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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

TV番組「奇跡体験!アンビリバボー〜緊急特集!日米に男気伝説!黒田博樹よ永遠に!〜」を観て。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

昨夜、TV番組「奇跡体験!アンビリバボー〜緊急特集!日米に男気伝説!黒田博樹よ永遠に!〜」が放送されましたね。にわかカープファンですが、チェックすべしと、観てしまいました。ファンの方は、すでにご存じの内容なのでしょうけれど、私は知らないことばかりでした。日本シリーズ中に収録したものらしく、若干、時のズレがあるのかな。

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黒田選手がなぜ、ドジャースと契約交渉の際、契約期間を4年から3年にしてほしいと言ったのか。それは、まだ一球も投げてないのに、何年もそこで投げ続けた人より年俸が多いのは納得できないから。しかし、後述しますが、これだけの理由ではなかったようです。海外で活躍して4年目。他球団からオファーが来ても、興味なし、と。移ったばかりのチームで優勝しても実感が持てないから。20億円の年俸を蹴って、広島に戻ったのは、帰りたかったし、帰らなくてはいけないという気持ちから。このあたりは、有名ですよね。

 

そんなありえない生き様は、黒田選手の生い立ちにあったんですね。
大阪で生まれて、両親ともにもとスポーツ選手。特に母親が竹刀を片手に熱血子育てをする方だったとか。子供の頃から野球をしていた黒田さんは、甲子園に行きたい、と野球のエリート校に進ませて貰う。しかし、1年生の夏合宿で監督から4日間朝から晩まで走らされ、一緒に走っていた先輩のご両親がこっそり家に連れて帰ってくれ、黒田さんの実家に電話すると、母親が、すぐに学校に戻して下さいと鬼のような対応。この時、黒田さんはとんでもない親だと思った。けれど、大人になって振り返ると、お世話になると決めた監督に従うのが当たり前だと筋を通すことの大切さを教えてくれてたんだとわかった。結局3年間補欠だった。

しかし、諦めず、野球で有名な専修大学に進んだ。この頃心の支えとなった言葉が、あの有名な『耐雪梅花麗』。今苦しい思いをしているけれど、いつか花咲く事もあるんじゃないかと。

そして、球速140㌔超えるまでに成長。その頃(2年生)から、ひとりの男性がグランドに訪れるようになった。カープのスカウト・園田さん。たびたび訪れ、ただじっと見ているだけ。「球に力がある。打たれても打たれても逃げなかった。カープに入ったら5本柱にはなれると思っていたが、まさかここまでになるとは思わなかった」と言う。4年生になると球速150㌔まで投げるようになり、エースになった。ドラフトで他球団からも指名がかかったが、黒田さんは逆指名でカープを選んだ。どこの球団よりも早く自分を見つけてくれて、遠い練習場まで何度も足を運び、その頃アマに声をかけることは禁止されていたので遠くから見つめてくれていた、その情を大切にした。そこにも母の教えがあった。癌に侵されながらも息子の前では気丈に振る舞っていた母の言葉「せっかく目をかけてくれたチームの期待を裏切ったらあかんで」。
このあたりも、自叙伝などで綴られているのかな。

 

入団してから現在に至るまでは、私が語ることでもないので割愛させて頂く事にしましょ。

ただ自分が知らない事について、もう少し・・。
メジャーでの試合中、ピッチャー返し?が頭に直撃して、即入院。打った相手選手は責任を感じて黒田さんに手紙を出した。「もし、黒田さんが野球をやめたら、僕はメジャーで野球を続けようとは思わない」といった内容。それに対して、黒田さんは「この先僕が引退した時に、君にボールをあてられたと、胸を張って言える選手になってほしい」と返事を出したとのこと。頭が下がります。

他にも、カーショー投手のキャッチボール相手だった黒田さんの最後の登板の前、カーショー投手はこれが最後になるかもしれないと予感して、黒田さんのキャッチボール相手をしてくれた。普通、シーズンが終わって自分の登板がすんだらボールを握ることはしないのに。他球団からのオファー交渉の際、カーショー投手や仲間のいるドジャースと対戦しないチームを条件にした。年俸や待遇よりも情を優先した。ヤンキースに移籍した後、カーショー投手から、「僕は誰とキャッチボールをしたらいいんだい?」とひとことメールが届いた。男気は国境を越えるんですね。

 

実は、誰もが羨む野球人生と見えるが、そうではなかったんですね。
一度も楽しいと思ったことはない。どちらかというと、苦しいだけの野球人生だったと黒田さんは言う。それは、少年時代の原体験にある。プロ野球の試合を観に行った日、応援するチームが勝ち、「僕が観に来たから勝ってくれたんだ!」と純粋に喜んだ。この気持ちがずっとあり、選手にとっては、長いシーズンの中の一試合だが、今日その日に来てくれた人にとっては大切な一試合。負けていい試合はない。だから打たれることは怖かった。だから一生懸命練習した。ずっと恐怖との闘いだった。メジャーに行った時も、いつ首になるかわからない厳しい世界だから、不安の方が大きかった。まるで
刑務所に入るような気持ちで行ったとのこと。だから、最初に提示された4年は続かない、せめて3年なら、と減らした。メジャー行きの裏には、大きな舞台に挑戦したいという純粋な気持ちと大人の事情が絡み合ってたんでしょうね。

そんな覚悟を象徴する場面が、黒田さんが自信を持って投げた球を球審にボール判定され怒鳴った時。ベンチに帰る際、すれ違いざまに球審が言った「間違えたのはあの一球だけだっただろう」のひとことに我慢が出来ず怒鳴ったのだ。その一球のためにみんな調整して命かけて投げてるんだと。自分は、いつもこの試合が最後になってもかまわないと思って投げている。

 

もともと関心の低いプロ野球ですが、私、日本シリーズを真剣にTV観戦(ブログ掲載してます)してまして、そのとき感じた、黒田投手のあのつらそうな表情をしての投球にはそんな想いが込められていたんですね。ずっと応援している方々は、黒田さんはいつも、汗びっしょりでしんどそうな、あんな感じだよとおっしゃいますね。

 

日米通算200勝達成した大投手の黒田さんにも、ひとつ手にしていない栄光がある。“優勝”。一番悔しかったのは、事あるごとに“優勝経験が無い”からとコメントされてきたこと。リーグ優勝したら最大の恩返しになると思っていた。だから、自分のことより、若い選手がリーグ優勝を経験出来たのが嬉しい。黒田さんは、「ずっと、まさか日本シリーズの場に立てるとは思っていなかった、一度も楽しいと思ったことはないけれど、一生懸命やってきて良かったと思う」と振り返っていた。

 

スタジオでは、資金が潤沢にある他の球団の選手だったらこんなに盛り上がらなかったかも、市民球団カープだったからこそだとワイワイ賞賛してました。

 

一度も楽しいと思ったことがない、じゃあ、なぜ続けられたの?そこには、甲子園に出たい、野球をやりたいと願い出た時のご両親の、特に母親の言葉「最後までやり抜く気持ちはあるのか!」があったんですね。なんて素直なんでしょう。このあたりのお話は、皆さんご存知の事なんでしょうか。でしたら、私はホント今頃トンチンカンですね。ただ・・自分の正直な心情を語るのは、勇気が必要だったんじゃないかと推察いたします。むしろ、言いたくない事ではなかったのかと。これも、後に続く者たちへのエールと自分を英雄視しすぎないで欲しい、ひたすら普通に愚直に歩んできただけのこと、みたいな気持ちがあるのかな、なんて勝手に思ったりしました。

私、凡人で何にもやり残せてませんし、何者にもなれてませんけど、黒田さんの想い、楽しいと思ったことはない、に心揺れてしまいました。一時、人から羨ましがられる仕事に懸命に取り組んでいても義務感しか感じなかったし、あまりの理不尽さに爆発しそうな時も、両親の黙々と働く姿やいろんな言葉が浮かび気持ちを静める、いえ、押し込めるかな、あらら、脱線してきましたので、戻しましょ、素晴らしい、カッコイイ、なんて言葉だけで持ち上げるつもりは毛頭なく、ただただ、やはり、有難う、しかないのかな。

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まとまらない感じですが、今の私のぼやっとした気分の表れであります。

日々感謝です。