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今日も、生涯の一日なり

自分軸で生きると決め早期退職した50代独女のつぶやき

《人生棚卸》子宮頸がん①

 

 

 

人生棚卸のお時間です。
癌宣告や治療期間の心の動きを中心に綴ろうと思いますので、治療の詳細などは省きます。断捨離で重要な書類を捨ててしまったのです。お気楽者でございます。二つのパートに分けます。まずは、子宮頸がん①です。

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平成23年4月47歳、人間ドックで子宮頚部に異常が見つかり、即刻、かかりつけの婦人科病院で検診をしたところ、どうやら癌の疑いがあるので至急精密検査をと、実績のある市民病院を紹介してもらった。ショックというより「やっぱり。でも、子宮あたりかぁ。」とその場では平然としていた。母も癌で他界しているし、若い頃から甲状腺の腫れに注意、とか言われてきたし、何よりも、自分を押し殺した生き方はいつか破滅すると思い込んでいたので大騒ぎはしなかった。さらに言えば、他人事のようだった。しかし、帰りに立ち寄った本屋で、この癌について何冊か立ち読みしているうちに、現実が私を正気にした。ステージによっては子宮全摘、5年生存率は8割、うんぬんかんぬん。あららー死ぬの?

それでもまだ深く考える間もなく、市民病院で精密検査をうけ、一週間後の面談で子宮頚がん部腺癌Ⅰ期と宣告された。線癌タイプは、表皮の奥に発症し、綿棒でこすり取って調べる細胞診では見つかりにくく、普通発見した時はステージが進んでおり予後が悪い、初期であれば子宮温存できるが、腺癌なので大事をとって子宮と卵巣の全摘必要、その後、病理検査で治療法を決めるが、腺癌なので大事をとって放射線治療と化学療法併用になる予定、術後、リンパ浮腫ケアなどもあり、長く付き合っていくことになる・・ざっとこのような内容を丁寧に説明してもらった。現在の国の子宮けい癌治療ガイドラインに沿って、全国だいたいこのようなスケジュールになるらしい。子宮頸がんという言葉より腺癌の単語ばかりが印象に残った。
セカンドオピニオンは考えなかった。
時間をかけているうちに進行するのが怖かったし、性格的に諦めが早いというかせっかちというかどこか生きることに淡泊なのかもしれない。実際、あちこちで再検査しているうちステージが進んだという50代の方もいた。子宮全摘かぁ・・まぁ、50手前で独り者だ、仕方ない、くらいの気持ちしかなかった。 

その日の夜、大泣きするとか暴れまくるとか感情を吐き出すこともなく、静かに色々な事を考えた。まぁ、独り者なので誰かにすがることが出来ないというのもあるが。母が他界した時もそうだった。大泣きしていない。母から人前で泣くなと育てられたし、何事にも、泣いてどうなるものでもないというスタンスだ。だから、きちんと涙を流して浄化しないといけない時にでさえ、溜めてしまう。深層心理というものにもし箱があるなら、底は腐っているに違いない。

ただひとつ、「独り者だし誰も困らないから、死ぬのは仕方ない。でも、ずっとやりたかった事に手をつけないままでは死ねない!」とだけ心のどこかで本心が叫んでいた。このフレーズが、その後の私の指針となる。

さて、まずは、明日会社に休暇届提出だ。次に・・あっ、家の掃除しないと、死んだあとこの部屋見られたらやばい・・他は・・そうしているうち眠りについた。おかあさん、孤独に強い自立した人間に育ててくれてありがとう。ふっ。苦笑。

この後、さっさと事を進め、5月20日 子宮&卵巣全摘手術。6時間。私の血液型は、RHマイナスのO型で非常に珍しく、他人からの輸血が不可なので事前に自己血を採血して保存した。結局使わず後日自分の体にもどした。ひぇ〜。それほど手術自体は完璧だったとのこと。おへその下から恥骨の端までの約40㎝の傷跡も今ではよくわからないほどきれいだ。

        f:id:sumikichi52:20160812093006j:plain 研修医かと思うほどお若く見える担当女医さん

 

驚いたのは、手術室に入る時は、カートで寝て運ばれると思っていたのに、看護士さんとおしゃべりしながら歩き、手術室の前で手を振って分かれ、自分で台の上に上がって寝る、という今からマッサージをうけまーす!的な場面にだ。なんだか・・色々なことをあまり深刻に考えるのはやめよう、と思った瞬間だった。

麻酔で眠っていた私は、数時間後看護士さんに呼び掛けられ目を覚ました。こうして起こさないと運悪く目覚めない場合があり、麻酔ってすごく神経使うらしい。局所麻酔が効いており痛みは無い。痛み始めると自分でボタンを押し薬投入。二日後くらいから動け動けとせかされる。昔は絶対安静だったのが、今では内臓が癒着するからとにかくじっとしていてはいけないらしい。スパルタだ。

目覚めてから一週間、幸せだった。物心ついてこれまでの人生の中で一番といえるほど。一度手術台の上で死んだのだ(滅多にないが麻酔で失敗もあるらしい)。今私に出来ることは、本来人間に備わっている自然治癒力に全てをお任せして、ただじっとしていることだけなのだ。何も思い煩うことなく、体中の細胞がじわじわと再生し続けてくれるのを待つ。マイナス株価が右肩上がりに上昇を続ける線グラフと同じように私の気持ち・心が勝手に上昇していくのを感じていた。ふわぁ〜って。4階の個室で片側全面窓という環境も良かった。丁度五月晴れが続いたのも良かった。シンプルに生きている、いや、生物学上再生している?子宮と一緒に深層心理の箱の腐った部分が取り除かれ、とにかく、満たされていた。

またサッサと事は進み、放射線治療2回、抗がん剤治療6回。手術から治療終了まで10ヶ月。ただ生きるだけの期間。抗がん剤治療は、一回4時間程度投与で体調管理もあり4日間入院、3週間あけてまた投与入院。これを、6回繰り返した。抗がん剤治療の副作用は、悪性リンパ腫だった母を看ているので覚悟していた。吐き気、食欲不振、脱毛・・・。人によって症状は異なるらしいが、私にもちゃんとあった。しかし、副作用対策の薬もあり、投与後二日位はつらいが、一人で自宅で生活できるレベルだった。そうそう、初めての投与後、足や腕、顔面の皮膚がぼこぼこと盛り上がり、そう、たちの悪い虫にさされてぷくぅと膨れた感じになり、抗がん剤があわないんじゃないか、やめようかという話になった。いやいや、決めたことはやりましょうよ、と私がいい、ステロイド投与で乗り切り、続けた。なんで言ったのかいまだにわからない。         

          f:id:sumikichi52:20160812092711j:plain  f:id:sumikichi52:20160812092118j:plain

この時、若いのに落ち着いた感じの看護士さんが、ぼこぼこの症状を見て、騒ぐことなく「うん・・大丈夫ですよ、私もなったことありますし、大丈夫」とひとこと低くしっかりとした口調で言ってくれて、すごく癒された。ああ、同じ言葉でも、その人の内から滲み出る雰囲気で相手に伝わり方が全く違う。当然のことだが、心から感じた。
脱毛については、入浴中にごそっと抜けた時は驚いた。全然痛くないのだ。面白いほどにごそっ、ぱらぱら・・・。頭の形があんまり良くないことがわかった。写真を撮っておこうと思ったが、カッコよくないのでやめた。抗がん剤治療終了後、徐々に生えてくるので心配無用とのこと。

            f:id:sumikichi52:20160812084405j:plain 綿素材の帽子を被っていた

5年後の現在、しっかり生えている。しかも、髪質が変わって、剛毛が少し柔らかくなっている。歳のせいでコシがなくなっているだけとの説もある。

日々の生活は、傷痕が気になるので、ほとんど横になってテレビを観ていた。外食は出来ないので、全て自炊。料理は嫌いなのだが、仕方ない。がん患者の食事とかがんにならないための(もうなってる)とかの本を買ってみたが、考えるのが面倒なので、食べたい食材を食べた。一応野菜中心で、朝昼晩きちんと。買物は、近所のスーパーに車で出かけた。かつらは面倒なので、綿の帽子を被っていた。神経を使う作業は全くしなかった。出来なかった。早寝早起き、規則正しくゆったり過ごした。自活できる病気で良かった。不幸中の幸いだ。

②に続く・・・

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結局、今こうして普通に生活できているからこそ好きな事書けるんですよね。療養中はひとりでしたが、実は自分ひとりでは乗り越えられなかったと思います。全てに感謝です。