今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「ミュージック・ポートレイト 松本隆×斉藤由貴 第1夜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

対談者によってごくごくたまに録画視聴しているEテレ「ミュージック・ポートレイト」。今回は、作詞家・松本隆さんと女優・斉藤由貴さん。

斉藤さんは、現在NHKドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」でひやっとする母親役を演じてらっしゃいますよね。ですが、本日は、私の学生時代にドンピシャのヒット曲を手がけられた作詞家・松本隆さんにスポットをあてて、ざっくり備忘録。

 

作詞家・松本隆さん、67歳。
1949年、東京都青山生まれ。父親は大蔵省官僚、裕福な家庭の長男でお坊ちゃまとして育つ。慶応義塾中等部入学、大人びた少年はクラシックや映画音楽、アメリカンポップスに惹かれる。中でもお気に入りはキャロル・キング1曲目「WILL YOU LOVE ME TOMORROW」The Shirelles。大人の恋を描いた歌詞に衝撃をうける。

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60年代初期のものはいい歌が多くて好き、キャロル・キングの作った曲は普遍的、今聴いても古くない、“will you love me tomorrow”・・初めて寝た相手に“あしたも愛してくれるの?”って、あしたも、あさっても、何十年後も?ってことでちょっと深いでしょ、と松本さんは言う。

斉藤さん、中学生でそんなこと考えるのって早くない?とたずねると、僕はジャン・コクトーを読んでましたし、小学生ではボードレールも、と平然とお答え。なんか、嫌みな感じがするぅー、と斉藤さんつっこむ。

 

1966年、ビートルズ来日。衝撃をうけロックに目覚める。高校に進学して、クラスメイトとバンドを結成しドラマーとして腕を磨く青春時代が始まる。コンテストに出場したりしてそこそこ上手くなる。やがて受験のためベースが脱退。後にYMOとして活躍する細野晴臣さんと出会い、本気で音楽の道を志し大学を中退。勝負をかけてエイプリルフールを結成。

その頃アメリカでは、ベトナム反戦運動の盛り上がりをうけ、愛と平和を訴える新しいロックが台頭、全米の若者たちを熱狂させていた。こうした文化は“カウンターカルチャー”と呼ばれ世界中に影響をあたえる。

それはエイプリルフールにも届き、頻繁に演奏したのはカルチャー文化を象徴するバンド・ドアーズの曲、2曲目「THE END」The Doors

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エイプリルフールはアングラとサブカルの聖地・新宿でコアな音楽ファンの注目を集める。そして、念願のデビュー、オリジナルアルバムの録音をしたが、すぐにバンド内で対立。英語と日本語、どちらでロックを表現するか、松本さんは日本語にこだわった。発売と同時に解散。わずか半年のこと。

世界で勝負したいなら英語だという意見もあったが、頭の中でいちいち翻訳しているとそれだけスピードが落ちる、ロックビートなんて100分の1秒とか2秒とかの差でグルーヴがあるとかないとかなんだから、生まれた時から頭の中で鳴ってる音(日本語)で歌ったほうがロックっぽい、と松本さんは語る。

 

その後、松本さんと細野さんは新たなバンドで勝負をかける。その名もはっぴいえんど、大瀧泳一さんと鈴木茂さんが加入。松本さんは日本語の作詞に挑む。それは、大瀧の家を初めて訪れたときに目にした情景を描いた曲で始まる。3曲目「12月の雨の日」はっぴいえんど

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そのとき、雨が降っていてタクシーを待っている間に風景を見て書いた。しばらくして、大瀧さんが曲をつけた。はっぴいえんどの一曲目だ。

 

21歳。ファーストアルバムをリリース。日本の音楽界に一石を投じる。それまでの流行歌とは一線を画し、目にした情景や出来事を映像的に描いた。特に心を砕いたのは、ロックのサウンドに日本語をのせる前人未到のこと。当時のロックは英語が常識で日本語ロックを拒絶する人も多く、松本さんは雑誌でも批判を浴び、論争にまで発展。だが、日本語ロックは俺が作ると闘う決意をした。作詞に文学的表現を持ち込んで高みを目指す。

 

71年、セカンドアルバム「風街ロマン」を発表。都会に暮らす青年の心象風景を繊細な映像表現で表現した。

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それまでの流行歌にはなかった文学的でお洒落なことば選びが音楽会に衝撃を与える。こうして、はっぴいえんどは日本のロック界のトップバンドと目されるようになった。その後、メンバーが音楽界を代表するミュージシャンになるが、それはまだ後の話。

 

日本語のロックという新境地を開拓したはっぴいえんど、しかし、強烈な個性をもったメンバーは音楽性の違いでぶつかる。結成3年、3枚のアルバムと伝説だけ残して解散。松本さんは行き場を失い、第一子の誕生を前に生活は追いつめられた。そんな松本さんに残された道は、作詞。バンド時代のツテを頼り、アイドルソングの歌詞コンペに応募。解散から一年かけてようやくつかんだ初めてのヒット曲が4曲目「ポケットいっぱいの秘密」アグネス・チャン

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サブカルから歌謡曲へ。かつての仲間やファンからは裏切りと言われる。孤独な挑戦の始まり。

みんな面食らって友達は離れて行ってとても孤独、まぁ、自分で選んだ道、こんなことしてていいのかって葛藤はあったけど、証明するしかない、と松本さんは言う。

歌謡界の常識を変えてやろうと模索する。愛や恋をストレートに歌うのではなく、繊細な心象風景を映像的に描く、文学的なことば選び(何度も出てくるフレーズ)を心がけた。

 

26歳のときに作った曲、遠距離恋愛をそれぞれの目線から交互に描いた曲が高く評価された。

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松本さんの書いた曲、それは歌手の個性を直感的に見抜き、それを最大限際立たせるものだった。様々なスターが松本さんの詞によって磨きあげられていく。松田聖子さんに初めて提供した曲。

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そのほか

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前作の「赤いスイートピー」の内気な少女から少し大人の女性に。様々な女性像を共に表現した松田聖子の挑戦は、数々のヒット曲を生んだ。

 

20代の後半にして歌謡界のヒットメーカーとなった松本さん。創作の源は、ロックバンド時代に得た豊富な引き出しにあった。

最初からメインストリームではなくサブカルから入って、けっこうな情報量を仕入れて自分の研鑽ができた、内容も薄っぺらいものじゃないもので1位を取りたいと・・。

 

31歳。歌謡界での挑戦はついに大輪の花を咲かせる。日本の音楽史に残る記録誕生、歌番組「ザ・ベストテン」で連続12週1位、80年代を代表する名曲、5曲目「ルビーの指環寺尾聰

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寺尾さんは役者になる前はミュージシャンだった、中学生のころバンド番組で観てて、この人カッコイイなぁーって思ってた。その憧れてた人から「詞を書いて」と言われたとき、これもひとつの巡り合せかなと思って・・“くもり硝子の向うは風の街”、‘風街’って僕の大事なことば、それをプレゼントしてるの、相手(寺尾さん)は知らないわね、はははっ、と寺尾さんは嬉しそうに話す。

斉藤さんは、松本さんの詞を気持ちのいい都会感があると言う。その斉藤さんに提供した曲がこのデビュー曲、斉藤さんの4曲目「卒業」。斉藤さんのその後を決定づけた。

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松本さんは斉藤さんを見て、まわりに流されない芯の強さとはかない魅力を見抜いた。描いたのは“卒業式で泣かない女の子”、この詞が、内気だった斉藤さんの個性を輝きに変えた。

さらに、松本さんは、
僕は、卒業式で泣いてる人いるけど、これって本当に泣いてるの?って思ってた。(略)斉藤さんの名前も顔も知らないときに、卒業の曲を依頼されて作ってて・・壁に貼ってあるポスター(斉藤さんだとは知らない)を見て、斉藤由貴ってこんな感じなんだろうな、くちびる噛んで泣かないと可愛いだろうなと思ってた、直感ってあるんだよね、と当時を振り返る。・・・ 以上、第一夜をざっくり。

 

私、現在53歳。冒頭でも書きましたが、青春ドンピシャの曲ばかり。幼いながらも詞の世界観に浸ってましたね。メロディや歌声ももちろん良い。友達と歌ったり、詞についてあーだこーだと喋ったり。「木綿のハンカチーフ」なんて、太田裕美さんの声と相まって・・今でも遠距離っていうとこの曲が浮かびます。松田聖子さんの曲も松本隆って人がよく書いてるなとか。「ルビーの指輪」もなんだかお洒落で歌ってましたし、今でもカラオケとかで歌われてますよね。アグネスチャンもよくマネしてました。卒業といえば「卒業」の泣かない女の子に共感!サビのメロディと斉藤さんの声も切なくて、みんなで歌ってましたね。昔の曲が覚えやすいのは、ストーリーがあるからなのかな、それとも単に若くて記憶力があっただけかな。そんな懐かしさてんこ盛りの中で、松本隆さんの辿った道を知ってより深く曲が味わえる気がします。最近たまーに、はっぴいえんどの曲が一部流れますよね、なんだろうコレ、不思議な世界って思ってました。そもそもの松本さんのルーツはジャン・コクトーボードレールなのかしら?
若い方々にはご理解頂けないかも、すでに懐メロの世界かな。それにしても私、知らないコト多過ぎ、自分のベースもあるような・・ないような・・。

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日々感謝です。