今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

三浦綾子文学講演会に出かけて。心に染み入ったコト②

こんにちわ、SUMIKICHIです。

昨日、東広島市内の教会で開かれた「三浦綾子文学講演会」に出かけてみました。テーマは「泥流地帯を読んで?苦難の中でこそ、人生は豊かなのです」。

主催は、東広島三浦綾子読書会代表のM氏。私の歌うたい活動のためにギター伴奏して頂いてまして、たびたび私のブログにもご登場されてます。って、勝手に載せてるんですけどね。

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M氏は、20年前にキリスト教の洗礼を受けられ、読書会のメンバーも教徒の方が多いのですが、無宗教の私でも参加OK。10年位前に元上司に誘われ、読書会に足を運んでいました。「氷点」を読んでいた位で特に三浦綾子ファンではなかったのですが、本を読んで、各々素直な感想を語り合うなんて、忙しい会社員生活の中でなかなか機会がありませんから新鮮でしたね。しかし、仕事やなんやかやで足が遠のいていましたが、折にふれ気にかけて頂いてました。病気のカテゴリーで綴っていますので割愛しますね。

 

sumikichi52.hatenablog.com

 

そもそも、三浦綾子さんのことをご存じない方のために、案内状から引用させて頂きますと・・

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1922年旭川市で生まれ、17歳で小学校の教師になる。軍国教師として懸命に教えたために敗戦後には大きな絶望に陥る。自殺未遂、結核脊椎カリエス発病により13年間寝たきりで闘病。その間幼馴染みのクリスチャン前川氏を通してキリスト教の洗礼を受ける。その後出会った三浦光世氏の祈りに支えられて奇跡的に癒された綾子さんは、結婚後、雑貨店を営みながら書いた「氷点」で作家デビュー。多くの病と闘いながら、人々に神の愛を語り、生きる勇気と希望を与える80冊以上の作品を書き続けた。世界十数カ国語で読まれている。「氷点」ほか「塩狩峠」「道ありき」「細川ガラシャ夫人」など多数。今更ご説明しなくても有名でらっしゃいますね、失礼いたしました。

 

さて、講演会。講師は、三浦綾子記念文学館特別研究員の森下辰衛氏。

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 岡山県出身。福岡女学院大学助教授を2007年に辞し、家族と共に旭川に完全移住。三浦綾子の心を伝える道に入る。 著書「『氷点』解凍」ほか多数。と案内状のプロフィールには簡潔に記載されてます。お話をお聞きすると、綾子さんの魅力を広めるのが自分の使命だという神からのおつげを信じ、4人のお子様を抱え、収入のあてもないのに大学をお辞めになったようです。当時は、変人扱い。ですが、自分の信じる道を歩き続け、今では一番上の娘さんが公務員になられているそうです。昔の私でしたら、面白い方もいるもんだなぁと感心する程度でしたが、“みな悔いなき人生を”キャンペーン中の今の私からしますと、それもありですね、と深く頷くだけでございます。

 

講演のテーマ「泥流地帯を読んで?苦難の中でこそ、人生は豊かなのです」。

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簡単ですが、「泥流地帯」は・・・
大正15年、十勝岳大墳火。泥流が全てを一気に押し流してゆく…。市街から遠く離れた部落で、貧しさにも親の不在にも耐えて明るく誠実に生きている拓一、耕作兄弟の上にも、泥流は容赦なく襲いかかる。真面目に生きても無意味なのか?懸命に生きる彼らの姿を通して、人生の試練の意味を問いかける感動の長編です。いえ、らしいです。私、読んでおりません。なのに、拝聴するというこのずうずうしさ。

 

90分近くのお話でしたがあっという間で、とてもわかりやすく、自分の気持ちを整理するのに大変参考になりました。
全て興味深かったのですが、特に印象に残った言葉を綴っておきましょ。

 

① 拓一は、ある時から夜が怖くなった。墨のような真っ暗な夜を。ある時とは、父親が事故で死んだ時。あの頑強だった父がこんな姿にと。このあたりは、綾子さん自身と重なる。綾子さんが教師だった頃、戦時中教科書に墨を入れて真っ黒にさせられた体験とだ。一生懸命子供たちと向き合ってきた自分がこんなことをしなくてはならないのかと絶望する。この墨塗り体験と重なっていると読み取れる。

② 拓一は、借金のために売られていった弟の同級生・ふくこさんを助けたかったが、借金という泥流にたちうちできない。しかし、冬の山仕事を始めてこつこつお金を貯め続ける。ここも、綾子さんと重なる。ギブスベットに横たわる綾子さんのために旦那となる光世さんが、来る日も来る日も祈って祈って、祈り続けて、最後には、僕の命と引きかえに綾子さんを!とまでいう、この行為が拓一に投影されているのだろう。

・・・この①②の解説は、相当綾子さんを知り尽くしていなければ、気づかないことだと驚きでした。恐るべし森下氏!

③ ②に続き、自分が出来る方法で闘うことが大切。苦難は忍耐を生む、忍耐は練られた品性を生む、練られたられた品性は希望をうむ。横から見ると階段のように上がっていくが、前から見るとまず苦難しか見えない。逃げないで苦難に向かっていけば、やがて希望に辿りつく。津波震災の際、海で生き残った船は4%。波に帆先を向けて沖に向かっていった船が残っている。苦難が来た時は誰もが恐れる。怖い。しかし、そこに帆先を向けられるかどうか。   

・・・時の流れを振り返れる時点で見れば、素晴らしい歩みですが、突然目の前にとか、渦中にいると、なかなかしんどいですよね。信じて進むよう努めたいなとは思います。実際、闘病生活は乗り切れました(再発覚悟)が、最中は半ば低空飛行気分でしたし。でも、耐性はできましたね。

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④ 学校一秀才だった耕作は、貧乏のため進学を諦めていた。高名な先生が、耕作にたずねた、君は開拓農家(貧乏)なのか?と。そして言った、そうか 残念だなぁ・・だが、耕作、頑張れよ、“人間の一番の勉強は、苦難を乗り越えることだ”と。

⑤ 本当にどん底の苦難の時に必要なのは、一緒に○○しよう、一緒に、一緒に、この手を差し伸べて“一緒に”が大切。しかし、手を差し伸べることが出来るのは、前述した“苦難→忍耐→品性→希望”の階段を上った人だけ。

・・・これは、わかります。そういう方のオーラは言葉では表現できませんよね。

⑥ 僕なんか生きていたも仕方がないとヤケになりこの泥流の中にいれば死ねると思っていた拓一は、助けを求める声を聞き、泥まみれになった人間を背負った時、その重みを、命の重みを感じた。この時、叫んでくれなければ拓一は死んでいた。

⑦ 農作業の工程、土を耕し、種をまき、土をかぶせ、水をやり、芽がでる。種をまいたら芽が出る、冬のあとには春がくる・・・不思議だなぁと耕作がいう場面。この土をかぶせというのは、泥をかぶせとも言える。これが泥流ではないか。私たち人間は種。農夫は泥をかぶせないと芽が出ないことを知っている、だから泥をかぶせる、君が芽を出すことを信じているよと。この農夫は神様。

・・・私、この自然の成り立ち話は大好きです。芽が出るのは、冬の厳しさを知るからこそ、身の引き締まる時期を過ごせばこそ。

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⑧ つらい時、悲しい時、苦しい時など、苦難を通して普段気づかない事に気づく。ここにこうして存在していること自体奇跡。日常には奇跡できらきらしている。苦難の中でこそ、人生は豊かなのだ。神様の深い考えがあってのことだ。では、何が試練と思わせてくれるのかは、「続・泥流地帯」講演で、とのこと。

・・・人智を超えた領域によるものだと観念した方が楽になることはありますね。諦念に近いのかもしれませんが。でも、なげやりとかではないです。

 

以上、なんのこっちゃか理解不明のことでございましょう。申し訳ございません、自己満足備忘録ですので。万が一読んだ下さった方がいましたら、自身の想像力・人生観にお任せいたします。


くどいようですが、特にファンではございませんのに、勢いで買ってしまいました。綾子さんの心に響くことば集。この世には、多種多様な名言集などがありますよね。ニーチェブッダ孔子、など色々読んだあと断捨離しました。諳んじれるほど覚えてはおらず、なにか癒される言葉集を手元に置きたいなと思っていたところで、この日縁あってのことかなと。366のことばなので、一日ひとつについて想いをめぐらし、ブログに載せるのもありかしら。

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このあと、M氏とライブ曲の練習を少し。協会の中でフォークソングを大きな声で歌ってしまい、大ばか者でした。その時に気遣いなさいって話ですよね。ホントにお恥ずかしい限りでございます。

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日々感謝です。