が大きな傷になることがある。‘傷つけない’という言葉には‘心’も含まれる。

伊集院さんの身近な例として、SNS上でのやりとりで、「伊集院さんのあの言葉は間違ってます」と書かれて、「(一瞬ムッとするけど)ありがとうございます、勉強になりました」ですませておけば非暴力なのに、なんだかやりこめられた感が嫌なので「それ以外のところは全てご納得頂けたということでよろしいんですね」とひとこと余計な文句をいれてしまい、「どうでもいい細かいことだとは思いましたが、なんちゃらかちゃら」と返答が来て延々続く・・つまり炎上的な状況を話す。

ガンディーは、暴力的な手段によって手に入れた勝利は勝利ではないと考えた。長い目でみたら、勝利をのがしている、、相手がより憤りを持ち怒りの連鎖がおきてしまう。

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続いて、非暴力は手段?
私たちは、全く暴力をふるってはいけないと捉えてきたが、そうではないらしい。例えば、女性が目の前で襲われていたら、指をくわえて見ているのが非暴力なんですか?って聞かれたとき、ガンディーは、必要であれば暴力を使うかも知れない。非暴力というのが臆病の盾になってはならない、非暴力はあくまで手段、と言う。

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常に私たちの手でコントロールされなければなせない、‘愛’がなければやってはいけないと戒めている。やられたらやりかえせ!と思うが、怒りや憎悪こそが欲望だと言う。だから、その怒りを超えないといけない、その先の‘赦し’をつかまなければ真のアヒンサーとはいえない。

では、どうすれば怒りや憎悪を超えられるのか?

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向けている怒りこそが内なる敵なんじゃないか、この内なる敵を乗り越えないといけない、それには‘赦し’、許せない!と思うことこそが欲望。

イギリスに対してもそうなのか?
ガンディーは、イギリスとともに祈れと言っている。イギリスとインドは共犯関係ではないかと考える。イギリスはインドを搾取することで利益を上げようとしている、しかし、インドもイギリスがもたらしてくれる近代的な文化・文明を享受しようとして招き入れたのではないか、この両方の欲望の総合体が支配ならば、超えなければならないのは単なるイギリスの支配ではない。その上のイギリスも捉われている近代っていうものを両方から覆していこう、と次のステップに向かう。

 

ガンディーの運動は、ときに消極的だと評される。ガンディーの言葉には否定形が多い。何かを否定すると消極的にみえるが、そうではない。これが正しいんだ!という人たちは、他者に対して非寛容的・支配的になりがち。“ない”という概念は自己反省や戒めにつながり、これを積極的と捉えていた。

最後に伊集院さんは、ここまで素晴らしいなと思って見てたけど、最終回で何が起きたのか知るのが怖い、と話す・・第3回終了。

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的外れな感想かなとは思いますが・・死刑問題などについてはどうお考えになられるんでしょうか、なんてことをつらつら思いながら観ました。それと、第1回の感想にも少し綴りましたが、これまでの学生時代、会社員時代に、‘耐えてこそ’‘負けて勝つ’(こんなことはガンジーは言ってないですね)などと思いながら過ごすこともありましたね。誰もみな、そんなときありますよね。しかし・・表面的には出来ても、腹の底から‘赦し’にまで到達してたかというと疑わしいです。それと、言葉含めて暴力的に手に入れたものは、一瞬獲得感は得られますが、すぐに心が腐り始めるのを感じます。自分自身のことだけでも、上手くコントロールできないのに、民衆をまとめるなんて、やはり偉人として語り継がれる人は違います。たった100分で理解できました!というのはおこがましいです。

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日々感謝です。