今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「ミュージック・ポートレイト 久本雅美×つんく♂ 第2夜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

対談者によってごくごくたまに録画視聴しているEテレ「ミュージック・ポートレイト」。二人の著名人が人生で大切な10曲を持ち寄り、語り合う番組。一組で第一夜と第二夜、二回にわたって放送。今回は、タレントで女優の久本雅美と音楽プロデューサー・つんく♂、第二夜。6曲目からです。

では、備忘録。

 

久本雅美さん。
90年代に入り、多くの人気番組に出演。次々とレギュラー番組を獲得していく。私って人気者?と思った瞬間は、遊園地ロケに行って、ものすごい人だかりが出来て身動きできなくなった時。この頃は、忙しくなると同時に、エネルギーが有り余ってて、毎晩飲み歩いていたな、寝なかった、充実してた。

初の冠番組メレンゲの気持ち」の初ゲストはつんく♂だった。多くの憧れのゲストに会えるようになり、ならばと、大阪の古巣のバンド、憂歌団にも会った。高校時代追っかけをしていたバンド。自分の誕生日会で、憂歌団さんが耳元でささやくように歌ってくれた曲が6曲目「君といつまでも」憂歌団

f:id:sumikichi52:20170212084113j:plain


こうして、多忙となる毎日。しかし、TV出演が増える一方で、本業の舞台出演は減っていった。バランスがとれなくなっていた。TVでも舞台でも面白いと言われたい、でも舞台でのクオリティが納得できないものとなっている、なんやあいつ、舞台では全然あかんやんと言われたくない、ちょっと休憩しようかなーと悩み揺らいでいた。そんなとき、劇団の若手の舞台案内が届き、観に行った。

舞台は、不器用で決して上手くはないけれど、みんな全力で自分の持ち場を果たしてて、若さに任せた破天荒なもの、かつての自分の姿をそこにみた。なんておもろいんやろーって思ったら、涙がとまらなくなった。この舞台のテーマ曲を聴いたとき、自分の体がみなぎるのを感じた。7曲目「アジアの台風(百花繚乱編)」ポカスカジャン

f:id:sumikichi52:20170211175028j:plain

私、逃げてたな、自分のプライド保とうとしとったなと。ちゃんとやろう、両方全力でやろう!とエネルギーもろた。知らない間に楽を選んでしまって、失敗できないし、周りにどう見られているかばかり気になっている、ここに落とし穴がある。やはり、どうあるべきかを考えていかんと正解は見えてこない。若手が自分を変えてくれた、そしてこの曲聴くと“ありがとう”と思う。

f:id:sumikichi52:20170211175029j:plain

 

2000年、試練が訪れる。下積み時代を支えてくれた母・敦子さんが他界。忘れられないエピソードがある。闘病中の母と家族らでカラオケに行き、一緒に歌ったのが十八番だったこの曲、8曲目「大阪で生まれた女」BORO

f:id:sumikichi52:20170211175024j:plain

歌の合間に、あんなこともありました、こんなこともありました、とMCを入れて、結局オチなく歌い終わって、オチないんか!というのがいつものパターンなのだが、いつも通りにやっていて、ふと母を見ると、泣いているではないか。よう頑張った、よう頑張ったと。笑かすバージョンが号泣バージョンに変わって、自分もぐっときた。破天荒な言動で世間から批判もあった娘を母は誰よりも理解し、応援してくれた。

ある番組に母が出たとき、こう語っていた。

「10人おったら十人十色。その人たち一人ひとりに愛されるのは難しい。だから、この子の持ち味を生かすような演技のできる役者になってほしい」と。

そして、亡くなる前に残した言葉。

「結婚してもしなくてもいい。ただし、彼氏は作りなさいね、心がギスギスするからね」

また、常に“実るほど頭をたれる稲穂かな”の言葉を言わされていた。何回言わされたかわからん。母を失くした翌年、好きなタレント調査でついに一位を獲得。人気№1タレントに登り詰めた。

 

50歳を超えても第一戦で活躍する久本さん。尊敬してやまないビートたけしさんから、意外なアドバイスを受けていた。「大事なことは、お笑いの女性であっても、女性だってことは忘れちゃダメ」と。9曲目は「嘲笑」ビートたけし。大人になっても心に秘める純粋な気持ちを歌った歌。

f:id:sumikichi52:20170211175031j:plain

芸人と女の振り幅がどれだけ大きいかがその人の芸域やて。何でもええから笑かしたらええねんとは違う、女性を捨てる部分、女性である部分、振り幅が大事、振り子の原理だよ、と。感動した。品というのは、絶対に忘れたらあかんなと。さらなる高みを目指すには常に女性であることを忘れるな。

人を笑わせるのが好きな少女
喜劇女優を夢見て上京
アングラからメジャーへ
愛する母の死を乗り越え
さらなる喜劇女優の高みへ

人生最後に聴きたい曲は?10曲目「三百六十五歩のマーチ」水前寺清子

f:id:sumikichi52:20170211175025j:plain

f:id:sumikichi52:20170211175026j:plain

f:id:sumikichi52:20170211175027j:plain


つんく♂さん。
1997年、たて続けのミリオンヒットで順調に見えたシャ乱Q。しかし、メンバー間に音楽の方向性の違いが出始め、つんくはバンドでは自分のやりたいことの限界があると感じ始めていた。そんなとき、ある番組の企画でアイドルグループのプロデュースをしてほしいとオファーがくる。最初はバンド活動もあるし、忙しいし無理と思ったが、自分のやりたいジャンルのみで勝負できると聞いたので引き受けた。

朝定食みたいな親しみやすさということでモーニング娘。当初は素人同然の5人組でスタート。僕なんかは、誰かにものを教えてもらったことがないので、マイクの持ち方、ヘッドフォンの付け方とかも考えたことなかったけど、そこから教えるわけです、それはそれは大変でしたけど。

本当は自分を一番可愛がってほしい年頃、なのに誰かがセンターになって、誰かが端っこになる、その辺を納得させながらやっていく、贔屓してるとならないように気をつけた。そこで、メンバー全員が輝ける曲を作りたいと思った。それぞれのキャラクターを生かした振付と細かな歌い分けで勝負に出た。そして生まれたのが6曲目「LOVEマシーンモーニング娘。

この曲は、ポップス界に革命を起こす。いろんな要素があって、可愛くなくてもおいしい時もある、自分はセンターやないけど、目立つ瞬間がある、学芸会とか忘年会でもいろんな人が「私は○○役やります」って歌いやすかったのかも。

f:id:sumikichi52:20170211175023j:plain

つんく♂は、波に乗って新たな戦略を作り出し、一時代アイドル帝国を築きあげていく。

2000年、シャ乱Q活動休止、プロデュース業に専念。まず、自分の声で仮歌を録音、女性の音域や声色をまねして歌い続け、多い時は一日一曲のペースで制作、喉を酷使していたこの頃から喉の不調を感じ始めるようになった。

2005年、カバーアルバムを発表。ありのままでいい、というビリー・ジョエルのナンバーが歌う楽しさを思い出させてくれた。7曲目「Just The Way You Are」ビリー・ジョエル

f:id:sumikichi52:20170211175032j:plain

f:id:sumikichi52:20170211175033j:plain

この曲は沁みるんですよねぇ、なんでやろ。作品っていつまでも残るから歌を残しておきたいって、レコーディングもちゃんとやって。「曲=作る」になってて、単に「歌う」という喜びを噛みしめてたのかな、原点みたいな。

 

その後も喉の調子は一進一退を繰り返していた。2014年、咽頭がんとわかり、半年間放射線治療をうけ治まったようにみえた。その後、念願だったモーニング娘。のニューヨーク公演に同行したが、病院から治ってなかったと知らせが入り、すぐ日本に呼び戻され即手術。6時間半に及ぶ声帯全摘手術、歌手の命である声は失われた。

まぁ、未だに信じられないですけどね、とパソコンのキーボードを打ちながら何度も天井を見上げる。まさか歌えなくなるなんて夢にも思ってなかったけど、こうやって生きてるし。落ち込んだのは落ち込んだ、もう仕事もこなくなるな、みたいな気持ちだった。

しかし、仕事の締め切りは迫る。ニューヨーク公演を支えてくれた日本人ミュージシャンに共同制作を頼み、声が出せないという壁を新たなスタイルで乗り越えようとした。ヴォーカルに選んだのは、6歳の少女。仮歌が歌えないので細かなニュアンスが伝わらないと心配したが、そんな不安を少女の声が吹き飛ばす。9曲目「I'm a lady now」Hotzmic。

         f:id:sumikichi52:20170212085112j:plain

今までやってきたスタイルが出来なかったけど、その分勉強して色々駆使して、音楽との接し方も少し変わり新鮮。この声に救われた。声を失っても音楽を作る方法は必ずある。つんく♂に新たな道が開けた瞬間だった。

2年前、母校・近畿大学の入学式で声を失ったことを公表。今、新しい人生を歩き始めていますと。

音楽家として以前と大きく変わったのは、家族と過ごす時間が増えたこと。自宅療養中、子供と一緒にテイラースイフトのアルバムを聴いていた。子供は、どんどん曲を覚えて歌うようになった。9曲目「We Are Never Ever Getting Back Together」テイラー・スウィフト

子供たちに、このお姉さん、日本に来るからライブに行く?と聞いたら、行きたい!と言ったので、家族で行くことにしたら、ライブの日までがすごく楽しみで、アルバムを聴き込んで・・・あぁ、こういうの高校生の頃よくやってたなぁって、忘れてたワクワク感を家族で共有できたのがテイラーだった。ライブで子供と一緒にテイラーっ!って。最近、音楽聴くのがまた楽しい。元気です!ぶっちゃけ、妻と子供が元気ならば、それでええかなってのが結論だったりする。変やけど。

 

笑いの町・大阪で育ち
ビートルズに憧れ手にしたギター
大阪では人気者 上京して苦悩の日々
稀代のヒットメーカーへ
歌手の命 声を失った今
音楽の楽しさを思い出し
第二の音楽人生を歩む


人生最後に聴きたい曲は?10曲目「ヘイ・ジュード」ザ・ビートルズ
少年時代から好きだった。迷いに迷った・・本当は、もしかしたら、子供の鼻歌が一番幸せなんでしょうね。でも、この曲もポールがジョンと子供のことを想って書いたという話もあるし、歌詞の意味もわかっていない中学の頃でも、このメロディと雰囲気に感動できた。これって音楽そのものやと思う。音楽って一瞬にして世界観を作ってしまう。その頃の匂いまでもどってくる。なんででしょうね、音楽って記憶の中に入り込んでいくんでしょうね。

         f:id:sumikichi52:20170212085113j:plain

最後に、お二人のこれからの夢は?

「生涯現役、みなさんに必要とされるお笑いの女優さんでありたい」と久本雅美さんは言う。
「やはり音楽を作り続けたい。世界でも何かつんく♂らしいことやれないかなと」というつんく♂さんに久本さんは、「いや、世界目指しましょ、私も何かのきっかけで世界行くかもと思ってますから、夢は大きい方がええっていいますから」と、さらに「コンビ名どうしましょ?つんく&マチャミで!」とたたみかける・・・・笑いの渦の中で、番組終了。

         f:id:sumikichi52:20170212085114j:plain


私、この番組を観始めて日が浅いのですが素敵な番組ですね。つんく♂さんのカバーアルバムを聴きたいなと思いました。そして、ここでもまたビートルズ、「ヘイ・ジュード」。高校時代の合唱発表会で歌った曲。当時こんな曲を歌っていいんだと衝撃をうけた曲。ビリー・ジョエルももう少し聴き込んでみよっかな、なんて思ったり。知らない世界、忘れてた時間、心が癒されます。

日々感謝です。