今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

私にとって『ボブ・ディラン』といえば・・・。

こんにちわ、SUMIKICHIです。

ボブ・ディラン氏、ノーベル文学賞受賞!のニュースが流れた際、お恥ずかしながら、私が幼い頃口ずさんでいたあの曲に出てくるあの有名な名前だよね?という感想くらいしかありませんでした。ガロというグループの「学生街の喫茶店」。先日、ライブで歌う曲を選ぶ時、いくつかの候補曲に入れていました。

 

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子供心に、歌詞に出で来るくらいだから、きっとボブ・ディランって人は何かの象徴なんだろうなーと感じてはいたものの、特に調べてみるとかはしなかったですね。大人になるにつれ何となく耳にする程度。今思い起こしてみますと、あの哀愁のあるメロディと歌詞、ボブ・ディランの名前とでその時代に青春時代を生きた若者たちの想いが表現されていたんでしょうね。

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                                歌詞一部引用

もし、ライブの曲を「学生街の喫茶店」に決めていたら、凄い偶然でした。変更しようかな。いえ、そりゃ、節操なさすぎ?

しかし、何やらこの受賞が物議を醸しだしているようで・・・
あぁ、歌は文学じゃないから駄目なんですか、歌詞の内容が賞には値しないんですか、そうなんですか。でも、ある堅めの情報番組で国文学者のコメンテーターさんが「古来日本では、万葉集古今和歌集など、歌は文学だったんですよ、それに音を乗せるようになり歌になり、小説だけが文学ではないんです」と受賞を肯定されていました。

ボブ・ディラン氏の事は、よくわかりませんが、個人的には、歌詞を書いて歌って、世界中の多くの一般市民が何らかの影響を受けて前に進んでいる(良い方向に)のなら、何も高尚な小説でなくとも良いのではないかと思います。私も、歌に救われること多々ありますし、その場合歌詞に励まされてるわけですし、一行や一言で人の心に残せる表現方法って素晴らしいと思います。

ボブ・ディラン氏は、今、何を想っていらっしゃるんでしょうね。僕は、そんなつもりで書いてきたんじゃない、歌ってきたんじゃない、ただそうやって生きているだけなんだ、って沈黙なさっているのでしょうか。

日々感謝です。