本日で、草むしり13日目。文学って・・。
こんにちわ、SUMIKICHIです。
草むしり、いえ、本日も草洗い作業、40分。では、記録用に。見たくない写真ですかね。成果はこちらの草山一個分でございます。
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昨日同様の手順でシャカシャカと。
土がついた草を、ざっと洗うとこんな感じ。わかりにくいですね。
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そして、底に沈んだ土はこれだけの量で、本日は2回水を入れ替えました。洗わない(取り除かないと)とゴミ袋がこれだけ分重くなるんですね。
手間がかかってるわりに、本日は2箱。
どうやら重ねて入れたままだと乾かないので、昨日の分と合わせて広げておくこくとにいたしました。お好み焼き?もんじゃ焼き?
この作業は、一ヶ所にずっと腰を下ろして作業しますので、私の中の批評家(H)と私と認識している私本人(M)のかけあいが始まりました。
H「この非効率的な手作業はいかがなものか?」
M「手持の道具で手作業するのも楽しいじゃん!」
H「時間の無駄!もっと大きなザルとかバケツにするとか」
M「大きくすると支える腕がだるくなるし、大きなバケツだと溜まった土を捨てにくいじゃん」
H「よっぽど暇なのね、もっと有効的に時間を使うべきでは?」
M「一見無駄に思えるこんな時間が大切だと、今は思ってるんもん」
そして、ふと、当たり前のことに気づきました。草にこびりついた土を洗い落として、どっさりカゴに入れても驚愕するほどの軽さになるわけではないんです。いえ、たしかに土の重さがなくなるから軽くなるんですけど、どう表現すべきか・・“根っこ”の重さを感じるんです。細くてもびっしり生えた根っこ。恐るべし根っこ。普段土の下にいて、誰の目にも触れないけれど、こうして茎や葉を支えてるのですから重いはずです。あっ、ここでの重いは、私の感覚です。農作業など土に触れ植物を育てた経験のある人や造詣の深い人、例えば、すぐ思いつくとなると、作家・宮沢賢治さんや相田みつをさんたちから文学が生まれるのはこういうことなのかなと。植物が育つ過程を肌で感じて生きること、人間とは、なんて創造力が無限に広がっていく・・・。
本日の草むしりタイムは、草の根っこの重さを手に感じて、高等遊民を気取ったお時間となりました。
ついでに、ちょっとアートを感じましたので、載せときましょ。
日々感謝です。