今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

NHKスペシャル「東京裁判」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

NHKスペシャル「東京裁判」4夜連続ドラマ。物知らずな私としましては、これは拝見しておかねば、と録画視聴いたしました。カナダ、オランダとの国際共同制作ということで、きっと見応えあるに違いないと思いましたが、わかりやすくて(すみません嘘です)勉強になりました。

番組の詳細を記す能力がございませんので、番組HPを参考にさせて頂き備忘録としましょ。                   

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このドラマは、70年前の東京で、戦勝国11ヶ国から集まった多彩な背景を持つ11人の判事たちが「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに真剣な議論で取り組んだ東京裁判を描いたもの。NHKは世界各地の公文書館や関係者に取材を行い、判事たちの公的、私的両面にわたる文書や手記、証言を入手。彼ら一人一人が出身国の威信と歴史文化を背負いつつ、判事同志の激しいあつれきを経てようやく判決へ達したという、裁判の舞台裏の姿を描き「人は戦争を裁くことができるか」を問う緊迫感あふれるヒューマンドラマ。

裁判の焦点になったのは、ナチスを裁くニュルンベルク裁判と同時に新しく制定された「平和に対する罪」。それまで国際法では合法とされていた「戦争」そのものを史上初めて犯罪とみなし、国家の指導者個人の責任を問う新しい罪の概念であった。この「平和に対する罪」を弁護側は事後法として否定する。判事室では各々の判事の意見が鋭く
対立、最初は短期間で決着がつくと思われた裁判は、混迷と長期化の様相を見せてゆく。
裁判の舞台裏の攻防に、日本滞在中の判事たちの私的な行動や、周辺に現われる人物の思惑が混じり合う。そして、1948年の秋、ついに11人の判事たちは2年半に及んだ東京裁判の結論となる判決を出すべく、最後の評議の場に臨む。被告たちの生と死が分かれる瞬間。それは、「人は戦争を裁けるか」という、人類の根源的な問いに答えが出されるときでもあった。

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私は、世界各国の歴史文化に疎い(義務教育の教科書レベル)ため、あまりうんちくを語れませんで、ただただ『東京裁判』自体を少しでも知ることが出来て助かりました。わざわざ自分で書物を紐解くまではしないもので。自分の恥をさらしてる?

そんな私でも、ん?と思うことはちまちまありまして、的外れかなとは思うのですが、この裁判とナチスを裁くニュルンベルク裁判と同等に扱ってよいものなのかなぁ、とかトルーマン大統領は決断無くして広島に原爆投下したらしいじゃないの、とか。他には、個人的にインドに注目していました。どうも二桁掛け算コンプレックスがあって。どういう意味?

そうそう、誠に不謹慎かとは存じますが、アメリカ映画『12人の怒れる男』を思い出してしまいました。何の根拠もないです。ただ、自分も含めて、人間って、どうなんでしょうね、と。

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最後に、4話で「広田弘毅」の名前が出てきた時、ドキッとしました。随分前に、城山三郎の『落日燃ゆ』を読み涙したのを覚えてまして、えっ?このドラマ(裁判)では、能力無い人物として映ってたの?と愕然としたのです。小説では、東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相で、戦争防止に努めながら阻止できず、それを従容として受け入れ一切の弁解をしなかったりっぱな人物として描かれてたような気がするのですが・・。人物評価って、表裏一体、見る角度で、立場で全く異なりますけど、命までも無くしてしまうとは。あくまで小説ですから、鵜呑みするわけではないですが、淡々と観ている中この点には私の体温は多少あがりました。

この類の番組とか書籍って、観たあと、読んだあとは、しばしぼぉーっとしませんか?

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日々感謝です。