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自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著 ガンディー『獄中からの手紙』」第1回〜政治と宗教をつなぐもの〜を観て。「歩く」って・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

最近よく観る Eテレ「100分de名著」。今月は、暴力ではなく精神の力でインドを独立に導いた指導者マハトマ・ガンディー。

「インド独立の父」とも呼ばれ、身をもって実践した「非暴力不服従主義」の思想は、今も多くの人に巨大な影響を与え続けてる。特に刑務所で収監中書いた弟子たち宛ての「獄中からの手紙」にはガンディーの思想の精髄が込められているといわれている。

第一回は、歴史の転換点となった「塩の行進」の意味を読み解き、近代人が回避してきた「政治と宗教の本来の関係」を見つめなおしていくという内容。

では、ざっくり備忘録。

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番組冒頭で、なぜ弟子たちに手紙を書いたのか?を説明。
ガンディーは、刑務所を、まわりから遮断されてじっくりと物事を考えることができる修行場、つまりお寺だと考えた。その中で自分の考え方を整理して弟子たちに伝えようとしたとのこと。

まずは、当時のインドの時代背景から。
大航海時代、インドへ進出したイギリスは、植民地支配を開始。以来、不当な支配から独立するため、指導者がたびたび現れるも、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立の溝は深く、インドが一丸となることは難しかったためどれも失敗に終わってきた。

1916年、そんな状況の中に登場したのがガンディーだった。これまでの指導者とは全く異なる方法「非暴力」で独立運動を指揮し、インド人の注目を集める。

1919年、イギリスは不当な法律「ローラット法」を成立。インド人に対して逮捕状なしで逮捕、裁判なしで投獄ができる悪法。ガンディーは人々に対して、仕事を休んで、その日一日断食して、静かに祈りを捧げるという変わったストライキを呼びかけた。断食の習慣はイスラム教にもヒンドゥー教にもあり、これを利用した。

その年4月6日、インド中でストライキが行われ、それまでは考えられないほどの人数が断食に参加し、まさにインドが一体となった。しかし、それでも、イギリスとインドの対立はおさまらなかった。

4月13日、弾圧政府への抗議のため、非武装の国民約2万人が公園に集まると、イギリス軍は無差別に銃撃を開始、1200人が殺された。民衆はこれに黙っていられず、とある村でのデモに対して警官が発砲したのをきっかけに、警官22人を殺してしまう事件発生。ガンディーは、暴力を暴力で返す現状をみて、こんなことではインドは独立
できないとして運動を停止し表舞台から退いてしまった。

ガンディーが目指した独立は、近代文明を超えた国家を作ること、もっと上の次元の高いところだった。

「もうひとつのイギリスを作ってどうするんだ!」と表舞台を去ったが、次世代のグループがまたガンディーを呼び戻す。そのとき行ったのが『塩の行進』。
1930年3月12日から4月5日まで、距離380km(東京〜名古屋間くらい)、アーメダバードからダンディ海岸まで歩いてインドを南下していくというもの。

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当時、インドの人たちは勝手に海で塩を作ってはいけなかった。イギリスの専売制で、イギリスを通して買わないといけない法律があった。

「おかしいじゃないか、天からの恵みで、私たちが生きて行くには必要不可欠なこの塩、それをなんでイギリスが支配している!?これが一番大きな矛盾の表れだ」

しかし、これを聞いた若い指導者たちはポカンとしていた。もう一回独立運動をやろうという時に、塩を作りに歩いて行くって、この人は何をやりたいんだろう、と。

1930年3月12日、『塩の行進』開始。ガンディーは数十人の弟子たちと海岸へ向けて歩き始めた。焦ることなくゆっくりと、一歩一歩。途中で立ち寄った村で、なぜ歩くのかを説明してまわり、一緒に塩を作りに行きましょうと呼びかけた。     

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なぜ塩を作ってはいけないのか、ガンディーの歩く様は、人々には巡礼のように映った。人々の間に広まったこの行進は、次々と一緒に歩く人が加わり、数千人規模という大きな動きとなって行く。アメリカのニューヨークタイムズ紙も同行したことによりインドだけでなく、世界中からも注目を集める。
「ガンディー 塩を製造○○法に挑む」
GANDHI MAKES SALT,DEFYING INDIA’S LOW

4月5日、海岸に到着。たくさんの人が一斉に塩を作り始めた。

5月4日、ガンディー逮捕。
しかし、その後も人々は、警官が振り下ろす警棒の痛みに耐えぬき塩を作り続けた。

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スタジオでは、フィルムが残っていることに驚きを示す。
どうしてここまで熱狂したのか?
「歩く」という行為。巡礼という宗教的な側面をガンディーは重視した。例えば、インドには貧しい人たちがたくさんいて、その日の生活のためだけに炎天下の下半裸で働いている、ガンディーも同じ姿であの炎天下を歩いている、それがインドのあらゆる階層の人たちに響いたのだろう。ガンディーは宗教家であると同時に、非常に戦略的な政治家でもあった。

ガンディー以前にも、政治に宗教を使った人がいた。その人はヒンドゥー教のおまつりの熱狂を使ってイギリスに対抗しようとしたが、イスラム教徒に対しても対立を煽ってしまい、インドが分断されてしまった。特定の宗教シンボルにのっとってやると熱狂はおこるが対立も起きる。では、どうしたらよいか考えると、あらゆる宗教を超えたひとつの宗教「真理」みたいなものをつかまなければならない。ガンディーは、それを「歩く」という非常にシンプルなことを使った。ガンディーは、本の中でも冒頭で「真理」について述べている。

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ガンディーは、法律と真理というものがあれば、真理に基づいて行動すべきだと考えた。たしかに塩を作るというのは当時は法律違反だった、しかし、人間が天の恵みをうけて生きていく方にこそ当たり前の権利があるならば、そっちに従いなさいと。
「真理」についてさらに詳しく書かれた部分がある。

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ガンディーは、様々な宗教をしっかり勉強した人。その結果、統一の「真理」というものがあるのではと考えた。この葉とこの葉は違う、どっちが本物?争うことになんの意味があるんですか?その葉は、大きな木から生えたひとつのものである以上、大きな観点から見るべきだと。

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人間である以上、どうしても不完全な人間は完全な「真理」をつかけことは出来ない、それに対してどういうアプローチがありうるのかということが宗教の違いである、自分の宗教こそが絶対正しいんだという「真理」の所有はしてはいけないという。

 

続いて“政治と宗教”について。
私たち近代人は、政教分離と教えられてきたが、ガンディーは、政治と宗教を分けるべきではないと考えた人。宗教というものがあらゆるものを包み込んでいるある種の「真理」である以上、政治は別ですよ、と分けることはできないと考えた。宗教性というものを政治の中に入れていくこと、それは歩くこととか断食とか、非常にシンプルでみんながわかるように行動としてやろうとした。それはガンディーの新しさであり、独立への大きな力になった。     

この後スタジオでは、アメリカトランプ大統領の選挙期間中のイスラム教徒排他発言について触れ、ガンディーの考え方は、そんなことを乗り越えるための大きな構造とか考え方を示してくれると思うと話す。1つ相手を認めると、全部攻め込まれるような気がして、より根深い対立のまま議論してきた、ガンディーみたいな感じで人を説得したことなかったので反省、と伊集院さんは言う。さらに、たかだか奥さんとの対決ですら、落としどころを決めておかないとどんどんエスカレートしていく、その落としどころを見つける作業が難しい、とリアルな日常生活も明かす。・・・2回へ続く。

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ガンディー。中学生の頃でしょうか、授業で習った時「非暴力!?そんなやり方でまとまるの?・・・でもそれが本当なら凄い!」と感銘をうけたのを覚えています。以来、揉め事や対立が起きた際、たまーにガンディーが脳裏をよぎり、感情を抑え、なるべく相手の言い分をじっと聞いて耐えてた時もあったような気がします。ちょっと使い方を間違ってて、ただ耐えているだけではなんの解決にもなっておりませんでしたが。ですから、今月テーマに取り上げられてまして、懐かしさもあり、そして、サラっとしか学んでいませんので深堀りさせて頂くために観ています。なーんにも知らずにきたなぁーと反省。「歩く」・・奥深き人間の行為。

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日々感謝です。