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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

Eテレ「100分de名著〜レヴィ=ストロース『野生の思考』〜」最終回、そうだったのか築地市場。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

Eテレ「100分de名著〜レヴィ=ストロース『野生の思考』〜」最終回まで観終えました!もはや意地と化していた目標、“最後(4回)まで観る”をやり遂げました。テーマは〜「野生の思考」が日本に生きている〜。
うーん、今回が一番わかりやすかったな。そうならそうと始めからおっしゃって下さればいいのに、って気持ち。では、自分の備忘録としてざっくり綴っときましょ。

 

sumikichi52.hatenablog.com

レヴィ氏が初来日したのは1977年69歳のとき。当時日本の思想界で最も注目されていた彼は、人類学者やフランス学者からシンポジウムに招かれたのだ。このとき大都市だけでなく、農村や漁村などの地方で「労働の概念」をテーマにフィールドワークを行い多くの職人さんたちの働きを調査した。

「私は『はたらく』ということを日本人がどのように考えているのかについて、貴重なる教示を得ました
それは西洋式の生命のない物質への人間のはたらきかけではなく、人間と自然のあいだにある親密な関係の具体化だということです
他の面ではある種の能の演目でのように、ごく日常的な仕事に詩的価値を付与することによって、それらを顕彰します」と記している。

フランスで労働にあたる言葉は『travail』。日本語のはたらくという言葉に翻訳できないと考えていた。

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労働概念の中で古代ギリシャでは、働くことを『プラクシス』と『ポイエーシス』の二つの言葉がある。

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『ポイエーシス』は、柳宗悦の『民藝』に通じる。民藝品は、職人たちが自分の対象物である木や土にプランを押し付けて変形するのではなく、受動的に本質を取り出して作ることで、機能的で美しい作品となる。レヴィ氏は、高度な科学文明を持ちながら、野生の思考を組み込む『ポイエーシス』が生きている文明がまさにここにある、と大変喜び職人たちの仕事を熱心に観察を続けた。

 

ここでスタジオの中沢先生が「労働の持つもうひとつの意味」としての解説。
人間は原罪を抱えた存在、罰を受けて労働しなければならないという考えが根底にあるキリスト教がヨーロッパに入ってくると、ますます『travail』が強くなり、資本主義になっても労働の概念の中に生きてしまう。あれやりたい、これやりたいという
気持ちを労働時間中に抑えて、命じられた仕事を時間内にやると賃金が得られる、これが近代の労働概念だった。しかし、未開の人たちからすると長い歴史を振り返ってみても、そんな気持ちで労働してたなんて聞いたことありませんよ、って話。モノづくり日本の根幹にもある。


さらにレヴィ氏は、日本人は「自然を人間化」しているのではないかと考える。

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その良い例が『里山』。

日本人は弥生時代から稲作を始めた。水田を作るには土地を平らにならす、ある意味大きな自然破壊を行ったといえる。しかし、レヴィ氏は、水田は米を作るという、人間の目的のために自然を制圧したのではないと言う。自然のもつ自発性を生かしながら最適の環境を作り出そうという努力によって作られてきたのだと考えた。そして、日本人は自然と人間を分割することなく仲間のように感じながら文化を築いてきたのだと結論づける。

 

中沢先生は、ポケモンゆるキャラにも通じるものがある、自然と人間との間でコミュニケーションをとっていると言う。

かつては、全人類持っていた。19世紀に近代工業化が進むとこの世界観はどんどん否定され、ヨーロッパでは自然と人間を分割、自然は科学技術のために利用すべき対象となった。しかし、日本人は明治時代になって近代文明を取り入れても、自然と人間が分割できるという考え方を受け入れられなかった。自然を気心の知れた仲間同士だという文明を消さずに高度産業文明もあるのはおそらく日本だけ。

 

日本料理にもある、顕著な例が『刺身』。ここで見られるのが

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自然の素材を切ったままで皿の上に並べているが、さかなが混ざらないように配置されている。日本人は味が混ざり合うことを嫌い、混ぜ合わせは口の中で行う。素材を分割してレイアウトする『ディヴィジョニズム』が日本の料理を美しくしている。素材を最小限の調理だけで並べる日本料理は『自然の人間化』だと分析。

 

他に、『市場』にもある。「築地市場」に感銘をうけたよう。ありとあらゆる食材が集められ、無造作のようでみごとなレイアウト。色彩の配置が料理同様美しい。

何度も出てくるが「日本文化は野生の思考と高度に発達した科学技術が同居した稀有な文化」だと位置づけた。

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スタジオでの補足として
まず海から捕ってきた魚たちを市場で自然界がやっている種の分類で美しく配置し、それを包丁でサッと切り皿の上に美しく並べて客に出す、まるで海が、自然がカウンターの上に差し出されるというこの流れにレヴィは感動したとのこと。へぇーっ、なるほど、ここに気づくレヴィも凄いですね。
海外の市場では、合理的に分割して売られていたり、今日本のスーパーなどでもカット野菜とか効率重視になってたり、レヴィが見るとがっかりな方向に行ってますよねとMC・伊集院さんはおっしゃってました。

私も、カット野菜はとても便利で以前は買ったりしてましたが、葉物は切ると栄養価が激減する、とか、そもそも野菜はまるまる買うのが美味しそう(一人暮らしだから不経済ですけど)、とか、何か人間の営みから離れていくような違和感を感じ、最近は手にしてないですね。って、そもそも料理、食に関心低いくせに。

 

さらに『築地市場』についてのお話。
ここは、魚市場は移転してもそのまま運用はできるが、食文化を中心にありとあらゆるものを寄せ集めて一種の巨大博物館のような場所として機能してきた築地の文化そのものは移転できない。食材が周辺のすし屋さんに行ったり、魚について一番詳しい人たちがそこにいたり。

築地には外国人観光客がたくさん訪れる、直感的にわかってるのだと思う、他の市場とは違うことが起こっているということを。築地市場は、東京の文化が持っている野生の思考の拠点のひとつ、そのことを見直す必要があるとのこと。

 

最後に、中沢先生は、
頭のいい日本人がこういう構造があるから大切にしましょって意識して考え出したことではなくて、みんなが無意識のうちに作り上げてきたもの、これがオレの生き方だよって守り続けてきたら生き残っちゃったということ。そこにレヴィ氏が気づいてくれたことに感動。日本の先住民の子孫だと思っている自分は、先住民の世界について民族史を書くのは自分の役目だと思ってやってきた、とおっしゃっていました。

伊集院さんは、当たり前の時代にいると気づかない、書けないことが、こうして失われつつある中にいると書ける気がしますよね、あれがないとかこれがまだある、新しく出てきたとか、感想を言ってました。

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これで4回分終了。自己満足レベルですが達成感あり。思い返すと、自分のものにはなってないけど、神話、クリスマス・・色々面白かったかも。里山、民藝、市場、刺身のお話はわかりやすかったな。すべて当たり前のことなんですが、野生の思考から解説して頂くと、なんだかとっても素敵なことに思えました。

『築地』については、あんまり深く探ってみたこともなく、行ったこともないので観たかったなと思ったりして。今後、近所の田畑や民芸品、日本料理などを見るたびに当分「野生の思考」がちらつくのかしら。

そうそう、伊集院さんが「スカイツリー五重塔を参考にしたとかいう話もレヴィさんは関心もたれるとか・・」なんとかおっしゃってましたが、それ、ホントの話?どうなんでしょ。気になる・・。

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日々感謝です。